「――母さん!」
闇の書の防衛プログラムが消滅したことで、歓喜のムードが沸いているアースラの廊下を通りながら数分。
医務室についた途端、フェイトはベッドがある奥へと駆け込む。リニスはベッドのそばに置かれていたスツール(簡易椅子)に腰かけていたが、フェイトに気付くと立ち上がりながら彼女を迎える。
ベッドに横たわっているプレシアさんは、何本かのチューブで繋げられており、呼吸する度に曇りがかかっている呼吸器が口に付けられていた。
「母さん! 母さん、しっかりして!」
「…………フェ……イト…………」
フェイトがプレシアさんの手を握り何度も呼びかけると、プレシアさんはゆっくりと目を開けてフェイトの名前を呼ぶ。その声はかすれており、集中していないと聞き逃してしまいそうだ。
「…………立派だったわ」
「――!」
プレシアさんの口から出てきた一言にフェイトは目を見開く。
プレシアさんはさらに言った。
「あんな恐ろしい相手に一歩も引かず……それどころか、完膚なきまで倒してしまうなんてね……私ではあんなこととてもできなかった」
「……う、ううん! あれを倒せたのはみんながいたから。私なんてまだまだだよ。母さんやリニスに比べたらまだまだ……だから私はこれからも勉強や修練を続ける! もっと強い魔導師になれるように。母さんの娘として恥ずかしくないように――」
フェイトが話している途中でプレシアさんはふるふると首を横に振り、
「違うわ……」
その一言にフェイトは「えっ?」と声を漏らす。
「フェイト……私はあなたを生き返ったアリシア、あるいはアリシアの代わりとして育てようとした……でもあなたはアリシアとは全然違っていた。月日を重ねるごとにあの子との違いは歴然としたものになっていったわ」
「ちょ――ちょっとおばさん!」
事情を知らないまでも、二人の会話にただならぬものを感じてアリサは彼女たちの所へ踏み込もうとする。だが、すずかが伸ばした手に阻まれてそれ以上近づくことができなかった。
アリサはすずかを睨む。しかし、すずかは首を横に振って何も言わなかった。次いでアリサは二人の近くにいるリニスを見るも、やはり彼女も首を横に振るだけだった。
そこまできてアリサも、二人が自分を制した理由を察して動きを止めた。
プレシアさんは続きを話し始める。
「だから私はリニスを作って、リニスにあなたの事を丸投げした……あなたから逃げようとしたとも言えるわ。……弱いのは私だった。“大魔導師”なんて名乗っておきながら、あなたやリニス……アルフよりずっと弱かったのよ」
それを聞いてアルフも目を丸くする。プレシアさんがアルフの事を認めたのも名前を呼んだのも、これが初めてだ。
「フェイト……あなたはもうとっくに私より強い……自慢の娘よ。恥ずかしいなんて思うわけがないじゃない」
「母さん――」
初めての賛辞に、長い間かけられなかった言葉にフェイトはついに涙をこぼす。
涙をぬぐおうとしてフェイトは今まで握っていたプレシアさんの手を離すが、プレシアさんは手を上げたままフェイトに聞いた。
「頭を……撫でてもいいかしら?」
「――!」
フェイトは首を縦に振ってそのまま頭を下ろす。そんなフェイトの頭にプレシアさんは恐る恐る手を近づけ、彼女の頭を撫でた。
フェイトの頭をゆっくり撫でると、プレシアさんの目からも涙がこぼれる。
「ずっと……心のどこかではずっとこうしたかったのかもしれない……ごめんねフェイト。リニスとアルフも……許してなんて言えるはずないけど、“最後”だけでもあなたに謝っておきたい……本当にごめんなさい、フェイト」
その言葉を聞いた瞬間、フェイトははっと顔を上げる。そして叫んだ。
「最後だなんて言わないで! 夜天の書だってちゃんと持ってきた! 夜天の書さえあればアリシアを生き返らせることだってできる! そのために今まで頑張ってきたんでしょう!」
それを聞いてプレシアさんはつぶやくように言う。
「そう、夜天の書もここにあるの……では書の主たちも……」
「うん! はやても守護騎士たちも健斗もここにいるよ! はやてたちなら母さんとアリシアのために夜天の書を使わせてくれる! ――そうでしょう!?」
フェイトはこちらを振り向き、涙もぬぐわずに同意を求める視線を送ってくる。
俺たちは数歩足を進めて二人に近づく。
その足音を聞いて、プレシアさんもわずかに頭をもたげながら俺たちに声をかけた。
