ごめんなさい。繋ぎ話です。
メンバー集めのための伏線です。
茜色。朱の色合いを強めてゆく空の中、俺は帰り道を歩いていた。
つい先ほどまで小学生“女子”たちに野球の指導をしていた。ほんのはずみからやることになったコーチ役。それに後悔をしているわけではないし、嫌、というわけでもない。ただ、不安やもしも学校の誰かに知られたら……という懸念はあるものの、とても将来が楽しみな子もいるので見ていて飽きはしない。まあ、今日がコーチ初日だったのでそうそう飽きるわけもないけれど。
ただ嬉しさはあった。自分がかつて──……熱中していたものを将来がある子供たちに興味をもって貰うのはやはり嬉しいものだ。もちろん、試合なんかに出れるわけじゃない。五人じゃ決して野球は出来はしないが、その一端に触れることくらいならできるはずだ。俺が今、やらなければいけないことはあの子たちが抱き始めている興味を少しでも色褪せさせないこと、出来るならその色を濃く上塗りできる手伝いをすること。それだけだ。
そんな事を頭に浮かべつつ、自宅への道のりを歩いていく。
──トントン。
ふいに肩を叩かれた。バックを引っ掛けている左、そして何もない右。普通ならば空いている右肩を叩くものだが、主は左を叩いてきた。まあ、いきなり肩を叩くなど知り合い以外いまい。そう思い、くるりと反転した。
「昴」
「うわっ! ちけぇ!」
振り向きざま、視界に景色は映らなかった。というよりも映りようがないだろう。だって振り向いた自身の顔の数センチ目の前から俺を覗いている奴がいるのだから。
「ち、千早」
「そんなに嬉しい?」
どこをどう見れば嬉しいと判断できたのか、こいつは。明らかに俺が驚き、キョドっているにも関わらず顔色を一つ変えることなく俺を見据えている。
「い、いや。たんに驚いただけだよ。っていうか前から言ってはずだけど突然現れるな」
「肩を叩いたはず、問題ない」
「顔が近い」
「それは昴と私の距離感からくるもの」
心の距離感が近ければ顔もそんなに近くなるんですかねえ。いや、ないだろ。そもそもこいつとそんな距離を近めた記憶はない。あるとすればそれは捏造だ。
自分で発言しておいて顔を染めていた。顔色を隠すためか少し俯いた彼女の髪が揺れる。北欧の血が入っている彼女の色素の薄い髪が頬にかかるのが見えた。しかし素早く、千早はいつもの無表情顔に戻った。
「どこにいっていたの?」
単純な質問だ。ああ、そうだとも。だが、バレるわけにはいかないのである。
「え、えっとな、少し学校に残って自習してたんだ。成績やばいと大変だからさ」
「バック」
「ん?」
「何故バックがそれなの?」
……そりゃそうだ。自習するのにバックがこれとかおかしい。
「最近の学校ではもっと軽いものに変えていたはず」
ちなみに彼女、西条千早さんは同じ高校である。彼女は推薦などではなかったので勿論クラスも違う。それに俺はスポーツ推薦組なので教室はそれなりに離れている。また、野球部が休部になってからというもの、俺からも顔を合わせ辛いので避けていたのだ。
そこからの遭遇。
「そ、そういや、千早! お前がここらへんいるのはランニングか何かか?」
話題の転換を試みる。彼女の服装を見ればどうにも遊びにいっていたようなものではない。千早の家はここから三キロほど離れているのでランニング辺りだろう。
「お買い物。夕食のおつかい」
……まあ、飯の買い物くらいでオシャレしろとは言わないがピチピチの女子高生がジャージで買い物をするのは色々幻想が壊される。ましてや北欧の血を分けている千早だ。もはや、スーパーでジャージは異質にすら見えるはずだ。
「そっか! 結構結構! 偉いな!じゃあな!」
「ダメ」
走って去ってしまおうとしたのだが、首の襟を捕まれた。チラリと目をやった。千早の顔は無表情でありながら、そうでない。どこか奥に決意めいたものをはらませているような気がした。
「野球、してるの」
会話が止まった。なんとなく、話題に出ないような雰囲気があったのだが。それでも、かつてのチームメイトは遠慮がない。
「……しては、ないかな」
「そう……」
ニュアンスで何かを感じとったのだろうか。千早は真意を確かめようとはしなかった。
「……なあ、聞いてもいいかな」
俺は千早に向き直り、視線を彼女に合わせた。
「もし、まだ部活が続いていたのなら。野球、していたか?」
仮入部二日目で終わった部活。仮入部期間は約一週間与えられる。その中で自分にあったものを見つけるのだ。だから聞いてみたかった。あのまま、部活が続いていたのならば千早は仮入部期間を終えた後の正式入部。それまでに顧問に届けを提出していたのかどうかを。
千早はゆっくりと口を開き始めた。
「……初めてあなたに出逢った日を憶えている?」
口から出たのは答えではなく、回想。想い出されるのは今に比べて幼かったあの頃。
「見てた。教室の窓からなんとなく野球をしているあなたたちを眺めていた」
憂いを含んだその表情。空の夕焼けになんとなくマッチしている。
「掃除をしていて。人の役にたつのが一番だって言い聞かせていて。そんな中で唯一、ちょっとした楽しみになっていた。……私は感謝されたことは大人にだけだった。同い年の人たちは私が教室を綺麗にしても何をしても感謝なんて特にしなかったよ。それでも見返りのためにしていたわけじゃないからって、ひたすら人の役に立とうと努力した」
当時、クラスが違う俺は噂程度にしか千早の存在を知らなかった。だだ、身を粉にして頑張ってる女の子がいる。それだけだった。
「でも、やっぱり子供だったから。人に心からのありがとう、そんな一言でいいから言われてみたい。でもエゴだって。そんな中で眺めていた校庭から白い点が近づいてきたの」
それが、俺の割った窓ガラス。
「人はここまでボールを遠くへ飛ばせるんだって。何故か、物凄く感動した。凄いって。その時、謝りにきたあなたと私でガラスを片付けた。その時に昴が言ってくれた」
『本当にごめん。でも本当にありがとう』
「勝手に手伝ってるだけだったのに。昴のありがとうは嘘じゃなかったって。みんなが言ってくれる、やってもらってラッキー程度のありがとうと全然違って見えた。あれから私は色んな意味で昴の傍にいたくなって、私は野球を始めた」
少しのことで人にとっては大事な言葉になりえるのだろうか。たったなんでもない日常の一コマで。
「私は高校では野球を“しない”。昴を支えるマネージャーになろうと、そう思ってた」
「そっか」
ここまで思われるというのは男冥利に尽きる、ということなのだろうか。
「私は昴にくっついた夢だったけれど。それでも大事なものを無くした。ねえ、昴。来年は、あるの」
──……来年。来年、俺は。
「──まだ、分からない。俺も戸惑ってるんだ」
答えなんかでるはずもない。例えやろうとして、メンバーが集まるのだろうか。もし、休部のまま廃部になったら。
次の監督はいるのだろうか。
もう、夜になる。
何もかもがわからないままに時間は過ぎる。
来年──。彼女の願いに答えられるだろうか。