第三次世界大戦を境にして、日本では文化の潮流がガラッと変わった、というイメージが強い。
だが実際には、それほど大きな変化があったわけではなく、所謂「軽薄な」風習も廃れず続いているものは多いのだ。
その一つが、明日に控えたバレンタインデーだ。聖バレンタイン・デーは本来、そんな軽薄なものではなくとか、チョコレートをプレゼントするなんてお菓子会社の陰謀とか、いくら力説しても無駄だ。若者はそんな事など百も承知で、自ら踊っているのだから。
バレンタインデーを明日に控え、第一高校の校舎も一日中、浮ついた空気に包まれていた。こういうところは、魔法師も普通の少年少女だ。
その中の一人、明智英美は仲の良いクラスメイトである桜小路紅葉、里美スバルと一緒に、明日に備えての買い出しに来ていた。
「エイミィは手作りとかはしないんだ?」
「紅葉は私が美味しいチョコを作れるように思う?」
「思わない」
はっきりと言い切られると釈然としないものはあるが、事実として味と見た目のどちらかを度外視するならばともかく、美味しくて見た目もいいチョコレートの手作りとなると、英美にはハードルが高い。
「ところで、エイミィは誰にあげるつもりなの?」
「スバルと共通なのは達也さんとして、後は市丸君かな」
「エイミィは九校戦のときに市丸君にアドバイスをもらってたみたいだからね」
市丸は特にアドバイスを送ったという認識はないようだったが、英美は市丸の神鎗という魔法のイメージがピラーズ・ブレイクで三位を取れた要因だと思っている。その借り自体は最終日のダンスで少しは返せたのかもしれないが、その後は横浜でも助けられた。これだけ世話になったのだから、チョコレートを贈るくらいしてもいいだろう。
「スバルは司波くんにどんなチョコレートを贈るの?」
市丸に送るチョコレートは英美が自分で考えたものでいいので、まだ気が楽だ。けれど、達也については本当に難しい。
まず気を付けるべきは達也のことになると目の色が変わる深雪だ。万が一、英美が深雪を上回るものを送れば、目を付けられてしまいそうだ。けれど、深雪に関しては誰よりも力を入れたものを作ると確信が持てているため、そのような心配は不要だ。
続いて警戒すべきは達也に本気の恋心を抱いている、ほのかの存在だ。けれど、ほのかも達也に対して贈るものに手を抜くことはない。英美も本気であると誤解されない程度の範囲に収まっていれば何も問題はないだろう。
けれど、もう一つ、大きな問題として残ったのが、九校戦一年生女子チーム一同で送ると決めたチョコレートだ。これに関しては、他の女子に比べて高すぎても安すぎても問題だ。それだけに悩ましい。
その日は紅葉のアドバイスも受けながら、スバルと一緒にチョコレートを買ったところで二人と別れた。そして市丸には一人で達也より少し上の額のチョコレートを用意し、英美は翌日を迎える。
そうして迎えた本番、チョコレートを贈るのは放課後だ。まずは英美とスバルが代表して渡すことになっている、九校戦一年生女子たちからチョコレートを回収し、その後は急いで達也を探す。
「あっ、ここにいた! スバル、こっちこっち」
帰宅したという話は聞かなかったが、達也を探すのにはそれなりに苦労した。そのため、カフェテリアの片隅にあるパーティションで仕切られた簡易なミーティングスペースで達也を見つけたときには、思わず大声をあげながら駆け寄ってしまった。
「か、会長っ」
そして、達也のすぐ横まで行って、初めてパーティションの内側に七草真由美もいることに気がついた。
「こら、エイミィ。会長じゃなくて七草先輩だろ」
言われながらスバルに小突かれて、真由美がすでに生徒会長ではないことに気付く。忘れていたわけではないが、現生徒会長の中条あずさの影が薄いこともあり、どうしても会長というと真っ先に真由美が思い浮かぶ。
