夏バテ打開とストレス解消のために遊んだダークソウル2がすごく楽しかったので、自分なりにラストバトルとエンディングを書きました。
ネタバレ、独自解釈を含みます。
崩れ落ち塵に変わる王妃を見届け、彼は大剣を振って血と魔力の残滓を払った。
先ほどまでは剣戟と魔法の喧騒で満ちていた渇望の玉座も、今は僅かな余韻のほかに残るものはない。地底洞窟に築かれた丸屋根の中は光源もないのに薄ぼんやりと明るく、割れた石畳の下に満たされた深淵はとろりとした重い闇を湛えている。遠く雷の轟きが微かに届き、反響を重ねながら消えていく。その様は、祭祀場の最奥にいた古竜の声を思わせた。
血の臭いと闇術の残り香ばかりが空気に漂う中で、彼は自身の右手へ目を落とした。
ささくれから、変色した爪の隙間から、じくじくと腐った膿が滲む。それを見下ろしながら、彼はぼんやりと思索する。
シャラゴアは言っていた。王よ、玉座にと。そしてその望みのままに事を為せ、と。
だが、こんなものが王とは。いい面の皮だ。
顔を上げ、白く濁った瞳で、彼は対岸の墳墓を眺めた。
はじまりの篝火を灯し、忘れられた者たちの四つのソウルを得、王の指輪を受け継いだ。それを王の資格と呼ぶのであれば、彼は確かにそれを満たした。そして深淵を越え玉座に至るための鍵も、巨人の王を弑して手に入れた。
この身を捧げれば、不死の呪いは解けるのだろうか。
否、呪いを、人の本質たる暗い魂が滲み出さぬよう、封じ続けることができるのだろうか。
人の本質は闇であるという。今の人間の姿は名を忘れられた神に軛を嵌められたがゆえの偽りに過ぎない。呪いとは、神の遺した火が翳り、軛が緩んだことで人の内より滲みだした闇なのだと。
ゆえに、人を人間たらしめようとするなら、火によって人間性の闇を照らし、差異を顕かにし続けなければならない。そして弱った火を再び盛らせるには、新しい燃料を足す必要があった。それもすぐに燃え尽きるような貧弱な小枝ではなく、神代の火に相応の、よく身の詰まった薪が。
火を以て世を知ろしめした神の業を継ぎ、人の理を取り戻す。この身に刻まれた烙印を消すことはできずとも、偽りでありながら優しく甘やかな世界と、その中で続く生の営みの礎となる。それはきっと、英雄と呼ばれるに足る行為だ。
だが、それでは、結局――
かつて、幾多の王が現れた。
木のうろを過ぎる風のような、あるいは盛り轟く炎のような、奇妙な響きの声であった。
彼は振り返り、視線をさまよわせた。常ならば挨拶代わりの爆発で彼を吹き飛ばすはずの声の主の姿は、しかし丸屋根の下のどこにも見当たらない。
困惑の間にも、声は続く。
ある者は毒に呑まれ、ある者は炎に沈み、
そしてある者は、凍てついた地に眠る。
ひとりとして、この地に辿り着くことなく。
その言葉に、彼はふところを押さえた。ソウルのうちに納められた四つの冠は、彼にのみ一つの解を示した。頭に戴いていれば亡者に堕ちることはもはやなく、王妃の呪いさえ瑣事へと変えただろう。
ただそれは、彼が渇望し探し求めていたものとは、似ているようで全く異なるものである。
俯く彼に、厳かな声が告げた。
試練を越えたものよ。
答えを示す時だ。
直後、昏い炎が湧き上がった。
身構える彼の前で火の粉が散る。噴き出した火は盛る音を縒り集まらせ、唸りを上げる。炎を纏い絡み合う木の根が老いさらばえた人の像を形作ってゆく。今までの穏やかな熱しか持たぬ火とはまるで異なる灼熱が見開いた目を焼き、漂っていた先の戦闘の名残を駆逐していく。
そうして現れた巨躯の中で、爛々と輝く赤い光が彼を捉えた。
