タニ=ユウコ復活す
「雨季の前の花の季節、ハルオに見せたかった」
そういうミアナがハルオに見せてくれたのは、フツアの集落に咲いた花畑だった。それは白くて小さな花々で、フツアの集落の片隅にひっそりと、しかし確かに存在していた。
ハルオは呟いた。
「……これが、春」
フツアの集落でいうところの花の季節、それはつまり『春』だ。
まだ肌寒い、けれど穏やかで心地よい春風に吹かれて揺れる花々を眺めながら、ハルオは思わず涙ぐむ。
「初めて見たよ……おれの名前だっていうのにな」
そう、これは春だ。
思えば、長い冬のような人生だった。凍てつくような真空に閉ざされたアラトラム号の暮らし、ゴジラとの激戦で次々と命を散らしてゆく仲間たち。ゴジラ=フィリウス、メカゴジラ=シティ、高次元怪獣。恐ろしい怪獣たちとの戦いの果てに母船アラトラム号までも喪い、辛うじて生き残った地球人たちは、新人類フツアの集落に身を寄せていた。
地球人たちが最終的に辿り着いたフツアでの暮らしは、とても平和なものだった。よく働き、よく食べ、よく眠る。
一年前の激闘の日々、もっと遡ればアラトラムにおける地獄のような生活。それらを思えば、行き着いた先でこんな安らかな人間らしい生活が手に入るなんて、地球人たちの誰一人夢にも思わなかった。
ささやかながらも確かな春。その到来に胸を打たれるハルオを見ながら「……よかった」とミアナは満足げに微笑んでいた。
『高次元怪獣』を撃退して地球の危機を救ったというのに、ハルオだけは沈鬱な様子が拭えない。そんなハルオを、ミアナは少しでも元気づけてあげたかったのだ。
しばらくハルオとミアナが『花見』をしていたとき、事は起こった。
カァーン、カァーン、と軽快だが派手な木鐸の音が聞こえてきた。音の源は見張り櫓の半鐘だ。見張り役からの合図で、森へと狩りに出ていたフツアの狩人たちが一斉に戻ってきている。
森で何かが起こっているらしい。
「な、なんだ……?」
状況がわからず戸惑うことしか出来ないハルオに対し、“何か”を察知したらしいミアナが不意に立ち上がった。
ミアナ……? ハルオが怪訝に見上げる中、ミアナがその“何か”を言葉にした。
「ゴジラが、くる」
途端、森がざわめいた。遠くの方で翼獣:セルヴァムたちが一斉に空へと飛び立ったのだろう。
そして大砲のような音が聞こえてくる。
どぉーん、どぉーん、どぉーん。巨大な足音が一定のリズムで炸裂するたびに大地は揺れ、その振動と音は段々と大きくなってゆく。
ゴジラが、こちらに近づいてきているのだ。
ゴジラ。
ゴジラ、ゴジラがやって来る。
「逃げよう、ミアナ!」
ハルオはミアナの手首を握り、ミアナと共にその場から逃げ出そうとする。
今はパワードスーツや戦車もない。ヴァルチャーはあるが動かない以上はガラクタも同然、何の役にも立たない。対抗手段が何もない今、ハルオに出来ることは逃げ出すことだけだ。
しかしミアナは動こうとしない。
「何してる、早く!」
急かすハルオに、ミアナは平然と言った。
「大丈夫。ゴジラ、ここまでは来ない」
「し、しかし……」
ハルオは額に冷汗を浮かべたが、当のミアナはゴジラがいる森の方角を見据えたまま、じっとその場を動かない。
ハルオも、ミアナが動かない以上は自分だけ逃げるわけにもいかず、一緒にその場で状況を見守ることになった。
結果は、ミアナの言葉のとおりだった。
ゴジラの足音はいったんは近づいてきたものの、方向を変えたのか音の調子が変わり、やがて遠くなってゆく。
やがて足音は聞こえなくなり、森は元の静けさを取り戻した。あとはただ穏やかな風が吹いているだけである。
「助かった……」
深々と息を
「ゴジラ、こっちに来ない。近く来ても、村には入ってこない。だから平気」
……言われてみれば、そうかもしれない。
ゴジラがこのフツアの集落に近づいてきたのは久しぶり、数ヶ月前に繰り広げられたあの決戦で『高次元怪獣』を撃退して以来のことだった。
ハルオの知っているゴジラといえば人間の街を踏み潰して回る危険な存在のはずだったが、踏み潰すべき街を造ろうとしないフツアについては基本的に無関心らしく、ゴジラの方からフツアへ近寄ってくることは皆無と言っても良かった。次にゴジラがこの村に接近するのは一体いつになるだろう。
ミアナは続けて言った。
