貞操観念が反転した世界にTS転生した俺が男装をする事になったのはお嬢様のせいだ 作:金木桂
遂行してないから後でします
側仕えとなって一か月が経った。
俺は相変わらずお嬢様の我儘な命令により男装をさせられ、その姿のまま毎日鳳燈家の屋敷を闊歩していた。
側仕えとしての業務内容はほぼ毎日お嬢様と遊んだり、時に勉強したり。本当に友達みたいな事しかしていない。いや少しだけ嘘だ。一応お母様から暗黙的に下された試練を乗り越えるべく課題を探しているのだが、それについては全く見当も付かない。
「弥衣? どうしたの、天井なんか見て」
「いや……何でもない」
例えば天井裏にスペースがあってそこから間者が忍び込んでいるとか考えてみたが、天井にはパカリと開きそうな隙間は無さそうだった。当たり前だ。忍者か。
お嬢様は俺の視線の先に一瞬だけ目を移すが、直ぐに興味を無くして俺の頭をポフポフと触り始めた。俺はネコじゃないぞ。短い期間ではあるけどお嬢様は俺のことをホストか何かと勘違いしてないか? もう慣れたから良いけどさ。
とはいえ、美少女に触れられて何も思わないほど男を捨てきれない俺は手持ち無沙汰気味に周囲を見渡す。珍しく今日は室内にメイドが一人もいない。まあお嬢様は俺と二人きりに拘る節があるし、そこまで疑問じゃないな。
優しく横に撫でられる感覚と同じくして、お嬢様は言葉を零した。
「それにしても弥衣と一緒に外に出れないのは暇ね」
「お出かけのことか。まあ別に許可を頂ければ出れるだろ?」
「違うの。弥衣は男装できないし、それに二人っきりにはなれないじゃない」
そう言って溜息を零した。
お嬢様の立場を勘案すれば当然のことだが、その待遇に不満があるらしい。流石に外でまで俺が男装するのは鳳燈家の面子的にあまり宜しくないことであるし、たった一人の娘であるお嬢様に何かあれば取り返しが付かないので護衛は絶対に必要だ。
「それに弥衣、私と同じ中学に来るのよね?」
お嬢様の通っている中学は財閥令嬢らしく私立の名門だが、側仕えとしての教育を受けた俺ならば学力に問題ない。辛かった日々が報われたと思うべきか、報われない方が良かったと思うべきか悩ましいところだ。
「多分そうなるだろうな」
「でもいつもの弥衣として入学するんでしょ? それじゃラブコメ出来ないじゃない、全く困ったものだわ」
「お嬢様の発言の方が困ったものだと俺は思う」
お嬢様は今度は強めの溜息を吐いた。本当に残念な気分で胸が一杯らしい。我が主人ながらこれで大丈夫なのだろうか。
「弥衣、折角だから私の理想を教えてあげる」
「……手短にな?」
凄くしょうもない内容な気がした俺は話半分で聞く構えを取った。
「まず進級式の朝、パンを咥えた私と弥衣が曲がり角でぶつかるわ」
「少女漫画かよ……しかも今どきテンプレートな」
この世界にもこういった漫画はかなりの数存在する。中身としては前世の男性向けコンテンツが全て女性向けに変化している時点でお察しである。
まだ続ける気らしく、お嬢様は意気揚々と口を開く。
「テンプレートではなく王道よ。続けて、倒れた衝撃で弥衣と私はキスをしちゃうの。そこで赤面した弥衣が『ぷえ……!? ば、馬鹿! こんなことした、せ、責任取れよな!』と言ってハッピーエンド。どうかしら?」
何だその内容。
「どうかしらじゃないが……チョロすぎるだろ俺」
「そう? こんなもんじゃない現実」
「いやそれは二次元だ。まごうことなき画面の中だ」
あまりにも真顔で言うお嬢様に一抹の不安を感じる。
俺はこの世界のラノベや漫画をほぼ読んだことはない。だが、これが前世の男性向けラノベをあまりにも簡単に裏返したそれであることは容易く理解できる。
や、それでも初対面でぶつかっただけの相手にそのセリフが出てくるのはおかしいわ。お嬢様って普段何読んでんだよ……俺の中の不安が指数関数的に増大していくんですが?
