翌日。
早朝からマンションを出てはやてや守護騎士たちと合流し、俺たちは昨日クロノたちと遭遇した場所である海鳴臨海公園に向かった。ほとんど同じ時間になのはもやって来て、ほどなくクロノが転移魔法で現れる。昨日と同じく彼がアースラまで案内してくれるらしい。
なのはは心配そうにユーノはどうしたのかとクロノに尋ねたが、ユーノはまだ無限書庫で闇の書の手掛かりを探している最中らしい。今頃はぐっすり寝ている頃だろうとも。
そう伝えてからクロノは青い魔法陣の上に乗るように俺たちを促す。これも昨日とまったく同じだ。
ただ一つ違うのは、なのはたちが向かうのは和風チックな応接室ではなく会議室であることと、
「君は僕と一緒に艦長室まで来てくれ。艦長が君と二人で話したいそうだ」
と俺にだけ言ってきたことだった。
◇
一方その頃、《時の庭園》。
宮殿のように広く立派な意匠の廊下を三人は歩く。ろくに手入れもしてないのだろう、床には埃が積もり、いくつかの柱には蔓が絡まっている。
そんな廊下を眺めながら歩いているフェイトとアルフを先導するように、リニスは主のもとまで歩を進める。その顔には冷たい汗が流れていた。
クロノ率いる局員たちから逃げてから翌日の今日になって、プレシアからの呼び出しがかかった。リニス一人だけでなくフェイトも連れてくるようにと言われた上で。アルフについては特に言われていない。だがそれはアルフを評価しているわけでも寵愛しているわけでもなく、どうでもいいとしか思っていないからだろう。そもそも彼女の存在を記憶しているのかさえ怪しい。
そんなプレシアがフェイトを連れてくるように命じた。嫌な予感しかしない。
二年前、使い魔としてリニスが生み出された時からプレシアは彼女にフェイトの世話と教育を任せ、自身は研究室にこもりロストロギアを始めとする何らかの研究に没頭していた。何度かフェイトと顔を合わせたこともあったが無視することがほとんどだった。
リニスはプレシアに対し、フェイトとの時間を設けるように何度も訴えたもののそれらは聞き入れられないままに終わった。唯一の例外はフェイトが魔導師としての修練を終え、そのお祝いとして一緒に食事をとったことだった。それもリニスがプレシアに頼んでなんとか実現させたことだ。
それが変化したのは一人前の魔導師となったフェイトに、プレシアが直に“お使い”を頼むようになってからのことだ。
その日もフェイトはアルフを伴って、母の研究に必要なあるロストロギアを入手しに向かっていた。件のロストロギアは強力な幻獣が守っており、フェイトの力量を持ってしても危険な役目だった。
しかし、その役目にリニスが同行することは許されなかった。フェイトの実力を確かめたいというのもあるが、リニスの役割は第97管理外世界にある闇の書の入手であり、こんな雑務で力をすり減らしてもらっては困るとのことだった。
そして多少の怪我を負いながらも、幻獣を倒しロストロギアを手に入れて帰って来たフェイトをプレシアは研究室まで呼び、迎え入れた。それを見た時リニスは思わず笑みを浮かべたほどだ。
そしてプレシアはフェイトから受け取った品を一通り検分し終えてからもう一度フェイトを呼び、彼女の頬を思い切りひっぱたいた。リニスもアルフも、フェイト自身も何が起きたのかわからなかった。一つだけわかったのは、そのロストロギアはプレシアの目的にはまったく役に立たない物だったということだけだ。
その日からだ。リニスがプレシアのもとからフェイトを離すことを考え始めたのは。
そして現在、三人はジュエルシードと闇の書がある海鳴市の隣町に居を構え、プレシアへの報告は
しかし今度ばかりはそういうわけにもいかない。最後通牒を突き付けられてもなお闇の書は手に入れられず、そればかりかとうとう時空管理局が介入してきてしまった。
こんな不始末をした上でプレシアに逆らうことなど、リニスに出来るわけもなかった。
自分たちの身長の何倍ほどもある巨大な扉の前までたどり着き、扉の奥に向かってリニスは声をかける。
「プレシア、ただいま戻りました。フェイトとアルフも一緒です」
