収穫祭という名のイモ掘りを終えてから、俺たちはシャワー室で体についた汚れを落として着替えを済ませ、再びカリムさんの執務室に戻っていた。
はやてはスマホを握りしめながら、
「ふう……いい汗かいた。写真もいっぱい撮れたし、美沙斗さんも騎士たちも喜ぶわ!」
「イモ掘りの写真なんかであいつらが喜ぶかよ。しかし、まさか教会の行事にイモ掘りがあるなんてな。少し意外です」
カリムさんに向けて言うと、彼女はふふと微笑んで言った。
「元々諸王時代のベルカは、悪天候や戦乱で土壌が荒らされたことで小麦や稲などの収穫量が著しく減ってしまったため、多くの国や地域で芋類が主食となっていました。聖王陛下が率いていた軍の食事もほとんどお芋と野菜ばかりでしたが、陛下はそれに不平を漏らすどころか、兵糧の確保のために《ゆりかご》内で芋といくつかの野菜を栽培するように指示されました。それが聖王教会の前身となる《新派》に伝わって、教会内で芋類の栽培と収穫が行われるようになったそうです。それに外部から信者の皆さんが加わるようになって、『収穫祭』と呼ばれるようになったと言われています」
カリムさんの説明にはやては「へえ」と感心した声を上げる。
その話は本当だろう。あの頃のベルカでは、パンや菓子など小麦を使った料理は手に届かない高級品で、王族や貴族も一週間に一度しか食べられないほどだった。オリヴィエもシュトゥラで過ごしている頃――特に従軍中は芋を中心とした粗食ばかりを口にしていたという。
その頃の経験がゆりかごに乗った後の彼女にも影響を与え、こんな形で後世に伝わるとはな。
「皆様、お待たせしました! 料理が出来上がりました!」
話の途中でシャッハさんをはじめとするシスターたちが部屋に入って来て、出来上がった料理をテーブルの上に乗せてくる。もちろんメインディッシュは、さっき収穫したばかりの芋を使った芋料理だ。
俺たちはいったん雑談を中止し、料理が並べ終わるのを待つ。
それが終わるとカリムさんはシャッハさんに自分の隣の席につくように命じ、他のシスターたちが出て行ったところで神妙な顔を作る。
そして右手で“胸の前に円を描き”、腕を組みながら口を開く。俺たちも彼女に遅れて腕を組んだ。
「大いなる神たる主。主の騎士たる聖王陛下。
我らと我らが食する賜物にどうか主らからの祝福あれ…………」
そこまで言ってカリムさんはしばしの間目を閉じ、沈黙を保つ。そして彼女は腕を解いてナイフとフォークを持ちながら「いただきましょう」と告げる。クロノたちもそれに続いて、俺とはやてはつぶやくように「いただきます」と言ってから食器を持った。
“大いなる神”か……久しぶりに聞いたな。ベルカ人の中にはまだ覚えてる者がいるのか……。
「ベルカ平定後、次元船を使って各世界に散った《新派》や彼らが設立した《聖王教会》の宣教師によって、聖王陛下の偉業と教えは他の次元世界でも広まり、聖王教会は次元世界で最大と言われる規模を持つ宗教団体となりました。元々他の次元世界でも、《初代聖王》陛下が神格化されているところが多かったことも一因ではありますが」
食事をとりながら、カリムさんは聖王教会のいきさつを説明してくれる。それにはやてを含め何人かが適度なタイミングで相槌を返していた。
それに続いてシャッハさんが補足するように言う。
「現地世界にあった宗教との衝突もなくはなかったのですが、オリヴィエという実在する人物を信仰対象としている聖王教の性質上、現地宗教の神々を否定するわけにいかず、いつの間にか『聖王は次元を越えたあらゆる神々の騎士にあたる存在』という話が出来上がり、他の宗教よりずっと制約が少ない事もあって、聖王教は現地宗教の信者をも取り込みながら急速に各世界で広まるようになりました」
そこまで言ってシャッハさんは
『あらゆる神々の騎士』。その話が布教の
「もしかして……聖王教がミッドチルダに広まっているのもその布教がきっかけなんですか?」
敗戦したにもかかわらず、という言葉を飲み込んでから俺は尋ねる。それに気付いているかのようにカリムさんは苦笑しながら首を縦に振った。
