貞操観念が反転した世界にTS転生した俺が男装をする事になったのはお嬢様のせいだ   作:金木桂

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強制送還系お嬢様

 これから行こうとしている洋服店は学校からもほど近い駅前だった。

 お嬢様が言うには学校帰りに遠出するのは面倒だし、何より一駅離れると本格的に護衛に迷惑が掛かることを懸念したらしい。なるほど。それを言うならば絶対にこんなことをやるべきではなかったと思いますがどうでしょうか。

 

 兎にも角にも、護衛の目を振り切った俺とお嬢様は駅前の賑やかな通りまでやってきていた。

 

「騒がしいわね。あんまり好きじゃないのよこういうとこ」

「じゃあ来なくてよかったんじゃと思うが……」

「嫌よ。私は弥衣と出かけたかったんだもの、二人きりで」

 

 本当に我儘だけども、これでも俺のお嬢様である。あまり悪く言うのはやめておこう。

 そう思いつつも気は緩めず、お嬢様の周囲を警戒しながらストリートを進んでいく。護衛がいない以上、今お嬢様を守れるのは俺だけだ。銃や護衛用の武器を持っているわけでもなければ格闘が出来るわけでもないが、それでも手を引いて最短ルートで逃げることくらいは出来る。この日のために駅前周辺の地形は記憶しているし、人目の多い場所や交番の場所も調査済み。いざとなれば……まあその話は縁起でもないから止めておく。

 

 と、お嬢様の視線がふと一つの集団に止まる。その集団の中でリーダーらしき女が拡声器を手に群衆に呼び掛けていた。その背後には【男女平等反対!】という看板が掲げられている。

 

「お嬢様、アレはあまり見ない方がいい」

「へ?」

「メニズム、その中でも恐らく過激派に分けられる奴らだ」

 

 大丈夫だろうが、一応忠告する。それでも首を傾げる様子からお嬢様はご存じないらしい。まあネットとかだと有名なんだが、意外とテレビで取り上げられることは少ないからな。こんな集団を見てていいことなんて一つもない。

 

「男性至上主義者ってやつだよ。お嬢様。希少な男は社会で共有されるべき。アレもそういう考え方を持つ女が集まって出来た組織だろうな。ただそういう組織は大抵ネットか地下で活動していて、ああいう表に出てくる活動家集団は割とヤバい奴らと専らの噂だ」

 

 前世でもフェミニズムというものがあったが、またそれとも違う。フェミニズムは女性の平等な権利を主張するのに対してメニズムは男性に特権的な階級を与えて、代わりに男性は男性的役割を全国の女性に平等に提供すべきという非常にアレな思想だ。当然、いくら男女比が偏ってるとはいえこんな過激的な思想に共感する女性は多くない。カルト的だしな。それでもいるところにはいるというのだから、余程根っこのリーダーはアジテーションが上手いのだろう。

 

 お嬢様も理解してみたいに頷くと、視線をそらした。

 

「そうなのね。下らない。そうやって作られた社会に未来なんてないじゃない。権力の腐敗が目に見えてるわ」

「そうだな。俺もそう思う」

「それに今時特権階級とか何て時代錯誤なのかしら。そうやって現実味が無い空虚な思想で何も成し遂げず、野垂れ死ぬなんて全く哀れね」

「お嬢様、それくらいにした方が……」

 

 俺からすれば財閥だって特権の塊だけども、この世界の常識としては平等の枠内に入る価値観である。兎にも角にも、こんな集団に目を付けられたって百害あって一利なしだ。

 

 気づけばメニズムを主張していた集団の一部が俺たちの会話を聞いてしまったようで、睨みつけるように此方を凝視する。お嬢様にこれ以上ここで話をさせるのは流石に不味いだろう。ただでさえ歯にものを着せない言葉を使うが、今回のことはよっぽど合わなかったのか言葉の端々から嫌悪感すら伺える。

 

「そうね。あんな侘しい喪女集団に付き合う必要なんてないわね。ほら、ちゃっちゃと歩くわよ弥衣」

「気になったのはお嬢様だろうに……分かったから引っ張らないでくれ」

 

 お嬢様に引っ張られる俺の姿を認めたからか、より活動家集団の視線が厳しくなる中でお嬢様だけはいつも通りオンマイウェイに街灯を横切っていく。頼もしいというか、肝が据わっているというか。

 

「全く、世の中には変な人たちがいるものね。みんながみんな弥衣みたいだったらいいのに」

 

