第1話 御神家
地上の街から遠く離れた空の上。巨大な鋼鉄の船から放たれる死の光を前にして、俺は心の中で叫ぶ。
《――、もういい! お前は逃げろ! ここまでで十分だ!》
死を前にした辞世の句のつもりでも、恐怖で気がふれたつもりもない。
その証拠に俺の中から“彼女”の声が返ってきた。
《いいえ! 私もご一緒させてください!
その返事に俺は“彼女”を道連れにする申し訳なさを感じるとともに、嬉しさからつい笑みをこぼしてしまいながらぼそりと口に出して呟いた。
「……馬鹿野郎」
その一言を言い終わるか終わらないかといったところで、膨大な量の光は瞬く間に俺
◇
「――うわああ!」
その瞬間、俺は悲鳴を上げながらがばっと跳ね起きた。
思わずきょろきょろと首を動かし辺りを見回す。
そしてここが様々な私物があふれる自分の部屋だと確認すると、口からふぅと安堵の吐息が出てきた。
「……またあの時の夢か」
もう何度目になるだろう。自分が死ぬ瞬間の、いつ見ても慣れない嫌な夢だ。
……いやそれだけじゃない。この夢は自分勝手に“彼女”を道連れにした、俺の罪の象徴のようなもので……。
無意識のうちに拳を固く握り、唇を強く噛んでしまう。
だが、そこで耳に届いてきたピピピという無機質な音が、過去の記憶を漂う俺の意識を現実へと引き戻した。
音は枕元に置いた
俺の名前は
そして信じられないと思うが、俺には前世の記憶があり、前世で俺はベルカという世界にある、グランダム王国という国を治めていたケントという国王だったらしい。
戦続きの世界で、
先代の王だった父を失い、《ヴォルケンリッター》という四人の騎士たちと出会って、彼女たちとともに戦い俺は順当に勝利を重ねていった。
そんな中で俺は一人の美女と出会い、恋に落ちた。
しかし、闇の書の正体とそれがもたらす脅威を知り、その上ベルカを平定せんと立ち上がった《聖王オリヴィエ》からの宣戦布告を受けたことで、俺たちを取り巻く運命の歯車は大きく狂う。
俺はさんざん悩み抜いた末に、闇の書と聖王オリヴィエの板挟みになっている状況を逆に利用して、オリヴィエに自らを討たせ……。
それらの記憶は二年前、小学校に上がったばかりの時に、とある出来事がきっかけで思い出したものだ。幼い頃から何かを忘れているような奇妙な感覚はあったが、
もちろん最初はそれを頭から信じることはできなかった。絵本や童話に出てくる偉そうな王様に憧れるあまり、自分が作りだした夢物語だと思おうとした。
だが、ケントだった頃の記憶を取り戻してからしばらくしてある女の子と出会い、彼女と言葉を交わしていくうちに俺は自分の記憶を信じられるようになった。なぜなら、その時に出会った女の子は……。
まあ、あの子のことはさておき、記憶を取り戻した俺は母との稽古を通して《固有
前世で果たせなかった、守護騎士たちや“彼女”を闇の書から救い出すという使命を成し遂げるために。
……そろそろ準備をしよう。身支度を整えてあの人の手伝いを……せめて朝食と弁当作りくらいはしないと。
そう決めながら俺は白い制服を着てから部屋を出て洗面台へと向かい、黒い右眼と緑色の左眼を備えた顔についた汚れを洗い流してから歯磨きを済ませ、短い黒髪にクシを通す。
◆
身支度を整えてから俺はキッチンのあるリビングへと向かった。
そこにはすでに先客がいて、開きっぱなしのベランダに出たり入ったりしながら洗濯物を干している。俺はそんな彼女に向けて――
「おはよう母さん!」
俺が声をかけると、長く垂らした黒髪をたなびかせながら母はこちらを振り向き、微笑を浮かべながら挨拶を返してくれる。
「おはよう健斗。相変わらず早いな。もう少しゆっくりしていてもいいのに」
そう言ってくれる母さんに感謝しながらも……
「俺が寝てたら、洗濯に加えて朝食や弁当の用意まで母さんだけでしなきゃいけなくなるだろ。それだと時間までに間に合わなくなるよ。母さんまだ料理苦手なままでしょ」
苦笑しながらそう言うと、母さんはうっとうめく。そんな母さんを見ながら俺は服の上にエプロンをかける。
「いつも通り朝食と弁当は俺が用意するよ。決まったものしか出せなくて悪いけど」
「それくらい構わない。おかげで随分楽させてもらっているんだから。……しかし、昔からどんなに頑張っても料理は苦手なんだが、まさか息子に追い抜かれるとはな。ありがたいが正直悔しいとも思ってしまう」
悔しがる母さんに勝ち誇るように笑みを見せてから、俺はキッチンへと向かい朝食を作り始める。弁当は昨日の夕食の残りでいいか。どうせまたあいつが余分に作ったものをくれるだろうし。母さんには悪いけど。
彼女は
さっき本人が言っていたとおり料理が苦手で、どんなに猛特訓しても最近まで食べられるものが一切作れないほどだったが、俺を引き取ってから少しは上達した。もっとも俺の方が早く上達してしまい、その腕を振るう機会も滅多になくなってしまったが。