アン・ディール。原罪の探究者。
ずるり、と右の眼窩から根が伸び、無造作に地面へ突き立てられた。
考えるより先に勘が体を動かしていた。
横に転げた瞬間、先までいた場所を幾筋もの根が列を成して貫いた。
掠め裂けた上衣もそのまま、彼は石畳を力強く蹴った。両手で大剣を構え、燃え盛る樹体へと肉薄し――熱波に混じる何かの圧が彼の体を押し返した。勢いが殺され、振り抜く切っ先は樹皮を浅く傷つけるに留まる。
体を焼く灼熱に、呻きを漏らしながら飛び退った。露わだった指先ははじけた水脹れに濡れ、襤褸とはいえ服に覆われた胸や腹まで焼けて、呼吸のたびに突き刺すような痛みが走り続けている。小さな切り傷の見返りにしては多すぎる損傷に、彼は舌打ちした。
睨みつける彼の目前で、突如として樹体は煙のように消え失せた。警戒しつつもエスト瓶に口を付けた彼の耳に、あの異様な声が届く。
お前には二度、問いかけたことがあった。
偽りであっても安寧を望むか。あるいは、甘やかで優しげな世界であっても、偽りゆえに打ち破るか。
背後で重く湧き出す音がした。
炎を纏わぬ樹体が煙と共に現れ、幾ばくかの間を置いて再度炎に包まれる。頭部から幾筋もの根が天へと伸び、そのひとつひとつの先に小さな火球が灯った。
はじめて問うた時、お前は是と答えた。
私の言葉への疑念と戸惑いを隠すことなく、それでも頷いてみせた。
あるいは他人事だったのだろうな。世の趨勢などではなく、ただ自らの呪いを解く。お前はそのためにこの国へ来たのだから。
撃ち出された火球を引きつけ、その下を潜るようにかわして床へとなすりつけ――死角から迫ったひとつが眼前に迫る。
昏さを宿す火の色に直感が走った。大剣では受けきれない。
背負っていた聖壁の盾を構えるのと、着弾はほぼ同時であった。
火焔が爆ぜ、衝撃が骨を軋ませた。尋常の呪術とはまるで異なる重さに、黒霧の塔の底にて戦った煤の花嫁と煙の騎士の姿が過る。
再度、樹体は消え失せる。彼は盾を背に戻し、ソウルの内より竜騎兵の弓を取り出した。強弓を引き絞り、油断なく周囲を見渡す。
二度目の時は、お前はしばらく答えなかった。
荒んだ目をしていた。随分衝撃的なことがあったらしいな?
答えが変わるかと思ったが、壊せないと首を振った。
理由を尋ねても、そんなことはできないと繰り返すばかり。
あの時は折れたか、期待外れだったかと落胆したものだが。
ふざけるなという言葉を、彼は歯ぎしりと共に飲み込んだ。
再び現れた樹体めがけ即座に矢を放つ。魔力を纏った鉄の鏃は甲高い音を立て深々と突き刺さり、追う二の矢は炎にまかれて大した手傷を与えられないまま灰燼と化した。
不死廟の奥にいるヴァンクラッド王に会えば、呪いを解くための手がかりが得られると思っていた。かつて最もソウルの根源に近づいたという男であれば、呪いの真相も知っているのではないか。そんな一縷の望みを抱いていたのだ。
それが、どうだ。
王盾を下した先に王はおらず、その成れの果てだけがあった。姿はまさしく亡者の有り様だというのに、相対した彼の抱えるソウルに少しも反応を示さない。灰の霧の核を持たなかった当時の彼にできたのは、脱ぎ捨てられた鎧の山から王の証である指輪を抜き取ることだけであった。
そしてその後の、あの荒ら屋での最後の邂逅。館の入口で遭遇した友と同じ服装の男の闇霊と、打倒した際に遺された古い大剣。その刀身に刻まれた言葉は、疑惑を確信へと変えた。
今相対するこれが直接手を下したわけではないだろう。だが友の兄が亡者ではなく、喪失者たちと同じ闇霊としてあの場に現れたことに、これの薫陶を受けた竜の学徒たちが関わっていないとは思えなかった。そして兄と再会した友に、何があったのかについても。
