「もうええよリインフォース。そろそろ降ろして。飛ぶくらい自分でできるから」
空中で“彼女”に抱きかかえられながら、はやては“彼女”に指示する。
それを聞いて……
「はい。どうかお気を付けて」
はやてに言われ、“彼女”は慎重な手つきで主から手を離す。
“彼女”の手を離れ、はやては宙に足を付けた。
はやては俺たちを見回し気まずそうに何か言おうとするも、それをやめて夜天の魔導書に手を伸ばす。主が直接触れずとも魔導書はひとりでに動き、ある頁を開いた。
その中でわずかに空いてる空白を手でなぞりながら、はやては詠唱を唱える。
「リンカーコア送還、守護騎士システム破損修復……お願い騎士たち、もう一度だけ私のもとに」
乞うようにはやてが呼びかけると、彼女を囲むように四つのベルカ式魔法陣が浮かび、その中から四人の男女が現れた。それを見てなのはとフェイトは、
「ヴィータちゃん!」
「シグナム!」
「シャマル、ザフィーラ!」
彼女らに続いて俺も残る二人の名を呼ぶ。
それが届いたのか、守護騎士たちは眠りから覚めたように目を開き、辺りを見回す。そして……
「――主!」
「はやて!」
主の気配を察し、彼女たちはすぐに後ろを振り向く。そこには夜天の魔導書の中にいた自分たちの主と、魔導書の管制人格である“彼女”がいた。
騎士たちから視線を向けられる中、彼女たちに向かってはやては頭を下げた。
「……ごめんみんな。過去の主みたいなことはしないって言ったにもかかわらず、自分の身勝手でみんなにひどいことして。謝ってすむことじゃないのはわかってる。でも、もう一度だけ――」
「主はやて、頭を上げてください」
シグナムに言われ、はやては恐る恐る頭を上げる。そんな主に対してシグナムは続けた。
「おおよその事情はわかっています。私たちは夜天の書の一部のようなものですから。ですがそれよりも、主が再び我々を必要とし呼び出してくださったことが、何よりうれしく思います」
「防衛プログラムに操られていたみたいだったしな。主を守るのはお前の役目だったはずだけど」
「っ……」
責めるようなヴィータに、“彼女”は気まずそうな顔をする。
はやては“彼女”を守るように、二人の間に割って入った。
「ううん違う違う! リインフォースのおかげで私は正気に戻ることができたんや! この子がいなかったら私はもっと取り返しのつかんことをしていたと思う。そのことについても私はみんなに謝らなきゃあかん。なのはちゃん、フェイトちゃん、本当にごめんな!」
自分たちのすぐそばにいるなのはたちの方を向いて、はやては再び頭を下げる。それに対して、
「ううん」
「平気」
なのはとフェイトは笑ってはやてを許す。
そんな中……
「……?」
視界の隅に一枚の頁が映った気がして、俺はそちらに目を向けようとした。しかし、“彼女”が現れた途端、自然と目がそちらに行って――
「お久しぶりです……ケ、ケント。ようやくお会いできましたね」
ぎこちなく俺の名を呼ぶ“彼女”につられて……
「お、おう……久しぶりだな、リヒト……いや、リインフォースだったか……」
「はい……主はやてからその名を頂きました。これからはそうお呼びください」
顔が熱くなるのを感じながら、リインフォースの方を向いて俺もそう返事をする。するとリインフォース――次から地の文でのみリインと略させてもらおう――も顔を赤くする。名前を呼び合うだけなのに何でこうも恥ずかしく感じるんだろう?