しばらく経っても返事がない。リニスとフェイトは怪訝な顔になり、アルフが文句を言いかけたところで扉は大きな音を立てながら奥へと開いていく。
フェイトはごくりと唾を鳴らしアルフは心配そうな顔をしながら、リニスとともに奥へと進んでいった。
扉の奥……《玉座の間》と名付けられた広い部屋にプレシア・テスタロッサはいた。プレシアの肌は異様に白く、以前見た時より一段とやつれている。
そんな母を見て、フェイトは思わずリニスを振り切って玉座に向かって駆け出した。
「母さん!」
「フェイト……」
プレシアも玉座から立ち上がり数歩前に進む。しかしフェイトが部屋の半ばまで来たところで、彼女はおもむろに言った。
「ジュエルシードはどうしたの?」
「――!」
その言葉を聞いた瞬間フェイトはぴたりと動きを止めた。対してプレシアは歩み寄りもせず、玉座の前に立ったまま繰り返す。
「母さんの研究にどうしても必要なロストロギア……集めてくるようあなたに頼んだはずよね。どのくらい集まったのかしら? リニスからは3つしか貰っていないのだけれど」
母からの問いにフェイトは肩を震わせながら、
「ご、ごめんなさい……なかなかうまく見つけられなくて、私たちが見つけたジュエルシードは昨日リニスに届けてもらった3つが全部です。……あっ、でも、そのうち2つはリニスが手に入れてくれたもので、リニスがいなかったらもっと少なかったと思います」
その報告を聞いてリニスは思わず余計な事をと思った。リニスをかばったつもりだろうが、余計にプレシアを怒らせただけだ。
だが、リニスの予想に反してプレシアは表情を変えずに「そう」とだけ言って、フェイトのもとまで歩いてきた。フェイトは戸惑いながら母の返答を待つ。
プレシアはフェイトの目の前まで来るとぽつりと言った。
「ごめんなさい」
「えっ……?」
思わぬ一言にフェイトは顔を上げる。リニスもアルフもフェイトの後ろで驚きに目を見張っていた。
「ごめんなさいフェイト。研究があるとはいえ、あなたの世話をリニスに任せてろくに構いもせずにほったらかしにして。その上急に知らない世界に行ってロストロギアを集めて来いなんて危ないことを言って」
「そ、そんな、違うよ! 確かにこの家で母さんと話したことはほとんどなかったけど、母さんがずっと私の事を考えてくれていたのはちゃんとわかってた! 私たちと一緒に過ごすことができないのも大切な研究があるからで。そんな母さんの役に立てるように一生懸命魔法を覚えたんだから。だからこれぐらいなんともないよ! まだ少ししか集まってないけど、母さんのためにジュエルシードも闇の書も全部手に入れてみせる!」
懸命に声を張り上げ、フェイトはずっと溜め込んでいた想いを母に向けてすべて吐き出した。プレシアはぽかんとしながらも目の前にいる娘が言ったことを噛みしめるように沈黙し、やがてフェイトに向かって柔らかい笑みを浮かべた。
「そう……いい子ねフェイト。本当に」
そう言いながらプレシアは左手を伸ばした。フェイトはじっとその時を待つ。ずっと待ち焦がれていたその時を。
「だから、言いつけを守れなかった時はちゃんと叱ってあげないとね」
「……えっ?」
「フェイト、下がって!!」
リニスが叫んだのとフェイトの頬からパンッという軽快な音が響いたのはほとんど同時だった。
気が付けばプレシアの左手はフェイトの右側に向かって振り上げられており、右の頬から伝わってくる痛みに気が付いてフェイトは愕然とした。
同じだ。“お使い”を果たした後の……あの時とまったく同じだ。
「フェイト!」
「プレシア! あなたという人は!」
アルフとリニスは同時に声を上げる。そんな二人にプレシアは冷ややかな目を向けた。
「リニス、昨日言ったはずよ。今度失敗したらあなたとの契約を解消するかフェイトに罰を与えるかのどちらかを取らせてもらうって」
「えっ……?」
プレシアが告げた言葉にフェイトは戸惑いの声を漏らす。片や、リニスは意を決したようにプレシアに向かって言った。
「確かにそうです。ですから責任を取って私が――」