目的としたはずの地で打開策を見つけることもできず、手をこまねいている間にかけがえのないものを失った。
あの時感じた暗澹とした感傷は、確かに絶望と呼ばれるものだろう。
彼は無意識の内に思い上がっていたのだ。
呪いを解く方法さえ見つかれば、失ったものも取り返せるはずだ、などと。
反応が遅れた。
足元の振動に体を捻るも間に合わない。突き上げた根が脇腹を貫いた。
皮膚が、肉が、はらわたが引きちぎられる音が体内に鈍く響いた。
踵が浮き、そのまま地面に頭から叩きつけられる。遠のきかける意識を気力だけで繋ぎ止め、こみ上げた血混じりの汁を吐き捨てた。震える手を動かして腹の穴を押さえる。額から、あるいは指の隙間からしたたる血は、身に纏う襤褸を、白茶けた石畳をまだらに染めた。
追撃は、ない。這いつくばる彼の頭上から、静かに語りかけるのみだ。
しかし、お前はここに辿り着いた。
辿り着いてしまったと言うべきか。
もう、分かっているのだろう。亡者よ。
お前の望むものは、どこにもないのだ。
分かっている。
否、分からされたと言うべきなのだろう。
この身を蝕む呪いから解放される方法など、当たり前に生きて死ぬことのできるありふれた生者に戻してくれる都合のいい救いの手など、どこにもありはしない。
火を継ぎ、人の理を取り戻し、呪いを抑えたとしても、その報いは彼にはもたらされない。窯に投げ込まれ火に巻かれた薪が生木に戻るなどあり得ようか。
だからと言って、火ではなく闇を選んでも同じことだ。今の世を支配する理を打ち壊せば、人は本来の姿に戻り、永劫を得るという。それは彼の知る人間の姿をしているのだろうか。亡者よりおぞましい化け物に変貌しないと誰が保証してくれる。何より永劫を得た先で、新たな命が産まれることがあるだろうか。
四つの王の冠は、彼に亡者に堕ちぬ力を与えた。だがそれを戴き、死んだところで、不死廟の墓守が言う寛容で平等な休息が訪れることはない。そして冠が、主となった彼以外に慈悲を恵むことも、ない。
熱された大気の中で、体はひどく冷え切っていた。
石畳に広がる血はどす黒く腐り落ちている。これがどうして命を繋いでいると信じられるだろう。
己の身は朽ち果て、心は消えゆく。しかし、決して死すことはない。不死とはそういうものだ。たとえ人の像によって生者の姿を取り戻したところで、あるいは冠の力で亡者に堕ちずに済んだところで、彼が不死であることに変わりはない。
王に見えよ。玉座を求めよ。促されるがままに辿り着いたこの旅の終わりには、彼を、人を、このふざけた理不尽から救ってくれる術はなかったのだ。
ならば。
旅の果てに、見つからなかったのなら。
彼は細く息を吐いた。そして、右手を強く握り締める。
見つかるまで、歩き続けよう。
まだ、足を止めないでいよう。
中指の指輪には、炎の熱とは異なる柔らかな温かさが灯っている。ほんのささやかな力しか持たぬ小さな生命の指輪は、しかし彼の命を確かに繋ぎ止めていた。
今までずっとそうしてきた。
これからもそうすればいい。
奇跡の文句を口ずさみ、聖壁の盾を振る。不信心を香で誤魔化す彼にもたらされる施しは微々たるものだ。押さえていた腹の穴は薄皮一枚で塞がっても、その内側では焼きごてをねじ込まれたかような激痛がわだかまっている。呪いが顕わになった身では傷が癒えたところで万全とはほど遠い。
降りしきる雨の中でも、陽の沈んだ薄暮にあっても、足を止めない。
それだけだった。それしかなかった。あの面影を留めるためには。
