マリエルさんたちが加わってから二日。
いよいよ期限が明日に迫ってきた。プレシアさんの命は持って明日まで。
それまでに何が何でも夜天の魔導書を修復しなければならない。その修復はあと少しでできるのだが……。
「ああもう! また強制終了しちゃった。何なのこいつ!?」
机を叩きかねない勢いでアリサは毒づく。その隣でシャーリーが縮こまりながらも、
「で、でもエラーが出るまで7秒はかかりましたし、惜しい所まで行ったと思います。あともう少しで修復プログラムが届くはず――」
彼女のフォローでアリサはどうにか気を取り直しながら、再びプログラムの編集画面を開く。そんな彼女に俺とマリエルさんは心の中で同意した。
「昨日からずっとこんな調子だね。もう何十回も書き直しているのに、防衛プログラムが修正を受け付けてくれない」
「そうみたいですね」
マリエルさんに相槌を打ちながら俺は頭を悩ませる。
もう修正プログラム自体の改良もあらかたやり尽くした。しかし防衛プログラムがそれをはねのけてしまう。一体どうすれば……
「やっぱり行き詰まっているみたいね」
頭を悩ませていると、開閉音とともに低い女の声が聞こえてくる。俺たちはそちらに顔を向けた。
「プレシアさん!」
作業部屋に入って来た黒髪の女性を見て、マリエルさんがその人の名を呼ぶ。一方、プレシアさんを初めて見るアリサとシャーリーは怪訝そうな視線を彼女に向ける。
そんな中、俺は彼女に駆け寄りながら声をかけた。
「プレシアさん、もう起きて大丈夫なんですか?」
「ええ、医師の許可も取っているわ。それより私にもプログラムを見せて。今の状況を知りたいから」
「は、はい!」
プレシアさんに促されマリエルさんが修正プログラムのコードを開き、プレシアさんは眼鏡をかけながらそのコードを眺める。
彼女の顔色は白く、さすがに時の庭園にいた頃よりはましだが大丈夫そうには見えない。こう見えて相当無理をしているはずだ。だが今の俺たちにプレシアさんの申し出をはねのける余裕もない。
プレシアさんの様子を伺っているとアリサがひっそり話しかけてきた。
「ねえ、あの人は?」
「プレシア・テスタロッサさん。フェイトのお母さんで、俺たちの他に魔導書の修正に当たっている技術者だ。前に聞いたことがあるだろう」
「聞いたことあります。ティミル博士と一緒に魔導技術研究院を主席で卒業して、当時急成長していたエネルギー企業に引き抜かれたっていう」
シャーリーもひそひそ話に加わり、そう教えてくれる。メカオタを自称するだけあって――もといメカニックデザイナーを目指してるだけあって詳しいな。
アリサはふーんと言って。
「つまり、あんたたちの世界のエリートってわけね。でも大丈夫なの? 顔色悪いし、今にも倒れそうに見えるんだけど」
アリサの問いに答えられず俺もマリエルさんも押し黙る。
一方、プレシアさんは俺たちの話など気にも留めず、しばらくの時間をかけてコードを眺めてから言った。
「確かにもうほとんど直すところはないわね。技官一人と子供三人が組んだとは思えない。でも……」
そこでプレシアさんは軽やかな音を響かせながらエンターキーを弾く。だが、モニターにはやはりエラー画面が出てプログラムは強制終了してしまった。
プレシアさんはそれを見届けてから――
「防衛プログラムを改変するのは難しいみたいね。やっぱり今の夜天の魔導書はプログラムの改変さえ攻撃とみなして拒絶するようになっているのかしら」
「プレシアさんもそう思いますか?」
尋ねる俺にプレシアさんはこくりとうなずく。
「私も数日前まで何度もプログラムを書き換えながら試したけど、どうやっても防衛プログラムを書き換えることができなかったのよ。こうなると修復自体ができない状態になっているとしか思えない。探せば何か方法が見つかるかもしれないけど……」
「その方法を探す時間がもうないんですよね」
マリエルさんが放った一言に、プレシアさんが苦い顔をしながらふたたびうなずく。
手術によって延命したプレシアさんの命も明日尽きる予定になっている。それにこれ以上手間取っていたら、管理局そのものが夜天の魔導書の凍結に動きかねない。俺たちやアースラチームではとても太刀打ちできない相手だ。
それらを考えたら、防衛プログラムを修復する方法を探している時間はもうない。
「こうなったら、防衛プログラムだけを切り離して魔導書本体を修復するしかないんじゃないかしら。切り離した防衛プログラムはアルカンシェルなら消滅させることができるはずよ。問題はどうやって本体から防衛プログラムだけを切り離すのかということだけど……」
プレシアさんの提案を聞いて俺は腕を組みながらうなる。
確かに《聖王のゆりかご》の主砲に匹敵し、今まで実際に闇の書を消滅させてきた《アルカンシェル》なら防衛プログラムを消滅させることができるはずだ。
