《時の庭園》を攻略してから一週間余り、いよいよ夜天の魔導書の修復を実行に移す日がやって来た。
朝早くからなのはやはやてたちと共に会議室で待っていると、リンディさんたちも入ってくる。
リンディさんとエイミィさんの間から、クロノは大きめのバッグを手に俺たちのもとにやってきた。
緊張した面持ちで皆が見守る中、クロノはバッグを机に置きガチャリと鍵を開けながらそれを開く。
その中にはこの騒動を引き起こしてきたロストロギアの一種、21個のジュエルシードが入っていた。
それを確認してリンディさんを見る。リンディさんは真剣な表情でうなずいた。
俺も真顔のままうなずきを返し、ジュエルシードのひとつを掴みながら口を開く。
「じゃあ、これから闇の書こと《夜天の魔導書》を修復する手順を説明する。何度も説明している暇はないからよく聞いておいてくれ」
厳しめな口調で告げると、みんなは揃って首を縦に振った。
夜天の魔導書の修復の段取りは以下の通り。
まずジュエルシードを使って夜天の魔導書を完成させる。
次に魔導書の主、もしくは“主に準じる者”が魔導書に入り、管制人格と共に防衛プログラムを抑えながら、修正プログラムによって魔導書を修復する。
その後、書から切り離された防衛プログラムを時の庭園ごとアルカンシェルで消滅させる。
これだけ見ると簡単に見えるが、かなりの危険と不確定要素が絡む作戦だ。そのうえ無事に修復できても、リンディさんを始めとするアースラの幹部はジュエルシードの無断使用の責任を問われる可能性が高い。あるいはもしかしたら……。
だが、今は夜天の書を修復させる方が先決だ。彼女たちの事は後で考えることにしよう。
「――ということだが、みんな、わかったか?」
説明を終えてそう確認すると、みんなは説明する前と同様首を縦に振る。やはりみんな理解が早い。
俺は満足げにうなずいて――
「じゃあこれから《時の庭園》に行って魔導書の修復を始めるが……フェイトとアルフはいいのか? プレシアさんについてなくて」
フェイトたちに問いかけると、フェイトは不安そうな顔に、アルフは不愉快そうな顔になる。
プレシアさんは昨日の作業が終わってすぐに倒れ、現在は呼吸器を装着した状態でベッドで眠っている。管理局の技術をもってしても、もうこれ以上の延命は難しいだろう。完成した夜天の魔導書の力を使わない限りは。
親子としての関係を築きつつも、病に倒れ再び生死の境をさまよっている母親を心配するフェイトだったが、彼女は顔を上げて首を横に振った。
「ううん、私も行くよ。母さんにはリニスがついてるし、あの人にとってもこれが最後の希望だから――だから私も自分にできることは精一杯やりたい!」
「フェイト……」
固い決意を見せるフェイトに、アルフは思わず彼女の名を呼ぶ。
俺はリンディさんの方を向いて、
「じゃあ、リンディさんたちはアースラで待機していてください。防衛プログラムが出てきた時、あるいは万が一の時は……」
「ええ。もし何か起これば、私の判断でアルカンシェルを使わせてもらうわ」
リンディさんは強くうなずき、そう言って見せた。
それを確認して、俺たちは転送ポートから《時の庭園》へと飛ぶ。
いよいよ300年前にできなかった、『夜天の魔導書の修復』を始める時だ。
◆
20分後、《時の庭園》の大広間にて。
12個目のジュエルシードの魔力を夜天の魔導書に移し、600もの頁が記述と式で埋まる。一年前から俺とはやてから吸い取った魔力や魔法資質、そして、以前試しにジュエルシードから移した分も合わせると640頁になる。この十数分の間に魔導書の頁がほとんど埋まってしまった。前世の時とは比べ物にならない速さだ。
だがそこで――
「うっ……」
「はやて! 大丈夫か?」
魔導書の頁が埋まっていく横で、はやては胸を押さえながら小さくうめき声を上げる。ヴィータは思わずはやてに声をかけるもののはやては片手を上げて。
「だ、大丈夫、ちょっと胸がつっただけや。……健斗君、私は大丈夫やから構わず続けて」
「あ、ああ、辛かったらすぐに言えよ」
俺の返事にはやてはうなずきもせず魔導書の方を見る。魔導書は主の手を離れ宙に浮きながら……
『Die Anzahl der Seiten im Zauberbuch hat 400 überschritten. Es ist möglich, das Masterprogramm zu beginnen und zu verkörpern, was tun Sie?(魔導書の頁が400ページを超えました。
「え、えっと……」
魔導書から響いてくる言葉にはやては戸惑いの色を見せる。主であるはやてには翻訳魔法によって魔導書が発する言葉の意味がわかるはずだが、突然の事に何と言っていいのかわからないのだろう。
「『いいえ』だ。まだ管制人格を書から出すわけにはいかない」
「う、うん――いいえ! まだ管制人格って子は出さんでええよ」
『Ich habe es(了解しました)』