「そうしようかとも思ってもいたわ。あなたとの契約を切れば私はわずかでも生き永らえることができる……けど考えてみれば私にも手抜かりがあったわ。あなたにフェイトを任せてばかりでろくに関わろうとしなかった。私が見ていない事をいいことにあなたはさんざんフェイトを甘やかして、その結果この子はお使い一つろくにできない子になってしまった。私がしっかり叱っておかなかったから!」
そこまで言ってプレシアは自らの手元に杖を出現させる。その杖は一瞬で鞭の形になりフェイトを震え上がらせた。プレシアは愉悦の笑みを浮かべながら鞭を振るい上げ――
「ふざけんな!!」
その瞬間、怒声とともに鞭を振るおうとしたプレシアの胸倉を赤髪の女が掴み上げた。
「アルフ……」
呆然と呟くフェイトの前でアルフは憤怒に歪んだ顔を近づけながらプレシアに吐き散らす。
「フェイトが今までどんなに頑張って来たか、あんたにわかるか! あんたに笑ってほしいから、優しいあんたに戻ってほしいから、フェイトもリニスも必死になって頑張ってきたんだ! それを――」
一方、プレシアはしらけたと言わんばかりの淡泊な表情で、
「ああ、そういえばあなたもいたわね。早く契約を解除しなさいと言ってるのに」
「ぐあっ!」
「アルフ!」
プレシアの左手から稲妻が放たれ、アルフは壁に向かって吹き飛んで背中を強く打ち付ける。プレシアはアルフがいる方に体を向けながら言葉を漏らした。
「ちょうどいいわ。あなたはフェイトたちにとって邪魔でしかないと思っていたところだし、そろそろ私が直接引導を渡してあげましょう」
「やめて母さん! 悪いのは私だよ! お願い、どんな罰でも受けるからリニスとアルフには――」
プレシアを止めようとフェイトは彼女にしがみつく。プレシアは苛立たしげにフェイトを払いのけようとした。
そこに――
「やれやれ。少々やり過ぎだ、プレシア・テスタロッサ」
不意に男の声が響き、一同は思わずそちらの方を見る。
いつの間にここまで入りこんでいたのか、入り口の近くには仮面をかぶった男らしき者が立っていた。
「――あんたは!」
「昨日私たちを助けてくれた……」
「……」
男を見てフェイトたちは戸惑いの声を漏らす。
そんな中、ただ一人男のことを知らないプレシアは……
「……どなた? フェイトたちの知り合いみたいだけど、ご覧の通り今は忙しいの。帰ってちょうだい。それとも不法侵入で通報した方がいいのかしら」
「どうぞご自由に。もっとも、今のあなたたちが管理局に通報することができればの話だが」
「――っ」
脅しをかけたつもりが逆に皮肉を返され、プレシアは悔しげに唇をかむ。
管理局に通報などできるわけがない。フェイトたちは現在管理局から追われており、プレシアが黒幕である事もすでに暴かれているかもしれないからだ。
「あなた、何者なの? こんな次元のはずれまで迷い込んできたわけじゃないでしょう。私の名前や時空管理局に追われていることまで知っているぐらいだし」
「もちろん。あなたたちに用があって来た。とりわけ魔導工学の権威として、数々の実績を持つテスタロッサ女史にな」
「昔の話よ……それで、一体私たちに何の用かしら?」
賞賛と取れる言葉にかかわらずプレシアは忌々しそうに顔を歪める。彼らの会話にフェイトとアルフは頭上に疑問符を浮かべ、リニスは男に警戒の眼差しを向けた。
それに反して、男は敵意がないことを示すように手を広げながら言った。
「なに、そう構えなくてもいい。あなたたちを管理局に突き出そうというわけじゃない。むしろその反対だ。
「協力……ですって?」
思わず聞き返したプレシアに男はこくりとうなずく。
「そうだ。私もあるロストロギアを狙っているんだが、管理局が現れて困っていたところでね。優秀な協力者を探していたところなんだ。どうかな、ロストロギアを求める者同士、私と手を組んでみるというのは?」
「……そうね」
男からの提案に、プレシアはあごに手を乗せながら考えを巡らせる。
プレシアとて、管理局を相手にすべてのジュエルシードと闇の書を奪い取れると考えているほど愚かではない。これからは管理局の手に落ちていない残り11個のジュエルシードを探し出し、確保していくしかない。闇の書もあきらめた方がいいだろう。
