明智英美はこの日、渡辺摩利の指揮下に入り、吸血鬼とされる男と戦っていた。男はかなりの強敵だったが、渡辺と千代田花音の現新風紀委員長に、服部、そして英美が連続で強力な魔法を叩き込み、最後に桐原が高周波ブレードを纏った刃で仮面を両断することで倒すことができた。味方に強力な魔法師が多くいたにもかかわらず敵は一人だったということもあり、吸血鬼との戦闘は思ったより苦戦はしなかった。
その後は近くで戦っている一条の援護に向かったが、到着したときにはすでに一条は敵を倒していた。それはよかった。問題だったのは一条の姿だ。なぜか一条は全裸だった。
本人は新しい能力の代償だと言っていたが、女子生徒たちから冷たい目で見られたことは言うまでもない。残念ながら、替えの制服など持っている者などいない。誰もが目を逸らす中、一条は走れメロス状態のまま隠すことなく吉祥寺たちの元へと向かっていった。
それを見送って、渡辺は一条とは別方向に向かうことにした。向かう先は最強の敵に立ち向かっているという市丸の所だ。そうして辿り着いた、市丸が受け持っていた運動場。そこは破壊の限りが尽くされた跡地となっていた。
その中心付近に、市丸は横たわっていた。すでに市丸に右腕はなく、身体は徐々に朽ちようとしていた。
「市丸くん!」
叫びながら市丸の傍まで行くものの、朽ちようとしている体に触れてしまっては、逆に取り返しのつかないことになりそうで何もできない。誰か、市丸を助けられる人はと周囲を見回すと、達也が市丸の側に立ちCADを向けていた。
達也が何の意味もなく、そのような行動を取るとは思えない。もしかして、何か未知の方法で市丸を助けてくれるのだろうか。
「なぜ、魔法が発動しない?」
そう呟くと、達也は市丸に向けていたCADを下げた。それで、達也にも市丸を助けることができなかったのだと知った。
「誰か、誰か市丸くんを助けられる魔法はないの!」
懸命に叫ぶが、英美の声に応える者はいない。
「もうええで、明智。ボクのこの状態は簡単に助かるものやない」
そう言った市丸の声は、さながらこの状態となることも、そうなっては助からないことまでをも理解していたようだった。
「簡単に諦めたら駄目だよ」
「ええんや。バラガンと戦うことになった段階から、こうなることはわかっとった」
「わかってたなら、なんで他の方法を取らなかったの!」
瀕死の人間に言うことではないとわかっているが、市丸はあまりにも自然に自分の死を受け入れてすぎていて、思わず声を荒らげてしまう。
「バラガンの能力と実力がわかっとったからこそ、こんな方法しか取れんかったんや。堪忍してくれへん?」
そう言って最早、満足に動かない体で市丸は微かに笑みを浮かべる。それに対して未だ誰も何も言わない。その沈黙の時間で、誰も市丸を助けることができないのだと、英美も理解させられた。
「え……?」
受け入れがたい現実だけど、受け入れなければならない。そう考えて空を見上げた英美の目に意外なものが入ってきた。それは九校戦に出発したときに市丸が着用していたものに似た、黒い和服を着た妙齢の女性だった。
「誰、あの人……」
英美の声に気付いた達也が空を見上げる。
「どうしたんだ? 誰もいないようだが?」
これまでの様々な事件で、達也が探知能力に優れていることはわかっている。その達也が全く気付いていない。そして、それは達也だけではない。マルチスコープを使える真由美も、十文字も、他の誰も女性の姿が見えていないようだった。
それにしても、凄く綺麗な女性だ。そして、なぜか警戒心が沸いてこない。急にこのような存在が現れたら、警戒してしかるべきなのに。
その理由はなんとなくわかる。英美が謎の女性を敵だと思えない理由。それは、女性が市丸のことを見つめる眼差しだ。女性が市丸のことを見つめる視線は、どこまでも慈愛に満ちていて、とても自分たちに害を与える存在と思えなかったのだ。
