日の落ちる前に 作:二なのです
『私は弱くなっている。取り返しがつかないほどに』
机の上に置かれたその日記に気が付いたのは──目を留めたのは、私だけだった。
帝国出身で、高等教育を受け、古代フォーリア──つまりは古代帝国文字を読めた私だからこそ理解出来た一文。他の仲間達は談笑をしながらぞろぞろと列をなして移動してゆく。
一番仲の良い娘がこちらを一瞬心配そうに見てきたが、それに返す意思は無かった。隣の友人に腕を引かれ、すぐに話に戻ってゆく。
だが、そんなことよりも。逸る気持ちは冷静を潰す。
日記の文字を読み進める。久方ぶりの慣れない読解に頭が痛くなる。一文字一文字の意味を想起する。
そして、読み取れたのは端的な一文。
『昨日よりも』
前の日。震える指を抑えることをせず、ただ恐怖と好奇心だけが心を覆う。紙の端を、手がくしゅりと握り締める。
そして、ページは捲られた。
『昨日よりも』
捲る。
『昨日よりも』
捲る。
『昨日よりも』
──捲る。
『──昨日よりも』
文字には絶望が散っていた。書き上げられた文字に染み出すのは、確かな諦観。今この場所でこんな難解な文字を扱える人間は一人しか知らない。察するのは簡単だった。
目の前がクラクラと光を散らす。思い浮かぶのは小さな、だけど私を常に導いてくれた師匠の姿。
靡く銀髪が、儚く満ちる蒼色が──離れていく想像が脳裏に鳴り。
そして私は──駆け出した。
◆◇
私達の一族は、代々とある魔術を継承していた。
血筋に繋ぎとめられた『呪い』とすら言えるその魔術。手先に、耳に脳に心に体に刻み込まれたその魔術の力により、私達一族は有名な傭兵家業の者達として名を馳せていた。
その中でも、私は異端だった。
魔術は継承した物しか出現せず、だがその力は異端の一言。取り入れた血により溢れ出る魔力は、満ち満ちたその力を世界へ示していた。
だからだろう。私が『悪竜』討伐の一員に選ばれたのは。
だからだろう。私が、私達一族の『異常』に気が付いたのは。
『力の頂点の早期化』。同時に、その後の急激な弱体化。それが私達一族の継承魔術の副作用。と言うか、これはもしかせずともそうあれと作られた物なのかもしれない。
思えば納得ではあった。まるで崖を駆け上がるかのように、近年の私の力は増加の一途を辿っていたから。そして、同時に。私はそれが異様な早さで訪れていることは明白だった。
昨日よりも。昨日よりも。──昨日よりも。
気が付いた頃には、『悪竜』と同等の力を振るえるのではないか、と思わず考えてしまうほどには私の力は隔絶していた。
そして、絶望が発覚したのはこの国での頂点を決める祭り──『起奏祭』。それが終わった日の夜のことだった。
魔力が減っていた。微々たる量。だが、未成熟な魔術師にとっては致命とすら言える量。
おかしい。その程度の考えだった。すぐに寝床に戻ったのを覚えている。思えば、その時まさに私の力は『山』を登り終えたのだろう。太陽は登り切った。
つまり、後はただ日が落ちるのみ。
──そして、次の日。魔力は減っていた。昨日よりも。
そして、転がり落ちる。日が沈む。帳が降りる。昨日よりも。昨日よりも。──昨日よりも。
繰り返される魔力の減少。既に肉体にすらそれは影響していた。失われていく『力』に、私は心を壊されていった。
そして、異常の理由を探すためありとあらゆる文献を漁り、私達一族のルーツを遡り──そして、これが私達一族の終わりであることを理解した。
いつの間にか、もう取り返しがつかない領域まで私は弱っていた。
弟子を取った。
なんてことはない。ただ、私より弱い者を見て心を落ち着かせたかっただけだ。そして、すぐに絶望した。
『成長』する弟子を見て、暗雲に心が蝕まれてゆくのを感じた。
傭兵として知り合いの娘のパーティーに入るように言った。つまりは、私は捨てようとしたのだ。
私の心を蝕む元凶を。
だけど、誤算が出た。涙を流して付いてくるように頼む弟子──フェリアを見て、折れてしまった。私は、いつの間にか絆されていた。
そして、今。
私は、知り合いの娘のパーティーに、つまりは弟子の同行に来ていた。
思い浮かぶのは幾つもの──だが、たった一つの感情だけだ。
怖い。いつあの娘達に超されるか分からないのが、怖い。
怖い。凶暴化した『魔獣』の出現が増えている。いにしえの《災い》の復活ではと騒がれている。
私に、調査の補助の依頼が来ている。
怖い。夜中に現れる《異端》は脅威となる物が多い。既に私はそれらに打ち勝てなくなっているかもしれない。
ただただ、毎日が、時間が進むのが怖かった。日が経てば経つほど、目に映る世界は暗く淀んで行く。
だけど、『英雄』と呼ばれる私が逃げ出すことを世界が許さない。熱い期待の眼差しは、極寒の軽蔑よりも恐ろしい事を知った。
何より──フェリアに嫌われたくない。
夜空を見上げる。やれるところまでやろう。私が『私』の像を壊さないように。私が『私』でいられるように。
今日も心を塗り固める。迫り来る恐怖は、見上げるような夜空になじみ消えていくように錯覚できた。
安堵の吐息を付く。そして、皆が泊まっている宿屋に戻ろうとして──突如後ろから、逸る足音が聞こえた。
続くかは分かりません。