四月初旬の平日。
今日は晴天で、ベルカでは見たこともない青空が頭上に広がっている。
マンションを出てしばらく歩いたところにあるバス停で立ち止まり、そこでメールやLINEが来ていないか確認しながらスクールバスが来るのを待つ。
先輩からはいつも通りモーニングメールが来ているが、あいつからはまだ来ていない。
珍しいと思うと同時に一抹の不安を感じているところに、ちょうどバスがやって来た。
「おはようございます」
いつも通りバスに乗り込みながら運転手に挨拶をすると、運転手はうなずきだけを返す。
そしてバスの中を見渡すと、車内の視線が一斉に俺に向けて注がれてくる。
彼らの視線は俺の左右違う色の両目に向けられており、そのほとんどが奇異なものを見る視線で不快感を催すものだった。ベルカでは王族の証とされたオッドアイも、この世界では異質なだけのものらしい。
これまたいつも通り、彼らの横を素通りしながら奥へと進んでいると、
「健斗! こっちこっち!」
バスの一番奥から届いてくる聞き覚えのある声が聞こえて、俺はそちらに顔を向ける。
見ると奥から、俺と同じ年の男子が俺に向かって手を振っていた。
「よう雄一。相変わらず元気だな」
挨拶混じりの返事をしながら俺は彼の隣に腰を下ろす。
茶色がかった髪に黄色い瞳の整った容姿を持つ彼は
雄一と話しているうちにバスはいくつかのバス停を通過し、やがてあるバス停に到着する。しかしそのバス停には誰もおらず、それを見て……
「あれ? 誰もいないな。はやての奴、今日は休みか?」
雄一が呑気な声でそんなことを言っているが、俺の方は内心気が気ではなかった。
まさか、もう“施術”が効かなくなってしまったのか? あんな対処療法がずっと効くとは思っていないが……。
戸惑う俺たちをよそに、バスは次の目的地に向かおうと昇降口を閉めて走りだそうとする。
だがそこへ――
「待って! 待ってください!」
その声が届いて昇降口の扉は再び開き、バスの中に白いワンピース状の制服を着た女の子が飛び込んでくる。
「おはようございます! すみません、遅れてしまいました!」
挨拶とともに謝罪する女の子に対して運転席から反応はない。おそらく俺たちを入れた時と変わらず、うなずきだけを返しているのだろう。
女子はあたりを車内を見渡し、俺と雄一の姿を認めるとこちらに向かってまっすぐ向かってくる。それと同時に他の子供から妬みが込められた視線を向けられるが構わず無視する。
「健斗君、雄一君、おはよう!」
「おはよう。はやて」
「ようはやて、おはようさん」
挨拶しながら俺の隣に座ってくる女の子は
俺と雄一のクラスメイトで、朝から度々話題に上がっていた俺の幼なじみである
短く切り揃えた茶色がかった髪につけた十字の髪飾りと青みがかった瞳、柔らかい関西弁が特徴のかわいらしい女の子だ。
「遅かったなはやて。今日は休みかと心配したぜ、健斗が」
「ごめんなあ。美味しそうな料理の作り方を載ってる動画見てたら、いつの間にかけっこう時間が経ってもうて。そのせいでいつもより遅れてしもたんや」
「おい! 人を無視して勝手に話を進めるな。『はやての奴、今日は休みか?』なんて言っていたのは雄一の方だろう!」
「そんなのどっちでもいいだろう。お前だってはやてを心配してたことに変わりはないんだから」
「それほんまか? 嬉しいな。気分ええから今日のお昼は私のお弁当から取ってもええよ。今日も少し作りすぎてもうたし」
雄一の言葉を否定できずにいるとはやては嬉しそうにそんなことを言ってくる。もっとも、はやてから弁当を分けてもらうのはいつものことではあるのだが。本人曰く、料理は得意だが配分は苦手でつい作りすぎてしまう、とのことらしい。
とはいえ家で作る料理の方は足りない事もなければ余る事もないので、それが本当なのかどうかはわからない。
そんなことを話している間にバスはいくつものバス停を通って、俺達が通っている『
◆
私立聖祥学園。
そこは小学校から大学までを含んだエスカレーター式の私立学校であり、他の学校と比べて高度なカリキュラムが組み込まれていることで有名な先進校でもある。