「あなたたちも来てくれていたの……体を動かすことができなかったから気付かなかったわ」
そう言ってからプレシアさんは俺とリインを見回して、
「…………あなたの方は大切な人を取り戻すことができたようね……大事にしなさい……失った後に後悔しても手遅れだから」
「ええ……よくわかってます」
そう忠告してくるプレシアさんに俺はそれだけ答える。
続いてプレシアさんははやてに顔を向けて、
「八神、はやてさん……あなたにも迷惑をかけたわね……こんなことをお願いするのは図々しいと思うけど……あなたが持っている夜天の書をアリシアを生き返らせるために使わせてもらえないかしら……私にできる事なら何でもする。だから……お願いします」
すがるような目で懇願してくるプレシアさんに、はやては首を縦に振った。
「はい。うまく行くかはわかりませんけど、私たちにできるだけの事はするつもりです」
「ありがとう…………」
プレシアさんは弱々しい返事とともに安堵の笑みを浮かべ、再びフェイトに顔を戻した。
「フェイト、こんなことを言う資格があるとは思えないけど、あなたにもお願いしたいことがあるの……もしアリシアが生き返ったらあの子の事をお願い……わがままな所もあるけど明るくて優しい子だから……きっとフェイトを妹だと認めてくれる。アルフとも仲良くなれるはずよ……そうあの子が言ってたもの…………」
本当にかすれるような声でそう言って、プレシアさんは目を閉じようとした。それを見て――
「母さん! 待って母さん! いきなりそんなこと言われても困るよ! 嫌だ。やっと笑ってくれたのに。やっとわかりあえたのに。母さん! ――母さあん!!」
フェイトはプレシアさんにすがりつき、彼女の肩をゆすりながら何度も呼びかける。ドラマでよくある臨終シーンのように。
あとわずかでプレシアさんは息を引き取り、部屋中にフェイトの絶叫がにこだまするだろう。
そんな展開ぶち壊す!
「シャマル、治療魔法でプレシアさんの病気の進行を止めてくれ。はやてとリインは夜天の書を使う準備を――急いでくれ!」
俺の言葉にシャマルは戸惑いながらもすぐに「ええ!」と答えて、やんわりとフェイトをどかしながらプレシアさんに駆け寄る。
「あなたたち――一体何を?」
「喋らないでください! これ以上は体に障りますし治療にも集中できませんから――『癒しの風よ!』」
戸惑うプレシアさんを阻みながらシャマルは治療魔法の詠唱を唱え始める。
「ええと……病気を治す魔法が載ってるとこ探すんかな?」
「いや違う。プレシアさんの病気はもう通常の治療魔法で治せる段階じゃないから、夜天の書が蓄えた魔力を付加する方法を探した方がいい。リイン!」
「はい。主はやて、まずは427ページを開いて……」
シャマルの後ろで、はやては夜天の書を広げながらリインが指示する頁を開く。
だがプレシアさんは病に侵された喉から大きな声を振り絞りながら――
「私の事はいいわ! さっき言ったでしょう! アリシアを生き返らせてくれるって! それなのに私の病なんか治してどうするの!? 私よりもアリシアを――ゴホ! ゴホッ!!」
無理をして怒鳴った反動で、プレシアさんは苦しげに咳をこぼす。
そんなプレシアさんに俺はたまらず――
「うるさい黙ってろ! 約束通りアリシアは後で生き返らせてやる。だがまずはあんたからだ! あんたにはさんざん俺たちの邪魔をした事やフェイトたちに行った仕打ちについて、責任を取ってもらわなきゃならないからな!」
大声で怒鳴り返すとプレシアさんは気圧されたように押し黙り、なすがままにされる。
それによって治療室には静寂が訪れ、シャマルの詠唱と、俺やリインがはやてに指示を出す以外の声や物音がしなくなった。
空気が読めない行為かもしれない。魔法でも治すことができない重病人をロストロギアの力で助けるなんて、自然の摂理にもとる行いかもしれない。
それでも俺は目の前にいる人を救わずにはいられない。
『御神健斗』はそのために生まれてきたのだから。
◆
それからしばらくして、はやてとリインは魔力付与の準備を整え、シャマルも手を止めて彼女たちの方を見る。
「はやてちゃん、こっちの準備は出来ました。いつでも大丈夫です」
「うん。リインフォース、制御の手伝いをお願いできる。魔力が小さすぎても大きすぎてもあかんみたいやから」
「お任せください。我が主」
