日本における生活拠点として借りているマンションの自分の部屋の扉の前で、リーナは深いため息をついた。
ここ数日のうちにリーナたちの手勢は随分と削られてしまっている。どうも吸血鬼が日本の魔法師に変わったようで、それ以降、リーナたちに対して敵対的な傾向が強まった気がしてならない。
吸血鬼となったとして以前の性格等が完全に変わるわけではない。それは、USNAにて何人もの吸血鬼の処分をしてきたリーナは体感として知っていることだ。
元となった日本の魔法師が外国人全般について、あまり良い感情を持っていないのだろうか。いずれにせよ、これまでのように基本的に交戦を避けるのではなく、むしろ単独行動する味方を狩りにくるようなら、相応の対応策を考えなければならない。スターダストは使い捨てが前提な面はあるが、だからといって、無駄死にをさせてよいわけではない。
そんなことを考えながら、ドアを開けて、リーナは異常を感知した。
一緒に来日したシルヴィアが帰国して、現在リーナは一人暮らしだ。
それなのに、人の気配がする。
背筋を冷たい緊張が走り抜けた。ドアを開けてみるまで気がつかないなんて油断のしすぎだ、と自分を叱咤する。そうやって気合を入れ直し、慎重に身体を中に滑り込ませる。
今更手遅れな配慮だとも思ったが、音を立てないようにそっと扉を閉めた。
靴をどうするか一瞬悩む。本当は考えるまでもないのだが、後で掃除する手間のことを考えてしまったのだ。
再度自分を叱りつけてそんなボケた雑念を頭の中から追い出し、鞄をそっと床に置いて、リーナは突入の為にそのまま身を屈めた。
「知覚系統が得意ではない、というのは控えめな表現だったようだな」
そして、頭上から降って来た上官の呆れ声に、彼女の進退は窮まった。
「大佐殿、どうしてここに?」
声の主はUSNA統合参謀本部情報部内部監察局第一副局長のヴァージニア・バランス大佐だった。カナダ軍統合時に改組。新設された、制服組のみならず私服組の不法行為にも目を光らせている内部監察局のナンバー・ツーの役職に就く女性だ。
バランス大佐は、達也と深雪、市丸に十文字克人といった強力な魔法師たちの前に任務を果たせずにいたリーナを支援するために駐在武官に対する監査を名目として、援軍に来ている。しかし、今日、リーナの元に来るという話は聞いていない。
「ご用がおありでしたら、私の方から出頭いたしましたが」
「あるいは知っているかもしれないが、私の軍歴の大半は後方勤務で占められている。中でも人事関連業務が主たるキャリアだ」
バランス大佐はUSNA軍の中では有名人なので、その経歴はリーナも知っている。名門ビジネススクールを優秀な成績で卒業し、その肩書きに恥じぬ辣腕を振るっていることも、キャリアの中では数少ない前線勤務においても、軍功をあげていることも。
「そのわたしの経験が告げているのだが、今回の作戦において、貴官はターゲットに過度のシンパシィを寄せているのではないか、と私は懸念している」
「小官はそのような……」
「そうか? 私の思い過ごしであれば、それに越したことはないが……貴官の特殊な事情は私も理解しているつもりだ。スターズの歴代総隊長の中で十代にしてその職に就いたのは貴官だけだ。現代魔法の技術・理論体系により開発された魔法師は、一般に新しい世代ほど魔法のポテンシャルが高いとはいえ、若すぎるという声も少なくなかった。私も意見を求められたならば、貴官の総隊長就任に反対を具申していただろう」
リーナの総隊長就任には相応の波乱があった。そうして紆余曲折を経て総隊長に就任した後にも猛烈な敵意すら向ける者は少なくなかった。だが、バランスの声は、リーナの地位に異を唱えていた者たちと違って聞こえた。
「貴官は未だ十六歳。自分の十六歳当時を振り返ってみても、感情をコントロールするのが難しいのは分かる」
上官が自分のことを真摯に案じてくれていることは分かったので、リーナも神妙な面持ちで耳を傾けていた。