その代わり、この学校に通い続けるには高い学力と学費が要求されるため、学園の生徒は厳しい教育を受けた御曹司や令嬢であることが多い。
しかし聖祥の生徒が絵に書いたようなお坊ちゃまやお嬢様ばかりかというとそうでもなく、俺やはやてのように親が高所得だったり学費を払えるあてがある一般家庭の子もいるし、優秀な成績を見込まれて学費を免除されている子供もいる。もちろん品行や成績には気を付ける必要があるが。
つまり、俺たちが通う聖祥は、海鳴市でも群を抜いて高い偏差値を誇る名門校というわけだ。
しかし所詮は小学校。精神的に二十年以上生きている俺にとって、小学校の授業などほとんどが退屈なもので……。
「~~やっと終わったー!」
キーンコーンというチャイムの音とともに教師が4時間目の終わりを告げた直後に、俺はぐっと背伸びをして約一時間ぶりの自由と昼休みの始まりを満喫する。さすがに上記の言葉は教師が出て行った後に言ったものだが。
何しろ4時間目の授業は算数。前世であれの100倍は難しい数式を解いてきた上に、ああいう学問は世界や時代が異なってもほとんど変わらない。真面目にやるとかえって眠くなるというものだ。
そんな事情は露知らず、隣と後ろから俺を咎める声が聞こえてきた。
「こらこら健斗君、お勉強させてもらっているのにそんなこと言ったらあかんよ」
「はははっ! でも気持ちはわかるな。こんなに腹が減ってちゃ頭に入るもんも入らねえ。早くメシにしようぜ!」
そう言って雄一は弁当がしまってあるランドセルのあるロッカーの方に向かい、ほとんど同時にはやてもロッカーへ向かう。なんだかんだ言って二人とも早く昼食にありつきたいらしい。俺も二人に続いてロッカーの方に向かい弁当を取り出すことにした。
「じゃあ早速昼飯にするか、それとも学食に行ってデザートでも買ってからにするか?」
弁当箱が入った袋を手にさっそく雄一はそう尋ねるが、そこへはやてが、
「あっ! それなんやけど、すずかちゃんたちから一緒にお昼食べんかって誘われてるんや。もちろん健斗君や雄一君も連れてきって」
「じゃああいつらと一緒に食うか。場所はあいつらのクラスでか?」
俺の問いにはやてはふるふると首を横に振り、ぴんと伸ばした人差し指を上に向けて言った。
「屋上や!」
◆
「大体あんた、理数の成績はこのあたしよりいいじゃないの! それで取り柄がないってどの口が言うわけ!?」
「だってなのは、文系苦手だし体育も苦手だしー!」
「ふ、二人ともやめなよ! ――ほ、ほら、はやてちゃんたちももう来てるよ!」
屋上に来た俺たちの目に映ったのは、地面に押し倒されたなのはと、彼女の背中に乗っかり顔を引っ張りながら声を荒げているアリサ、二人を止めようとして俺たちを見つけるすずか、そしてそれを遠巻きに眺めている生徒たちだった。
皆の視線が集まっているにもかかわらず、プロレスもどきを続けている二人に俺は思わず口を開く。
「……何やってるんだお前ら?」
「あっ、健斗! ちょうどいいわ、あんたもあたしに加勢しなさい! なのはってばあたしより理数の成績がいいのに特技も取り柄もないなんて言うのよ! これはあたしに対する挑戦だわ! 宣戦布告だわ! いいじゃない、何で勝負する? 文系? 理系? それともこっちでケリをつける!?」
「やめてアリサちゃん! ほっぺが伸びる―!」
「やめないわ! あんたが抱いている将来の野望とやらを聞かせてもらうまでは――」
「いい加減にしろ!」
「――いたっ!」
俺たちに気付きながら、なおもなのはに技(?)をかけ続けるアリサの頭を手刀で小突く。するとアリサはなのはのほっぺから手を離して、頭を抱えながら怒鳴った。
「何するのよバカ健斗!」
「これ以上人前で醜態をさらすなバカ師匠! 見てみろ! お前たちが騒いでいるせいでみんなこっちを見ているぞ! この状況でこれからメシを食うこっちの身にもなれ!」
まわりを示しながら強く怒鳴り返すとアリサはばつが悪そうな顔になって、渋々なのはの上からどく。そこへはやてと赤星が割って入り、昼食を取りながら話を聞こうということになった。
さっきまでなのはに乗っかり、頬を引っ張っていた少女はアリサ・バニングス。