そう不思議に思っているところで、背後からゴホンと咳払いが聞こえてきた。
俺とリイン、他のみんなもそちらの方へ顔を向ける。
そこにいたのは、口元に手を近づける仕草を取りながら飛んでいるクロノだった。彼の背後にいるユーノとアルフも「こんな時に何やってるんだ?」と言いたげな目を向けてくる。
クロノも似たような心境だったのだろうがそれを飲み込み、俺たちに向けて言った。
「水を差してしまうようですまないが、再会を喜ぶのは後にしてくれ」
そう言ってクロノは俺たちの背後を見、俺たちもそれに倣う。
先ほどまで“リインと同じ姿をしたもの”がいた場所……“そいつ”の代わりに、今そこには黒い球体のようなものが浮かんでいた。
「あの黒い淀み……魔導書から切り離された防衛プログラムがもうすぐ暴走を開始する。もし、それを放っておいたりしたら……」
クロノはそこで言葉を止め、リインはうなずきながら彼の言葉を引き継いだ。
「暴走が始まった瞬間に、周囲の物質を侵食して無限に広がってしまう。庭園や管理局の船はおろか、この次元の周囲にある世界まで防衛プログラムに飲み込まれてしまうだろう。特に地球という、主たちが生まれ育った世界が被害を受ける可能性は非常に高い」
「――っ!」
リインが告げた言葉に俺たちは思わず息を飲む。
一方、クロノは冷静なまま、
「落ち着け。奴を止めるプランはもう用意してある。そのプランを考えたのは健斗だろう、しっかりしてくれ!」
「ああ、悪い」
クロノに謝りながら俺も改めて気を引き締める。
あれを消滅させれば“闇の書の呪い”は完全に解ける。ここから脱出して、アルカンシェルで庭園ごと防衛プログラムを撃ち抜けばそれで終わりのはずなのだが……
「あの防衛プログラムは魔導書と主を守るためのシステムだ。はやてたちが自分から離れようとした瞬間、すぐに追ってくるだろう。《時の庭園》から脱出するには、奴の動きを止めてからでないと」
俺の言葉に一同は固い表情を見せる。ヴィータはクロノに向かって尋ねた。
「お前が持ってる杖で氷漬けにできねえのかよ? そのために作ったものなんだろう」
「それで防衛プログラムを止められるならいいんだが……」
デュランダルを見ながらクロノは難しい顔をする。そこへシャマルが口を挟んできた。
「多分難しいと思うわ。主のない防衛プログラムは魔力の塊みたいなものだから……」
「決まった姿形がない分、再生能力だけなら主や管制プログラムに取り付いていた頃とは比較にならん。凍結させても再生機能によってすぐに脱出してしまうだろう」
「――じゃあやっぱり、やるしかないってことだな」
シグナムの説明の後に、俺はそう告げて黒い淀みを見る。
毒々しい色の淀みに包まれている防衛プログラムを見ながら、リインが口火を切った。
「防衛プログラムはまず、魔力と物理を複合した四層式のバリアを展開するはず。それを破らない限りかすり傷一つ与えられない」
「せやから、まずはバリアを破って……」
リインとはやての次にフェイトが続く。
「それから本体に向けて、私たちの一斉砲撃で防衛プログラムを破壊する。その後は……」
「奴が再生している間に俺たちは急いでアースラへ逃げて、リンディさんたちにアルカンシェルを撃ちこんでもらう。それで防衛プログラムが消滅したらめでたく解決だ」
俺の物言いにはやてとなのはは苦笑を浮かべ、何人かは呆れた顔を見せ、俺たちを包む空気はわずかに弛緩したものになった。
その一方で……
◇
「ゴホッ! ゴホッ!」
「プレシア!」
「ちょっとおばさん! 本当に大丈夫なの?」
口に呼吸器をつけ上半身のみを起こした状態で空間モニターを眺めていたプレシアが咳き込むと、リニスが駆け寄り、アリサが声をかけた。
すずかも心配そうに――
「もう横になってた方が。フェイトちゃんたちの事は私たちが見てますから」
しかし、プレシアは彼女たちの言葉に耳を貸さず、モニターを注視し続けたまま声を荒げた。
「夜天の書とあの子たちがどうなっているのかだけでも見ておきたいわ。それに私はもう明日まで生きられるかもわからない身……だから私の事は気にしないで――ゴホッゴホッ!」
余命が一日にも満たないというのに、横にならず、娘たちと夜天の魔導書の様子を見続けるプレシアに、アリサとすずか、リニスも呆れを通り越して感心すら抱いた。
それほどまでに実の娘を蘇らせたいか、それともいまだ素直になれずともフェイトの安否が気になるのか、いずれにせよ並大抵の執念ではない。もっとも、プレシアが体を壊したのもその執念のせいなのだが。
そんなプレシアに、さしものアリサたちも説得を諦め始めたところで――
『プレシアさん……やっぱり起きているみたいね』
