──あれから、結局俺は慧心学園に足を運んでしまっていた。前回の流れから言って正直気が重いことこの上ない。彼女たちは彼女たちなりに事情を何らかの理由で隠していたのかもしれないが、どうにも小学生の女の子では高校生を欺くのには幼すぎた。丸わかりである。はっきり言って試合があるのは間違いないといっていい。それも地区優勝を目安にしたどこかのチームとの。だとすれば俺に出来ることなど殆どないだろう。だってまず人数すらいないのだから。それに結成できても大会には出られない。小学生の大会には10人いなければ登録出来ないのだから。おそらくだが、小学生の男子が女子グループのような部に入るとは思えないし、試合までどれたけの猶予があるのかは知らんが真帆の様子からそれなりに切羽詰まっているのは明白だろう。しかし、最低でもいきなり練習試合が出来るのに必要な4人の“女子”を、野球やる女の子を集めるなんて……至難の業である。有る意味、地区優勝なんかよりもずっと難しそうだ。真帆がお金がどうとか、あまりよくない冗談を言っていたがそんなことをすればそれだけで廃部。PTAのおばさん連中が動きだしそうである。
とにかく、試合出来る状態であったとしてだ。3ヶ月、どんなことがあっても1ヶ月ほどなければ……。いや、こんな不毛なことはやめよう。認めよう、俺は彼女たちを勝たせることなど出来ないって。いろいろと理由を並べて自身の身を引く正当なものを探したとして──。
それでも……。簡単に諦めたくはない自分がいるのは分かる。でなければこんなにも悩んだりするものか。真帆やみんなのあの時の顔を見れば嫌でも分かってしまう。その想いを。もちろん、勝てなければどうとかは知らないが、現時点で五人しかいなく、至急試合に勝利しなければならない状況を見れば……、まあ廃部、なのかな。むしろ、廃部にならないならあそこまで重い空気になる意味が分からない。真帆は勝ち気だからあんな風になるのも理解出来ないわけじゃないが、智花までもが俯いているのを見れば……、まったく分からないほど鈍感ではない。というよりも五人しかいないのに部が創られたこと自体が稀有なのだから。
頬にビンタをしてから、気持ちを切り替える。心の空気を換気し目の視点をしっかり定める。
さあ、最後だ。泣いても笑っても。今日でコーチ期間は終了を告げる。だったら最後くらいはシャキッとしようぜ、俺。
俺は重い足取りを軽やかにかえるべく最初の一歩を大きめに踏み出す。そして三度目、最後の校門を潜るのだった。
◆
何時もの……たった二度ではあるが、何時ものである。そのいつも通りのルートを踏みしめながら進んでいく。
校庭は慧心学園の裏側に位置している。門の目の前に慧心学園本体が鎮座し、その先を進めば広い土色のグラウンドが顔を覗かせるのだ。そして、その校庭と校舎の間、少し日陰になっている場所に例の部室が列を並べ建てられている。……しかし、下手な高校よりも設備が良くないだろうか。
そしてついに部室のある辺りへとたどり着き、男子野球部部室なるものを遮って、女子野球部部室へと──。
──ガシャンッ。
「そいつだ! いけっ! 捕まえろ!」
少し錆び付いたドアを思い切り開閉したような音。そして中から飛び出してきたちびっ子の軍勢。彼等は俺を一斉に囲むやいなや目の前に口を開けている部室へ放り込み、ドアを閉め、ご丁寧に鍵までも閉めやがった。
「イテテ……。んだよ、これ。マジでこんなの中学一年の時以来だ」
明かりもつけられていない部屋。光は奥に開けられた出窓のみ。そこから入ってくるなけなしの日光が彼等の顔を照らす。
「──手紙で忠告したはずだぞ」
前方からの敵意の籠もったその声に視線をやる。辺りを見渡せば小学生男子に囲まれている。え? リンチか何かなの?