 角を曲がり、集団から向けられていた視線が無くなるとお嬢様はジョーク交じりに零した。

 

「恐ろしいことを言わないでくれるか? あのな、俺みたいに表情が乏しい人間で溢れたら世の中は相当面倒臭いことになることが目に見えてるだろ」

「そうかしら。私としては弥衣は何人いても困らないけども。友達用の弥衣に恋人用の弥衣でしょ。それから側仕え用の弥衣におやすみ用の弥衣ね」

「お嬢様。俺としても非常に心苦しいが言わせていただこう。とっても気持ち悪いから止めてくれ」

「段々遠慮が無くなってきたわね……でもそれが独特な高揚感に繋がらないと言われたら否定できない……! 流石弥衣、男が何かを抑えているのね」

「そんな特殊性癖のツボの押し方なんて知らないが」

 

 お嬢様と会話していると前世を思い出す。確かに男子高校生だった頃の俺は良く友達とこんな馬鹿話をしていたかもしれない。俺も全くお嬢様のことをとやかく言えないんだよな……。

 

 グダグダといつもお嬢様の室内で交わされる会話を外でしながら、数分ほど歩けばすぐに目的の服屋に辿り着いた。

 男性用衣料店。この世界においてそれは特別な意味を持っている。何せ女性10人に対して男はたった1人の世界だ。だから男性専門の衣料店なんてあまり街には無いし、ターゲット層の男性は何かと優遇されており金持ちが多いため、その店構えは中々に高級な様相を呈している。つまり何が言いたいかと言えば、前世で今世でも一般人な俺からすれば非常に入りづらい雰囲気を醸し出しているということだ。

 

「お嬢様、本当にここに?」

「今更何を怖気づいてるのよ。らしくない。女は度胸、男は愛嬌でしょ?」

 

 いやそれ逆……でもないのか。この世界換算なら。ややこしいなクソ。

 でもそう考えると、今の男装している俺は後者ということになるな。

 

「それなら俺は後者ってことか。お嬢様……俺……恥ずかしいよ……」

「やめて。本当にそれはやめて。弥衣は私を犯罪者にするつもりなの?」

「理論の飛躍が凄いな……」

 

 この世界の女性が見る男性観としては極めて正しい言動(というか理想の言動?)をしてみれば、真顔でお嬢様がそう言った。理性が耐えられないということらしい。何なのこの人。記憶の限りではお嬢様は俺様系の男が好きだったはずだが……まあいいや。お嬢様だし。本当に襲われたら困るから取り敢えず今後はこの手の行動は慎もうと思う。

 

「行くわよ、弥衣」

「お、おう」

 

 一歩。

 絢爛な店内に足を運ぼうとして、お嬢様が俺の左手を捕まえる。それは甘い空気が漂うようなものじゃない。がっしりと、電車の連結部分みたいに絶対に外れない力で握り締めていた。

 奇妙に思ったが、落ち着いて考えればその真意も理解出来る。

 お嬢様の現状は、要するに女性用ランジェリー店に男が入るような感じだ。勿論これは前世の価値観での話だが。異性がそういった店に入れば、他の客や店員から忌避の視線が大量に突き刺さることになる。そう考えるとなればお嬢様も災難だよなぁ……、と一瞬同情しかけた俺だったがそもそもこうなったのはお嬢様が原因であることに気付いてすぐに思考を振り切った。同情の余地、ナシ。ここでこの手を振りほどいても許されるんじゃないか俺。

 

「い、良い空気感ね。凄いなんか、良いわ」

 

 お嬢様はぎちぎちと途絶え気味に店内を観察する。

 確かに、店内は高級感で弾けている。美麗なインテリアに、空間をたっぷり使って並んだショーケース。佇む店員の身だしなみもファッションセンスに富んだカジュアルなものながら礼儀作法に通じている印象を受ける。これは新羅家で教育を受けてなかったら俺も空気に呑まれていたかもしれない。

 

 このくらいで店内の観察は一先ず置いておいて、俺の関心は隣でブリキ人形と化しつつあるお嬢様へと移る。

 

「お嬢様……緊張して語彙と声が出てないぞ」

「そんにゃことないわよ! 私は財閥令嬢なのよ、このくらいの雰囲気は幾にゃでも経験してきたもにょ……だもの!」

「申し上げにくいが滅茶苦茶噛んでるぞお嬢様。勢いで誤魔化せないくらいには」

 

