アンダードッグは負けられない~噛ませ犬が四つの異世界の間をループしながら【主人公】と共に世界崩壊級の事件へと挑むそうです~ 作:三上 一輝
黒、黒、黒。辺り一面に広がる闇の世界。
忠人が意識を取り戻したのは、そんな不穏な空間であった。
暗く、静かで、そして寒い。1秒毎に不安感が激しく増大していく無明の世界。
「――――――」
ピアノ線よりも細くなった心に、せめて何か音を聴きたいと口を開いた忠人であったが…………声が出ない。
口の感覚が、いいやそんなレベルでは無く、体の感覚が無い。
まるで辺りに広がる闇の中に、全身が溶かされてしまったかの様な。
――光。光が欲しい。どうかこの暗闇を照らす明かりを灯してくれ。
頭が可笑しくなりそうな空間に、そう思ってしまったのがいけなかったのだろうか?
真っ暗闇の世界を照らす莫大な光。
忠人のの願いが叶って良かった?いいや、否。
「――――――!!」
声は出ない。しかし、忠人は間違いなく生涯最高の叫び声を上げていた。
熱い。熱い。熱い。
熱、熱、熱、熱、熱、熱、熱、熱、熱、熱、熱、熱、熱、熱――!!!
発生した光によって忠人に与えられたのは、未だかつて一度たりとも体験した事の無い熱量。
全身を流れる血液の、その1滴1滴が、マグマで出来た赤熱の歯車と成って、体の中をくるくる、
自らの心臓の位置に、突如として太陽が発生したかの様な。
それらの例ですら、生温く感じてしまう程に、膨大で破滅的な熱量。
――死ぬ。死んでしまう。
己を襲う、
――
一瞬で全身が溶けて死んでしまうであろう熱。
或いは、この不可思議な空間が、精神世界の様な物で合ったとしても、発狂――精神的な死は免れない。
そう断言できるほどの衝撃が忠人には持続的に襲い掛かっている。
なのに、死なない。死ねない。気絶すら出来ない。
物部 忠人と言う人間の器が許容出来るレベルの痛みなど、遥かに上回っていると言うのに!!
「…………」
そうして、忠人は理解してしまう。
今、自分を襲っている物の正体を。
――これは
無論、明かりと言う意味では無い。
それは夢であり、希望であり、決意である。
勇気であり、愛情であり、慈愛である。
それは善と呼ばれる物。世を光と闇で分類した場合の、光。
それが、忠人の中に急速で発生しているのだ。
救え。救え。救え。救え。
あらゆる悲劇を塗り替えろ、万象の救済を為せ。
無限に膨張し、広がり続ける光の意志は、雄々しくも華々しい。
ああ。故に、だからこそ。
忠人はもう一つだけ理解せざるを得なかった。
――この苦しみに終わりは無い。
もしもこの力が、忠人を苦しめようとする悪意による物であったのなら、何れは終わるだろう――それがどれほど長い時間かは分からないが。
しかし、善意であるのなら、もう駄目だ。
極まった正義の質の悪さは、悪意のそれを大幅に上回る。
だってそれは正しいから。
だってそれは強いから。
誰かの為に、誰かの為に、誰かの為に、と他者の為に沸き上がる
どうして忠人が発狂すら出来ないのかも、明白だ。
何故なら、この光に
この光は忠人を、頑張れと、諦めるなと、希望を持てと、そう鼓舞する物である。
そこに悪意など欠片も無いし、むしろ壊れようとする忠人の精神を、お優しい事に治してくれているくらいだ。
だが悲しいかな、どのように素晴らしい物も、過ぎれば毒に変わる。
水をやり過ぎれば花が枯れる様に、もしも天に浮かぶ太陽が、人間の事が大好きで、もっと温めて上げたいからと、接近してきたらどうなるか?地上は、生命が生存できない灼熱地獄に早変わりするだろう。
つまりはそういう事。
降り注ぐ強い、強い、光の意志に、忠人の小さな器が全く耐えられていないのだ。
だからそう。この責め苦は、光の言う通り全てを救うまで終わらないのだ、と忠人は理解してしまい、そして絶望すら許されず――