五人ほどの──野球部員であろう子供たちが睨みつけてくる様はなんともいいがたい。……何故か小さな子に敵対されるのって心にくる物があるな。
そして、その象徴たる人物──目の前のツンツンに頭を尖らせたそばかすだらけの少年は憎々しげに此方を見ている。
「こら、何とか言えよ!」
今度は脇からの声。……今の小学生ってこんなことまですんのかよ。怖いな。俺の頃はイメージも沸かなかったわ、さすがに。高校に上がって後輩とかをシメるような人間にはならないでくれよ。頼むから。
どうも部室というのは外との通音が遮断されやすいのな。それ故に少年たちの猛った咆哮は外部へ漏れていないのだろう。
「忠告? ああ……、いやごめん。あの手紙ね。いろいろあってさ、すっかり抜け落ちてたよ」
睨みを増幅させる少年たちの心をこれ以上興奮させまいと優しげな口調、さらに申し訳なさげな視線でそう訴えてみる。……思ったことを口にしてしまったが、何かむしろ挑発的な言動をしたような……。
「おい、小学生だからってバカにしてんのかよ、後で謝っても手遅れだからな」
ツンツン頭が見下すかのような視線でそう言い放つ。小学生ってこんな感じの子は結構いるよな。それでも同じスポーツ愛好者としてはそう易々と脅しを聞いてやるわけにもいくまい。
「ふん、いいね。いいじゃないか。どう手遅れになるのか今から楽しみだよ」
なるたけこの子たちのペースに歩幅を合わせる。ここで大人ぶっても仕方がない。むしろ、こんな事をした理由を聞き出すのにはこれぐらいの方がいいのかもしれない。
「──おい、お前ら。こいつにションベンぶっかけるぞ」
「へえ……」
やれるものならやってみるがよい! なんたってここは部室さ! 辺りにはグラブやバッグ、それにバットやボールの山。他にもマシンなどあらゆる野球道具がある。ましてやここは彼等のくつろぎスポットでもあるはずなのだ。それをこんな事でアンモニア臭全開の公衆トイレに変えられるものならやってみるがいいさ! 果ては夏などの臭いが籠もる季節、悪臭は鬼と化すに違いない。
「お、おい……。部室でいいのかよ?」
「監督にバレたらどうすんだよ……」
「臭いでバレるぞ、絶対……」
やっぱりな。そう出来るはずがないのさ。外ならまだしも──いや、小学高学年で人にションベンかけるとか外でも普通あり得ないが。とにかくここは部室。いわば部員全員の共有スペース。それを上級生だからとはいえ、排泄の場にするのは許されないだろう。
「チッ。まあいい。とりあえずお前は今すぐコーチをやめろ」
「……どうしてだ?」
理由くらい聞かなきゃ割に合わない。確かに今日で終わりなのだがそれでもだ。
「は? 知らないのか?」
きょとんとした年相応な顔で聞いてくるツンツン頭。いや、そんな摩訶不思議な表情をされてもな。知らない、か。……女子野球部のコーチを止めさせる理由──。……ああ、多分だけど当たってるだろう。こういうことかよ。
「……お前らってその内女子野球部と試合するか?」
というかこれ以外思いつかない。そう聞いてみればツンツン頭は顔を不機嫌にさせて鼻を鳴らした。
「……なんだ、知ってるじゃないか。そうだよ、俺らとの試合。あんた、そのための臨時コーチなんだろ?」
やっぱり、な。なんか全部繋がった気がしたわ。そうだよな、俺はバカか。人数揃ってない女子野球部がいきなり対外試合なんか出来るわけがない。つーか、ミホ姉が他校に試合の申し込みなんかしないだろうし。それに学校側が良しとしないはずだ。……しかし、だったらあの焦りようはなんだったんだろうか。ニチームとも合併するか、小学生なんて週に3~4しかちゃんとした練習しないんだから交代交代でやれば何も問題なんかないはずだ。高校みたいに学校側から部費が支給されるわけでもないんだから、ぶっちゃけ資金のことも問題ない。だったらなんだ?