だがリーナの少し硬い表情を見て、バランスは何故か、少し拗ねたような顔になった。
「……君から見れば私はオバサンかもしれないが、私にだって十代の頃はあったんだぞ」
「滅相もありません! 小官は決してそのようなことなど!」
「……まあ、いい。今の発言は忘れてくれ」
「……確かに小官は、タツヤ・シバにUSNAの軍人として好ましくないシンパシィを懐いています。ですがそれは、決して恋愛感情やそれに類するものではありません。小官が彼に懐いている感情は、むしろ、ライバルに対する競争心です」
戦闘力という意味ではギンもタツヤに全く劣らないどころか、むしろ近接戦では上回るほどだと思う。けれど、どうにもギンはライバルとは少し違うように思えてならない。どうしても、ギンには負けたくないという感情を抱けないのだ。
「分かった。そういうことなら、話もしやすい。シリウス少佐。現時点を以て脱走者の追跡、処分は一時棚上げとし、当初任務への復帰を命じる」
それは、謎の戦略級魔法師の捜索任務に復帰するということだ。
「これより『質量・エネルギー変換魔法』の術式もしくは使用者の確保を最優先任務とする。確保が不可能な場合は、術式の無力化もやむを得ない」
魔法の術式無効化とは、誰にも使用できなくするということ。即ち、術者の抹殺だ。
「まずは、タツヤ・シバをターゲットと仮定。第一波として明日の夜、スターダストを使いターゲットに襲撃を掛ける。貴官は自己の判断により適時介入せよ」
「バランス大佐、小官の身分はタツヤ・シバの他にもギン・イチマルたちに知られています。仮にタツヤ・シバの術式の無力化を行った場合には、日本とUSNAとの関係が悪化するのではありませんか?」
「その点は心配をしなくてもよい」
それは根回しは済んでいるということだろうか。
「ターゲットの生活パターンを分析してみたが、襲撃の機会は少ない。また、妹が一緒にいる時は難易度が高まることも疑いがない。ターゲットが長時間独りになり、しかも逃走される可能性が低い機会。それを逃さず狙う」
バランスが語った機会というのは、妹のミユキがピアノとマナーのレッスンに通っている間の時間のことだった。その間、タツヤは二時間ほど近場の飲食店で時間を潰しているという話だった。
その飲食店に強盗を装った「スターダスト」のメンバーで押し入り、致死性のない攻撃を仕掛ける。その場で捕獲が可能なら、そのまま拉致。反撃を受けたら交戦しつつ逃走して、リーナの待つ公園にターゲットを誘導する。
スターダストはUSNAの魔法工学技術を注ぎ込んだ強化魔法師だ。五人いれば通常の魔法師ならば制圧は難しくない。けれど、タツヤがそれに当てはまるかというと、疑問だ。
「タツヤ・シバに対して襲撃を行うのなら、それ以上にギン・イチマルの動向に注意を払わなければならないと思います」
「ギン・イチマルは貴官がそこまで言う程の実力者ということか」
「近距離での速度勝負となれば小官はおろかスターズの誰も、勝つことはできないと思います」
最初の戦闘時はリーナのパレードを見破ってみせ、吸血鬼と化したミカエラとの一戦の折にも、ギンは一瞬のうちに倒してしまった。そのときの速度は、リーナも反応が難しいほどだった。
「貴官がそこまで言うのなら、ギン・イチマルに一人、見張りをつけておこう」
大規模破壊を目的とする戦略級魔法は対人戦闘の役に立たないものが多い。けれど、それに当てはまらないのがギンの魔法だ。ギンの魔法は破壊力は高いものの、事象が単純すぎるのだ。そのせいで他の戦略級魔法に比べて検証なども行われていない。
けれど、単純だからこそ、対策が難しい魔法でもある。複雑で高度であるが使い辛い魔法よりも、よほど警戒が必要な魔法だと思う。
リーナにはタツヤにはないはずの豊富な実戦経験がある。それでタツヤに打ち勝ってみせる。そう決意を固めてリーナは次の作戦への備えを始めた。