眼前に夜天の書を浮かべて指示を出すはやてに、リインはこくりとうなずいた。
「我が乞うは癒しの力。風の癒し手にあらゆる病を打ち消す力を――《エンチャント・トリートメント》」
はやてが呪文を唱えると、夜天の書から白い魔力光があふれ出してくる。リインはその光を適正な量に抑えながらシャマルに受け渡していく。
シャマルははやてたちから受け取った魔力光をクラールヴィントにまとわせながら、両手を上げた。
「《湖の騎士》シャマル。これより
詠唱とともにプレシアさんの喉が緑色の魔力光が包まれる。その光景を見て、
(そういえば、フィーを治した時に使った魔法もあれと同じものだったな)
“夢”の中でフィー――クラリフィエ・エインズ・パスティヤージュの病を治した時のことを思い出す。あの時も同じ方法で夜天の魔導書を使い、彼女の病気を治した。
だが、あれは夜天の書の暴走を食い止めることができた“もしも”の話だ。実際には俺たちが《フロニャルド》を離れてからしばらくして、フィーは……。
それからもシャマルははやてやリインとともに何度も同じやり取りを繰り返しながら、プレシアさんの治療を続ける。
リニスもフェイトもアルフも、なのはたちとともにそれを遠巻きに眺める事しかできなかった。
「……終わりました」
その一言が聞こえると俺は意識を戻して、みんなとともにベッドの方を見る。
さっきまで呼吸器の力を借りて苦しそうな息遣いをしていたプレシアさんは、安らかな寝息を立てながら眠っており、シャマルは彼女に背を向け俺たちの前に立って口を開く。
「成功です。一晩眠って明日になれば元気になると思います」
「――本当ですか!?」
それを聞いてフェイトは目に涙をにじませながらシャマルに尋ねる。シャマルはこくりとうなずきを返した。
するとフェイトは泣き崩れてリニスにしなだれかかる。フェイトを抱きしめるリニスの目にも涙が浮かんでいた。
そんな二人を見てアルフは複雑そうな顔を浮かべていたものの、他のみんなは「よかったね」などの声をかけ弛緩した空気が流れる。
だが……
「じゃあそろそろ次の作業に入るぞ。こっちの方は時間が迫っているわけじゃないが、後伸ばしにしていいものでもない」
俺がそう告げると再び皆、特にはやてたちに緊張が走る。
これから行うことは、現代の魔法では――夜天の書をもってしても不可能と言われている、本当の意味で自然の摂理に反することだ。
夜天の魔導書をもってしてもできないと言われていることが二つある。一つは“時間への干渉”、そして二つ目が“死者の蘇生”。
それらに関する技術は古代ベルカでも現代のミッドチルダでも確立されていないため、どんなに膨大な魔力があっても時間や死者に干渉することは不可能だ。それこそプレシアさんが考えていた通りアルハザードにしか望みはないだろう。
だからアリシアが
うまくいったとしても不可能に近い事を成し遂げた代償に、夜天の書に蓄積された魔力はほとんど使い果たしてしまうだろう。そちらに関しては悪い事ばかりでもないのだが。
「みんなは外に出て行ってくれ。ここにいてもすることがないだろうし、フェイトに付き添ってやってほしい」
「私は――」
フェイトが何か言おうとするが俺の真意を察したのかすぐに押し黙る。さらに……
「そうですね。ずっとプレシアに付き添っていたのでちょっと疲れてしまいました。お言葉に甘えて一休みさせていただきます。行きましょうフェイト、皆さんも」
リニスがそう言うとフェイトは大人しく首を縦に振り、彼女に付き添うためになのはを始め他の皆もぞろぞろと医務室を後にする。
そしてこの部屋には俺とはやて、リイン、シャマル、そして
俺はカーテンを開けてはやてたちの眼前に“それ”をさらす。
そこには青緑色の保存液に満ちたポッドに入れられたままのアリシア・テスタロッサがいた。
最期だけでもアリシアのそばにいたいというプレシアさんの希望で、昨日からこの部屋に移しておいた。こうやって隠しておけば人目にもつかないしな。
アリシアは膝を曲げ、生まれたままの姿でポッドに浸かっている。幼いながらも容貌はフェイトそっくりの整った顔立ちをしているが、彼女の状態を考えたら欲情どころか目を背けたい衝動に駆られる。
それを飲み込みながら俺ははやてたちの方を見て告げた。
「それじゃあ始めるぞ。これから夜天の書を使って……アリシアを蘇生させる」