「……試合のためと確信したのは今だったけど、同じ学校のチーム同士が試合するのに俺を止めさせる理由なんてあるのか?」
すると、思案顔になったツンツン頭は周りの少年たちの様子を窺う様子を見せる。
「──なあ、真帆の話だとこいつスゴイやつなんだろ?」
「すごいやつ?」
一人の少年がツンツン頭に話かけた。俺はその内容に思わず口を挟んでしまった。
「ああ、真帆が言ってたんだよ、あんたのこと。全国や関東に行くくらいすごいピッチャーだって」
……なにそれ恥ずかしい。女子野球部のみんなに実力を信用してもらう程度なら多少は構わないが、同じ野球部とはいえ、外部に言いふらされるとか恥ずかしいだろ。ましてやあの真帆のことである、大きな声で挑発的に話したのが目に見える。
「……だったら、あいつらより俺らの気持ちの方を分かってくれるんじゃないか? ……話しちまおうよ」
後部からの顔も知らぬ少年の声。それに一同は同意の意を示した。そして、ツンツン頭が口を割始める。
「……来週の日曜の試合で俺らが勝てば、奴らからグラウンドを使う権利を貰える約束になってるんだよ。そうすりゃ今まで週三日しかなかった練習日が毎日になるんだ」
毎日? ああ、この子たちの監督って先生だもんな。普通の小学生チームは、野球に限らずに学校の先生ではなく、選手の親御さんがやることが殆どだ。だからこそ世のチームは親御さんが来れる土日、後は平日のうちの一日や二日ほどを練習日に当てる。しかし、この学校の監督は珍しく中学のように先生なのでやろうと思えば毎日練習することが出来るのか。……先生、休みいらないとかスゴいですね。
「まて、負けたらあの子たちはまさか……」
「そうだよ……廃部」
あっさりと。何でもないように告げられた廃部。
「……あの子たちは頑張り始めたばかりなんだぞ」
確かにまだうまいなんてお世辞にも言えない。それでも一生懸命にスポーツをやる子供たちからそれを奪うのは許容出来るものじゃない。……俺が言えた義理じゃないけどさ。俺はあの子たちを勝たせる自信がないからって捨てようとしたのだから。最低、糞野郎だ。口ばかりで。
「頑張ってなんかねえよ!」
語尾を強めた怒鳴り声に不覚ながらもビクリとしてしまう。それほどにツンツン頭の言葉には激情が感じられた。
やがてツンツン頭は今の行いを恥じるように息を吸い、そして吐いてから俺へと視線を戻し、口を開いた。
「あのさー……。俺たち、去年度最後の大会で地区優勝したんだ、初めて」
……目安どころか完全に地区優勝だったのか。地区優勝に迫るとかじゃなく完全な優勝。
「……そっか。おめでとう」
ひとまずは祝辞を述べる。初めての優勝か。例え地区優勝だろうと死ぬほどに嬉しかったのだろう。どんな大会だろうと、小さなメダルであろうと優勝は優勝したことのない人間には絶対に分からない充実感を齎す。俺自身、初めて“優勝”というものを味わった時は弾けるように辺りを飛び回り、仲間と抱き合ったものだ。今でも一番心に残っているものは間違いなく初めての優勝である。
そして、改めて理解した。真帆が地区優勝に拘っていた理由を。
「別に、めでたくもねーよ。県大会は一回戦でボロボロにやられてさ。コールドだった。優勝できてもそれを塗り潰されるくらいに悔しくてさ。めちゃくちゃ自分に腹が立った」
……似たような経験がゼロな訳ではないからよくわかる。中学の時も三年の最後の大会までは満足に勝てなくて、県大会に出れても延長でサヨナラ、なんてことが何回かあった。
「だからもっと上手くなりたいって思ったんだ。もっと練習して、死ぬ気にならなきゃダメだって。皆がそう思った。だけど、もうウチの学校には練習できる場所も時間もなかったんだよ。後から出来たあの女子野球部のせいでさ!」
──そういうことか。なるほどな。俺なら分かってくれるっていうのはそういう意味か。