「ゴジラ、かしこい。フツアの神の強さ、知ってる。こちらから挑まなければ、攻めて来ない」
そのときハルオは、『フツアの神がゴジラと戦って敗れた』という話を思い出した。
……遠い昔の話だという。あるいは二万年前、アラトラム号が出港してから間もない『怪獣黙示録』の時代の出来事かも知れない。
ゴジラとフツアの神の戦い。当時どのような戦いだったのかはわからない。
しかしその卵が健在なのにゴジラが挑んでこないということは、フツアの神も当時はそれなりに善戦したのではないだろうか。あるいは、かつてハルオがメトフィエスの催眠術に呑まれそうになったのを救ってくれたように、卵の状態でもゴジラに対抗できる手段があるのかもしれない。
ミアナの言うとおりゴジラは『賢い』、ハルオに言わせれば『狡猾で抜け目のない奴』だ。用もないのに強敵へ挑むほど馬鹿ではないだろう。
しかし……
「……ゴジラが恐くないのか?」
ハルオの問いに、ミアナがきょとんとした顔で聞き返した。
「こわい?」
「ああ。恐いだろう? この村だって踏み潰されるかもしれないんだぞ。恐ろしくないのか?」
その問いに、ミアナは腕を組みながら首をひねり「うーん……」と唸った。
どうやらフツア独特の微妙なニュアンスの話らしいのだが、それでもミアナは『どう言えば伝わるか』、ハルオのために一生懸命に考えてくれているようだった。
そんな風に気を遣ってくれるミアナを見ながら、ハルオは(自分にもテレパスがあったらいいのに)と思った。
……おれにもフツアたちみたいなテレパスがあれば、ミアナにこんな手間を掛けさせることもない。言葉とは、なんて不自由なものなのだろうか。
ミアナはじっくり考え込んでから、こう問いかけた。
「……ねえ、ハルオ。竜巻、地震、ハルオは恐い?」
ああ、とハルオは頷く。
「だけど、戦おうと思う?」
「いいや」
その答えに、我が意を得たり!とばかりにミアナは笑顔を綻ばせた。
「それとおんなじ! 竜巻、恐い。だけどその日は外に出なければいい。地震、恐い。だけど日頃からきちんと備えておけばいい。ゴジラ、恐い。だけどこちらから挑まなければいい。そうすれば恐くない、でしょう?」
……そうか。ハルオは理解した。
フツアたちにとって、ゴジラは地震や竜巻のような災害と同列なのだ。
打ち倒したり立ち向かってゆくものではないのだろう。
それと同時に、かつてハルオたちがゴジラに挑むと言ったときのフツアたちの動揺した姿を思い出した。
……そりゃそうだ。地震や竜巻に武力で戦いを挑もうとするようなバカ野郎がいたら、ハルオだって驚く。場合によっては止めるはずだ。
『ゴジラを倒すためにやってきた』
『ゴジラから地球を取り戻す!』
『おれたちは勝てる!!』
そう豪語したハルオの姿も、フツアたちにはそんな風に見えていたのだろう。
……バカだったなあ、おれ。
そんなかつての自分に呆れながら、ふとこんな考えがハルオの頭をよぎった。
……あるいは、おれさえいなければ、ずっと平和なのかもしれない。
フツアたちは見たとおり、自分たちからゴジラに挑んだりはしない。
マーティン博士たちはじめ、旧人類の生き残りたちにもゴジラと戦う意志はない。フツアの生活への適応に四苦八苦していて、もはやそれどころじゃないだろう。
ゴジラが憎い、ゴジラを倒したい。
今もそう思っているのはこの地球上でただ一人、このおれ:サカキ=ハルオだけだ。
考えてみれば、アラトラム号にいた頃からそうだったじゃないか。
フツアとは形は違えど、ハルオを除いた誰もがゴジラと真正面から戦うつもりはなかった。リーランドも、マルコも、モーリ船長たちも、みんなゴジラの猛威が健在だとわかった途端逃げ出そうとしたじゃないか。
そう、逃げ出そうとした。
当時のハルオには彼らが逃げ出そうとしているとしか思えなかったが、今にして思えば賢明だったのは彼らの方だった。
『あなたは! 誰のせいでこんなことになったと思ってるんです!?』
ゴジラ=アース出現後のマルコ=ジオーネの言葉だが、まったくそのとおりだ。サカキ=ハルオが、このおれが『ゴジラを倒せる!』なんて言わなかったらこんなことにはならなかった。
何もかもがハルオのせいだ。
ハルオさえいなければアラトラム号は平和だった。
ただ、一方で、あのまま宇宙放浪を続けていたらどうなっただろう。