「ええ。聖王教会はミッドチルダにも宣教師を派遣していましたし、ミッドにも初代聖王陛下を信仰する地域がありましたから。もっとも、ベルカとミッドチルダの戦争中は禁教に指定されていましたが。しかし戦後、敗戦したベルカ人を管理下に置く際、彼らの心理的圧迫を和らげるため、教会に一定の自治と活動の自由を認める代わりに、未開地に住まうベルカ人の監督とミッド政府との仲介を任されたのです。ベルカ人たちの中で大きな力を持つ《ベルカ三家》とともにね」
そして聖王教会は戦後に布教活動を再開し、ベルカ人の代表としての立場も利用することで、ミッドチルダ――さらに後に設立される時空管理局にも大きな影響力を持つようになったわけか。
たくましいというべきか抜け目がないというべきか。
「でも、カリムさんが食事の前に祈っていた、“大いなる神”とは一体なんです? 俺の記憶が確かなら、あの祈りは《ファルガイア》に祈る時の作法と同じものなんですが……」
「――!」
「ほぉ……」
「…………」
俺の指摘に、シャッハさんとヴェロッサ――芋掘りの最中にクロノ込みで彼とまた話し、敬称を取ることにした――は目を見張り、カリムさんは表情を消す。そして……
「詳しいですね。だてに“かの王”と同じ名を持っているわけではありませんか。ロッサが見た記憶の件もありますし、やはりあなたは本当に……」
カリムさんはそこで言葉を止める。それと同時にはやてはたまらずといったように口を挟んできた。
「健斗君、カリムさん、“ファルガイア”ってなんなんです? 聖王様とは違うみたいですけど……」
その問いにカリムさんは観念したようにふうと息をつき、真剣な顔つきで言った。
「ファルガイアとは、《先史時代》の頃から初代聖王とともにベルカで信仰されていた神の御名です。この次元空間とあまねく世界を創造した神とも、人類が魔法を使えるように導いた神とも言われ、当時のベルカ人からは《高次神ファルガイア》と呼ばれていました」
「高次神……」
「……ファルガイア」
エイミィさんとはやては不思議そうな響きでそれを口にする。カリムさんはうなずき。
「とはいえ、現在ではそれを覚えている人間は少なく、聖王教会の教義にもかの神には触れていません。ですが一部のベルカ人はファルガイアを唯一あるいは至上の神と捉え、今も崇めています。私もそのうちの一人ですが」
白状するようにカリムさんは言葉を吐き出す。皆が呆然とする一方、クロノは平然とした顔で聞き入っていた。
「お前は驚かないんだな」
尋ねる俺にクロノはうなずき。
「ああ。神格化されたといっても、聖王は300年前にいた人物だからね。それ以前は別の神様や聖王が信仰されていただろうし、それを覚えている人間がいたとしても驚かないよ。むしろ君が知ってることの方が驚きだ。君って信心が浅そうだから」
「んだと!」
クロノの言葉に俺は思わず凄みを利かせる。
まあ否定はしない。何しろベルカ王族や一部の学者の間では、ファルガイアとは――
「アルハザードの統治者、もしくはそれに準ずる最高位の魔導師……それがファルガイアの正体ではないかと言われているらしいね。その様子だと君もそう思っているのか」
「――ロッサ!」
ヴェロッサを咎めるようにシャッハさんは甲高い声を上げる。しかしカリムさんが彼らの名を呼ぶと、二人はすぐに口を閉ざした。
「確かにそのような話も聞いています。ファルガイア信仰が生まれたのは先史時代以降。ベルカにやってきたアルハザードの魔導師がその名を口にしたのがきっかけと言われていますから。
ですが、みだりにそれを口にしないようにしてください。教王様をはじめ、教会の上層部も密かにファルガイアを信仰しています。もし今の話が彼らの耳に入れば、聖王教会に出入りすることはできなくなるかもしれません。特にロッサは気を付けて! 教会側の人間がファルガイアのことを口にすればただではすまないから」
「……」
カリムさんの忠告に俺たちもヴェロッサも黙ってうなずく。
表向きには“神々の騎士”である聖王を信仰対象としつつ、裏ではファルガイアを崇め立てている者たちがトップにいるわけか。教会の方も色々ありそうだな。
「さて、食事も終わりましたし、そろそろ本題に入りましょうか」
皿が空いたところで、カリムさんは口元をナプキンで拭いてから切り出す。それを聞いてシャッハさんは椅子から立ち上がり、テーブルの上にある皿や食器を別の机に移し始める。はやてはそれを手伝おうとするが、シャッハさんに止められ椅子に座り直した。
カリムさんは一度大きな咳払いをして口を開く。