プレシアの目の前にもう一つのモニターが現れ、その向こうでリンディが呆れた表情を浮かべる。
「何かしら? 事情聴取なら後にして。そんなことをしている場合でもないと思うけど」
リンディの方を一瞥しながらすげなく言うプレシアに対して、リンディは首を横に振る。
『そんな状態のあなたに事情聴取なんてする気はないわ。大人しく寝ていろと言っても聞く気はないでしょう。その代わり、一つだけ言わせてもらっていいかしら?』
「……」
プレシアは答えず、視線で『好きにしなさい』と返す。
『夜天の魔導書は強大過ぎる力によって、多くの所有者や人々の願いと欲望を引き寄せてきた。あなたも愚王ケントも魔導書を利用しようとした人間の一人でしょう。
彼らの願いや欲望によって夜天の書は“闇の書”へと変わり、想像もできないほどの被害をもたらしてきた。
その呪いによって生まれたのがあの淀みよ!』
リンディの言葉につられ、プレシアとリニスはもう一つのモニターに映る黒い淀みを見る。
あれは歴代の所有者や彼らに関わった者たちの願望や欲望が生み出したものだ。闇の書の主だった愚王ケント、そして闇の書を奪い利用しようとしたプレシアも無関係ではない。
『そんな恐ろしい存在を前にしたらほとんどの人は逃げ出すでしょうね。でもあの子たちは真正面から闇の書の呪いに立ち向かおうとしている。フェイト……あなたの娘さんもね』
「……」
プレシアは答えない。リンディは続けて言った。
『あの子たちの戦いが気になるのなら気が済むまで見ていなさい。ただ、戦いを見ながら考えてほしいの。身がすくむほどの恐怖を押し殺してあの子たち、特にフェイトさんが何のために“闇の書”と戦おうとしているのかを。以上よ、他に言うことはないわ』
そう言って、リンディはそっけなく通信を切る。
そして、プレシアは再び空間モニターを見ながらぽつりと言った。
「……フェイト」
プレシアとの通信を終え、リンディは一度だけ息をつく。
これでプレシアとフェイトの関係が少しでも改善されればいいのだが。もうわずかしか残ってない余命の間もすれ違ったままでは、母にとっても子にとってもあまりに悲しすぎる。
彼女たちに思いを巡らせてから、リンディは表情を引き締め……
「アルカンシェル、チャージ開始!」
リンディの命令にオペレーターたちは一斉に「はい」と答え、端末ごしにアルカンシェルに魔力を注ぎ込む。
彼らに紛れてトゥウェーも作業をしながら、防衛プログラムと対峙している彼らを見守っていた。
(いよいよ最後の仕上げってところね。防衛プログラムとやらを止めてここまで帰ってこれるかしら? できれば愚王とフェイトって子だけでも無事に戻ってきてほしいものね。ドクターが手掛けている《人造魔導師計画》、そして《ファルガイア復活計画》のために……)
◇
『そろそろ暴走が始まるけど、準備はできてる?』
通信越しに問いかけてくるエイミィさんに、俺たちははいと答えかける。しかしそこではやては俺たちの服と体に付いている傷に気がつき、
「あっ、三人ともちょっと待って……シャマル!」
主の意を察し、シャマルは笑みを浮かべながら言った。
「はい、三人の治療ですね……クラールヴィント、本領発揮よ」
そう言ってシャマルは自身の指にはめ込まれているクラールヴィントに口づけし、クラールヴィントは『Ja』と応える。
シャマルは足元に魔法陣を浮かべながら舞う。
『静かなる風よ、癒しの恵みを運んで』
すると、俺たちの傷と服は見る見るうちに元に戻った。
俺はシャマルに向かって、
「ありがとうシャマル。治療に関しては相変わらず見事だな」
「癒しと補助が私とクラールヴィントの本領ですから。ところで、“治療に関して”とはどういう意味でしょうか?」
シャマルの問いに俺は思わず目をそらす。しまった、つい口が滑ってしまった。
そんな俺たちの横では……
「じゃあリインフォース、私たちも初陣の準備と行こうか」
「はい、我が主!」
はやての問いかけにリインは力強いうなずきと返事で答える。
はやては手にしていた杖を掲げ――
「夜天の光よ、我が手に集え。《祝福の風・リインフォース》、セーットアップ!」
その瞬間、リインフォースは紫色の球体となってはやての胸に入り込み、はやての衣装に腰マントと白いジャケットと帽子、背中に二対の黒羽根が装着され、瞳には青みがかかり、髪は雪のように白くなる。
防衛プログラムの浸食をはねのけ、数百年の時を経て《真の夜天の魔導書の主》が誕生した瞬間だった。
丁度その時、氷漬けの床を突き破って、間欠泉のように黒い魔力の渦が噴き出してくる。
「始まる……」
クロノがそう呟いた直後に、黒い淀みを破り、二対の翼を生やした巨大な獣と、獣の頭から上半身だけが生えたような格好で、リインに似た赤紫色の肌の女が現れた。