20年かけて辿り着いた新天地タウeは、人の住める場所ではなかった。アラトラム号での生活も限界に近かったはずだ。もう20年どころか5年だって持たないあの状況でタウeより好条件の新天地を見つけるなんて不可能だった。
地球への帰還を諦めていたら、きっと遠からぬうちにアラトラム号の乗員すべてが干からびて根絶やしになっていただろう、仮初の平和の中で。
他方、地球に降りたことで結局は一握りのメンバーしか生き残れなかったが、それでも人類は未来を掴み取った。
何もかもがハルオのせいなら、何もかもがハルオのおかげ、ともいえる。
……メトフィエスが生きていたら、そんな風に慰めてくれただろうか。
そんな物思いにひとり耽っているハルオに呼びかけるものがあった。
「やあ、ハルオ!」
人類の数少ない生き残りの一人、マーティン博士であった。息を切らして、ハルオの許へと駆け寄ってくる。
「すぐに来てくれないか、ユウコ君が!」
……ユウコが?
その名前を聞いたハルオはすぐにその場を立ち、マーティン博士の後を追った。
マーティン博士に連れられて、ハルオはマーティン博士の診療所を訪れた。
診療所、と言ってもハルオたち地球人の文明レベルで想像できるようなきちんとした病院が設置されているわけではない。フツアの地下集落の片隅に、アラトラム号から持ち出せた僅かばかりの医療設備と、患者を休ませるためのベッドが並べて置いてあるだけ。医者だって、マーティン博士とジョシュの二人だけだ。
そんなマーティン博士の診療所、その奥のベッドには、いつも一人の“患者”が眠り続けている。
彼女の名前はタニ=ユウコ。年齢は今年で20歳になる。サカキ=ハルオの養親タニ家の娘で、ハルオにとっては幼馴染にあたる女性だ。
メカゴジラ=シティでの戦いで心身をナノメタルに侵食され、廃人となってしまったタニ=ユウコ。マーティン博士の診断によればユウコは完全な脳死状態、二度と目を覚ますことはないだろうと言われていた。
そんなユウコの状態を、マーティン博士はずっと診てくれていた。
『診ることしか出来んがね』
博士本人はそう自嘲していたけれど、フツアの暮らしに適応するのにも精一杯な中で、目を覚まさないユウコを、単なるナノメタルの塊などではなく患者として、一人の人間として扱ってくれる。そんなマーティン博士の存在にハルオは心底救われていた。
「ユウコがどうしたんです」
ハルオが尋ねると、マーティン博士はひどく興奮した口調で言った。
「ユウコ君の脳が活動を再開したんだ!」
「なんですって!?」
ほら、ここをごらん。そう言ってマーティン博士が指差した脳波計には、たしかに一定のリズムで脈動するユウコの脳波が記録されていた。
「しかし、どうして……?」
ハルオの疑問に、マーティン博士は「理由はよくわからない」と答えた。
「とはいえ植物状態の人間が復活した症例はなくもないし、このフツアでの環境が何か影響をもたらしたのか、それともナノメタルに侵食されて時間が経ったのが良かったのか……とにかく今は眠って夢を見ているようなものだ、そう遠くないうちにきっと目を覚ますだろう」
そのときハルオの脳裏に過ぎったのは、タニ=ユウコの断末魔。
二万年かけて地球の支配者にまで到達したゴジラ=アースと、ゴジラ支配下の世界で秘密裏に増殖し遂には都市規模にまで成長したメカゴジラ=シティ、そしてそのメカゴジラ=シティの力を手にしてゴジラに挑んだハルオたち。
本当なら栄光の勝利を迎えるはずだった、地球最大の決戦。
しかし実際の結末は、ハルオを含む地球人たちが想定していたものを大きく裏切る形になった。
「い、痛い、痛い!」
信頼していたビルサルドたちとメカゴジラ=シティに裏切られ、狭いヴァルチャーのコックピット内で生きながら全身をナノメタルに蝕まれ、錯乱状態のまま絶望と苦痛の地獄にのたうち回るユウコ。
「あぁあぁぁあぁぁぁ……!」
ハルオの心から取り憑いて剥がれない、後悔と慙愧に満ちた血塗られた記憶。
「たすけて、せんぱい……!」
あのとき、おれが迷わなければ。
あのとき、おれがメカゴジラを信じなければ。
あのとき、おれがゴジラと戦わなければ。
だけどもう、やり直しは効かない。