 何と言うか、想像通りテンパってるらしい。お嬢様は場数はそこらの小金持ちよりよっぽどあるはずだが、こういう場所は駄目なようだ。案外ピュアである。

 ただここまで普段と様子が違うと少し俺の手にも余る。

 

「お嬢様……もう少し自然体にできないか? こういう時は深呼吸をするのが良いと俺は思う」

「もう五月蠅いわね。全くもう。あのね弥衣、いいかしら? 幾ら世間的には希少な男とは言え、細かいことを気にする人間は性格的に難ありと思われて良い人と結婚できないらしいわよと言おうとしたけどその時は私が貰うから一応薬指のサイズ教えてもらっていい?」

 

 あ、駄目だこれ。我がお嬢様ながら本格的に脳髄までイカれちゃってますね。

 

「服を見るんだろ、お嬢様行こうか」

「ねえ流さないでくれない。私は、今、本気で、貴方の主として、薬指のサイズを聴いてるのよ」

「店員さん、お勧めの服とかありませんか?」

「ちょっと弥衣? 無視は酷くないかしら? ねえちょっと?」

 

 申し訳ないがまだ側仕えとして未熟な俺では今のお嬢様に対する対処法を持ち合わせていない。恐縮だがそこで待っていてもらおう。

 手に負えないと判断した俺は店員さんに案内されて今のシーズンのおすすめとして何着か渡される。どうでも良いけど店員からも何の疑いもなく男と思われてるな、俺。

 

 店員に話しかけた辺りから俺の背後にピタリと黙ってくっ付くようになったお嬢様を尻目に、俺は試着室に入る。

 

「それじゃあお嬢様、取り敢えず着替えるから待っててくれ」

「ええ……なるはやでお願いできるかしら」

「了解だ」

 

 ほんのり不安そうなお嬢様の視線に頷く。流石にそろそろ可哀そうだから、お嬢様の要望通り早々と着替えてしまおう。

 

 店員セレクトのシャツとズボンにアウターを羽織って、一度等身大の鏡で自分の姿を確認する。

 相変わらず俺の容姿は中性的なようで、自分で確認してその出来に頷いてしまう。実際、俺の今の出で立ちは完全に男のそれという訳ではない。それでも男装した女性というよりかは、女装が似合いそうな男に見えるのだ。正確には12歳だから男の子と形容した方が正しいか。

 子供であることが理由で男女の境界線がぼやけてどちらとしても取れるのもあるだろう。それでも第二次性徴を既に果たしている俺が普通に男として見えるのは中々傑出した才能かもしれないと思う。お嬢様がこんなんじゃなかったら一生発揮されなかった才能だろうけど。

 

 一回りして変なところが無いか確認すると、試着室のカーテンを開く。

 お嬢様は試着室の前でスマホを弄っていて、俺が着替えに終わったのに気づくと顔を上げる。どうやら自分の世界に入ることで自分の心を防衛していたらしい。こうなるのは自分では理解してただろうに難儀な……。

 

「お嬢様。こんな感じになったが」

「……うん。いいじゃない。でもアウターで黒色はちょっとね、大人っぽくていいけどまだ早いように思えるわ」

 

 俺はお嬢様の前でゆっくり一回転すると、意外と普通な指摘が飛んできた。そろそろ中学生とはいえ身体は全然成長しきってないから、そういった服装が上手くハマらないのは仕方ない。それでも元の容姿が良いせいなのか、服に着られてるという事もなくそこそこ見れるものである辺り俺は美少女だった。

 

「じゃあ弥衣。少しだけそのまま立っててくれるかしら」

「うん?」

 

 お嬢様はそう言うと手に持ってたスマホをこちらに向けて、パシャリと鳴らす。……あーはいはい。

 

「良い感じに撮れたわね……写真として見たら最ッ高ね……。私の写真フォルダが潤うわ……!」

「その、お嬢様? もの凄く帰りたくなってきたんだが?」

「帰るなんてとんでもない! もっと服を選ぶわよ、ここからが本番なんだから!」

 

 あ~。完全に調子取り戻しちゃったなこれ。

 俺は出そうになった溜息を押し戻して、そのあと機械のように何着も服を変えることになる。

 

 

 ───だからこの時、俺には余裕が無かったから気づかなかった。

 試着室から出入りする俺に目を見開く人影があったことなど。そのことを知るのはその後、すぐのことである。

 

 

 

────── ────── ──────

 

 

 

 その後、二時間ほどお嬢様によって着せ替え人形とされた俺は完全に疲弊しながら帰宅していた。手にはお嬢様によって購入された何着もの服。重い。

 