そう答えると同時に、魔導書は宙から降りて再びはやての手に収まる。
そこでクロノが尋ねてきた。
「いいのか? 管制人格を呼び出さなくても」
「ああ。あいつには魔導書の中で防衛プログラムを抑えてもらわなければならないからな」
夜天の魔導書を修正する際、防衛プログラムは書を守るために抵抗を始めるはずだ。それを抑えなければせっかく作った修正プログラムも奴に飲み込まれてしまう。問題をすべて片付けて“彼女”にいいところを見せ――もとい、“彼女”を安心させてやりたいというのもあるが。
「じゃあ、最後はこれを使って残りの頁を埋める」
そう言いながら俺は懐からジュエルシードを取り出す。そのジュエルシードの輝きは他のものより弱い。
これは俺が最初に手に入れたもので、半分ほどの魔力を夜天の魔導書に移した。その後、街での戦闘で不意を突かれてリニスに奪われたものの、今は彼女たちから管理局が押収し、そして再び俺の手に戻った。
俺はジュエルシードを見せつけるように持ち上げながら、説明する。
「これには残り半分の魔力に加えて、昨日作った修正プログラムが入ってある。これなら魔導書を完成させて管理者権限を得ると同時に修正プログラムを起動させることが可能なはずだ。……ただ、魔導書のプログラムへアクセスするのは管理者権限を持つ主でなければならない。本当ならはやてに頼みたいところだが……」
俺とみんなははやてを見る。だいぶ落ち着いたらしく今は彼女も平然としている。だがさっきの様子を見るに不安はぬぐえない。それに万が一のことを考えたら……
「魔導書の主とはいえ、はやてはほとんど魔法が使えない。そこで彼女の代わりに、俺が魔導書のプログラムにアクセスしようと考えている」
「えっ!?」
「お前がか?」
俺がそう話すと守護騎士たちが驚きの声を上げる。俺はこくりとうなずいて、
「以前はやての家に来た時に、お前たちに内緒でジュエルシードの魔力の半分を夜天の魔導書に移したことがあるんだが、その時魔導書に俺のもとへ来るように命令したら魔導書はすんなり俺のもとへと来てくれたんだ。その時に俺の頭の中に、“サブマスター”という言葉が響いた気がする。だから多分、俺は夜天の魔導書の主に近い権限があるんじゃないかと考えているんだが」
「サブマスター……」
「そんな言葉今まで聞いたこともないけど……」
(あの夜の事か。妙だとは思っていたがそんなことをしていたとは)
サブマスターという言葉に首をひねりながらも、守護騎士たちは腕を組んだりして考え込む。今は守護騎士たちも俺の正体に気付いている。過去の主だった俺ならもしやと思っているのだろう。
「そういうわけで俺が魔導書の中に入って、修正プログラムを当てながら管制人格とともに防衛プログラムを食い止めてくる。だが、もしかしたら魔導書の修正に失敗してしまうかもしれない。そうなったら……」
「そうなったらって――まさかお前、またあの時のように自分一人が犠牲になる気じゃねえだろうな?」
ヴィータの問いに俺は首を横に振り、
「そんなわけないだろう。何のためにリンディさんたちやプレシアさんたちの助けを借りて修正プログラムを作ったと思ってる。でも万が一失敗すればアースラは夜天の魔導書に飲み込まれてしまう。最悪この次元の近くにある地球もな。そうならないように備える必要はあるんだ」
「そりゃあ、確かにそうだけどよ……」
ヴィータは納得できない様子を見せながらもそれ以上は何も言えず口ごもる。そんな彼女に笑みを向けてから俺は皆に向き直る。
「それじゃあそろそろ始めるか。俺が魔導書の中で修正プログラムを入れるから、お前たちはここで――」
「――待って!」
最後まで言い切る前にはやてが口を挟んできて、俺は言葉を止めて彼女の方を見る。
「はやて?」
「修正プログラムを届けるの、私にやらせてくれんかな。やっぱりそれは夜天の書の主である私の役目やと思う」
はやての言葉に皆は驚きの声を上げ、俺も思わず声を上げる。
「何を言ってる!? 魔導書の中には管制人格だけじゃなく防衛プログラムもいるんだぞ! 今までどれだけの主がそいつに食われて来たか。それを魔法の一つも使えないお前が――」
「危険すぎるのは健斗君の方や! 夜天の魔導書は主以外のアクセスを受け付けないんやろ。サブマスターなんて健斗君の想像やんか。修正プログラムを届ける前に防衛プログラムを怒らせて魔導書が暴走したらどうするつもりや?」
「そ、それは……」
強い剣幕で指摘してくるはやてに俺は言葉に詰まる。
確かにサブマスターうんぬんは俺一人の考えに過ぎない。それに俺が夜天の書のサブマスターだったとしても、プログラムにアクセスできるほどの権限があるかどうかはわからない。個人的に妙な確証はあるが、客観的に見れば可能性は低い方だろう。
ここで失敗したら夜天の書を破壊せざるをえず、魔導書はまたどこかへ転生してしまう。そうなったら今までの努力はすべて水の泡だ。
こんなリスクの高い賭けに“彼女”や守護騎士たち、そしてこれから先夜天の書に関わるかもしれない人たちの運命を委ねていいのか?
