彼と出会ったのは幼稚園の時だった。
あの頃の私は両親を亡くしたばかりで、周りの子たちとは距離を置いていた。迎えに来たお母さんに甘えることができる子を見るたびに羨ましく思わずにはいられなかった。心の中で嫌な事ばかりを考えている自分がいるのがわかったからだ。
誰とも遊ばず何度も読んだ絵本をぼうっと眺め、つまらなさのあまりふいに教室の隅に目を向けると、そこで積み木を重ねている男の子がいた。
いつも左目の上に眼帯を付けている、この幼稚園に入ったばかりの男の子だ。名前は確か『みかみけんと』。
崩れやすそうな形に積み上げられている積み木を一片、あるいは二片同時に抜き取り、下の木とはまったく違う方向に載せる。彼はそんなことを延々とつまらなそうに続けていた。
そんな彼に通じるものがあったのだろう、私は彼のほうに歩いて行ってこう言った。
「わたしにもやらしてくれん?」
彼は戸惑いながらもこくりとうなずき、私も積み木遊びに混ぜてもらえることになった。
その積み木は他のものより小さく、見た目よりずっと難しい。積み上げていくごとにバランスが悪くなり崩れやすくなってしまうからだ。
私が何度か積み木を崩してしまっても彼は怒らずにじっと見守る。いつの間にか、彼の興味は私がどこまで木を積み上げられるかに移ったようだ。
そこへ三人組の男の子がやってきた。
「おい、そいつとあそぶのなんてやめとけ」
その言葉に私と彼は男の子たちの方を見上げる。そこに立っていた三人の男の子のうち二人は、この前まで一緒に遊んでいた友達――だと思っていた子だ。
「そいつとあそんでると変な目がうつるぞ」
「そいつ、右の目と左の目の色がちがうんだ。おれこの間見たんだからな。そいつが母ちゃんと買いものしてる時にその布をはずしてるとこを」
その言葉に私は思わず「えっ?」と声を上げ、まわりにいた子たちも変な目で彼を見る。
三人は彼を睨みつけながら凄むように言った。
「おい、そうなんだろう!」
「ちがうって言うんならその布はずしてみろよ」
「ふつうの目だったらあやまってやる。はやてともあそんでいい」
勝手な事を言ってくる三人に対して、彼は立ち上がる。
それを見て三人はびくりとしながら、
「や、やるのかよ? お前だけでおれたちにかてるとでも思ってんのか?」
そう言って身構える三人に対し、彼はうんざりするようにため息をついて眼帯を外す。
その左目は確かに黒い右目と違う、緑色の目だった。
三人はバカにするように、
「うわっ、ほんとに右目と左目の色がちがうぜ!」
「色ちがい目のバケモンだ! きもちわりぃ!」
「はやて、早くそいつからはなれろ! こいつといっしょにいたら色ちがいがうつっちまうぞ!」
最後の一人がそう言って私の手を掴んで、彼から引きはがそうとする。
そのまま私が彼らについて行くと思ったのだろう、彼は黙って窓を眺めているだけだった。
しかし――
「はなさんかいこのあほ!」
私を引っ張ろうとする男の子の手を振りほどくと三人もまわりの子たちも、そして彼もぽかんとした目で私を見る。
三人に向かって私は言った。
「気持ちわるくなんてあらへんもん! 右の目も左の目もすごくきれいな目や。わたしから見れば、人の目をバカにするあんたらの方がバケモンに見えるわ!」
私がそう怒鳴ると、三人を始め、みんなはぽかんとしながらその場に立ち尽くす。そんな中、私は彼らに蹴り崩されていた積み木を拾い、みんなと同じようにその場に立ったままの彼の手を引っ張り、反対側に座り込んで積み木の組み立てを再開した。
その日から私と健斗君は友達になった。ちなみに帰ってからその時の事を
「好きな女の子の取り合いか。最近の子はませてるなー」
「はやてちゃんかわいいからね。こんなかわいい子に選んでもらった男の子は幸せ者だ。その子かっこいい?」
「うん!」
頭を撫でながら尋ねてくる理亜さんに私は勢い良くうなずいた。
健斗君の顔は目の色が左右違っている以外、正直そこらの子と変わらない。でも他の子供たちと違ってとても落ち着いている。それが私にはとてもかっこよく見えた。
そういえば、お父さんから目の色が左右違う人の事を聞いたことがある気がする。こうさいなんとかとか、おっどあいとか。多分健斗君がそうなんだろう。お父さんに会わせてみたかったな。
それからは毎日健斗君と一緒に遊ぶようになり、しばらくしてなのはちゃんが、小学校に上がってからは、一緒のクラスになって健斗君と仲良くなった雄一君、図書室で知り合ったすずかちゃん、すずかちゃんたちと喧嘩して仲直りしたアリサちゃんが加わるようになった。
その間にも健斗君への気持ちはどんどん大きくなっていった。他の男の子にはこんな気持ちを抱いたことは一度もない。
間違いない、私は健斗君に恋してる。
二年生の頃に初めて足が動かなくなって彼の事を諦めようとしたこともあるけど、やっぱりそれは無理だ。
健斗君は私が好きな、世界でたった一人の男の子なんやから!