オレンジ色の髪を赤いリボンで左右をサイドアップした、緑色の瞳を備えた美少女で犬派。
日米にまたがる大企業『バニングス建設』の経営者一族の一人娘で、学校のテストは100点取って当然だとうそぶくほど優れた成績を残し、いくつかの習い事にいそしむお嬢様である。
なのはとアリサのいさかいをオロオロしながら眺め、今ははやての隣で食事を取りながら談笑している少女は
白いカチューシャで留めた前髪からウェーブが掛かった長い紫色の髪を垂らした美少女で猫派。
工業界において重要な位置を占める『月村重工』の社長夫妻の娘で、アリサと違って見た目通りの深窓のお嬢様だが、意外にも身体能力が高く体育で彼女に勝てる者は男女問わず誰もいない。
月村家は古くから名家として知られる資産家でもあり、親戚には月村家と同等の資産を持つ家がいくつか存在し、俺と先輩がお世話になっている
そして最後に、アリサに組み敷かれていた少女は
栗色の髪を緑色のリボンでツインテールに束ねた、美しいというよりかわいいという表現が合う少女。髪を束ねるリボンの色にこだわりはなくほぼ毎日変わる。
商店街にある『翠屋』という喫茶店を営む夫婦の末娘であり、俺の従姉妹にあたる。
経済界を動かすほどの大企業の令嬢二人がなぜなのはや俺たちとつるんでいるのかというと、それは二年前、俺たちが一年だった頃に起こったある出来事がきっかけなのだが、それは割愛しておこう。
それより、今はなぜあんなことになっていたのか聞く方が先だ。
「将来の職業ねえ……」
はやての弁当から拝借した煮っころがしをつまみながら、俺がつぶやいた言葉になのはは小さく「うん」と言う。
俺たちが退屈な算数の授業を受けていた頃、なのはたちのクラスでは社会科の授業が行われており、校外学習で見た商店街の様子を元に仕事や将来のことについての授業が行われていたらしい。
それがきっかけで、なのはも自分の将来について考えるようになったそうだ。小学校生活もまだ半分以上残っているのにそんなことを考えるとは、我が従姉妹ながら真面目な奴だ。
しかし、それがどう転んでプロレスもどきをすることになるんだ? それがいまだにわからない。
「すずかちゃんとアリサちゃんはもう将来何になるか決まってるんやろ?」
はやての問いにアリサとすずかはこくりとうなずく。
「もちろん! 一杯勉強してパパとママがやってる会社を継がないと! そのためにこの学校に通わせてもらってるんだから!」
「私はお父さんたちの会社に入るかはわからないけど工学系の専門職につきたいなって。はやてちゃんたちはどんなお仕事につきたいの?」
「俺は草間一刀流を継ぐために剣道の道を進もうって思っている。まっ、勇吾兄さんも店を継がずに剣道家になるかもしれないから、いつかは兄さんに勝たなきゃいけないけどな」
すずかの問いに雄一は意気揚々とそう答える。ちなみに勇吾兄さんとは雄一の兄ではなく従兄弟にあたる人で、なのはのお兄さんの友達でもあり、俺もよく知っている。
意気揚々と答える雄一に対し、はやては……
「私は……料理得意やし、調理師さんにでもなろうかなって思ってる」
「それいいよ! はやてちゃんが作るお料理やお菓子すごくおいしいし!」
どこか煮え切らない様子で答えるはやてに対して、すずかは目を輝かせながらそう言って、はやては苦笑いでそれに応じる。
アリサもそれに続いて、
「そうね。もういっそ調理師と言わずに、はやてがお店開いちゃえばいいじゃない。はやての料理なら絶対人気出るわよ。なんならはやてが翠屋継げば? なのはは継ぐ気ないみたいだし」
「い、いやいや、継がないとは言ってないよ! 他にやりたいことがあるかもしれないというだけで!」
「うーん、それもええかもしれんな。その時が来たらよろしくななのはちゃん」
はやては冗談交じりにそう言ってなのはに笑いかけ、なのははますます慌てる。しかし……
「まっ、それはいいとして、あんた去年まで将来の夢はお嫁さんとか言ってなかったっけ。そっちはどうなったのよ?」
「えっ……」
アリサのその発言に場が固まる。すずかに至っては突然のことに口をあんぐりと開けていた。
それに対して、はやてはしどろもどろになりながら答えた