「良い買い物だったわね弥衣」

「ホクホクしてるのはお嬢様だけだって……」

 

 満足げに笑みを浮かべるのはお嬢様。当人は何も買ってないのに、何故か一番満足している。その様を見ていると更に疲労感が増してきて肩が下がりそうになる。

 

「一緒に選ぶってこんなにも楽しいのね。世間一般的な友達という概念はこんなにも良いものだったなんて私は知らなかったわ」

「それは良かったな」

 

 また何か仰っているお嬢様の発言を適当に流す。友達がこれまでいなかったのも道理かもしれない。自分だけ楽しんでるものこの人。俺のことあんまり考えてないよ絶対。

 ただ、美少女で権力まであるとなれば自己中心的な性格が育つのも仕方ないともいえる。だってまだ中学生だ。あんな環境にあればもっと傲慢になっていてもおかしくないのに、お嬢様はよくこの程度に収まったとも言える。

 

 そんな風にお嬢様の横顔を見ながら考えて、ふと思い出す。

 ……もしかしたら、俺に与えられた最初の仕事はこれなのかもしれない。具体的には、お嬢様の悪癖を直し鳳燈家当主に足る人格を芽生えさせる。

 

 いやいやまさかそんなことをさせる訳が……。

 そう否定しようとしても否定できる材料はない。逆に肯定できる材料ならある。自己中心的な性格もそうだし、周囲が見えないのも欠点だ。そういった部分を残したまま成長して当主になってしまった鳳燈家は恐らく長くはない。

 

 でもそんなの本来、成長と共に自覚的に直すものだ。他山の石という。反面教師から学んで、自分はああはなるまいと自分自身に釘を刺す。そうやって精神と立ち振る舞いは成熟し、幼さが削ぎ落される。

 自主的に行うのが自然のもので、それを早めるは至難の業だ。俺は教育者じゃないし、お嬢様の導師にはなれない。加えてお嬢様より年下の俺がそう諭したところでマトモに聞き入れてくれるかという問題もある。

 

「弥衣? どうしたの疲れた顔して」

「ホントに疲れてんだよお嬢様」

「軟弱ね。でもそういうところも素敵よ」

「そうですか」

「淡白ね。今のは『そんな俺なんか……テレテレ』って赤面するところじゃない」

「そういうのはゲームと漫画で我慢してほしい」

 

 相変わらず口説いてるのか何なのか分からないお嬢様に余計に疲れが増した。てか口説くのはおかしいだろ。お嬢様は冗談半分のはずとはいえ、第三者に勘違いされたらどうすんだか。俺しーらね。……って出来れば良かったんだけどな。

 

 衣料店を出て4分ほど歩くと、俺は立ち止まる。

 

「どうしたのかしら弥衣? そんなに疲れてるんならどこかで休憩する?」

「お嬢様、お迎えみたいだ」

「……そう。遅かったわね」

 

 お嬢様も気づいたようで、視線を俺と同じ場所に合わせる。

 たった今右折してこっちに向かってきている黒い車、見覚えがある。間違いなく鳳燈家で所有しているやつだ。ということは護衛の2人が乗っているのだろう。タイミング的に、偶然って訳でもない。何時からかは知らないけど少なくとも10分以上前から俺とお嬢様の居場所を知ってたんだろうな。

 

 車は予想通り俺とお嬢様の前で停止すると、ドアが開いて女が出てくる。こっちは橋川……さんだったな。ということは運転士はもう片方の野村さんだな。

 面と面を向かって話したことは無いのだが、それでも橋川さんの人となりは何となく知っている。確か、言葉はちゃらんぽらんなのに結構真面目に働いているとお嬢様は言っていた。なので前世の夢女子御用達な掴みどころのない雲みたいな感じだと勝手に考えてる。女性だけど。これってもしかして風評被害?