◆
《時の庭園》内に管制人格
「観測機に異常反応! 何だあれは?」
管制人格が映っているモニターを見上げながらランディはそう口走る。
それに答えるように……
『夜天の魔導書の管制プログラム……《システムN-H》』
通信室からエイミィはつぶやきを漏らす。
リンディは彼女に向かって――
「エイミィ、はやてさんはどうなっているの? 彼女の姿が見当たらないけど」
『――状況確認! はやてちゃんの
その報告を聞いて、リンディは険しい顔で管制人格を見る。
(まさか、今までの主のように魔導書に飲み込まれてしまったの? だったら今のうちにデュランダルで封印した方が……いえ、まだそうと決まったわけじゃない。もう少し様子を見てみましょう。でも、もしもの時は――)
リンディは内心迷いながらもクルーたちに向かって声を発する。
「主砲の発射準備をしつつ待機! いつでも対応できるようにしておいて!」
リンディの言葉にオペレーターたちは戸惑いながらも指示に従う。
航行艦としては中型に当たるアースラには一つしか主砲を積み込むことができない。リンディの言う主砲とは、地球に闇の書があると知った直後にアースラに搭載した“あれ”をおいて他になかった。
眼下のオペレーターたちが慌ただしく準備を進める中、リンディのそばに立つトゥウェーは冷めた目でモニターを見上げながら……
(ふーん、あれが闇の書の融合騎か。伝説に残るだけあって凄まじい魔力量ね。歴代の主が目の色変えて完成させたがるわけだわ。まっ、その主たちのほとんどは闇の書が壊れてることも知らずに飲み込まれちゃったんだけど。“ドクター”もあんなものには興味ないみたいだし。あの方の興味はむしろ……)
そこでトゥウェーは管制人格の前に立つ健斗に視線を移した。
(さて、この状況で魔導書の修復なんてできるのかしら。せいぜい見守らせてもらうわよ、健斗君……いえ、《グランダムの愚王》)
◇
魔力の奔流による柱があった場所から、黒衣の衣装を着た銀髪の女が現れる。
彼女を見てクロノをはじめ、なのはとフェイトもいつでも対応できるように身構えた。
「……」
一方、俺は呆然と“彼女”を見る。
あの頃と何も変わっていない、俺が魔導書の主だった時とまったく同じ姿のままだ。でもなんだ? 喜びや嬉しさよりも強い違和感を感じる。
守護騎士たちはそれに気付かず、シグナムが“彼女”に対して問いをかけた。
「主はやてはどうした? お前と共にいたのではないのか?」
「……」
“彼女”は答えずに黙り込む。それを見て――
「はやてはどうしたって聞いてんだ! まさか本当にはやてを――主を吸収しちまったっていうのか?」
唾を飛ばしながら詰め寄るヴィータに“彼女”は首を横に振った。
「いや、主なら無事だ。姿を見せることはできないがな」
「……そうなの。早く出てこれるといいんだけど」
“彼女”の後ろに浮かぶ魔導書を見ながらシャマルはつぶやきを漏らす。はやてがまだ魔導書の中にいると思っているようだ。確かに、普通ならそう考えるのが妥当なんだろうが……。
“彼女”は俺に目を向ける。俺は彼女に向かって、
「……久しぶり、だな」
そう声をかけると、“彼女”は笑みを浮かべて言った。
「はい、
「――!」
その呼び方を聞いて、“彼女”
俺は身構えそうになるのをこらえながら、
