掌の中に想子を集め、握り締める。
それは、達也が「術式解体」を行使する際の、いつものイメージ。
通常の術式解体であれば、握り込んだ想子を展開中の起動式や作用中の魔法式に叩きつける。だが今、達也が求めている技術は、情報体が作用している実体を手掛かりに情報体を狙い撃つのではなく、情報自体を狙い撃つ技。
吸血鬼がつけている仮面から、達也は情報を読み取ることができなかった。一方、市丸は吸血鬼の仮面を砕くことで身体を消滅させていた。それならば、仮面から相応の情報を得られてしかるべきなのだ。
握っていた手を開く。腕を突き出すことはしない。
物理的な方向性のイメージを補完する為の動作はかえって邪魔だ。情報の次元では軌跡や航跡の類は生じない。何処に何があるか定義されれば、それは、そこにある。
標的の孤立情報体に重なるようにして、達也が放った想子塊が情報の次元・イデアに出現した。
物理次元では、複数の物質が同時に、同一座標に存在することはできない。
だが、情報にそんな制約は無い。孤立情報体と重なった「座標」で圧縮状態から解放された達也の想子は、孤立情報体に何の影響も与えず拡散して消えた。
「クッ……」
奥歯をグッと噛み締めて口惜しさを表す達也を心配そうな表情で見つめる深雪の隣から、達也が標的とする的作りに協力していた八雲がいつもと変わらぬ飄々とした口調で話し掛けてくる。
「さすがの君も苦戦しているねぇ。まあ、できない人間にはどんなに努力してもできない類の技だからね、これは」
突き放した言い方に、深雪がキッと殺気のこもった目を向ける。
「三日で理の世界に遠当てを放てるようになったんだから、適性が全く無いということでもないと思うんだけどね」
取り繕うように慌ててそう続けた八雲へ、深雪がなお非難の眼差しを向ける。
「師匠、次をお願いします」
だが達也が修行の続きをリクエストしたことで、深雪の意識は兄へと向けられた。
吸血鬼が校内に侵入し、市丸の手で処分がされたあの日から、ちょうど一週間。あの吸血鬼相手に達也は有効な攻撃ができなかった。その反省から、達也は翌朝から八雲に修行を願い出て、今日で七日目となる。
達也が標的としている八雲が作り出した孤立情報体は吸血鬼と同じではない。だが、現状では、似たような相手に接する時間を増やすことで、感覚をより鋭敏にしていく特訓を続けていくしかない。遠回りもいいところの、もどかしい方法ではあるが、他に良い方法が思い浮かばない以上は仕方がない。ともかく今できることを地道に行っていくことで、できることを増やしていく。
けれど、八雲の言葉とは裏腹に、達也はこの二、三日、才能の壁を改めて実感していた。三日で情報次元の標的に想子弾を当てることができた、というのは、並みの修行者からすれば長足の進歩だ。だが達也は元から、イデアに漂う情報体を認識することができていた。
それでも、八雲が作った的に対して想子弾を当てることができずにいる。見えているものに作用させられないのに、見えていないものに作用させることなど夢のまた夢。
「まあ、適性の有無は、結果でしか分からないことがあるからね。今日できなかったことが、明日になると突然できるようになったりするのも術法というものだから」
達也の苛立ちを汲み取ったのか、八雲がそんな慰めの言葉を掛ける。
「もっとも、『何時か』を待っていられない状況であるのも、また事実。君の場合は何処を狙えば良いのかは分かるわけだから、遠当てとは別の攻撃手段を編み出すのも一つの手だと思うよ」
「そんなにホイホイと新しい魔法を開発できるものじゃありませんよ。行き詰まっているのは認めますが、それにしたって買い被りすぎです」
「そうかな? 君は確かにある一面では非才だけど、術式の改良や開発に掛けては非凡な才能を持っているじゃないか。自分から可能性を狭めてしまうのは得策じゃないと思うけどねぇ」
