慧心学園“女子”軟式ヤきゅーぶ!   作:桜咲く日に

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春風のページ

 ──どうしよう。……いや、どうしようか。

 

 俺はミホ姉に返信したメールの通り、ここ、慧心学園初等部の校門前に突っ立っていた。

 

 ああ、空は蒼い。実に白球が煌めきそうな天気ですこと……。正直言ってしまえば遥か昔──とまではいかなくとも三年前と少しに卒業した小学校の母校ですら入るのに躊躇われるというのに。これは……。

 

 目の前に堂々と存在を主張している慧心学園は実に小学校らしからぬ出で立ちをかましている。そのまんま漫画、しかも少女漫画だ。それから飛び出してきたかのような、なんとも西洋チックと言えばよいのか、それともメルヘンなのか。とにかく、これこそ小学校の鏡である! などとはばかれれば俺の母校など吹いて飛んでいってしまうほどであった。

 

「くそ……っ! なけなしの勇気を振り絞るしかないのかよ……っ」

 

 極小である勇気をせめてもの気合いと根性で膨らませてゆく。そのまま風船のように破裂してしまわないかだけが不安だ。しかし、そんな心配はなく、これも野球のため、未来ある子供のため、などと一日前ならば思いもしなかった言い訳を心に投影しつつその門をくぐるのであった。

 

 

 

 

「……で、あんたは来ないってことか?」

 

 頭には血筋が浮かんでいるのをイメージしてもらおう。なればその様子から今の俺の心境など容易く理解できるのではないだろうか。

 

「ええ、そうよ。ってか、初対面だからこそじゃん。ここで私が行って意志疎通がさ、私を通してー、なんてことになったら元も子もないでしょ? それとも野球というのは人を通してもうまく教えられるほど単純なの?」

 

 ぐ……っ。それとこれとは! などと言いたいところではあるのだが。それもそうだ。しかし、最初から仲介人がいないなど気まずいことこの上ない。それでも目の前のミホ姉の様子から間違いなくこの案件を下げる気など微塵もないのだろう。

 

「とゆーわけで私はまだ仕事が残ってるからさ。後は頼んだわよー、にゃふふ」

 

 ニマリと憎たらしい笑みを零して手を振りながら校舎へと消えていく。その背中に思いっきりドロップキックをねじ込みたいが、そんなことをすればたちまち俺は肉体的にも、精神的にも廃人へと変えられてしまうだろう。俺は、このなんとも言えない感情を押し込め、野球部の部室へと足を運んだ。

 

 

「……しかし、さすがだな。私立の名門なだけある……」

 

 目の前に広がるのはそれなりに大きめの部室が何棟か。それぞれの部活名が記された名札がドア横に貼られている。しかし……。

 

「野球部が二つ、か」

 

 そう、野球部とかかれた名札、もとい部室が二つあるのだ。片方はそれなり使い込まれたような雰囲気を醸し出しているのだが、もう片方はどうも最近まで使われていなかったのか外側からみても若干新しく見えた。

 

「……まあ気にしても意味がないか。ええと、この野球部……J? ああ、女子って意味かな。ここでいいんだよな」

 

 なんとも野球部が二つなど珍しい。もしかしたら、人数が多いが故に二つに分けているのではなんてことも思ったりしたのだが。ミホ姉から聞いた話では少し違うようだ。まあそれはいいか。それに同じ小学校でも二つ別々のチームを作ることは稀にだがある。昔は、強い選手トレードし放題じゃん! なんて子供らしいことを考えていたが周りに学校が少なく区の違う子供が多いために二つに分けたとか、子供のスポーツなのに大人の仲が悪く、うんたらかんたら……、などと言うこともあるらしい。

 

 よし、では……。

 

「コーチを頼まれた者ですが」

 

 そう中まで聞こえるように声を挙げ、扉をノックする。もしも着替え中だったら、なんて事も考慮した結果このような事をしている。なんと言っても部室というのはその部のプライベートスペースだからな。

 

 すると、中から元気な声で「どうぞー!」という言葉が返ってきた。どうやら、なんの問題もなく行けそうだ。よし。

 

「じゃあ、お邪魔しま──」

 

 扉を開けて俺の体は冷凍庫で凍らされたマグロの如く硬直した。

 

『お帰りなさいませ! ご主人様!』

 

 すぐさま扉の戸を閉じた。いや、野球で色々ありすぎたせいか、来るとこまできてしまったらしい。右手の人差し指と親指で眉間の皺を解してもう一度──。

 

『お帰りなさいませ! ご主人様!』

 

 ああ、疲れているのは目の前の子供のようだ。

 

 

 

 

 先ほどと一言一句変わりのない言葉を投げかけられた俺はしばし呆然としながらも彼女たちの服装を確認した。

 

「……メイド」

 

 そう、メイドだ。東京あたりに喫茶店を構えているらしいメイドだ。それもカチューシャや服やらとにかく凝っている。何故このような格好で俺は迎えられたのだろうか。それともミホ姉が来るコーチはメイド趣味の変態だとでも伝えていたのだろうか。いや、そうに違いない。