暴走し始めたメカゴジラ=シティを停めようとハルオは、ゴジラへの勝利を捨ててまでシティを破壊したが、結局間に合わずユウコは完全な廃人になってしまった。生命維持に必要な臓器だけは辛うじて動いているが脳は完全に機能を停止、もう意識が戻ることはない。
ユウコだけじゃない、ビルサルドたちや多くの地球人の仲間たちも死に、さらにはゴジラに対抗できる唯一無二の手段だったメカゴジラまでも永遠に喪った。
永遠に取り返しがつかない、二度と償えない。
そう思っていたのに。
心の中に暖かい光が差し込んでくるのを感じながら、ハルオはその場に崩れ落ちた。
「よかった、本当によかった……っ!」
うずくまり、嗚咽を堪えながら静かに号泣するハルオ。その丸めた背中を、マーティン博士が優しく撫でてくれていた。
それからしばらくして、ハルオとマーティン博士は診療所の喫茶室で一服していた。フツア由来のハーブティーを淹れてもらい、その芳醇な香りと味わいをゆっくり堪能する。
「このハーブといい、服飾文化といい、フツアの暮らしは本当に素晴らしいよ!」
ハルオ相手に、フツアの文化の素晴らしさについて熱弁を振るうマーティン博士。
回数は何度目かもわからないし、そもそもハルオが聞いてるのか聞いてないのかすらろくに気にしていない。
(……変わらないな、この人は)
だがそんなマーティン博士のマイペースさが、ハルオにはとても好ましく思えた。
もっとも、変わらないのはマイペースな性格だけで、マーティン博士の生活はフツアに順応して様変わりしている。フツアのハーブティーはマーティン博士の大好物だし、纏っている衣服も今やフツアの衣装だ。
お茶や服だけではない。組紐文字や食事、歌や踊りまで、マーティン博士はフツア文化を率先して堪能していた。どうやらフツアの暮らしがすっかり気に入ったらしい。
また、生き残った地球人たちもそんな楽しげなマーティン博士の後に続いて、次々とフツア生活に適応していった。むしろフツアの生活に馴染み切れていない、変われていないのは今やサカキ=ハルオ一人だけ。
とはいえ、マーティン博士個人の資質もあるとハルオは思っている。
そもそもマーティン博士は好奇心の権化みたいな人物である。
役に立つのか立たないのか、価値があるのかないのか、意味があるのかないのか、それらはまず脇において探求すること自体を楽しむことができる。アラトラム号の乗員選別プログラムをくぐり抜けただけあって、生まれついての学者ともいうべき逸材だった。
ちなみにマーティン博士当人が知っているかどうかは知らないが、彼のそんな素行をビルサルドたちは『特殊』と呼んでいた。つまり『変人』ということだ。合理主義精神を重んじるビルサルドからすれば、行き当たりばったりで無駄が多いように見えるマーティン博士の思考は理解不能だったのだろう。
だが案外、こんな人こそ幸福に生きられるものなのかもしれない。
実際地球人の中では真っ先にフツアの生活へ馴染んでいるし、マーティン博士の人好きする気取らない性格はフツアの間でも人気者だった。
フツアの女性たちからの求婚者が後を絶たず最終的には十人目の妻を迎えることになったし、フツアの子供たちもマーティン博士のことを『先生』と呼び慕っている。
ビルサルドやエクシフではこうはいかない。いくら優れたテクノロジーや宗教を持った先進種族だとしてもフツアの生活にはいずれも無用なものだし、それらを支える文明生活を喪ってしまえば彼らとて無力だ。
エクシフやビルサルドのように力で世界を変えようとするのではなく、マーティン博士のように『あるがままを受け容れる、楽しむ』という在り方こそが、フツアの暮らしにおいては最適解なのだろう。
そんなことを考えていたハルオを見ながら、ふとマーティン博士が呟いた。
「その目も、治せたらよかったんだが……」
ハルオの右目は、あの『高次元怪獣』との戦いの後遺症で失明していた。メトフィエスとの決着以来、ハルオは右目に眼帯を嵌めて生活している。
マーティン博士にも診てもらったが、おそらくハルオの右目は二度と光を取り戻すことはないだろう、ということだった。
「いいんですよ、博士。別に両目が潰れたわけじゃないんですから」
「そ、そうか……」
お茶を啜りながらハルオが答え、マーティン博士は申し訳なさげに頭を掻く。
気まずい空気が流れそうになり、マーティン博士が話題を変える。