防衛プログラムを切り離す方法もあるにはある。そちらに関してはうまくいく保証はないが。
だが、まだ問題はある。
「防衛プログラムは魔導書を守るために最初から加えられていた機能です。防衛プログラムを切り離しても、魔導書本体が新たに防衛プログラムを再生してしまう可能性は?」
「その危険性もあったはずだけどね。でも、あなたたちが作った修正プログラムで、魔導書本体は元に近い状態に戻るはずよ。その状態なら主や管制人格の操作で、防衛プログラムの生成を止めることもできると思うわ。もちろん夜天の魔導書のもとの状態がわからない以上断言はできないし、それがうまく行っても防衛プログラムに関わる機能が働かなくなってしまう可能性が高いわ」
プレシアさんからの指摘に俺は思案する。
防衛プログラムに関わる機能か、“彼女”や守護騎士がそれに含まれてなければいいが。
「ねえ、防衛プログラムと一緒に夜天の魔導書っていうのを破壊しちゃダメなの? 直せる保証がないならそうした方がいいと思うんだけど――」
「「ダメだ(よ)!」」
俺とプレシアさんは声をそろえてアリサの意見を一蹴する。
魔導書の消滅など断じてできるわけがない。そんなことをすれば魔導書や防御プログラムとともに“彼女”まで消滅してしまう。夜天の魔導書の力でアリシアを生き返らせたいプレシアさんもそれは望まないだろう。
「な、何よ二人揃って。どう考えてもそれが一番安全じゃない。……まさかあんたたち、その魔導書を使ってよからぬことでも考えてるんじゃないでしょうね?」
アリサの反論に俺たちは思わずギクリとしながらも首を横に振って否定する。俺もプレシアさんもよからぬことを考えているつもりはない。ただ大切なものを取り戻したいだけだ。
「時空管理局の役目の一つは、あらゆる世界に散らばっている危険なロストロギアを回収することです。ですから夜天の魔導書もできれば破壊せずに本局に持ち帰った方がいいんじゃないかと思います。健斗さんとプレシアさんはそう言いたいんですよね?」
「う、うんうん! そんなところかな!」
管理局の方針を持ち出して説明するシャーリーにマリエルさんが首をぶんぶん振って首肯する。
アリサはなおも疑わしげな様子で……
「ふーん、健斗たちといい管理局って組織といい、どうもきな臭いわね。まっ、この船に乗せてもらってる私にはそれ以上とやかく言えないけど、くれぐれも変なことは考えないでよね。ケントって王様みたいな死に方はしたくないから」
そう言ってアリサは矛を収めてくれた。俺は胸をなでおろしながら彼女たちに向き直り……
「じゃあさっきの話をリンディさんとクロノに説明して、あの人たちの許可が取れたら防衛プログラムを切り離すための作業にかかろう。俺とマリエルさんが本体の修正をするから、アリサとシャーリーは修正プログラムの見直しと残っているかもしれないバグの修正を行ってくれ。今までの作業の仕上げみたいなものだから夕方までには終わると思う」
「うん」
「はい」
「わかったわよ」
俺の指示に彼女らは気持ちのいい返事で応じてくれる。その一方で唯一名を呼ばれなかったプレシアさんは不満そうな顔を向けてくる。
「まさか、この期に及んで病室に戻れなんて言わないわよね。アリシアが戻って来るかどうかもかかっているし、あなたたちと作業でもしていた方が気が休まるわ」
尖った声をぶつけてくる彼女に俺は首を横に振って。
「プレシアさんには引き続き防衛プログラムの修正をお願いします。プレシアさんならもしかすれば防衛プログラムを直す方法を見つけ出してしまうかもしれませんから。そうなったらアルカンシェルが使われることもなくなる。もちろん危ないと思ったらすぐに病室に戻ってもらいますよ。それぐらいの指示を出す権利は今の俺にはある」
「はいはい。わかったわ、ボス」
皮肉のこもった呼称でプレシアさんはそう答える。そんな彼女に俺は続けて聞いた。
「そうだプレシアさん、一つ聞きたいことがあるんですけど」
「何?」
プレシアさんは急かすように聞き返してくる。そんな彼女に俺は
「ああ、あんなものもういらないわ。管理局に接収されたようなものだし、使いたければ艦長親子にでも聞きなさい。私はそろそろ仕事をさせてもらうわ。あなたもさっさと説明とやらをすませて戻ってきなさい」
それだけ言って彼女は手近な席に座って魔力モニターを開く。
そんな彼女たちを作業部屋に残し、俺は隣の部屋に移ってリンディさんたちにさっきの話と明日行う作戦の詳細について説明することにした。
◇
アースラ・艦長室。
「……そう、わかった。あなたたちがそう決断したならその通りにやってみなさい。他に必要な物は? 可能な限り揃えてみせるわ」