 

「ミホ……篁先生が申し訳ない! みんなにお詫び申し上げます」

 

 心から謝罪の念を感じながら俺は丁寧に頭を下げた。手鼻を挫かれた気分だ。しかし、目の前の少女が首を捻っている。……あれ、違うのか? そう、聞いてみれば。

 

「全然違いますよぅ。これは自主的にしたんです。ね? もっかん」

 

 目の前の快活そうなツインテールの女の子が可愛らしく微笑んだ。そして、目をやった先には──。

 

「…………………………」

 

 なに? この子は……。この左目の下にあるホクロ。そして左側に結んだ髪の毛。そしてこの顔は。

 

「……と、智花?」

 

 そう、何を隠そう、いや、隠すまでもなく智花である。すると、先ほどの快活そうなツインテール少女がなんだか嬉しそうに俺たちの間に突入してきた。

 

「え? あんだよー! もっかんの知り合いなのかよー! 黙ってるなんて水くさいぞもっかん!」

 

 そう言いながら顔を綻ばせ、智花へと抱きついている。その表情はラッキー、とでも言っているかのようで。一方智花は。

 

「へ? え、えと、その、あの……。ど、どういうこと、ですか?」

 

 抱きつかれたことに顔を紅潮させたのか、真っ赤にしながら俺へと視線を向けてくる。……つうか、ミホ姉、あいつ俺の名前も教えてなかったのかよ。コーチが来るとは知っていても俺が来るまでは教えてなかったということか。顔は無理でも、名前くらい教えておけよ……。

 

「えっと、俺が今日からのコーチ、みたいだね。あはは……は」

 

 渇いた笑い声が部室に木霊した。その木霊がやがて薄れていくにつれて智花がプルプルと震えて……。

 

「ふええぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」

 

 彼女の恐らく最大の叫びが部室にまだ残っていた俺の笑いを消し飛ばした。

 

 

 

 

 そんな智花の絶叫も落ち着いた頃、図抜けて長い髪を三つ編みに結わえた眼鏡の少女が、放心している智花の横を通り過ぎ俺へと話しかけた。  

 

「……あの、ご主人様。とりあえずは智花以外は初対面のようですし、みんなで自己紹介をしませんか?」

 

 ……そうだ。落ち着け。よし、呼吸は大丈夫だ。というか、こんな偶然が起こるとは。まあいい。

 

「……なんだかごめん。そうだね、よし! じゃあみんな、自己紹介から始めようか。では俺からね」

 

 あまり怖い印象を与えないように優しく声音を発す。俺が小学生あたりの頃は大人よりも高校生や中学生という離れすぎていない人間のほうが怖く感じたものだ。できる限りあまり言葉足らずにならないよう努めないとな。

 

 ……ただ、そのご主人様だけはやめてもらえないだろうか。

 

 

 

 

「……では。えー、長谷川昴と言います。一応高校生まで野球を続けています。高校一年です。ポジションは投手……、ああピッチャーの方が馴染みやすいか。ピッチャーをやっていました。後は……、そうそう篁先生とは親戚で──」

 

 とりあえずはたわいもない挨拶を交わしていく。そんな中、みんないい子たちなのだろう。誰一人目を逸らさずに話を聞いてくれた。

 

 そして、次は子供たちの自己紹介が始まる。先ほどから快活な印象の濃かった二つ結びの少女は三沢真帆さん。その喋り方からイメージ通りの挨拶をしてもらった。うん、スポーツをするときはこういう盛り上げ役のような子がいると助かるからな。

 

 ほかには、ほくろがチャームポイントの湊智花。この子に関しては特に今更記述することはないだろう。だが、ミホ姉に聞いた話によれば野球経験者は一人。つまりは智花こそがその一人ということだろう。他のみんなはどうやらお父さんや授業の一貫として、軽い玉遊びの範疇としてのキャッチボール。それとソフトボールぐらいの経験しかないようだ。

 

 智花に関しては以前に持っていたグローブがオールラウンド用、つまりはどこでもござれのグローブだったのでポジションまでは把握していない。まぁ、オールラウンド用は便利ではあるが内野用よりはやはり内野で使うには微妙だし、外野や投手としてもそうだ。つまり、どこでも使えるがやはり本職用に作られたグローブには適わない。もし、彼女が投手をやるようなら俺のお古でも貸してあげた方がいいのかもしれないな。……まぁ、高校、中学と違って小学生では投手が何故か外野用を使っているなんて珍しくもないけど。

 

 次だ。永塚紗季さんが……、眼鏡と腰まで伸ばした三つ編みの少女、か。どことなく、文学的なイメージを拭えない。それにその知的な見た目からはどことなく参謀タイプにも見える。このような小学生の集まりにこのような子がまとめ役として機能するのならばとても頼もしい。高校生の立場上強くは言えないしな。まぁ、そこまでガチンコでどうこうしようなんて考えてないけれど。

 

