すべてが収まり、ハルオが顔を上げると、相変わらずゴジラが悠然と立っていた。
ゴジラの足元からは悪臭を伴う黒煙が立ち込めていて、さらにその足の下にはつい先ほどまでギドラだった黒焦げの残骸が力なく横たわっている。
……ふん。
ゴジラが鼻を鳴らし、その巨大すぎる足でギドラの死骸を踏みにじる。踏まれたギドラの残骸は敢えなく粉砕されて塵へと還り、強い風に吹かれて跡形もなく消えてしまった。
……なんて奴だ、とハルオは思った。人知を超えた高次元怪獣も、ゴジラに掛かれば一捻りか。こんな奴に戦いを挑もうなんて、かつてのおれはなんと愚かだったのだろう。
そして、『これで、すべて終わったんだ』とも感じた。
あとはおれが死ねばいいだけだ。
この場所を選んだ4つめの理由。
それは『地球に降り立った時に見た、ここの光景がずっと忘れられなかったから』だ。
ハルオたち旧人類が逃げ出して、残ったフツアたちから忘れ去られても、それでもこの星は、おれたち人間の営みを覚えていてくれた。
ここに広がる風景は、その証。
だからせめて最期は、それを眺めながら迎えたかったんだ。
……さて、オセンチな感傷はここまで。おれにはすべきことがまだ残っている。
覚悟を決めたハルオは、ゴジラへ呼び掛けた。
「おい、ゴジラ!」
今のハルオは生きたガルビトリウムも同然。ゲマトロン演算結晶は失われたとはいえ、いつまたギドラを呼び出そうとするかもわからない。そんなハルオは、ゴジラからすればメカゴジラ=シティや高次元怪獣ギドラと同様に殲滅対象であるはずだ。
ハルオの存在にゴジラも気づいた。文字通り山のような巨体をゆるりと動かし、足元で喚き散らしているハルオの方へと振り返る。
ゴジラと向き合いながら、ハルオは叫んだ。
「さあ、殺せ!」
さあ、来い。熱線でもプラズマカッターでも何でもいい。好きにするがいい。
ハルオはゴジラに向かって声を張り上げた。
「殺せ!!」
数瞬ほど間があった。
しかしゴジラは何もしてこなかった。ただじっと、ハルオを見つめているだけだ。
……まったく、どうしたんだ。焦れたハルオはゴジラに向かって怒鳴りつけた。
「さあ、どうした、おまえは人間が憎いんじゃないのか? いつもみたいに捻り潰せ! 早く!」
挑発するハルオ、だがゴジラは動かない。
ゴジラがハルオに気づいていないわけではないのは、直立不動の姿勢を保ったままじっと見下ろしている様子からもわかる。
ゴジラはハルオをはっきりと認識している。しかし、それ以上踏み込もうとしない。
とうとう痺れを切らしたハルオは踵を返し、駐機してあるヴァルチャーへと向かった。
何のつもりだ、バカにしやがって。そっちが掛かってこないというのなら……
……いや、待てよ。
ふと、あることに思い至ったハルオは、ヴァルチャーに乗り込む前に、再度ゴジラへと振り返った。
刹那、ゴジラとハルオの視線が重なり合う。
吸い込まれてしまいそうなほど深いゴジラの瞳がハルオをじっと見つめていて、ハルオもまたそんなゴジラを見つめ返す。
ゴジラが何を考えているかは相変わらずよくわからなかったが、ハルオへ向けた目線はどことなく優しげで、なんだか満足げにも見えた。
そしてハルオはようやく理解した。
「まさか、おまえ……!」
……ゴジラは待ってくれているのだ。
敵が、決戦のリングに上がってくるのを。
そしてその敵とは他ならぬ、ハルオだ。
そんなハルオの思いつきを肯定するかのように、ゴジラが大口を開けて吠える。
響き渡る猛々しいゴジラの咆哮、その大迫力の大音声を全身に浴び、骨の髄まで震わせながらハルオは笑った。
……おれは相変わらず馬鹿野郎だな。『これで、すべて終わったんだ』って?