そこに一つ、理由が増える。それだけのことだ。
彼はソウルの内より一匹の蟲を取り出した。
脚は力なく痙攣し、しかし腹部には強い光が宿っている。それを躊躇なく口に含み、嚥下した。
固い脚が、柔らかな胎が喉を滑り落ち、胃の腑に落ち込んだ。
一拍置き、彼の体から金の光が揺らめき立つ。腹の底から力が漲り、息が軽くなる。
まだ戦える。その実感は、何よりも足を支えた。
何者かの救いになど依らず、宿命に打ち克つ。そのための術を探す。
月すら消えた暗い夜にあっても、足元を照らす小さな灯りがあれば、歩くことはできるのだから。
そうして彼は立ち上がった。再度取り出した大剣を構える。
覚悟は決めた。
機は見えた。
あとはそれを逃さぬだけだ。
彼の視線を、樹体に埋まった赤い光は静かに見つめ返した。憐れむように、あるいは眩しいものを見るかのように。
お前の望むものはなく、しかし選ぶことはできる。
神の遺した世の理を継ぐか、壊すか。
偽りの安寧を保つか。あるいは甘やかな欺瞞を打ち破るか。
その選択は玉座を継いだ者の意志のままに。
ゆえに問おう。お前は何を選ぶ?
問いかけに、しかし彼が返したのはささやかな笑い声であった。
「偽りが何だ。欺瞞だからどうした」
答える彼の脳裏に、これまでの旅路が過る。
湖の大渦に身を投げて目覚めた隙間の洞。老婆に渡された人の像によって、生者の肉体とほとんど消えかけていた自我を取り戻すことができた。はっきりとした意識は記憶を留める。その時を境にして、それからの記憶は思い出となってまだ残っている。
――あなたの旅路に救いがあるよう……
――ふん、なんとか生きておったか。心配させおって。
――また来ておくれよ、安くしとくからさ。ヒヒヒッ……
――ここに来たら、声をかけてください。待ってますから。
――我が弟子よ、教えを無駄にするでないぞ。
――アタシでできることなら、ヤってあげるわよ。タダじゃないけどさ。
洞窟を抜けた先に広がる、夕暮れの空と海に押し潰されるように存在していたマデューラ。廃墟と変わらぬ小さな集落が帰る場所になったのは、いったいいつからだっただろうか。
「神など知るものか。枷を嵌めたというそいつがギリガン以上の意地汚さとリーシュの腹黒さと俺よりひどい常識のなさを併せ持ったマルドロ並みのカスだとしても、知ったことか」
――奇特な奴だな。こんな怪しげな仮面をつけた者に、危ぶみもせず近づいてくるとは。
――礼ぐらいは言っておこうか、若いの。
――なんだよ、その面はよ! ひとが親切に言ってんだろがよ!! 常識ねえのかよ、まったく……
――あんたも、けっこう物好きだよね。
大鷹にさらわれて辿り着いた忘却の牢。そこで出会ったかけがえのない友と古の賢人。夕間暮れに輝くハイデの大火塔。宵闇に沈む狩猟の森。毒の荒野に立つ土の塔と、ずれた位相に未だ残る熔鉄の城。地底に広がるクズ底の奥には、毒と油にまみれた渓谷があった。
「たとえすべてが偽りだとしても、その中で生まれ、生きてきた。大切なものを見つけ、失いたくないからこそ、ここまで足掻いてきた」
――我が伝来の、この蒼月の剣に懸けてお誓いいたす。
――さらばだ。また会える日を待っておるぞ。
――我らには、祈る神などおらぬ。だがそれでも、お前の旅の無事を願っていよう。
――生とは常に不当で、無慈悲なもの。貴様の行く道は殊更に。
目も醒めるような蒼い剣を持つ放浪の騎士。忘れ得ぬ二つの出会いがあった虚ろの影の森。蜘蛛に支配された輝石街。王城を越え、歌声の響く祭壇を抜けて、不死廟の深奥にて王の資格を得た。竜に謁見して過去を知るための核を授かり、在りし日の巨人の王と人の王に見えた。