「でもママもそれは良くないとか言うし……何で理解できないのかしら」
「心底安心した。お嬢様はもっと見習うべきだ」
「酷いわね。あのね弥衣、人は他人にはなれないのよ。私は私でママはママ。ママが何を好きになろうと私は弥衣が好きだし弥衣はもっと男装をするべきだわ」
「論点が太平洋を泳いでアメリカまで行ったと思うんだがお嬢様」
「真理を語っただけよ」
お嬢様はコーヒーカップに唇を付けると優雅に傾けた。
洗練された仕草も相まって見た目は清楚に見えるのに、中身はこんな男子高校生なのが本当に質が悪い。詐欺すぎる。清楚系ギャル……とはまた違うけど、とにかく詐欺だ。
「でもそうね……やはりやるしかないのかしら」
「危ないことはよしてくれよ」
不穏な呟きに思わず身構える。あのな、お嬢様に何かあったら俺が殺されるんだからな。お母様に。頼むぞお嬢様、早まらないでくれよ……!
お嬢様は一度瞬き───もしかしたらウインクだったのかもしれないがそれにしては下手だった───をすると、声を響かせた。
「危なくなんかないわ。下校中に姿を晦まして弥衣と合流してデートするだけだもの」
「お嬢様……護衛の方をそう蔑ろにしないでくれるか。お嬢様はまだ当主ではないが、それでも次期当主という点からして存在価値は高いんだからな」
少し眩暈がした。
お嬢様の立場は当然ながら一般人と比べて軽いものではない。一度誘拐されたら利用され放題だ。鳳燈家を脅迫することにおいて、これ以上の手札は存在しない。
「分かってるわよ。でもそれを理由に弥衣との青春を切り捨てるなんてそれこそ馬鹿よ。人生で一度の学生生活にやりたいことをせず、願望を押さえつけながら悶々と押さえつけるなんて私のスタンスじゃないわ。分かったなら作戦を練るわよ弥衣」
どうやら本気らしい。マジか……いや本当にマジか。
今気づいたが、この話をするためにお嬢様は人払いをしたのだろう。自分の周りのメイドは信用しているとか言っていたが、この短期間で絵美様と繋がっているのに気づいたのか。用意周到なこって。
「お嬢様、せめて護衛は付けてくれよ。何かあった時に俺だけじゃ守れるか分からない」
「あら、弥衣は私と二人きりになりたくないの? ねえ、弥衣」
お嬢様は言いながら立ち上がり、俺の耳元で囁いた。ASMRみたいで、少しこそばゆい。
お嬢様と二人きり、そのシチュエーションは問題ない。寧ろ美少女と二人でデートとか大歓迎だ。何もなければ俺だって諸手を挙げて歓迎してると思う。
「お嬢様に従うさ」
「そ。なら早速献案してくれるかしら」
「俺が考えるのか?」
「私の側仕えでしょ。良いから気軽に言ってみなさい」
と、言いつつも明らかに期待を寄せた目でこちらを見てくるお嬢様に俺は肩を竦めた。
「護衛を振り切れば良いだけなら、選択肢は二つだな」
「二つ?」
「一つは適当なところで抜け出す。例えば公衆トイレに立ち寄って、窓から脱出するとかな。二つは入れ替わる。誰かにお嬢様の代わりをやってもらって、お嬢様もまたその誰かの変装をする。良くミステリーでありがちなチェンジリングってやつだ」
「じゃあ一つ目で決定ね。メイド以外に替え玉なんていないもの」
そんな気軽に頷かれても……。勢いで決めてしまっていいのだろうか。
「その、お嬢様? 側仕えの俺が言うのも良くないが、こういうことはもっと慎重を期した方がいいんじゃないか」
「弥衣のことを信用してるもの。いえ、正確に言えば信用しようとしてるが正しいかしら。新羅家の主人とは斯くあるべき、ママもそう言ってたわ。失敗をすればまた別だけどね。だから弥衣の提案は鵜吞みにして、私は前を歩くのよ」
なんだかカッコイイことを言ってお嬢様は手を組んだ。
あの……母様? 俺、鳳燈家が新羅家に対してこんな思想を持ってるなんて知らなかったんですが? メチャメチャプレッシャー掛けられてるんですが!?