 後の二人の内、一人は先の三人がロングスカートであるのに対し、その豊かな身長故か、より短く見えるスカートを必死に下へ下へと引っ張っている香椎愛莉さん。綺麗な顔立ちをしているものの、眉が若干太めという以外はどうにも印象に残りづらいタイプのようだ。しかし、前述したように彼女、最大の印象を与えるものを持っていた。それはズバリ、その身長である。……俺と数センチしか変わらないと見えるその身長は周りの小柄な少女たちの中、とくに目立って見えてしまう。

 

 最後の一人は袴田ひなたさん。彼女は正直、一番このスポーツから遠く見える。というより運動全般から離されたイメージだ。そのふわりとした髪の毛は雰囲気にも浸透していて、彼女の周りだけお花畑に見える。もしも、こんな子がガンガンバット振っていたら相当驚くだろう。というよりバットやボールを持っているだけで取り上げたくなりそうだ。そんな物を持ってはいけません! と言ってしまいそうになる。

 

 とにもかくにもこれで自己紹介は終了だ。

 

「──ということで、これから僅かながら一週間という期間ではありますが、コーチさせていただきます。よろしくお願いします」

 

 軽く会釈程度に頭を下げる。そんな時、体に重力がかかった。

 

「おにーちゃん!」

「うわっ!」

 

 突然、その身体を翻して抱きついてきた真帆さんが元気な声音でそう呼んだ。おにーちゃん! という響きはそれはそれは以前まで何も感じなかった俺でさえ、一瞬兄貴魂を引きずり出されそうになった。

 

「ねえねえ、敬語とかやー! 智花みたいにあたしたちの事も呼び捨てにしよ? ね!」

 

 顔の横にちょこんと乗せられたら彼女の頭からそんな提案をされる。それは顔の横だ。つまり耳元である。そこに吹きかかる吐息がこそばゆく、とにかく降ろそうと口を開いた。

 

「お、おっけー! わかったからさ、取りあえず降りよう、真帆……ちゃん」

「だからちゃんもなしー! 智花ばっか贔屓はだめだぞー」

「ふぇぇ!?」

「なんで智花はそこで顔を赤くする! わかった、わかったよ! 降りてくれ、真帆っ」

 

 真帆は、はーいおにーちゃん、とどこか嬉しそうな声をあげて俺の身体から飛び降りた。そしてこちらへ振り返り、白い歯を覗かせる。……悪い子ではないのだろうが、すごいな。これが小学生か。俺もこんなんだったのだろうか。まぁ、それはいいとして……。

 

「その、じゃあ、『おにーちゃん』というのも止めてくれないかな……。そうして貰えれば助かるんだけど……」

 

 チャンスは待ってはくれない。いまだ! そう思って提案を試みる。

 

「ええー、これもダメなのかぁ。まったくぅ、すばるんのツボは一体どこにあるんだー!」

 

 頬を可愛らしく膨らませた真帆の襟を引っ張りながら出てきたのは紗季さ……、紗季だった。

 

「ごめんなさい、長谷川さん。コイツなかなか止まらなくて……。でも純粋に歓迎したかっただけなので勘弁してあげてください」

 

 紗季はそう言いながらぺこりと頭を下げた。やはり、こういう時にストッパーがいるのは嬉しい限りだ。この子は精神年齢が高そうなので何かの時に相談することも出来るだろう。

 

「いや、少し驚いただけで気にしてないから大丈夫だよ」

 

 すると、そこへ大人しくしていた智花が話かけてくる。

 

「あの、長谷川さん。……いきなりというか、早速で申し訳ないのですが指導のほうお願いしてもいいでしょうか? ……すみません」

 

 何も悪くないのに謝る智花の頭に軽く手を乗せる。

 

「そんなことないよ。俺としてもその方がいいしね。よし──」

「あー! また智花ばっかり! ねーすばるん、あたしにもやってやって!」

「おー。二人ともずるい。ひなも、おにーちゃんになでなでされたい」

 

 その姿を見てか真帆、そしてひなたが名乗りを上げた。……そうか、こういうこともあるのか。頭に入れておかないとな。一応知っているからと言って智花ばかりにこういうことをしては駄目だな……。ちゃんと何事も贔屓にとられないようにしないと。何を贔屓ととるかはその子たちの感性次第だしな。ここで変な軋轢だけは生まないように気をつけよう。

 

「──ああ、りょーかい。ほら」

 

 そう言いながら二人の頭もなでてあげる。勿論、あまり時間もあるほうではないので早々に切り上げたが。紗季は溜め息を吐いて真帆を咎めているし、愛莉はなんだか微笑ましげにこの光景を眺めていた。

 

「よし、じゃあ要望に応えてさっそく始めようか」

 

 パンパン、と手を叩いて用意を促す。みんなはその場でメイド服に着ていたのであろう体操着姿となり、それぞれ用意していたグラブを片手に校庭へと走ってゆく。

 

 ──これはいまだ、春風の止まない時期の俺とこの子たちとの最初の一ページの一コマだった。

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