「別に真面目に練習してんなら奪おうなんておもわねえよ。でも、あいつらは遊んでるだけじゃねえか! 最初は合同でやってもらうように言ったんだ。監督もそれで良いっていってさ。湊みたいな奴もいるし。俺だって自分が好きなものをやる人が増えんのは大歓迎だけど、あいつらは野球“部”でありながらただのままごとしてるだけだった。でも、真帆と紗季なんかは俺らと一緒にやるなんて絶対嫌だって、ゴネやがってさ。今は女子野球部の時間だって。そりゃそうかもしれないけど、だったらもっとちゃんとやれよ! 納得いかないから監督にも話して女子野球部の顧問に時間譲ってもらえるように言ったんだけど、今度は女子野球部の顧問が絶対ダメだって始まって。……あとはもう、知らないうちに試合することになってた。言っとくけど、試合で決めようって言い出したのは俺らじゃねーぞ」
……うちの叔母、アホなんだろうか。いやアホだろう。人数さえ頑張れば後は無視してれば問題なかったろうに。
「なあ、あんた野球すごいんだろ。すげー練習してきたんだろ。だって関東や全国なんて俺らにはまだ見えてもいないんだ。そこまでいくのに果てしない程頑張ってきたんだろ。だったら俺らの気持ちもわかってくれるよな? 頼むよ」
「……はっきり言うよ。俺は女子野球部のコーチだけどさ、君たちの想いも気持ちもすごく分かる。俺だってそんな考えの時はあったさ。……だけどこんなことしちゃだめだ。上手くなりたいやつは卑怯な方法をとっちゃいけない。卑怯が許されるのはゲームの駆け引きの時だけだ。もちろんルールの範囲内の話だぞ? ……とにかくどちらの味方もしないよ。どっちも自分たちの手で欲しいものは手にいれるしかないんだから」
……どちらにも味方したくなってしまうのは優柔不断だろうか? 今なって脳裏に思い出される、真帆の笑顔、紗季の呆れ顔、ひなたの微笑み、愛梨の不安いっぱいからの笑顔、後は智花のあの真剣な眼差し。……“楽しい野球”。彼等のは“勝ちたい野球”。どちらが上とか下とかあるのだろうか。どちらにも正しいものがあるはずだろう。なんでこうも現実はうまくいかないんだ。
「………………そーかよ」
長い沈黙の後に一言、そう口にした少年。
「……つーかさ、なんでそんなに警戒してるんだ? そもそも人数すらいないじゃないか」
まず前提から崩されてしまっている。来週の日曜。もう十日もないじゃないか。どうやったら十日以内にベースボールガールを四人も集められるというのか。しかし、ツンツン頭の少年は苦々しい顔をしてからこう、漏らした。
「……あいつら昨日のうちに三人捕まえたんだ。それもソフトボール経験者」
「……は?」
思わず府抜けた返事をしてしまった。まさか、どういったらそうなる? 昨日、三人捕まえただと? しかもソフトボール経験者を?
「……後一人くらいならどうにかなりそうだろ? それにソフトボール経験者だからそれなりに使えるはずだ」
「いや、……まあ、かなり驚いたけどさ。それでも野球からソフトより、ソフトから野球のほうが難しいだろ? しかも他は智花以外素人だぞ? わざわざ俺を捕まえてコーチ止めさせる必要なんてなかったんじゃないか? ……それにな今日でコーチは終わりなんだ」
俺がそう言うと驚きと喜びを同時に含ませた顔をして、聞いてくる。
「マジで? でももしコーチ続けたとしてあいつらを勝たせたりする事できたりしない?」
「分かるだろ? 野球やっているなら」
「そっか……。そうだよな、うん。や、最初は気にしてもなかったんだけどさ、すげーコーチが来たっていうし、ソフトの経験者は入るし。真帆が今日の朝に勝ちは貰ったようなもんだって」
……なんか聞かなきゃよかったような。勝手に期待をかけて貰ってもな……。そもそも経歴がイコールとなって指導にいくなんてことはない。実際にプロの監督になって大成する人の中に現役時代からっきしだった人間も多いのだ。