いや、始まったんだ。
新しい戦いが。
ハルオは、ゴジラとの関係性について、こう捉えていた。
……ゴジラを憎み続けているのは自分だけだ。ハルオにとっては長年の宿敵でも、ゴジラの方からすれば人間ひとりのことなんて歯牙にもかけていない。ハルオのことも、せいぜいしつこい羽虫か何かとしか思っていないだろう。
ゴジラとの関係をそう捉えていたからこそ、ハルオはゴジラのことを心から憎むことが出来た。だから思い知らせてやるのさ、人間の本当の力って奴をな、と。
しかし、実際はそうではなかった。
今のゴジラにとってハルオは『敵』だ。取るに足らない虫けらでもなければ、撃退するべき侵略者でもない、真正面から堂々と戦わなければならない『敵』なのだ。
……二十年来の宿敵からそう思ってもらえていることに、ハルオはなんだか救われたような心地がした。
それと同時に、ハルオの脳裏にこんな考えがよぎる。
“もし仮にこのままヴァルチャーを差し出して逃げたら、ゴジラは追ってくるだろうか?”
……いや、しない。きっと捨て置くだろう。そしてハルオのことなんて二度と見向きもしないに違いない、『そんな腰抜けなんぞ相手にする価値もない』と言わんばかりに。
さほど根拠はないけれど、ハルオの中にはそんな確信があった。
……集落まで、ここからどうやって帰ろうか。
歩いて帰るのは少々骨だが、それが出来ない距離ではない。森の中で迷わずに歩く方法は、フツアたちからきっちりと教えてもらった。
それから、出立前にミアナと出会ったのを思い出す。本当は誰にも気づかれない内に発つつもりだったのだけれど、気の迷いという奴なのか、偶然出くわしたミアナに対して、つい仄めかすようなことを言ってきてしまった。
ミアナはああ見えて聡い子だ、ハルオが何をするつもりだったのか察しているはず。その当人であるハルオが平気な顔をしてへらへら戻ってきたら、ミアナは絶対怒るはずだし、マイナに知られたらあの鋭い目つきでこっぴどく叱られてしまうかもしれない。
叱られるといえば、マーティン博士やジョシュもだ。ようやく掴んだ希望、そのヴァルチャーとユウコを永遠に失ってしまったことを知れば、いくら温厚なマーティン博士でも怒るだろうし、ハルオに失望するだろう。
だけど、それだけだ。
ヴァルチャーを失ったことについて、フツアたちは気にもしないだろう。むしろ制御不能な厄介者を始末できて喜ぶかもしれない。
マーティン博士やジョシュだって『メカゴジラとしての本性を露わにしたユウコに突然襲われた』『そこへゴジラが現れてヴァルチャーごと焼き尽くされてしまった』と説明すればわかってくれる。真実を説明しているかといえば不誠実だとは思うが丸っきり嘘というわけじゃないし、人の好いマーティン博士たちのことだ、背中に追った打撲痕や右目の傷を見せれば信じてくれるに違いない。
数日か数週間か数ヵ月か、ぎこちない時間がしばらく続いた後、また今まで通りの暮らしに戻ってゆく。
彼らがそういう温かい、人間らしい人たちなのだというのはよくわかっている。
そして、その穏やかで幸福な生活に、ゴジラはきっと干渉してこない。
ゴジラにとって、ハルオたち旧人類はもはや脅威ではない。メカゴジラを作ったり、ギドラを招き入れたりする心配はもうないし、いずれはフツアに吸収され消えてゆく運命にある。放っておいたところでゴジラは困らない。ハルオ一人くらい見逃してくれるに違いない。
何より、今のハルオには妻マイナがいて、じきに子供も生まれる。いつまでもゴジラゴジラと、叶いもしない相手への片思いにうつつを抜かしている場合じゃない。父親として、一人前の男として、しっかり責任を背負って生きてゆく。それこそが人としてあるべき姿なのだろう、とも思う。
……なんてことを考えながら、ハルオはゴジラの方を見返した。ゴジラは相変わらず直立不動で、万物を超越したかのような深淵な瞳でハルオをじっと見据えている。
そんなゴジラを見上げている内に、ハルオの中で迷いは吹っ切れた。
ああ、わかっているとも。
こんなのはただの絵空事だってことくらい。
理由はどうあれ沢山の同胞を死に至らしめ、文明再興の芽まで永遠に摘んでしまったハルオ。そんなひとでなしの屑野郎が赦されて良いはずがない。万一赦してもらえたところで、生きたギドラ召喚装置と化した男がのうのうと生きていて良いわけがないじゃないか。