迷う俺に追い打ちをかけるように――
「私なら大丈夫、防衛プログラムも元は主を守るために作られたものやし、管制人格って子もいる。その子たちなら私を傷つけたりはせえへん。だからお願い、私に行かせて! 絶対危険なことはしないから」
「……」
はやてはそう言って目をぱっちりと見開いて俺を見つめてくる。それに対して俺は黙ったまま彼女を見返した。
「…………」
本当にはやてに頼んでいいのか? リスクとは別に嫌な予感がするんだが。
「健斗君……」
不安そうな声でなのはがつぶやく。
「健斗、気持ちはわかるがもう時間がない。早く決めてくれ」
クロノがそう急かしてくる。
他のみんなも固唾を飲んで俺を見守っていた。
俺は迷いながらも……
「はやて、管制人格に修正プログラムを渡すだけでいい。頼めるか?」
そう言った途端、はやては大きくうなずき。
「うん! 任せといて。いざという時の秘策もあるし、必ずここに帰ってくる」
秘策という言葉に疑念を覚えたもののはやてはそれ以上何も言わずに手を差し出す。俺は彼女に修正プログラム入りのジュエルシードを手渡した。
はやてはジュエルシードをしっかりと手の中に握りこみ、目を閉じる。
すると……
『Sammlung(蒐集)』
次の瞬間、ジュエルシードの魔力が夜天の魔導書へと流れ込み、残りの頁を埋めていく。
すべての頁が埋まると魔導書は頁を閉じて浮遊し、主に向かって言葉をかけた。
『Guten Morgen, Meister(おはようございます。マイスター)』
「これが完成した闇の書……いや、夜天の魔導書か」
クロノは思わずといったようにそう呟き、俺たちも魅入られたように魔導書を見る。
完成した夜天の書を見るのは俺も初めてだ。前世ではそうなってしまう前にオリヴィエに俺と魔導書を討たせたからな。
「…………」
主であるはやてもこわごわとした様子でそれを見る。
まだ終わりじゃない。修正プログラムを適用させるには管理者権限を手に入れた主が魔導書にアクセスする必要がある。それに主が望まなくても――
魔導書は自分の方からふわりとはやてのもとへと近づいていき、はやては思わず背筋をそらしかける。守護騎士たちははやてに駆け寄るものの、自分たちの存在意義である《真の主の誕生》を妨げることを躊躇い、本能的に足を止めてしまう。
彼女らに代わって――
「はやて、やはり俺がプログラムを――」
俺はそう言うものの、はやては首を横に振り、
「ううん、大丈夫。これは私の仕事やから。健斗君はみんなと一緒にここで待ってて」
そう言ってはやては大きく息を吸い、片手に持ったジュエルシードを握りながら意を決したように魔導書に手を伸ばす。
はやてが魔導書を掴んだ瞬間、彼女の足元に紫色の三角形の魔法陣が浮かび、そこから立ち昇った紫色の柱がはやてと闇の書を包み込んだ。
ヴィータはたまらず叫ぶ。
「はやて!」
★
紫色の光の柱に包まれた直後に、はやての視界に飛び込んできたのは真っ暗な空間だった。
「ここは……?」
はやては辺りを見回す。床も地面もなく自分が乗っている車椅子は虚空の上を浮かんでいる。
「ここはまさか魔導書の中……じゃあもしかして」
「来てしまわれましたか」
頭上からかかってきた声にはやては顔を上げる。
はやての上には長い銀髪の女が浮かんでおり、彼女ははやての前に降り立つ。
「あなたは……」
「お初にお目にかかります我が主。私は夜天の魔導書の管制人格――《闇の書の意思》と呼ばれる存在です……このような形であなたとお会いしたくはありませんでした」
悲しげな声で女は言う。
はやてにとって守護騎士に続く家族であり、最大の恋敵となる女性と初めて邂逅した瞬間だった。