「吉良、生まれ変わってまで、こいつと一緒にいるなんて、どんだけこいつのことが好きなのよ」
「僕だって、好きでここに生まれたわけじゃないですから」
現れた女性は、なぜか森崎のことを吉良と呼び、昔馴染みのように話している。その声も他の皆には聞こえていないようだ。
「あの、貴女は……?」
英美が恐る恐る声をかけると、女性と森崎が驚いたようにこちらを見た。
「明智さん、こちらの女性のことが見えるのかい?」
「うん、森崎くん。けど、私の方が異常ってことなんだよね」
森崎が気まずそうに頷いた。
「別に体に異常が起きるってわけじゃないんでしょ。だったら別にいいや」
英美がなるべくあっけらかんと聞こえるように言うと、森崎は意外そうな顔をした。
「少しばかり近づきすぎたみたいやな。明智、森崎からなるべく離れるようにしといた方がええ。そうせんと、妙なことに巻き込まれかねんからな」
「市丸くん、話さないでいいから!」
英美が言うと、市丸は代わりに説明をしろとばかりに森崎の方を見た。
「明智さんは僕たちの近くにいたせいで霊力に敏感になってしまっている可能性が高い。そうなると虚……今回、第三高校の生徒と融合した相手を呼び寄せて……」
「そんなことは今はどうでもいいの!」
死を前にしている市丸を前に、暢気に今後のことを話す森崎の言葉を遮る。
「今、大事なことは、どうやったら市丸くんを助けられるかってことでしょう!」
「それやったら、ボクはもう助からんよ。せやから、今のうちに明智に伝えるべきことを伝えとこうと思ったんや」
そう言った市丸は最早、笑みを浮かべることすらできない様子だった。
「もう一度、言っとくで。ここから先は森崎の言うことをよく聞くように」
「うん」
「後の詳しいことは森崎に聞き」
市丸が残り少ない力を振り絞って声を掛けてくれているのがわかるので、今度は英美は黙って頷いた。
「貴女、あたしのことは他の子たちには黙っておいてね」
「……はい」
市丸の圧倒的な能力は、この人たちと関係があるのだと何となくわかった。けれど、そんなことは些末なことだ。
「市丸くんは、もう助からないんですよね」
「ええ、そうね」
「市丸くんは、この後どうなるんですか?」
「死ぬわね。けれど、そこまで悲観することはないわ。死後の世界のことについては、あたしが保証してあげる」
「保障いうても、あそこでの生活を保障されても困るんやけどね」
市丸の言い様は、さながら死後の世界のことを知っているかのようだ。けれど、それでも問題ない。例え、どのような理由によるものであれ、市丸の今後が幸せなのであれば、それより大切なことはない。
「市丸くん、これまで本当にありがとう」
英美がそう言ったことで他の皆も踏ん切りがついたのだろう。口々に市丸に対して最後の言葉をかけ始める。
「市丸、本当に助かった。俺だけではあの敵を倒すことはできなかった。お前がいなければ、多くの犠牲が出ることになっただろう。今日、皆が無事に襲撃を乗り切ることができたのはお前のおかげだ」
そう言ったのは十文字だ。
「強敵を倒してくれたこともだけど、市丸くんが敵の情報をくれなかったら、私たちは苦戦を免れなかったはずよ。だから、市丸くんは本当に皆の命を救ってくれた。ここにはいない中条生徒会長の代わりにお礼を言わせてもらうわ」
主要な敵は倒したとはいえ、まだ校内は正常な状態であるとは言い難い。中条は生徒会長として今は講堂で皆を纏めている。だからこその七草からの言葉だった。
「市丸、お前からの数々の助言、本当に助かった。感謝する」
「市丸さん、お兄様と仲よくしてくださり、ありがとうございます」
達也と深雪の兄妹の後も次々と皆が声を掛けていく。市丸はどこか浮世離れしたところがあり、皆の中に入っているとは言い難かった。けれど、皆から確かに信頼をされていたのだと感じられる光景だった。
「皆、おおきに」
その言葉を最後に、市丸の身体は徐々に朽ち果て、やがて元から存在していなかったかのように消え果てた。