「はじまりが神の邪智によるものだとしても、そんなことはどうでもいい」
――お行きなさい、訪問者よ。いつの日か、その旅に終わりが訪れんことを……
その旅の道中に迷い込んだ、王を失った三つの古い都。地の底より深くに築かれ、天を衝くような鉄の塔が聳え、そして極寒の地に佇む。そのどれにも、栄華の面影が、かつて暮らしていたであろう人々の生きた跡があった。
様々な場所があった。滅びかけた斜陽の国で、それでもたくさんの人々に出会った。騙されて殺されかけたことも実際に殺されたこともあったし、馬鹿にされた挙げ句代わりに手を汚せと脅されたこともあった。それでも折れずに進んできたのは、それ以上に手を貸してくれる人々が、旅の幸いを祈ってくれる人々がいたからだ。
彼は握りしめていた右手からゆっくりと力を抜いた。中指にはめられた指輪の内側には、彼自身の名前と旅路の幸いを祈る言葉が刻まれている。これを贈ってくれた誰かのことを、薄れゆく顔の輪郭のほかにはもう、何も思い出せない。
あの人を忘れてしまったという身を裂くような苦しみさえなくしてしまったら。それが恐ろしくてずっと歩き続けてきた。彼にあったのはそれだけだ。はじまりは、それだけだった。
溶けて消えゆくものを繋ぎ止めたかった。
忘れてしまったことさえ忘れてしまうなど、許容できるはずもなかった。
恐怖に追われてがむしゃらに歩き続け、ふと旅路を振り返った時、大切なものが増えていた。そのぬくもりはソウルよりも、人の像よりも、人を人間たらしめてくれる。
この温かさを守れるならば。そう考えたことも一度や二度ではない。
この決意は間違っているのかもしれない。この土壇場にさえ、そんな迷いが過る。
だが。それでは結局、何も変わらない。同じことが繰り返されるだけだ。
俺が、たった一人の呪われ人がここに辿り着くまでに、いったいどれほどのものが失われた。
そして俺が身を捧げたところで、呪いの闇に消えたものが取り戻せるわけではない。
この剣を託してくれた友が、帰ってくるわけではないのだ。
彼は心の中で友の名を呟いた。
不死の使命など知らなかった。王に至るつもりもなかった。
彼はただ、友と同じように、自分自身を失いたくないだけだったのだから。
決して遠くない未来に再び火は翳り、呪いは顕れ、そしてまた多くの犠牲が払われる。
それをどうして許容できるだろう。許容できないと感じながら、どうして火を継げるだろう。
偉大な王とその兄が挑み、そして成し得なかったのだ。俺のような襤褸纏いが身の程知らずに挑んだところで、辿り着くことなど不可能かもしれない。
これからの苦難と思えば、この身を捧げて旅の終わりを迎えてしまった方が楽になれるのかもしれない。
大切な人々を呪いの中に置きざりにしてまで独り足掻くことに、意味などないのかもしれない。
それでも。たとえ残り陽さえ消えた先に道などないのだとしても。
「許せないことがあるならば、とっくの昔にくたばったそいつに背負わされた理不尽に未だ
抗う。
大切なものを奪いゆく宿命を諾々と受け入れることなど、それを先延ばしにするだけのために身を捧ぐことなど、できるものか。
微かに聞こえたさざめきは、どこか笑い声のようにも思えた。覚悟を決めたつもりでなお半ば虚勢であるということに、気づかれていているのかも知れなかった。
煙を残して樹体が姿を消した。熱を孕んだ空気の中、彼は息を深く吸う。他者の癖が染み付いた大剣の柄を両手で握り、丹田に力を込め、その時を待つ。