……それに野球はルールも全てのスポーツで一番多いと言われている。場面状況も一つの場面で50近く生み出せることもある。フォームも定着が難しい。たった一球投げてもらえば素人かどうかは一瞬で分かる自信がある。
……しかし、どう顔を合わせようか。辛いな、行くの。
「……女子野球部んとこ、行くのか?」
「ああ。今日で最後のコーチだからな。味方は出来ないけど、お前らみたいな向上心のあるの好きだよ。じゃあな」
軽く笑いかけてから、ドアを開いて外へ出る。なんだかひどく長い時間籠もっていたみたいだ。太陽が眩しい。
そして目を細めながら思った。
──小学生でも、男相手だと話しやすいんだな、やっぱ。
◆
「──長谷川さん! 良かった、遅かったので今日はもういらしてもらえないのかと……。あの、実は私たち、長谷川さんにお願いがあるんです……!」
俺が扉を開くなり、一瞬曇っていた表情をぱっと輝かせた智花が駆け寄ってきた。他の四人も安堵を含んだ顔をして智花に続いた。
……お願い。コーチのことだよな。
「あの……長谷川さんにコーチして頂くのは今日までということになってましたけど、もしできるのなら──」
「さっき、男子野球部から聞いたよ、試合のこと」
「あ……すみません……」
智花の言葉の途中に割って入る。せこいな、俺。こうして言われる前に言ってしまおうなんて。千早が知ったら怒られそうだ。──幼なじみの葵は殴ってきそうだし。それほどに情けない。
「──ごめんな。俺には無理だよ。試合するのを否定はしない、出来ないけど俺は君たちを勝たせてあげられるような指導が出来ない。どうしても勝ちたいなら、別の方法を考えたほうがいい。……俺が続けてもどうしようもないんだ」
男子野球部がどの程度かは知らない。だが素人の女の子たちで勝てるのであれば最初から地区優勝などできるはずもないだろう。県大会一回戦負けだろうと、それは揺るがない。
「……こんなんでごめんな。でも短い間だったけど楽しかったよ。ありがとう」
本当なら勝たせてあげたいのが本音だった。キャリアなどが全てじゃないから。本気になった気持ちは地区優勝だろうと素人だろうと変わらない。違うのは経験と技術だけなんだ。だからこそ、全てを奪われてしまうこの子たちを庇いたくなる。それでも、彼等の気持ちも分からないわけではない。雁字搦めとはこの事だろう。最高に優柔不断。本当の男なら最初に味方についたこの子たちの力になるのが道理のはずなのに。
この子たちを勝たせてあげられる未来をイメージ出来ない俺は──。
「すばるんっ!」
一方的にまくし立てその場を離れようとした俺の背中に痛々しい叫び声が突き刺さった。
「真帆……」
「もうないもんっ! すばるんしかいないもんっ! すばるんだけだもん……! 今度から他の子も来るんだよ? きっと勝てるのっ! すばるんはすごいんでしょ!? 助けてよ、お願い、助けてっ」
泣きも入っているのだろうか。必死に呼び止めるその声音は僅かに震えていて。瞳から溢れそうになる雫をこぼさまいと時々真上を向いては俺を射抜く。ただ、縋るように。
「……………………」
「すごい楽しかったよ! 前もその前も! すばるんと野球出来て、教えて貰って楽しかったのっ! その後アイス食べて……、ほ、他にだってぜんぶ、ぜぇーんぶ嬉しかったし楽しかったよっ! すばるん! あたしがこないだ怒ったのが悪いなら謝るから、いかないでよ!」
持てる全てを尽くそうとしている。ただ俺みたいな虚像の最強コーチを実像にしようと足掻いている。ずるいじゃないか、こんな時に練習やアイスのことを持ち出すなんて。
「……真帆、俺は怒ってなんかないよ。一度だって真帆にもみんなにも怒ったりなんかしてない」
「ほ、ほんとに?」
「ああ、ほんとうに」
……やっぱりバカな俺だ。ここで突き放せばそれで終わりだったはずなのに。もう会うこともなくて、青春を本格的に始める未来ある彼女たちの記憶からは俺など吹いて消えてしまうはずなのに。それでも、無視などできなかった。