「あら、何で後退るのかしら弥衣?」
「い、いや。何でもない。何でも無いからそう強く手を掴まないでくれないか」
想定外過ぎる言葉に、思わず一歩後ろに踏み出した俺を目ざとくお嬢様は指摘する。
「いいじゃない手くらい。私たち友達でしょ?」
「友達がいないから知らないのかもしれないが、その言葉をこの状況で使ったらもう友達じゃないんだよお嬢様」
「なによ面倒臭い。友達ってもっと密な関係じゃないの。暇な時間を一緒に潰したり、学生時代の苦楽を共にしたり、お風呂に入っては男の好きな部位やポーズを語るのが友達という概念だと私は認識しているのだけれど?」
具体的すぎる。主に三つ目が。
「お嬢様。大方は間違ってないが、友達と言っても弁える一線はあるからな。身体的接触は特に嫌がる人も多い」
「そうね。弥衣にしかやらないから平気よ」
「そういう問題じゃないけどな……」
友達に対する遠慮は……ないですよねー。友達以前に俺とお嬢様は側仕えと主人の関係だ。良い感じにごちゃ混ぜになってる気がするけど、まあ今のところ問題でもないか。
お嬢様はコホンと息を付くと、再び口を開く。
「話を戻すけど、一つ目にするなら短時間でも良いから護衛の監視の隙を突かないとね。どうすれば良いと思う弥衣」
「そうだな」
聞かれた瞬間、俺の中で一欠片の閃きと同時に出来心が沸き上がった。
「お嬢様も男装すれば、隙を簡単に作れるんじゃないか?」
「私が……男装を?」
ポカンと口を開いたまま、間抜け顔を晒すお嬢様に頷く。
「そうだ。お嬢様はかなり容姿が華やかだからきっと男姿も似合うはずだ。いつかバレるにしても秒単位でバレることはないと俺は思う」
いつも男装を強いるお嬢様に、思うとこがあるかと問われれば否定できない。それにしてもお嬢様がここまで予想外といった顔でフリーズするのは俺に初めて男装をさせた時以来じゃないだろうか。何かいつも男装関連でフリーズしてるなこのお嬢様。性癖大丈夫か?
再起動したお嬢様はどもりながら言う。
「そ、それはそうだけどもっと方法あるわよね? 護衛の気を引けばいいんだから私が男装をする必要は無いじゃない」
「それとも男装に興味が無いと? 隣の部屋には男装の道具や衣装があるのに?」
「そういう繊細な部分を突くのは卑怯よ弥衣。女なら分かるでしょ?」
すみません。良く分かりません。当方中身が男なので。
「お嬢様の俗的な感性は理解に苦しむな」
「何よ悪い? 女子中学生が異性に興味を持つのは極自然なことでしょ。道具を揃えたのも気まぐれよ気まぐれ」
「気まぐれ……ね」
「何かしら。その何か言いたげな生意気な目は」
目敏いお嬢様は俺の内心を透かしてくる。
前世でも女装する人間は大概女の子に興味があるが現実では縁がなく感性が捻くれてしまった人ばっかだった。気まぐれなんてありえない。
「酷いな。ただ俺は、そういう道具は男装に興味がない人間は購入しないと思っただけだ」
「まあ……ママには内緒にしててほしいんだけど、興味が無いかと言われたら嘘になるわ。でもね、私は鳳燈家の次期当主だから。変な噂が流布されると家名に傷が付くと思って流石に男装するのは自重したのよ。思慮深いから」
「俺にもその自重を分けてくれよ……」
胸を張りながらお嬢様は宣った。補足しておくと、俺のお嬢様は既にこんなことを堂々と言えるくらいには捻じ曲がってしまっているようだった。しかしこれも一概にお嬢様が悪いかと言えば少し違う気もする。男女比が偏っているこの世界、この程度の歪みで済んでいるのならば恐らく可愛いものなんだろう。
「ま、いいけどな。ただその自重心があるならもっと別の形に活かして欲しいよ俺は。例えば護衛の目を出し抜くのもやめないか?」
「それは嫌よ。トレードオフは得意な方なの私って。男装と違って、これくらいなら周囲からの目もお転婆お嬢様くらいで済むじゃない」
「はあ……。仕方ないなお嬢様は」
「仕方がないなら付き合いなさい。私たち友達でしょ?」
だからそれは友達が言ったらダメな種類のセリフなんだって。
そう思いつつ、俺はお嬢様と視線を合わせて渋々頷いた。
─── ─── ───
準備はさして必要ではなかった。
何せ、護衛を撒く計画といってもその中身は単純明快。数秒の隙を作って抜け出すだけだからだ。
そんな事情もあり、加えて楽しみでうずうずと震えるお嬢様が時間を置くはずもなく、作戦はお嬢様から初めて話を聞いた二日後に決行された。