何故王兄が闘いを挑んでくるのか。その理由を彼は知らない。監視者と守護者のように能わぬ者を斬り捨てる使命を果たしているのでも、王妃のようにはじまりの火の簒奪を狙っているのでもないだろう。
分からずとも、彼の中には少しだけ感謝の念がある。もし乱入がなければ、望み絶たれたことを無理矢理受け入れて玉座を継いでいただろうという確信があった。
何であれ、立ち塞がるなら打ち破る。
さして間を置かず、石畳から暗い炎が染み出した。衝撃が放たれ、減衰したその瞬間。彼は樹体の懐へと踏み込んだ。
裂帛の声と共に大剣を振り下ろす。技量を使い手に求める業物は、絡みつく根を深々と切り裂いた。
勢いを御して大剣を左脇に構え、先の剣筋に重ねるように振るう。弧を描く剣は傷を更に抉り――ずたずたに切り裂かれたその奥で火がちらついた。
飛び退った瞬間、噴き出した炎が上衣の裾を食み、灰燼に変えた。
樹体に残る傷跡を見て、彼は推測が正しかったことを悟った。そして同時に感じていた違和感の正体も。――王兄はわざと隙を見せている。こいつの勝利は俺を打ち負かすことにはない。
空気の中に、かすかに震えが伝わる。幾筋もの根が石畳に突き立てられ、纏う炎が樹体の内へと沈み消えていった。
追撃を、と踏み込む足元が赤熱した。咄嗟に後ろへ飛べば、炎を纏った根が爪先をかすめた。咆哮に似た火柱がいくつも立ち上り、丸屋根さえ黒く焦がしてゆく。
下手に踏み込めば消し炭になるであろうその暴風の中へ、彼は躊躇わず突っ込んだ。
炎を見極め、その隙間を縫う。息をするだけで肺が焼けそうなほどの熱は、しかし身に纏う金の光が和らげてくれた。
制止をかけた靴底と石畳がこすれて音を立てる。その勢いを乗せて大剣を突き立て、そのまま身を捻って振り抜く。力任せに引き千切られた繊維は一瞬にして灰へと変わった。
散る灰の向こうで樹体が消える。背後で大気が爆ぜ、原罪の探究者が再びその姿を現した。
呻き、仰け反るような動きと共に炎はいよいよ勢いを増し、丸屋根を焦がさんばかりに立ち上る。傷つき、炎が絡みついた根の先端に火球が灯り、撃ち出された。
彼は後ろへと距離を取る。しつこく迫る火球を引きつけてかわし、最後の一つを盾で無理矢理叩き潰した彼の目に、炎を失った樹体とその頭上に掲げられた大火球が映った。
あの呪術を彼は知っていた。ナヴァーランから騙し取ったスペルの中にあったはずだ。彼の才では巧く使いこなせず、荷箱の底に押し込んだままになっているはずのものだ。
王兄に生み出されたその呪術の名を、封じられた太陽、と言う。
だが凝縮されゆく炎は昏く染まり、根の先端から生み出される熱は今までの比ではない。距離を取っているというのに肌を焦がすほどの余波が届く。まともに喰らえば骨ごと焼き尽くされるだろう。
対して、彼はその場で聖壁の盾を構えた。その口の端から小さな笑いがこぼれ落ちる。備えというものは平時には役に立たずとも、しかし決して裏切らないのだと。
眠り竜に人間の限界を痛感させられた後、再び大敵と対峙した時に備えて習い覚えた、オラフィスのストレイドが巨人の王のソウルより精錬したスペル。足りない才はマグヘラルドに道具を借り香で誤魔化して会得した。膨大な論理を咀嚼しその真髄まで理解する必要はあれど、発動には一瞬あればいい。
封じられた太陽が撃ち出されたことを認めた瞬間、彼は短くスペルを唱えて聖壁の盾を振った。
反動。
暗い光が盾より溢れ、彼を覆うように大気に歪みが走る。
封じられた太陽は空間ごと波打つ歪みに食い破られ、秘められていた衝撃と熱とをあたりに撒き散らした。石畳をめくり上げるほどの爆発は、しかし歪みを挟んだ彼までは届かない。