「そ、それやけどな、さすがに9歳にもなってそんなこと言ってられんし、そろそろ真面目に将来考えた方がええとおもってな。結婚するにしても今はどこも共働きが当たり前やし」
「ふーん、それもそうね」
はやての答えにアリサは腰に手を当てながら納得したような声を上げる。そこへ――
「ア、アリサちゃん!」
「――な、何よすずか?」
「駄目だよそんなこと聞いたら。はやてちゃんたちだって色々あるんだから……今のところ失恋したようには見えないけど……」
「あっ! ごめん。うっかりしてたわ」
すずかはアリサの手を引っ張って俺たちから距離を取り、声をひそめながらアリサと囁き合う。しかし位置の関係で、俺を含めた何人かには彼女たちが何を話しているのかほとんど丸聞こえだった。
最後の一言は小さすぎて聞こえなかったが。
アリサが言った通り、はやての去年までの夢はお嫁さんだった。幼少から得意だった料理の腕を今もなお上げているのも、いいお嫁さんになるためだと言っていたのを覚えている。
しかし一年前にある出来事が起こって以来、はやてがそういった夢を語ることはなくなり、さっきのような堅実な事ばかりを口にするようになった。俺との距離もわずかに開き、以前に比べてうちに泊まることも少なくなった。
そこではやてはぱんと手を打って、俺の方を向いて言った。
「そうや! 健斗君は将来どうするつもりや? 何かやりたい仕事とかあるん?」
その問いに一同は一斉に俺の方を向いた。アリサとすずかも内緒話をやめて、じっと耳を傾けている。
それに対して、
「将来か……」
そう呟いたきり俺は何も言えなくなってしまう。
将来などまったくと言っていいほど考えていなかった。今の俺にとっては将来よりも先に何とかしなければならないことがある。そっちの方だけで精一杯だ。
悩んでいる俺を見かねたのか、すずかは助け舟を出すように言った。
「やっぱり健斗君も将来は刑事さんかお巡りさんになるのかな? 健斗君のお母さん、すごい刑事さんだって聞くし」
「まあ、警察関係の仕事につくのも悪くないんだが、母さんは事あるごとに警官にはなるなと口癖のように言っていてな。俺が刑事や警官になると言えば絶対大喧嘩になると思う」
「ああ……」
「それはありそうだね。ドラマとかで見る限り、刑事ってかなり大変そうな上に危険な仕事らしいし」
「美沙斗さんらしいな」
俺の答えにすずか、なのは、はやてが納得の声を上げる。だが――
「えっ!? あんた、うちに就職するんじゃないの? そのつもりでプログラミング教えて、パパにもあんたのことをよろしくって伝えてあるんだけど」
心底驚いたようにアリサはそんなことを言ってくる。これには俺も、
「おいおいアリサ先生、俺はそんなこと一言も言ってないぞ! まさかそんなことのために俺にプログラミングを教えてくれていたのか?」
「当たり前じゃない! でなきゃあたしがあんたなんかにあそこまで丁寧にプログラミングなんて教えるわけないでしょ! っていうか先生って呼ぶな! あたしはまだ小学生だ!」
そうだったのか、どおりでアリサの両親が俺に対してやたら親しげに接してくると思った。
そういえばデビッドさんは俺に「小学生の頃からもうそんなプログラムを組んでいるのか。これならうちでも即戦力だな」とか「君とは長い付き合いになりそうだ。これからもよろしく頼むよ」とか言っていたな。てっきりただの社交辞令だと思っていたが。
それに加えてジョディさんからは「健斗君はもう好きな子とかいるの? いないならうちのアリサなんてどうかしら?」なんて言ってきたな。そっちも娘の男友達に対するジョークかと思っていたのだが。
……もしかして、あの人たちの中では俺って将来の幹部候補やアリサの許嫁のようなものになってるんじゃ?
参ったな、
「……選択肢の一つとして考えておく」
結局俺はなのはと似たようなことを言ってお茶を濁すことにした。
しかしこの中でこれといった将来を思い描くことができずにいるのは俺となのはだけか。俺となのはに血の繋がりはないが、育った環境によるものか妙なところが似てしまったのかもしれないな。
そんなことを思いながら、はやての弁当箱の中からつまんだ肉団子を口の中に入れた。