「お取り込み中の所、お騒がせして申し訳ありません」
「別に取り込んでなんていないから気にしなくて良いわ、里美さん」
「そうですか。コッチの用はすぐ終わりますので」
やや棘を感じる真由美にも臆することなく、スバルは平然と切り返すと、手に提げた袋を達也へと差し出す。
「受け取ってくれたまえ」
「……里美。今日は一段と芝居がかっているな」
「何の因果か、僕とエイミィが代表に選ばれてしまってね。さすがの僕も、素面ではいささか恥ずかしいのだよ」
スバルはこのくらい何でもないのかと思っていたが、そうはいかないようだ。
「一応、何の代表か訊いてもいいか?」
「九校戦一年女子チーム一同からの……そうだね、お礼だよ」
微かにだが頬を赤らめながらもスバルはしっかりと達也の顔を見て答えている。英美もいつまでも黙って立っているだけでは駄目だ。
「あっ、一同と言っても、深雪とほのかは入ってないけどね」
言っておかなければならないことを慌ててつけ加える。
「あの二人は自分で渡したいだろうからさ」
「変なお節介焼くと怒られちゃいそう」
スバルの言葉に続けて、英美が冗談混じりに本音を口にする。
「雫の分も入っているから。確かに受け取ったって、後で電話でもメールでもしといて」
雫はそれなりに達也と関係が深い。わざわざ英美たちに加わらずともよかったはずだが、ほのかに遠慮をしたのだろう。
「じゃあ、またね。会長、じゃなかった、七草先輩、お邪魔しました」
この後、英美は市丸の元に向かわなければならないのだ。さっさと達也と真由美の前からは辞去する。
「じゃあ、健闘を祈るよ」
「別に健闘とかはないんだけどね」
市丸はドライな面もあるが、バレンタインデーに渡そうとしたチョコレートを突き返してくるようなことはしないはずだ。
「さて、市丸君はどこにいるのかな」
いつもなら高い所にいるが、今日はどうだろうか。
「まあ、見晴らしもいいし。とりあえず高い所に行ってみようか」
市丸を探して、第一高校主校舎の屋上にある空中庭園に向かう。そこから、更に上、屋根の上の方を見上げてみる。すると、屋根の上に腰かける市丸が見えた。
「市丸くーん!」
今はCADを持っていないので屋根の上に登ることは難しい。向こうから降りてきてもらうしかない。手を振る英美を見て、市丸が側に降りてきてくれる。
「何か用なん?」
「うん。はい、これ。九校戦のときと、横浜のときのお礼」
言いながらチョコレートを差し出す。
「別に礼なんて気にせんでええんやけど……まあ、おおきに」
いつも浮かべている笑みを少しだけ深めて、市丸は英美が差し出したチョコレートを受け取ってくれた。
「そういえば、市丸くんは最近、何をしているの?」
市丸に加えて達也たちも何かしていることは何となくわかっている。それが、おそらく噂になっている吸血鬼事件に関係をしているということも。
「明智はとうに気付いとるんやろ」
英美は何も言っていないが、洞察力に優れる市丸のことだ。まさか想像を外しているということはないだろう。つまり、市丸は吸血鬼事件を追っているということだ。
「今回ばかりは首を突っ込んだらあかんで」
市丸がそう言うということは、吸血鬼はかなり危険な相手だということだろう。それでも、横浜で圧倒的な力を見せつけた市丸ならば、何の問題もないはずだ。
「市丸君は大丈夫なんだよね」
けれど、なぜだろう。妙に胸騒ぎがする。
「ボクが弱うないの、明智も知ってるやろ」
「うん、そうだよね」
そうだ。大亜連合の兵士たちを文字通り蹴散らした市丸を倒せる相手など、簡単には思い浮かばない。そのはずなのに、どうしても不安が消えないのだ。
「気を付けてね。本当に」
「油断はせんようにするよ」
そう言って市丸はまた屋根の上に戻っていく。それを見送って英美は部活に向かうために屋上を後にした。