 

 SPというのもあり、恵まれた体躯をしている橋川さんはお嬢様を見下ろす形になりながら細く目を見開くと口を開けた。

 

「花凛様~困りますよ無断外出は。ちゃんと私たちに言ってくれませんとね」

「ちょっとくらい良いじゃない。別に危険も無かったんだから」

「またそういうことを言うんですか花凛様ってば。困った子猫ですね~」

「鬱陶しい……次舐めたことを言ったら解雇するわよ橋川」

「はは、怖いですね~なのでさっさと仕事を済ませましょうか」

 

 思った以上にお嬢様と護衛、というか橋川さんの仲は険悪っぽいな。良く知らんが多分お嬢様が悪いんだろう。見てる限り。

 そうしていると橋川さんはお嬢様から俺へと視線をスライドさせる。

 

「初めましてだね。私は橋川坂里(はしかわさかり)。お噂はかねがね、花凛様の歪んだ感性のせいで男装してるんだってね。ま、気苦労が絶えない仲間として宜しくしてくれると嬉しいよ」

「よろしくお願いします」

 

 立場的には側仕えである俺の方が上だが、雇用年数的にも年齢的にも上である以上ここで溜口を使って人間関係を拗れさせても何の意味もない。男装しているとはいえここでは敬語を使っておくに越したことはないな。

 俺がペコリと頭を下げると橋川さんは薄い笑みを浮かべる。その笑みを見てお嬢様が言っていたことが何となく分かった。この人、なんだか少し胡散臭い。

 

「ふふ。それにしても花凛様に引けを取らないくらい君も可愛いね。どうかな、今度一緒にお茶でも」

「橋川。殺すわよ」

 

 橋川さんのナンパに、俺が反応するより早くお嬢様が毒舌を飛ばした。まるで毛を逆立てて威嚇する猫だ。ここまでお嬢様が敵意を示す相手なんて初めて見たな……。

 そんなお嬢様を意に介さず、橋川さんは肩を竦めた。

 

「おや怖い怖い。でも花凛様のその身体じゃ私には勝てませんよ」

「私がいつ貴方の得意な土俵で戦うと言ったかしら。私は嫌な奴には財閥令嬢としての権威を以てして社会的に殺すだけよ」

「残念ながら私は絵美様が雇用主なので、お嬢様では手が出せないかと。危ないところでした、ねえ花凛様?」

 

 チッ、と美少女が鳴らしてはいけないような舌打ちがお嬢様から漏れる。どちらかと言えば橋川さんはお嬢様の天敵なんだろう。

 

「いい加減仕事に戻ろうかなと。そういう訳で花凛様、お迎えに上がりました。ご自宅までその身柄を丁重にお連れ致しますよ」

「はいはい。さっさとなさい」

「それから絵美様より伝言です。芍薬、と」

 

 それを聞いたお嬢様の顔がげんなりしたものに変化する。

 傍から聞いたら回りくどい表現だが、これは花言葉だ。絵美様はそういった暗喩のような表現が好きなのかよく多用されている。

 またこれも新羅家の教養として、家庭教師から習ったことがある。芍薬といえば思いやりとか謙遜とかそういった意味があるが、この状況下なら恐らく怒りだろう。分かりやすい。まあこれについては自業自得だから受け入れてくれ。

 

 お嬢様は車の後部座席のドアを開けようとした橋川さんを手で制して、自分で開くとそのまま座席へと腰を下ろす。それから俺の方へと顔を向けた。

 

「弥衣も乗りなさいよ。せっかくタクシーが来たのだから帰るわよ」

「おっともう一つ伝え忘れていました。新羅様は今日はもうお帰りいただいて結構とのこと。そのお荷物は家には持って帰れないと思うので、お預かりいたします」

 

 お。ラッキー。早帰宅とか久々だな。うし、適当な場所で化粧を落としていつもの洋服に着替えたら、帰ってベッドに転がるか。

 と思ったのだが、その言葉に黙っているお嬢様ではなかった。お嬢様は自身の護衛に対してメンチを切る。

 

「は? どういう意味よ。私の側仕えに対して何故貴方が命令を下せるのかしら?」

「花凛様もお分かりでしょうに。今宵は長くなる、それだけです。その時間を一人で無為に過ごされるのは酷でしょう」

 

 お嬢様は黙った。つまり、主人の親からの説教が長くなるから今日は早上がりで良いよとのことらしい。あざーす!

 

「それでは私たちはこれで失礼しますよ。新羅様、お疲れ様です」

「はい。お疲れ様です」

 

 大量の服の入った袋を受け取った橋川さんは車の助手席に座ると、不機嫌そうなお嬢様を乗せて車が発進した。

 

 車が見えなくなるまで見送ると、どっと疲れが湧いてきた。もう2度とあんなことしたくないな。そのためにもお嬢様、滅茶苦茶怒られて猛省してくれ。ってことで頼みます神様絵美様仏様。

 

 俺は夕焼けの消えた午後6時半の暗がりの中、男装を解除するために適当な公衆トイレに入った。

 

 

 





わはは。多忙です。
もう連載にした方が良いのかな

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