「そうですよ、お兄様!」
なおも乗り気でない様子の達也を、今度は深雪が激励する。
「お兄様ならば必ずや、素晴らしいアイデアを実現することが可能です。僭越ながら、どちらも諦めてしまわれる必要は無いかと存じます。術式解体による直接攻撃を第一の対策としつつ、新たな魔法の開発を並行して進めればよろしいのではないでしょうか」
口にしたのが深雪でなければ、達也は「無茶言うな」と一蹴しただろう。あるいは、冗談で済ませただろう。
だが深雪の、期待と言うも愚かな、信頼しきった眼差しを前にしては、「できない」とか「不可能」とかその類の回答を返すことは、達也にとってそれこそ不可能だった。
「師匠は、市丸が言う悪霊と融合した人間がつけている仮面について、何か予測はありませんか?」
とはいえ、現状では新たな魔法の開発を行うにしても、どのような魔法を開発すれば良いのか見当がつかない。
「君は何か推測はついているのかい?」
「残念ながら、あの仮面からは何の情報も読み取れませんでした」
分解魔法「霧散霧消」は対象の情報を得られなければ発動させることができない。吸血鬼の身体の情報は辛うじて読み取れた。しかし、仮面の情報は全く読み取れなかった。そして、市丸の言葉を信じるならば、仮面の方が本体の可能性が高い。仮初の身体だけに霧散霧消を使用したときに、何が起こるのか。その予測ができない以上、安易に試してみることはできない。
「うーん、それなら専門家に聞いてみるしかないんじゃない?」
あまり気のりはしないが、それしかなさそうだ。
「それで、市丸は教えてくれる気があるからそこにいるのか?」
そう問いかけると、市丸が木陰から姿を現した。今日まで、市丸は八雲との修行に姿を現さなかった。まさか今日、来たのは何の目的もなしではないだろう。
「君ら、折角ボクが隠れとるのに、いとも簡単に見つけてくれるんやね」
「市丸も俺たちのことを簡単に発見するだろ」
「お互い、見つけるのばかり上手で、隠れるのは下手なんやね」
市丸の発言は達也には当てはまるものの、八雲には全く当てはまらない。けれど、そこは本題ではないので置いておく。
「それで、教えてくれる気はあるのか?」
「ないな。けど、今やっとることも、あながち間違いとは言えんと思うよ」
八雲が提案してきた修行であるので、大外れはないと思っていたが、吸血鬼退治については専門家である市丸が肯定的な意見をくれたことは安心材料になる。
「それなら、市丸は新しい魔法を開発する方がいいか、既存の魔法を改良するのと、どちらがいいと思う?」
「将来に向けてということなら、新しい魔法もありやと思うけど、必要なのは今やろ。既存の魔法を改良するのがええんちゃう?」
一応は聞いてみたが、意外と堅実な行動を好む市丸らしい意見だった。
「それなら改良するなら、どんな魔法がいいと思う?」
「それはボクに聞くより、しっかりとした古式の魔法師に聞けばええんちゃう?」
市丸が言っているのは幹比古のことだろう。
「幹比古も吸血鬼への対処は自信がなさそうだったが、古式の魔法は有効なのか?」
現代魔法よりは有効という比較論か、それとも古式魔法は有効だと言っているのか、それにより話は随分と変わる。
「悪霊は昨日今日で発生したものやない。長い歴史を持つ古式の中には吸血鬼に有効な魔法もあるやろ。けど、ボクは古式魔法には詳しくないから、どんな魔法が有効かまでは知らんのや」
なるほど、どんな古式魔法が有効なのかは市丸自身にもわからないということか。それなら曖昧な言い方になってしまうのも仕方がない。
「それで、今日はそのアドバイスをしにきたということでいいのか?」
「そういうことやね」
それだけ答えると、市丸はあっさりと去っていった。