いつまでも都合の良い夢を追いかけるのはもう辞めるんだ、サカキ=ハルオ。
それに、これは最後のチャンスかもしれない。
そうも感じた。
ゴジラを前に戦わず逃げ出す? 馬鹿な。
物心がついてからの二十年間、寝ても覚めてもゴジラのことばかり考えてきた人生だった。
その因縁の相手であるゴジラ様が、ちっぽけなむしけらに過ぎないおれのために、もう一度チャンスを与えてくれている。そんな最高の機会をみすみす逃していいわけがないだろう。
『
だけど、今度はもしかしたら。
ハルオはヴァルチャーへ乗り込んだ。
操縦桿を握る手は力強い。
今度こそ本当に迷わない。覚悟も決めた。
ハルオは全力全開でゴジラへと挑みかかる。
「いくぞゴジラ!」
人類最後の英雄とゴジラによる、最終決戦。
ハルオのファイナルウォーズが始まった。
結果は惨敗だった。
当然である。
ヴァルチャー三機、それもリルエル=ベルベとタニ=ユウコのエースパイロット2名を含んだ連携攻撃でようやく陽動できていたゴジラだ。
パイロットとしては三流のハルオがヴァルチャー一機で挑んだところで
ハルオを乗せていたヴァルチャーはゴジラによって叩き落とされ、完全に大破していた。
アームはへし折れ、翼は焼け、ヘッドパーツも吹き飛んだらしくセンサー類は何も映していない。
もはや棺桶同然だ。これ以上戦いを続けるならヴァルチャーから降りて、石と棍棒でも拾って立ち向かってゆくしかない。
……だけどなんだかとても清々しい、スッキリとした気分だった。
物心がついてから二十年。ずっとハルオの心に巣食っていたものが、すっかり晴れていた。
額から流れる血を拭いながら、ハルオはふと思った。
……そもそもゴジラって、何なんだろうな。
思えばこの戦い、いやサカキ=ハルオという男の人生そのものがその答えを導き出すためにあったような気がする。
――『怪獣とは、ゴジラとは、人の手で決して倒せないからこその怪獣なのだ』というガルグ。
――『その力を怖れられ、その命を憎まれ、呪われてこその怪獣なのだ』というメトフィエス。
――『ゴジラは怖い。竜巻も稲妻も怖い』と他の天災と同格に見做していたミアナ。
どれももっともらしいし一理あるようにも思えるが、どれもハルオにはしっくりこなかった。
人の手で決して倒せないとは今だって思わないし、命を憎まれ呪われてこその怪獣だとも、ましてや地震台風のような災害とも違う。
あるいは、こう捉えることもできる。
……先日のゴジラとギドラの戦いでゴジラが敗れていたら、この星はギドラに喰い尽くされていた。
ゴジラとメカゴジラ=シティの戦いも同じだ。あのままハルオがパワーダイブしていればゴジラには勝ったかもしれないが、それと引き換えにこの星はメカゴジラに征服されていたはずだ。
ハルオの戦いだけではない。もしも過去の戦いにおいて地球人がゴジラを倒してしまっていたら、人類の文明という怪物がこの星を滅ぼしていたかもしれない。
もしもゴジラがいなかったら、地球は滅んでいた。見方を変えればハルオたち人類こそが悪役で、ゴジラこそ正義の救世主だったのかもしれないのだ。
……まあ、どうでもいいか。
ハルオはヴァルチャーのコックピットハッチを開けた。
ひび割れた気密服の隙間から有毒な大気がすかさず入り込み、ハルオの肺と喉を焼いたが、ハルオは気にしなかった。
ヴァルチャーを降りたとき、ハルオはまたもや自分がゴジラと見つめ合っていたことを知った。
すっかり昇った朝焼けの眩しい光が差し込み、神々しい後光を背にして堂々と立つゴジラが、宿敵サカキ=ハルオをじっと見降ろしている。
そんなゴジラを見上げて、ハルオは告げた。
「……わかるか、ゴジラ」
ハルオはコックピットから降り立ち、転がっていたヴァルチャーの部品を拾い上げて、力のかぎりに吼えた。
「貴様に挑み、貴様を憎む、最後の
……もしも貴様が破壊の化身というのなら。
ヴァルチャーの破片を棍棒のように振り上げて、サカキ=ハルオはゴジラに向かって行く。
「今度こそ残さず焼き尽くして見せろ!!」
「過去の、すべての呪いを――――!!」
ゴジラの熱線が炸裂した。
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