俺と母さんには血の繋がりがない。いわゆる養母と養子という関係にある。
俺は生まれた時から両親がおらず、物心ついた時から施設で育ってきた。数年前にある夫婦が俺を養子として引き取ってくれるという話になったが、その夫婦も急な事故で亡くなってしまい、俺は再び行くところがなくなってしまった。
そんな俺を引き取ってくれたのが美沙斗さんだった。
それ以来、俺と美沙斗さんは義理の親子として二人で暮らしている。
◆
ほどよく炊けた白米とほうれん草、目玉焼きに味噌汁といった定番の朝食を前に、俺と母さんはテーブルについて手を合わせ朝食に手を付ける。
食事を始めてからしばらくして、母さんはふいに尋ねてきた。
「……今日もひどい寝起きのようだったが、また悪い夢を見たのか?」
「……うん、まあ。でも大丈夫だよ。朝の用意をしているうちにそんなものきれいさっぱり吹き飛んだ」
「そうか……」
跳ね起きた時に発した叫び声は母さんの耳に届いていたらしい。
俺は母さんを安心させようとそんな嘘を付いてごまかすが、母さんは察しが付いている様子を見せながらも何も聞かず、再び食事を口に運んだ。
“彼女”とともに死んだ時の記憶……前世の記憶を思い出す前から、度々夢となって蘇る最期の瞬間。それは今でもなお脳裏に焼き付いている。忘れられるわけがない。
母さんにはその夢の内容は話していない。一度だけつい話してしまったような気もするが、さすがに実際にあった話だとは思っていないだろう。
前世のことも当然話していない。自分が王様だったなんて、それこそ夢の中だけにしておいたほうがいい話だ。……それでも、いつかは母さんにすべてを話す時がくるのだろうか?
「ところで最近あの子を見ないが、またあの子がうちに遊びに来たり泊まっていく予定とかはないのか?」
ふいに話題を変え、窺うように尋ねてくる母さんに俺はそっけない口調で……
「今のところそんな予定はないよ。その時が来たらまた知らせる」
「ああ。おばさんはいつでも歓迎するから遠慮なく遊びにおいで、ってあの子に伝えてくれ」
わずかに語気を強めて言う母さんに俺は「わかった」と告げる。
……そろそろあいつの料理が食べたくなった、ということか。
さっき話した通り、母さんは料理が苦手で、俺はそんな母さんの一段くらいはましな腕だが、それでも料理上手な幼なじみには足元にも及ばない。
あいつがこの家に来た時はなにかしら料理を作ってくれて、その日は俺も母さんも絶品な料理を味わうことができるのだ。
法律と状況が許されるのなら、今すぐあいつを養子か嫁にしたいと母さんは本気で思っているらしい。養子はともかく嫁っていうのは、まさかと思うが……。
「おっと。そういえば、お前にこれを渡しておかなければな」
そこでふと思い出したように母さんは懐に手を入れ、茶色い封筒を俺に向ける。俺は空いている左手で封筒を受け取った。中身はお札が一枚。実際に中身を見たことはないが、一万円札一枚と見て間違いないだろう。
それを確認して俺は母さんに尋ねる。
「また海外に出張? 今度はどこの国?」
「イギリスだ。向こうの警察と合同の仕事があってな。すまないが私が留守の間、また向こうに泊めてもらってくれ。それはお世話になる時に掛かる食費だから、いつも通り兄さんか奥さんに渡しておくように」
「ああ、わかった」
俺は封筒を手元に寄せながらそう答えた。
母さんが海外に出張する度に向こうの家に泊めてもらうのも、食費などの経費が入っている封筒をあの人たちに渡すのもいつものことだ。もっとも経費に関しては受け取ってはもらえるものの、すぐに母さんのもとへ返されているようだが。
母さんがよく海外に出張する理由は依然謎のままだ。数年前に登用された一介の女性警官がなぜ海外への出張を繰り返しているのだろうか。恭也さんや姉さんなら知っているかもしれないが。
俺がそんなことを考えているところで、母さんは表情を引きしめて、
「健斗、なんならあの家に移ってもいいんだぞ。兄さんも奥さんもお前が望むなら養子や里子にしてもいいと言ってくれている。その方がお前のためにも――」
母さんが言い終わる前に、俺は首を横に振った。
「俺の考えは変わらないよ。今まで通りこの家で生活させてほしい。向こうのにぎやかな家庭も悪くないけど、母さんと静かに暮らす今の生活も気に入っているんだ。もちろん俺がいると迷惑だったり、姉さんが帰ってくるとなったら無理に居座ることもできないけど」
「迷惑なわけあるものか……わかった。ただ、気が変わったらいつでも言ってくれ。生活用品はすでに向こうにもあるようだから、引っ越し業者の手も借りずにすむと思う」
「はいはい。考えておくよ」
ほんの少し顔をほころばせる母さんにそう答えながら、俺は味噌汁をすする。
とりあえず、今日からしばらくは高町さんちの厄介か。ノートパソコンも持って行く必要があるな。