≪第一世界≫
――そうして忠人は
「ッッ!?ハァッ!ハァッ!!」
体を包み込む、温かく柔らかい布団の感触。
ほのかに香るい草の匂い。
歴史ある日本家屋の一室は、第一世界における忠人の部屋で合ったが、しかし今の忠人に、そんな事を気にしている余裕は皆無だった。
喘息の様に息を荒げる忠人は、深呼吸も、周囲の確認もせず、突如として自身の左手首の肉を、右手で無理矢理引き千切った。
「ぐっ、ぎぃっ!!」
当然の摂理として、辺りに鮮血がまき散る。
勢いよく噴き出した忠人の血に、シミ一つ無いシーツが紅く染まる。
突然の暴挙に、しかし忠人は更なる自傷に手を染める。
あろうことか、肉をむしり取った傷口の中に、指を刺し入れて、その中にある神経をぐちゅぐちゅと握り潰し始めたではないか。
「ごぉっ、がふっ!」
当然、痛いし、苦しい。
忠人の口から、反射的に苦悶の声が漏れ出した。
しかしながら、その声が止んだ後、忠人の顔に浮かんでいたのは、
「は、ははっ。……生きてる。俺は生きてるッッ!」
何でも良いから己が今、無事に生きている事の実感が欲しかった。
先程までの光の地獄に比べれば、この程度の痛み――或いは体をぶち抜かれたり、全身を切り刻まれながら捕食される事すらマッサージの様な物で合った。
「説明しろッッ!!アレは一体何だッッッ!!!!!」
夢で合った、等とは、欠片も思わないし、思えない。
己の存在そのものが焼き尽くされていく感覚が、今も忠人の中にしっかりと刻まれている。
明らかなる異常。故にいるであろう謎の声に対して、忠人は怒号を投げかけた。
『一々喚くな。鬱陶しい』
「お前っ――!」
『説明せんとは言っていないだろう。まずは落ち着けよ。そんな様子ではどれだけ説明しても頭に入らんだろうし、邪魔も入るだろう。まずは傷を治すんだな』
第一世界における物部の家は、心意奏者の
よって幾人もの使用人や、部下を家に抱えており、こんな風に騒いでいれば、何時邪魔が入るか分かったものではない。
冷たくはあるが、最もな言葉に忠人は、深呼吸をして僅かばかりに冷静さを取り戻す。
それと同時に、自傷した手首と血が撒き散らされたシーツに心意を回す。
常人であれば、最悪二度の手が動かなくなってしまうような傷が、たった数秒で何の痕跡も無く消え失せる。
充満していた血の匂いや、血痕なども綺麗サッパリと無くなり、物騒な事に成っていた部屋が、平穏を取り戻す。
「これで良いだろ。とっとと説明しろよ」
『分かった。説明しよう。しかしその前に、一つ質問だ。物部 忠人、お前は【主人公】の条件とは何だと思う?』
「……は?お前、まだそんな事を。こっちを煙に巻く気なら――」
尚も迂遠な言い回しを続ける声に、忠人の怒りが再燃しかける。
『別に誤魔化そうとしている訳じゃない。お前の状況を解りやすく説明するために、必要な事だ』
「……チッ。…………諦めない心、とかか?」
『確かに、強い精神は有るに越したことはないな。だがしかし
「……何だよ」
『――
「ッッ」
告げられた言葉に、忠人の息が詰まる。
決定的な事を伝えようとしている声の言葉は、尚も淡々と続いていく。
『神をも屠る膂力に、悪魔をも手玉に取る智、そんな英傑の素質を持つ人間がいたとしても、何一つ争いの無い平和な世界に産まれ落ちて、一介の農民として生を終えたのならば、そいつは【主人公】などとは呼ばれないだろう。まあ、そも主人公云々は関係なく、溢れる才気を持ちながら時流に恵まれず、歴史の影に消えていった天才など、掃いて捨てるほど存在する』
主人公が、英雄が、輝かしい物で足り得るには、それ相応の舞台が必要なのだ、と声は語る。
そうして謎の声は、忠人を地獄に突き落とす一言を、余りにも事も無げに言い放つ。
『だが安心しろ物部 忠人。お前にそんな不遇は訪れない。お前は【波】の操作によって【主人公】と成った紛い物だが、いいや