爆発の余韻を背に走る。樹体は既に炎に包まれている。王妃からの連戦で剣にはガタが来ている。腹の中の光蟲はそろそろ力尽きるだろう。猶予はもうない。
走りながら彼はエリザベスの秘薬を口に放り込んだ。途端、凄まじい高揚感が脳を殴りつけ、暴力的なまでの癒やしの力が見る見るうちに傷を埋めていく。
猶予がないなら、強引に攻め切る。
分の悪い賭けは好きではない。だが、今を逃せばジリ貧に陥ると分かっているなら別だ。
歯を食いしばり、彼は炎へと飛び込んだ。
噴き上がる紅炎と纏う金の光が互いを食らい合う。
灼熱が体を灼き、そのそばから秘薬が癒やしていく。
炎に紛れる抵抗を、それごと叩き斬るつもりで大剣を振り上げる。
託した剣がここまで酷使されていると知ったら、あいつは何と言うだろう。
そんなことが頭の片隅を過ったその時、落ち窪んだ眼窩に宿る赤い光が、一瞬、彼を見つめた。
光の奥に滲んだ感傷を彼は知っていた。絶望してなお諦めきれぬそれは、マデューラで独り火を守り続けるあの娘と同じ――
振り下ろされた大剣は過たず、その赤い光ごと探究者の体を断ち切っていた。
燃え盛る樹体は炎を失い、真白な灰に崩れ、散る。それを見届け、彼もまたその場に崩れるように膝を着いた。
石畳の目地に突き立てた大剣にすがりつく。荒い息の音が耳に障った。こんな体の癖にと唾棄したところで、息を止められるはずもない。
視界の端で金の光がほどけて消えゆくのが見えた。同じくして秘薬の効能も切れたのだろう。せき止めていたものが押し寄せるように体に激痛が走り、呻きが漏れる。
私はすべてを失い、そして待ち続けた。
玉座は、お前を迎え入れるだろう。
だが、因果は……
それは独白だったのだろう。静かな声は彼の答えを待つことなく、ただ零れ落ちるようにぽつぽつと続いた。
お前は何を望む。
光か、闇か……あるいは……
声は反響し、やがて消えた。響くのは息の音ばかりになり、それも落ち着いて静かになる。
選択の時が来ていた。
もはや静寂のほかに、彼を苛むものはない。
彼はのろのろと顔を上げ、対岸の墳墓を眺めた。
岩戸は沈黙を保ち続けている。監視者と守護者が斃れたことも、王妃が火の簒奪を狙っていたことも。そして一人の男がすべてを失ってなお、呪いを克するために未だあがき続けていたことも。まるで関係ないと言わんばかりに、ただ変わらず、そこにあった。
いったい今までに何人の不死が身を捧げたのだろう。彼はそんなことをぼんやりと思う。
人知れず火に身を捧げた者たちを思う。神から直接火を継いだであろうはじまりの不死を思う。
彼らが守ろうとしたものを、彼らにも守れずこぼれていったものを思う。
静寂の中で、彼が火を継がなければ遠くないうちに失われてしまうであろう皆のことを、思う。
やがて彼は立ち上がった。友の剣を肩に担ぎ、玉座に背を向けて歩き出す。
その果てには喪失すらないと理解して、なお。
道など、ありはしない。
光すら届かず、闇さえも失われた先に、何があるというのか。
だが、それを求めることこそが、我らに課せられた試練……
◆
ふと見上げたマデューラの空に瞬く星を見つけ、彼は小さく息を吐いた。
陽は水平線の彼方へと沈み、空は藍の領域を広げつつあった。
空のふちにはまだほのかな明るさが残るが、大地は既に影に沈んでいる。残照に燃える雲はだんだんとその色を薄れさせ、吹き下ろす山風もすっかり冷めていた。
太陽は去り、まもなく夜が来るだろう。
門をくぐる直前、彼は懐から取り出した人の像に面影を見出す。まろみを帯びた小さな像はほどけるように消え、萎び枯れていた指先に血色と張りが戻った。