「そうだ、良い話というのはユウコ君のことだけじゃないんだ」
良い話? ハルオは怪訝に思った。ユウコが目覚める、それ以外に何か良い話があるのだろうか。まあマーティン博士の言うことだから大方『新種の動物を発見した!』とかだろうが。
しかし、続いて出たマーティン博士の言葉でハルオは耳を疑った。
「さあ、これから忙しくなるぞ、次はヴァルチャーの再起動だ!」
えっ。
ハルオは、マーティンの言ったことがわからなかった。再起動、
愕然としているハルオに気づかないまま、マーティンは嬉々として続けた。
「ユウコ君の体からはきっと、正常な活動状態のナノメタルのサンプルを回収できるだろう。それを解析できれば、ロックされたヴァルチャーだって再起動できるはず! さらにヴァルチャーのインターフェースを通じてナノメタルを制御できるようになれば、フツアのナノメタルすべてを活用することも可能になるだろう!」
ハルオの足元が、立っている世界が、ハルオの中で音を立てて崩れ落ちてゆく。
そんなハルオを見ていたマーティン博士は、きっとハルオが状況を呑み込めていないように見えたのだろう、満面の笑みで親切丁寧に説明してくれた。
「わからないか? 記憶済みのテクノロジーを無限に再現できるナノマシンだぞ! これで過去の文明を再興できる、今みたいな原始生活とはオサラバだ!」
マーティン博士は復活させるつもりなのだ、ナノメタルを。
そして『あの怪獣』を。
そのことを理解した瞬間、ハルオの中で感情が爆発した。
「あんた、またメカゴジラを作るつもりなのか!? しかもユウコを実験材料にして!!」
気が付くとハルオは、マーティン博士の胸倉を掴み上げていた。
喜ばしいニュースを話したつもりがいきなり食って掛かられ、マーティン博士は当惑と反感の入り混じった表情で言い返した。
「実験材料なんてとんでもない! ほんのちょっぴり、ユウコ君の体からサンプルを採取させてもらうだけだ! それに『メカゴジラを作る』だって? そんなことするわけないだろう!?」
そんなマーティン博士を見ているうちに、ハルオは自分の中の激昂が醒めてゆくのを感じた。
……この人は、マーティン博士は私利私欲でやってたんじゃない。
そもそもそういう人じゃない。
「……すみません、博士」
素直に詫びるハルオの様子から、マーティン博士も何か思い当たることがあったのだろう。マーティン博士も気を取り直した様子で「……こちらこそすまなかった、ハルオ」と深々と頭を下げた。
「ユウコ君はきみにとって大切な家族だ。それをそんな風に扱われたと知れば、きみが怒るのも当然だ。もっと配慮するべきだった。申し訳なかった」
……違う、そうじゃない。そうじゃないんだ。
そう思うハルオだったが、口にはしなかった。
もちろんユウコをナノメタルの抽出元のように扱われたことへの不満はある。だがそれだけだったらこんなに怒らなかったろう。
「……だけどわかってくれ、このテクノロジーがあればどれだけ生活が助かるか」
マーティン博士が、視線を逸らして言った。
「フツアは平気だろう、文明がなくても生きていられる。だけどぼくら古い地球人には無理だ。気密服がなければ外の世界にも出られないし、未知の感染症だって山ほどある。ぼくらには、文明の力がどうしても必要なんだよ」
……そんな言い訳がましい口調で言わなくったっていい。
ハルオはそう思った。
ただ、マーティン博士はわからなかっただけだ、自分が何をしようとしていたのか、その先に何が待っているのかも。
それを懇切丁寧に説明したところで、わかってもらえるとも思えなかった。
そんなハルオに、マーティン博士は続けた。
「自分が善人だなんて言うつもりはないが、ハルオやユウコ君がゴジラと戦っていたとき、ぼくには何も出来なかった。だからこれくらいのことはしたいと思ってるんだよ」
マーティン博士は善人だ、それも掛け値なしの。
皆のために良かれと思って、出来るかぎりのことをやろうとしてくれていただけに過ぎない。
誰もが
その結果、環境破壊を起こし、核爆弾を発明し、そして行き着いた先に怪獣たちが待っている。
〈 ……そうだとも 〉
脳裏へ響いた謎の『声』。
ハルオはすぐさま辺りを見回したが、周囲に声の主の姿はない。ハルオを気遣うマーティン博士が、当惑した顔で見つめてくるだけだ。