「そうか……ところではやてはどうしてる? お前なら知ってるはずだろう」
「あの方は姿を見せることができません。そう言ったはずですが」
はやてについて問いかけると、“彼女”は笑みを消し語尾を強めて言い切る。俺は引かずに、
「主を置いてお前だけ出てきたのか? 忠誠心が強いお前らしくないな」
そう言うと“彼女らしき女”はぴくりと眉を吊り上げる。ここに来て守護騎士たちも何かおかしいと気付いたようだ。不審そうな目を女に向け、シャマルにいたっては後ずさりまでする。
そんな俺や騎士たちを前に、
「我が主、私をお疑いですか? 悲しいですね。長い時を経てようやく再会できたというのに」
女はそう言ってやれやれと頭を抱える。少なくとも“彼女”ならそんな仕草は取らない。
「そりゃ悪いな。俺だってこんな話したくねえよ。ただ、もう一つ気になっていることがある」
「……? 何でしょう。私には何も思い当たりませんが」
女は首をかしげながら聞き返してくる。そんな彼女に対し俺は言った。
「いつまで俺の事を“我が主”なんて呼ぶつもりだ? 今の主を差し置いて」
「――!」
その指摘に女も守護騎士たちも目を見張る。女は慌てながら、
「そ、それは……私があなたの事を今でも主とお慕いしているからです! 夜天の書が誰の手に渡ろうとその気持ちが変わることはありません!」
その言葉に俺は胸が熱くなりそうになる。あいつを道連れにしてしまった俺なんかのことをまだ慕ってくれているというのか。これが“彼女”の気持ちだったらどんなにうれしい事か。
だが――
「いいや、違う」
「……?」
首を横に振る俺に、女は訝しげな顔をする。
「俺とあいつは最後に約束したんだ。次に会う時は俺をケントと呼んでくれって。それにさっきも言ったけど、あいつは主に対して強い忠誠心を持つ奴なんだ。“彼女”が今でも俺のことを主だと思っていたとしても、今の主を置いて俺の事を“我が主”なんて呼ぶとは思えない。
正直に答えてくれ。お前は誰だ? “彼女”とはやては今どうしている?」
「……」
そう問いかけると、女は何も言えずに口を閉ざす。守護騎士たちとなのはたちは、俺たちの会話について行けず眺めているだけだった。
女はそのまま黙りこむもしばらくして、
「ふふふ……」
「えっ?」
不意に漏れた笑い声にシグナムは戸惑いの声を発する。
「名前を呼ぶ約束か、転生の手伝いの他にそんなものをしていたとはな。頑張ってあの子の真似したつもりだが全部台無しだ。それに……えらい妬けるわ」
「えっ……?」
最後の一言を聞いて、今度は俺が戸惑いの声を上げる。関西弁に近い口調、この声……まさか――
「健斗、そいつから離れろ!」
クロノの声と女から発せられる気配に反応し、半ば反射的に後ろに跳ぶ。
その直後、俺が立っていた床を突き破り、細い触手が飛んでくる。
獲物を外した触手の後ろで、女は魔導書を手に取りながら残念そうにつぶやいた。
「残念や。このままこの子の姿で混ざらせてもらうつもりやったんやけど、こうなったら仕方ない。健斗君も騎士たちもなのはちゃんたちもこの本の中に閉じ込めて、みんなで仲良くずっと暮らすことにしようか」
女の声と口調を聞いて、騎士たちもなのはたちもまさかと目を見張る。
……もしかして……はやて、なのか?