村のあちらこちらで思うままに過ごしていた皆は、暗くなったことで適当な家屋に引き上げたらしい。割れた屋根から灯りと喧騒、そして煙とそれに混じるこうばしい匂いが漏れている。それが煮炊きの香りだと思い至るまでに、しばらくの時間がかかった。
クロアーナとロザベナの楽しそうな笑い声が、どこか遠く思えた。
疲れた体を引きずり、篝火へと向かう。火を囲う岩にシャナロットはひとり腰掛け、捻くれた剣にまとわりつく炎を見つめていた。
足音に気づいたのだろう、シャナロットは顔を上げた。揺らぐ橙に照らされたその表情を窺おうと目を凝らしている間に、彼女の視線はすぐに篝火へと戻されてしまった。
いくつかの石を挟み、彼もまた腰を下ろした。風に枝が鳴る音と、遠く潮騒の砕ける音。篝火の炎が小さく爆ぜる音。耳を澄ませるでもなく聞きいっていた彼に、夜風に紛れるような声が掛けられた。
「呪いをまとうお方。あなたはこれからどうするのですか」
そこには責める色も、詰るような激しさもない。シャナロットは心の底から不思議そうな目で彼を見つめている。
その奥に滲む感傷を、彼は静かに見つめ返した。
思い返せば、シャナロットは促すかたわらでいつも諦めを口にし続けていた。諦めきっているようで、それでもどこか期待を捨てきれない。王兄と違うのは、自分が期待しているのだと認めたくないという一点だろう。それが叶わなかった時に、送り出した相手がそれきり帰ってこなかった時に、少しでも心を守るために。
その結論に至るまでに、老成しているように見えてその実幼いままのこの娘は、どれだけの不死を見送ったのだろうか。
考え込みそうになる頭を振って思考を止め、彼は答えを返した。王兄に答えたものと同じように、乱暴な言い回しを丁寧な言葉に直して。
それを聞いたシャナロットは、目をしばたたかせた。俯き、膝の上に置かれた手を握りしめる。
「……私は、あなたにデュナシャンドラを鎮めてくださいと言いました。そして、その先であなたが何を選んでも決して異は唱えないと、そう決めていました」
いつもと変わらぬ静かな声は、だが言葉尻がどこか震えていた。
「火を継がないことは、構わないのです。それがあなたの選択なら、私は何も言いません。でも……あなたがこれから目指す場所は、標になりうるものがどこにもないのでしょう?」
彼は頷いた。そして、承知の上だとも伝える。
「恐ろしくはないのですか。終わりの見えない旅など……」
もちろん恐ろしいとも、と答えれば、シャナロットは目を見開いた。
「なら、なぜ……」
彼はそれには答えなかった。代わりに、火を継がなかったことを謝る。
シャナロットの旅は終わりを迎えたというが、彼が玉座に背を向けた以上、また新たな不死を導く必要があるのだろう。そして、道を外れた彼にこれ以上付き合う必要はない。
そう伝えれば、シャナロットは首を横に振った。複雑な色を浮かべる顔の中、感傷の宿る瞳に篝火の灯りが小さく映り込んでいた。
「……いいえ。私はあなたと共にいます。あなたの希望が折れていないのならば。かつて言った通りに、これからもずっと」
一言礼を告げ、彼は空を見上げた。遠い空に浮かぶ星々は大気に揺らぎ、瞬きながら、静かに光を落としている。
前に道はなく、振り返り道程を遡ったところで、示される選択肢が増えることはもはやない。
それでも生きる。生きて一歩を踏み出し続ける。
たとえ挑み続けた先で何も果たせぬまま終わりを迎えることになったとしても。拓いた旅路が、後に続く誰かの道になると信じて。