どうやらハルオにしか聞こえないらしい、その声は続けた。
〈 繁栄を求める飽くなき向上心は人のサガ。そして再び収穫の季節は巡り来る。ただ焦らず、じっくり待つだけで良い 〉
……いいや、こいつは幻聴なんかじゃない。
眼帯で覆われたハルオの右目は、声の主を捉えていた。
ハルオの右目は、失明などしていない。
それどころか、今だって視えている。
ただ、現実のものが視えなくなっただけだ。
〈 時は我らの味方だ…… 〉
金色の毒牙を研ぎ澄まし、虚空の奥でとぐろを巻く。
〈
ユウコが目覚めてから数日後、ハルオはユウコと二人でフツアの村を出た。
ゴジラ細胞の森に呑み込まれた廃墟の街。その頭上を覆う夜明け前の昏い空を、複座式に改装されたナノメタル機動兵器:ヴァルチャーが、マゼンタの光を引きながら駆けてゆく。
「調子はどうだ」
後部席のハルオが訊ねると、操縦桿を握っているユウコが「絶好調です!」と応える。
メカゴジラ=シティ陥落と同時に起動不能になったはずの機動兵器、ヴァルチャー。そのヴァルチャーが動いているのはユウコが起動してくれたからだ。ユウコの言うとおり、空を飛ぶヴァルチャーの動作にまったく支障は見られない。
出掛ける前、ハルオはユウコに一つ相談をした。
『ヴァルチャーを再起動できるか?』
ハルオがそう訊ねたとき、ユウコは『できます!』と即答し、そして実際にやってのけた。
……ユウコのメカニックとしての技量はやはり最高だ。ハルオ自身が提案したこととは言え、マーティン博士が手間暇かけてもウンともスンとも言わなかったヴァルチャーを、ユウコはこんなにあっさりと。
驚いているハルオに、ユウコはフッフンと得意気に笑った。
『
そう言ってユウコはハルオの手を取り、ヴァルチャーへと乗り込んだ二人は秘密のデートに出かけたのだった。
ヴァルチャーが『その場所』に到達したとき、空はすっかり明るくなっていた。
日はまだ昇っていなかったが、赤い朝日と濃紺の夜空が入り混じって、空の色はすっかり紫色に染まっている。
「……懐かしいですね、ここ」
ユウコの言葉のとおりこの場所は、ハルオたちにとってはとても思い入れ深い場所だ。
眼前に広がるのは旧文明の廃墟の街……といっても旧文明の廃墟がそのまま遺っているはずもなく、マーティン博士によれば、これは建造物の残骸に付着していた地衣類が化石化したもの、つまり苔の化石の塊らしい。
だが、そんな科学話はハルオにとってどうでもよかった。たとえ地球人が逃げ出した後も、その営みの名残をこの星は覚えていてくれた。その事実にひどく感激したのをハルオはよく覚えている。
端末で地図を眺めていたユウコが言った。
「古い地図と照らし合わせると、ここは〈
……そんな若者のデートスポットに行くことになるなんてな。
ハルオは、口元から思わず皮肉な笑みをこぼしつつ、ユウコに言った。
「ミアナが教えてくれたんだ。『朝焼けを眺めるなら、あそこが一番きれいだ』ってな」
「……むう」
ミアナの名前が出た途端、ユウコが膨れっ面を作った。どうしたのだろう、と顔を覗き込むハルオにユウコは応える。
「駄目ですよ、ハルオ先輩。デートしてるときは、他の女の子の話なんかしちゃ駄目です」
「あっ……」
ユウコに叱られ、ハルオは頬を掻いた。あれから一年経ったが、こういうところは未だにてんで駄目だ。
「ああ、すまん」
「もう、先輩ったら」
そうこうしているうちにやがて朝焼けが昇り始め、紫の空に明るい光が差し込んできた。
ハルオとユウコ、二人は日の光を浴びる。目も眩むばかりのまぶしい曙光。新しい世界が、夜明けを迎える。
……なんて綺麗なんだろう、この世界は。
冷えた春の早朝、そこへ差し込む暖かな陽光を全身に浴びながら、ハルオはそう思った。
「……なあ」
朝日が昇りきってから、ハルオは『本題』を切り出すことにした。
「なんですか、先輩」と振り返ったユウコに、ハルオは訊ねる。
「……おまえは、本当にユウコなのか?」
ハルオの問いに、ユウコは笑いながら答えた。
「何を言ってるんですか、先輩。わたしはタニ=ユウコ。地球歴2049年、アラトラム号で生まれて以来、ずっとあなたの傍にいた人ですよ」
そんなユウコの答えで、ハルオの疑念は確信へと変わる。笑うユウコに対し、ハルオは真剣に引き結んだ表情のまま、問いかけた。