作戦当日は平日で、放課後であった。
俺はお嬢様の通う中学の近くのコンビニで待機。お嬢様は道中にある公園の公衆トイレで花を摘む(この世界でもこの表現はあるようだ)ふりをしてトイレの窓から逃走。そのまま約230m先にあるこのコンビニを目指す手筈になっている。
そして肝心の対戦相手となる哀れな護衛の方々なのだが、野村と橋川という女性らしい。共に数年前から鳳燈家のSPとして採用され、お嬢様の護衛となったのは2年前の話だそうだ。どちらも優秀なのだが「護衛なんて男ならともかく女で付けられても物々しいだけよ。だからせめて離れた位置からやってくれないってお願いしたわ」などとお嬢様の我儘により様々な制約が課されている。似た立場の人間として同情してしまう本当に。
午後3時27分。お嬢様がコンビニに到着する予定時刻まで残り3分となり、雑誌を片手に窓ガラスの外をさりげなく観察していると見覚えのある姿が来た。俺は雑誌を閉まって、店員のあざしたーという言葉を背に受けながら店外に出た。
「……なんだ。男装しなかったか」
いつも通りの美少女なお嬢様に思わず俺は目を伏せた。
正直、お嬢様の男装姿を見てみたかった。当然男装するには胸が邪魔になるだろうけど、そういうのを含めて男装の良いとこだと思うしお嬢様なら男装をしつつも美少女フレーバーを醸し出せる最強の男装令嬢になれるだろうしこれ以上語ったら俺の人間性が凋落するので口を噤みますハイ……。
割と期待していた俺を白けた目でお嬢様は見た。
「当たり前でしょ。側仕えですら外で男装する許可が下りないのに私が出来るわけないじゃない。次それ言ったらパン咥えながら曲がり角でぶつかるわよ」
「それお嬢様の願望だろうに……」
「言霊よ。……そんな変な目で見ないでくれる。冗談だから」
さしものお嬢様も忌避の視線には堪えたようだ。現実問題、今の言動はセクハラに該当してもおかしくない。お嬢様と男を出会わせたら本当にどうなるんだか……。
「護衛の人は上手く撒けたんだな」
「勿論。今頃私が失踪したことに気付いて家に連絡が行ってる頃合いじゃないかしら。同情するわ」
「お嬢様は本当に後で謝っておけよ。そんで叱られてくれ」
「そろそろ移動しましょ。こんなとこじゃ目立つもの」
明らかに話題を反らして目も逸らしたお嬢様は俺の手を掴むと強引に引っ張る。見た目の割に力が強く、俺のバランスは若干崩れる。人、それを現実逃避という。
「まあ今は良いけどな……それでどこに行くんだ?」
「どこって、決まってるじゃない。ショッピングよ」
「ショッピング? お嬢様はウォークインクローゼットに大量の服を貯蔵してるだろ。まだ増やすのか?」
その数おおよそ100着ほど。庶民からは考えられないほど膨大な量だが、別にお嬢様がファッション狂いというわけではない。その貯蔵の8割は家柄が原因だった。正装からカジュアルな正装、それから来賓用の私服など。言われるがまま季節感や成長に合わせた服を仕立てていたらそれだけの数になってしまったようだ。
「何言ってるのかしら。弥衣の服を見に行くのよ」
また新しい服を買うのかと辟易しながら考えていたが、どうにも違うらしい。
俺の服か……でもお嬢様のことだからどうせ男用のもんを見に行くんだろうな。滅茶苦茶使えないわ。お嬢様の傍にいる時しか使えないじゃん。
「あのなお嬢様、そんな汎用性が低いものを買うより普通の服を見に行かないか?」
「嫌よ。あのね弥衣、教えてあげる。彼氏と異性の服屋に行く、これすなわちデートの鉄板だそうよ」
「彼氏じゃないしどこの鉄板だよ……」
「それに婦人服なんて見てもしょうがないじゃない。大抵の服屋よりウチのウォークインクローゼットの方が在庫があるのに、今更店舗に行っても時間の無駄よ無駄」
「貴族だなほんと……」
「当然じゃない。私はお嬢様ですわよ?」
「似合わないからやめてくれ」
「酷いわね。事実を言っただけなのに。セバスチャンを呼ぶわよ」
「いないだろセバスチャン」
この男女比無茶苦茶世界でセバスチャンなんて存在は基本的に存在しないのである。創作の産物だ。まあ、敢えて言うなら今の俺は第三者から見たらセバスチャンに値するのかもしれないけど……いやどちらかというと執事かもな。
お嬢様は俺の手を引っ張りながら、駅前のアーケードへと向かい始めた。