しかし、管理局の目をくぐって残りのジュエルシードすべてを手に入れることなど不可能に近い。14個以上のジュエルシードを必要とするプレシアにとって、もはや詰んでいるも同然の状況だ。
だがフェイトたち以外の手駒がいればまだ何とかなるかもしれない。自分やリニスに気付かれずに《玉座の間》にまで侵入してきた、この仮面の男のような手練れがいれば。
「あなたが狙っているロストロギアは? ジュエルシードと闇の書、どちらが欲しいの?」
「……闇の書だ。闇の書を手中に収め完成させたいと思っている」
男の答えにプレシアは納得する。
すべての頁を埋めて完成した闇の書には神のごとき力が宿るという。それを手に入れて数多の願いを叶えたいと思う者はいくらでもいるだろう。
かくいうプレシアもその一人だ。
「あなた一人だけ? 他にも仲間はいるの?」
「いない。仲間なんていたら女史のように優秀すぎる人間に声はかけないさ」
男は即答で答えてみせる。だが、だからこそ怪しい。最初から問いを予測していたみたいだ。プレシアはそれを承知の上で質問を続ける。
「あなた一人が味方になって私たちにどんな得があるのかしら? あなたが加わるだけで管理局を凌げるとでも?」
「ああ、私に考えがある。それに女史がジュエルシードについて詳しいように、私も闇の書に関してある程度調べていてね。仲間にしてくれた暁には私が知りうる限りの事をあなたに伝えよう。フェイト嬢とリニスという使い魔が持つデバイスを強化する方法もな」
「デバイスの強化ですって――」
その言葉にプレシアは目を見開き、名前を呼ばれたフェイトとリニスも身をすくめる。
男は彼女たちの反応など意に介さず。
「そうだ。女史なら《カートリッジシステム》という名前くらい聞いたことがあるだろう。例の守護騎士たちのデバイスにも組み込まれている、先史ベルカの主流だった強化機構だ。それを組み込めばあの四人にも十分対抗できる。現状では使用者に負担がかかりすぎるのが難点だが」
「それぐらい構わないわ。でも先史ベルカの機構なんて本当に再現できるの?」
プレシアの問いに男は大きく首を縦に振り。
「もちろん。危険なために現代では廃れただけで製法自体は残っているからな。部品も『ベルカ自治領』で簡単に手に入る。……さて、どうする? 私と組むか、それともこのままフェイトたちに任せるか。彼女たちだけでは残りのジュエルシードを集めることすら難しいと思うがね」
「……」
プレシアは思案するそぶりを見せる。しかし彼女の中でほぼ答えは決まっている。主導権を握るためにもったいぶっているだけだ。だがそこへ――
「待ってくださいプレシア! 窮地に追い込まれたからといって、安易に見知らぬ者を引き入れるのは危険すぎます! 彼は明らかに私たち――いえ、あなたを利用しようとしているようにしか見えません! そんな人に私たちの武器を預けるなど――」
「黙りなさい!! あなたが決めることじゃないわ!」
突然沈黙を破り異を唱えるリニスをプレシアが一喝して黙らせる。
男が自分を利用しようとしていることなど百も承知だ。ならこちらも彼を利用してやればいいだけの話。何よりフェイトたちに任せてももはや悲願の成就はままならない。多少のリスクがあろうと、これはプレシアにとってまたとない好機だった。
これ以上余計な事を言わないようにプレシアはリニスやフェイトたちを睨みつけ、そしてわざとらしく咳払いをしてから男に向き直った。
「わかったわ、あなたと手を組みましょう。ジュエルシードに関しては私たちが、闇の書についてはあなたに一任するということでどうかしら? もちろん困った時はお互いに手を貸すということで」
「ああ、それで異存はない。ジュエルシードと闇の書を手に入れた後の事も話し合って決めていくとしよう」
そう言いながら男はプレシアに右手を差し出す。それに対してプレシアも右手を差し出し……
「ええ、もちろん。悲願の達成に向けてお互い頑張りましょう」
プレシアと仮面の男は固い握手を交わす。
フェイトたちは警戒に満ちた表情で男を睨み、そんな彼女たちに男も視線を返した。その表情は仮面に隠れてうかがいようもないが、不敵な笑いを浮かべているに違いないと彼女たちは思った。