「……おまえ、ユウコじゃないな?」
ざわっ、と冷たい風が一瞬吹き抜けたような気がした。
刹那の沈黙ののち、もう誤魔化しきれないと悟ったのか、ユウコは応える。
「……いつから気づいてたんです?」
ユウコの言葉に、ハルオは答える。
「マイナとミアナに教えてもらった。それに、いくらナノメタルがあるからって、全脳死した人間が完全に復活するわけがない」
きっかけとなったのは、フツアたちが、復活したユウコのことを数日経っても受け容れようとしなかったことだ。
ハルオやマーティン博士、他の地球人たちのことはあんなにあっさりと受け容れてくれたのにも関わらず。
あまりに気味悪がるのでハルオが訊ねてみたところ、マイナは鋭い目つきでこう答えた。
『
続けてミアナもこう言った。
『なのにわたしたちと同じように動いてる。まるで心があるみたいに』
そして二人は、声を揃えてこう言ったのだ。
『とても、怖い』
高次元怪獣とメトフィエスにさえ立ち向かったあの勇敢なマイナとミアナが、復活したタニ=ユウコ相手にひどく怯えていた。
その様子から、ハルオはすべてを悟った。ナノメタルに侵食され、脳が機能を停止する状態に陥りながらなおも復活を遂げたタニ=ユウコに、一体何が起こったのかを。
「……ああ。あの
そんなハルオを、ユウコは冷たく笑った。
「やはりあなたはあの女の方が好きなんですね。だったら、これはどうです……?」
そう言いながら、ユウコの全身が粘土を捏ねるように変形を始めた。
体内に取り憑いたナノメタルが、ユウコの身体を造り替えているのだ。
そして出来上がった姿は、フツアそっくりだった。
白い鱗粉模様が縦横に走る、ココアのような褐色の肌。ハルオの胸元までの小柄さでありながら、筋肉質でよく鍛えられた身体。蛾の触覚に似た、独特な前髪。いつも睨みつけているかのような、切れ長で鋭い目つき。
赤い瞳を除けば、マイナに瓜二つと言ってもいい。
「……どうです? あなた好みになったでしょう?」
かつてタニ=ユウコだった存在は、マイナそっくりの顔と声で、妖艶に微笑んだ。
マイナにはない、男をくらくらさせるような淫猥な色気が溢れ出ている。
「体だけじゃない。声も仕草も性格も、あなたの好みに合わせて自由自在にカスタマイズ出来る」
そう言うと次は目つきが変わって、ミアナそっくりに変わった。メカゴジラは、ミアナそっくりの声で、ハルオに語り掛ける。
「他の女、生きた人間じゃ出来ないようなことも、今のわたしなら何でもしてあげられる。何もかもがあなたの望むがまま、心だって……」
「やめろ!!」
耐え切れず、ハルオは大声を挙げた。
「……これ以上、ユウコを弄ぶな。おぞましい怪獣め」
「……おぞましい?」
息を荒げながら睨みつけるハルオを、タニ=ユウコの姿へ戻ったメカゴジラはせせら笑った。
「おぞましいのはあなたの方でしょう? わたしをこんな身体にしておきながら、勢いに任せてあんな人間以下のムシケラ女と寝て、子供まで作るなんて。あんなのと寝るくらいなら、ロボット怪獣と寝る方がよほど健全だと思いますけど?」
それはハルオの弱味だった。
メカゴジラ=シティ殲滅後、精神的に追い詰められたハルオはマイナと体を重ねた。
『
しかしマイナは違った。
巫女としての役割ではなく、憐みでもない。マイナはハルオの弱った心を見抜き、寄り添ってくれた。そんなマイナの優しさに、身の置き場さえ喪ったあのときのハルオは心惹かれた。
しかしどんな綺麗事で飾ったところで、『気が弱っていたんだ』なんて言い訳で誤魔化したところで、結局それはハルオの弱さでしかなかった。そして弱さに逃げ込んだ挙句に自分だけ幸せを掴み取ったハルオの姿を見て、ユウコや死んでいった仲間たちがどう思うか。
「皆を扇動して死地に追いやっておきながら、自分だけはハッピーエンドだなんて、けだもの以下じゃないですか。このひとでなし」
ハルオの弱味を、まるで計算し尽くしたかのように的確に踏み躙ってくるメカゴジラ。その追及を振り払うように、ハルオは問いかけた。
「おまえ、これからどうするつもりなんだ。地球を喰い尽くすつもりか?」
「喰い尽くす?」
ハルオの言葉に、メカゴジラは首をかしげた。
「何を言ってるんです。何も食べたりしません。いつかの“約束”を果たすだけです」
約束?