「――ぁ」
それは、第二世界において、獣たちに奇妙なまでに付け狙われた時。
それは、第三世界において、逃げることに成功したはずなのに一度目と同じ死を迎えた時。
それは、第四世界において、脈絡もなく多数の怪物に襲われた時。
それらの時に、確かに感じた背筋に迸る破滅的な悪寒。
ああ、つまりそれは――。
「ふざ、けるな。何が、祝福だ。呪いでしか無いじゃねぇかっ!つまり、糞みてぇな事件が、必ず俺の方に寄って来るって事だろ!?」
『そうとも言えるな。簡潔に言えば、お前は世界崩壊の原因となった事件に必ず関わる命運にある。だが一つだけ安心しろ。前回の様な脈絡も無い死の因果は、【波】の流れに乗るまでの副作用の様な物だ。これからは、ああいった理不尽は、無理に事件から逃げ出そうとでもしない限りは、起こり得ないだろう』
「そんなの何の慰めにも成るかよっ!いや待て、それじゃあさっきの生き地獄は……」
無限に発生し、注ぎ込まる、相手が壊れることすら許さない、莫大な光。
その正体が、謎の声によって語られる。
『ふむ、
「あれが……」
『全てを諦めて投げ出した時、お前はそれに飲み込まれると思ったほうが良いだろう』
死の救いすら与えられない、無限に続く光の地獄。
世界の救済が成されない限り、忠人に待ち受けている運命はそれだけだ、と声が告げる。
「何が、俺に世界の救済を強制する気は無い、だッッ!!こんな物、実質的に、選択肢が一つしか無いじゃねぇか!!」
『それでも尚、全てを諦めて地獄に落ちる選択肢はある。ああ、それでどうする。戦うか?それとも諦めるか?』
物部 忠人に、誰かを救いたい。だなんて心は無い。
だけど自分自身を救いたいという思いは人一倍あって――だからこの選択は必然だった。
「嫌、だっ。俺はこんな所で終わって良い人間なんかじゃねぇんだッ!!だって未だ何も成せてないッッ――。死んで堪るか、あんな意味の分からない光に呑まれて堪るかッッ」
『では、どうする?』
「力を貸せ、クソ野郎。必ず巻き起こる事件とやらを生き抜いてやる」
『――ああ、良いだろう。是非もない。元より
此処に二人。契約が交わされる。
一人は自分の為に、一人は世界の救済の為に。
「……ああ、そう言えば」
『何だ?』
色々とこれからの事を話していく前に、一つだけ聞き忘れていた事が合ったな、と忠人は思い出した。
だから忠人は、さして気負うこともなく、その質問を投げかけた。
「お前、名前は?」
何時までも名無しのままでは、いろいろと不都合だろう?とそれは、至極最もな質問で合ったが。
『――――――――――』
「な、何だよ」
空気が固まり、時間が止まる。
姿かたちも見えない筈の声から、得体の知れないプレッシャーが流れ出す。
何か。そう何か、知らず知らずの内に、途轍もない地雷を踏み抜いた様な――。
『――マーティー・ストゥー』
「え?」
『
「……外人だったのか?」
だから、謎の声――曰くマーティーの正体が、外人だろうと、百を超えた老人だろうと、はたまた幼女であろうと、決して不思議ではないのだが、しかしどうにも忠人の胸中に噛み切れない疑問の種が残った。
声。そう、声なのだ。
忠人にとって、マーティーの声は、どこかで聞いたことがあるような、それでいて全く馴染みが無いような、そんな不思議な声で――。
『
「あ、ああ。確かに」
沈みかけた思考が、一瞬にして引き上げられる。
忠人は、相手を問い詰める機を逸して、どこか釈然としない感覚を味わいながらも、しかし確かにどうでも良いことか、と湧いた疑問を放り投げた。
『では、始めようか。物部 忠人。お前の物語を』
「ああ。力を貸せ、マーティー・ストゥー。俺は絶対に生き残る」
これが始まり。これより開演。
四つの世界の終幕に挑む物語が、ゆっくりと記され始めた。