少なくとも無視が出来ないほどに彼女たちとやる野球は楽しかったから。
だからこそ、俺は出来ないことを出来るとは言えない。嘘はつけない。
「みんな──」
「長谷川さん」
智花に遮られる。先ほどの俺とは逆のように。そして、その目から語られるのは想像に容易い。
俺がいう前に言ってしまおう、か。同じだな、さっきの俺と。ただ違うのは──
「……大丈夫です、長谷川さん。そんなに辛そうな顔をなさらないで下さい。みんな、強いです。長谷川さんがくれたメニュー表もあります。ですから──無理を言ってごめんなさい」
俺のは退廃的なもので、彼女のはひどく脆い寂しげな勇気からの発言だったことだ。
──今日ほど自分を殺したい日はなかった。
「──俺を利用してたってことか」
あれから少しばかりの最後のコーチを終えて帰路につく。ミホ姉の車内で。
「まーね、否定はしないさ。でも昴なら何とかしてくれるんじゃないかって思ったんだよ」
「むちゃくちゃな。地区優勝なんかに素人の女の子をぶつけんなよ」
そんなことをしなきゃもう少しマシな事態に収まっていたかもしれないというのに。
しかし、ミホ姉いわく、男子野球部の顧問がいろいろと地区優勝をネタに翳し、もっと強くなれば受験者がどうだの、なんだのと因縁を付け始めていたらしい。あのままでは押し切られていたからこその試合だとか。
「……ねえ、昴。智花のこと、どう思ってんの?」
「……気になってるよ、一番。順番なんかつけたくないけど、それでも智花は気になってる。おい、変な茶々いれんなよ」
「わーてるって。その智花のことも見捨てちゃうの?」
……見捨てる、結果的にそうなってしまったな。いや、俺のような野球失職野郎なんかよりも強いリトルに入ったほうが余程いいにきまっている。
「……大丈夫だよ。きっとあの子はひとりで飛べるさ」
彼女程の選手ならば歓迎するチームはいくらでもある。今の部活がダメになったとしても選択肢がないわけじゃないのだ。
それに中学まで一年を切っているのだから。
智花には確実に訪れる春がある。無責任に言えた柄じゃないが、一度野球を捨てるとまで言った俺なんかよりも確かにある未来が。
「……よく言う。知った口を」
だろうよ。わかってる。それでもだ。勝たせてあげたい、其れだけで勝てるのなら世の中誰も野球なんてやらないんだよ。
勝てっこない。
◆
-交換日記(SNS)05◆
『どうする? 紗季』
『長谷川さんに以前渡してもらった小学生用のメニューがあるの。基礎なんかもあるし、それで頑張ってみるしかないわ。以前の野球盤の練習みたいなのはないけど、それでも楽しくやれるものも多いし。せめて1ヶ月はあれば希望ももてるくらいの……。 湊 智花』
『試合の延期、やっぱり無理なのかな? もし1ヶ月延ばせれば長谷川さんも……。 あいり』
『まず間違いなく無理。情けかけたような口振りだったけど絶対に勝てる自信があったから試合受けたんだろうし。あー、ほんとカマキリむかつくなあ。 紗季』
『おにーちゃん、もう来ない? いおりにあわせたかった。 ひなた』
『いや、ぜったいにくる! すばるんのめはホントはあきらめたくないめだったもん! すばるんはくる! まほまほ』
『真帆、随分信じてるのね。なんで? 紗季』
『だってすばるん、コウコーセーなのになきそうだったじゃん! おとながあんなふうになるなんてフツーじゃない! それにみーたんがつれてきたコーチだもん。みーたんはあたしのことぜったいにうらぎらない! まほまほ』
『真帆ちゃん……。うん、そうだよね。五十鈴ちゃんも伊織ちゃんも漣ちゃんもいるんだもん。諦めちゃダメだよね。 あいり』
タイトル変更致しました。タグも少々。
後は前回の前田五十鈴の挿絵を変更しました。
といっても髪を内容通りに右肩へ一纏めにしただけなので大きな変化はありません。