聞き返すハルオにメカゴジラは応える。
「いつか言ってくれたじゃないですか、『ゴジラに勝って本当の地球の姿を見せてくれる』と」
それはかつてメカゴジラ=シティ戦の前夜、ハルオが生前のユウコと結んだ約束だった。ハルオが果たせなかった約束を、メカゴジラとなったユウコは自身の手で実現しようとしていた。
メカゴジラは自分のプランを語った。
「思い通りになるのは肉体だけじゃない。この星全体をナノメタライズすれば、地震も台風も火山噴火もない、とても快適な星に造り替えることだって出来る。この世界の何もかもが制御可能、すべてがあなたの思うがまま! これこそがゴジラへの勝利、そしてわたしたちが掴み獲るべき本当の地球の姿です。どうです、素晴らしいでしょう?」
……たしかに、素晴らしい世界だ。
メカゴジラ=シティで死んでいったビルサルドたち、特にムルエル=ガルグなら飛び上がって喜んだだろう。
ハルオはさらに問う。
「他の怪獣はどうなる」
メカゴジラはふんす、と鼻息荒く即答した。
「無論、殲滅あるのみです。根絶やしにしてやります!」
「フツアは?」
メカゴジラは大袈裟に溜め息をついた。
「あなた、どれだけあの女が好きなんですか……まあ、いいです。わたしたちの
無理だ、とハルオは思った。
アレルギーと同じだ。かつてフツアの鱗粉がナノメタルの浸食からハルオの体を守ってくれたように、フツアの体質はメカゴジラのナノメタルと相性が抜群に悪い。慣れてもらうどうこうよりも以前に、まず体が受け付けないだろう。
ハルオは食い下がった。
「受け入れられなかったら?」
ハルオの追及に、メカゴジラはおどけたように渋面を作る。
「そこまでは面倒見られませんね。
……もういい。わかった。
ハルオは、息を軽く吐きながら、言った。
「……おまえをこのまま村に連れ帰るわけにはいかない」
かつてのメカゴジラ=シティ戦では、最悪の結末を迎えてしまった。
あのとき迷ったせいだ。仲間たちも、ゴジラへの勝利も、そしてユウコも、何もかもを護り抜こうとして何もかもを喪った。すべては
だから今度は迷わない。
「ここで『始末』させてもらう」
ハルオは銃を構えた。覚悟を込めてグリップを握り、その銃口をメカゴジラの眼前へと突きつける。
対するメカゴジラは、ハルオから拳銃を突き付けられながら、至極残念と言わんばかりに呆れ笑いを浮かべた。
「……あーあ。あなたとは仲良くやっていけると思ったのに」
そうして全身を変形させてゆくメカゴジラ。
金属のカギ爪と長い尾、そして背中からクリスタルの背鰭を生やした姿。
まさに機械のゴジラ、メカゴジラだ。
全身武器の塊となったメカゴジラは、ハルオに対してにっこり笑いかけた。
「“かつてのわたし”の幼馴染みに対する、せめてもの手向けです。苦しまないように『始末』してあげますよ」
サカキ=ハルオVSメカゴジラ。
死闘が始まった。
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