『今は大丈夫です。でもいいんですか? 一日で夜天の魔導書の頁をすべて埋めるには、どうしても
空間モニター越しにそう問いかける健斗にリンディは笑みを向けて……
「いいのよ、もう覚悟は決めたわ。私がすべての責任を取ります。あなたは夜天の魔導書を直すことだけを考えなさい。明日までには必ず修復プログラムを完成させておいて!」
その言葉に健斗も少し間を空けて、笑みを返しながら答えた。
『……はい。ありがとうございますリンディさん、クロノ。協力してくれたお二人やみんなのためにも、夜天の魔導書の修復は必ずやり遂げてみせます』
「ええ、頑張って」
「期待している」
決意を示す健斗にリンディとクロノは激励の言葉を送り通信を終えた。
クロノはため息をついて……
「本当にいいんですか? 押収したロストロギアを無許可で使ったことが知られれば、艦長は……」
念を押してくる息子の問いに答えず、リンディは言った。
「あの魔導書は多くの人々、いえ、多くの人生を食らい、遺族たちの人生をも狂わせてきた。私やグレアム提督たち――そしてクロノ、あなたのように」
「……」
その言葉にクロノは言葉を詰まらせる。そんな息子に対してリンディは続けた。
「闇の書によってあの人が命を落とすことがなければ、あなたの人生もきっと違うものになっていたはず。正直に言うとずっと後悔していたわ。あの人を失った悲しみに暮れるあまり、私はずっとあなたに甘えてしまっていたんじゃないかって」
「違う! 執務官になったのは僕自身が望んだからだ! 母さんのせいじゃ――」
「わかってるわ! でも考えてしまうのよ、あの人の事がなければ、もしくは私がもっと早くあの人の死を乗り越えることができていれば、クロノが違う道に進むこともあったんじゃないかって」
クロノの言葉をさえぎってリンディはそう言い放つ。そんな母にさすがのクロノも反論を引っ込めた。
そんな息子にリンディは笑みを向けて――
「もちろん、努力を重ねて執務官になったあなたはとてもすごいと思うわ。誇りに思ってる……そんなあなたに頼みたいことがあるの」
「頼みたいこと? それは一体……」
その言葉にクロノは眉をひそめて聞き返す。
リンディは席を立ちクロノのそばによって彼の手の上に自分の手を重ねた。何かと思ってクロノはリンディの顔を見上げる。
リンディは真剣な表情と声色で――
「クロノ、万が一の時は、執務官としてあなたが私を逮捕しなさい!」
「なっ――!?」
自分を捕まえろという一言にクロノは目を見開いて驚く。リンディは構わず続けた。
「ジュエルシードの使用やはやてさんたちの保護は、あなたやクルーたちに相談もせず私が独断で進めたことよ。あなたがそれを糾弾して私を捕まえれば、あなたやクルーたちに塁が及ぶことはないはず」
「そんな、それじゃ母さん一人が罪を被るようなものだ! それなら管理局に掛け合って、ジュエルシードの使用許可を得てから魔導書を修復した方が――」
「それはできないわ!」
突然声を荒げるリンディに気圧され、クロノは思わず口を閉じる。リンディは一言謝り声を落として言った。
「シミュレーションでは実現可能という結果が出たとはいえ、この方法はリスクが大きすぎる。局の上層部が聞いたら、闇の書と主を凍結した方がまだ確実だと答えるでしょうね。プレシアさんの体もいつまで持つかわからない。ここでジュエルシードを使う以外に闇の書の呪いを解く方法はないのよ」
「っ……」
クロノは何も言えず悔しそうに唇を噛む。
無許可でジュエルシードを使用したことが局に知られれば、リンディは間違いなく、時空管理法で禁じられているロストロギア違法使用の罪で逮捕されてしまう。下手すればそれに手を貸したクロノやエイミィ、レティ、マリエル、そしてシャーリーのような民間人までも。
彼女たちを守るには、リンディが逮捕される前にクロノが彼女の手に縄をかけるしかない。息子が実の母を。
クロノは顔を歪めながら……
「考慮に入れておきます」
それを聞いてリンディは淡い笑みを浮かべた。
「ありがとう。最後まで迷惑をかけてごめんね。あなたならもう私がいなくてもうまくやっていけると思うわ。アースラとみんなをよろしくね」
「こちらこそありがとう、母さん。息子としては最高の褒め言葉だ。でも、僕は最後まで諦めるつもりはない。母さんには今までの功績と闇の書事件の解決を称えられる形でこの船を降りてほしい。夫を失った悲しみを押し殺しながら、母として苦労しながら息子を育て、管理局の士官として大勢の人々の命を救ってきたあなたが報われないのは絶対に間違ってると思うから」
「クロノ……」
息子からの言葉にリンディはとうとう目に涙をあふれさせ、彼を抱擁する。クロノはそれを黙って受け入れていた。
夜天の魔導書の修復までに残された時間はあと一日。