「本日あなた方に来てもらったのは、収穫祭への参加と教会の成り立ちを話すためだけではありません……これから近い先に起こる、それもはやてさんや健斗さんの住む第97管理外世界――地球で起こるかもしれない“危機”についてお話しするためです」
「「――!」」
地球や危機という言葉に俺とはやては思わず息を飲む。驚く俺たちを一度見回してからカリムさんは、
「もちろん、古代ベルカ式の魔法を使う《騎士》であるあなた方と交流を持ちたいと思ったのは確かですが」
と言いながらも、彼女は真剣な表情を崩すことはなかった。
カリムさんは俺に向かって言う。
「ただ、“危機”について話す前に一つだけお伺いしたいのですが……健斗さん、あなたは《フライングムーヴ》という時を止める技能を使う事ができるそうですが。もしや、あなたはベルカの王族の血を引く御方では? 色違いの瞳も固有技能もベルカ王族が持つ特徴なんですが」
カリムさんの問いに俺は首を振って答えた。
「さあ、どうでしょう? 物心ついた時から施設で育って、本当の両親を知らないため、答えたくても答える事が出来ません」
前半は本当だが後半は嘘である。俺の身に起きた“転生”の仕組みはもう掴んでいる。俺――“健斗”に本当の両親と呼べるものがいない事もすでに承知の上だ。
一方、カリムさんは気まずそうに顔を曇らせて……
「失礼しました。本局からの資料で知ってはいたのですが。……ではベルカに存在していた『グランダム王国』の王、ケント・α・F・プリムス様を知っていますか? 身体的特徴の一部が一致するのに加え、あなたと同じ固有技能を使っていたそうなんですが」
「……何が言いたいんです?」
俺の問いにカリムさんは迷うように視線を泳がせながらも、すうっと息を吸ってそれを口にした。
「御神健斗さん。あなたは、グランダム王ケント様の転生体……かの御方の生まれ変わりではないのですか?」
「……」
彼女がぶつけてきた直接的な問いに俺は口を閉ざして沈黙する。どうするか……。
ケント――《グランダムの愚王》といえば、聖王に歯向かった最大の敵だ。俺がその生まれ変わりだと知れば、彼女や教会はどんな行動に出るか。
とはいえ、今更ごまかしても無駄な気もする。それにその先の話――地球で起きるかもしれない危機というのは気になるところだ。
「……こっちも教えてほしい事がある。カリムさん、あんたが俺の正体に確信をつけた理由はなんだ? さっき俺たちと握手した時のヴェロッサの反応と関係があるんじゃないのか?」
「――」
「……」
口調を崩して問いかける俺に、カリムさんとシャッハさんははたじろぎを見せる。
だが二人と違い、彼は……
「やれやれ、鋭い勘の持ち主だ。伝記に書かれている“愚王”とは大違いだ」
ヴェロッサは苦笑いを浮かべながら肩をすくめる。思わず睨む俺に、ヴェロッサは少しこわばった笑みを向けながら言った。
「お察しの通り、僕は《思考捜査》という技能を持っててね。それで君とはやて君の思考と記憶を
「――なっ!?」
「ええっ――!?」
ヴェロッサの告白に俺とはやては仰天して叫ぶ。そんな俺たちにヴェロッサは片手を突き出し、笑いながら言った。
「ああ、心配しなくてもあれだけの握手じゃ大したことはわからないよ。“闇の書”や“ベルカ”に絞って読み取っただけさ。まあ少し余分な記憶も見えてしまったけど……いやあ、最近の子はすごいなあ! 健斗君とはやて君が二人きりであんなことをするまで進んでいたなんて!」
「ええっ!?」
「まあ――!!」
説明の後に付け足した最後の一言に、エイミィさんとカリムさんは素っ頓狂な声を上げる。
否定しようと、俺が声を上げようとしたところで――
「バカな冗談はやめなさい!」
シャッハさんはすかさずヴェロッサさんの頭をはたき、彼の頭を掴みながらともに頭を下げた。
「申し訳ありません、ヴェロッサの悪い癖が出ただけです。それにカリム。初対面のエイミィさんはともかく、あなたまでロッサのたわごとを真に受けないでください!」
シャッハさんに言われ、カリムさんもエイミィさんも顔を赤くしながらも落ち着きを取り戻す。なんとなくカリムさんたちの力関係がわかってきたな。
クロノは呆れを隠すように頭の後ろを掻きながら、
「とにかく、ヴェロッサは《思考捜査》ともう一つ探索用の
「そ、そうか……確かに査察向きの技能ではあるな」
「そ、そうやね……」
俺はなんとかそう答え、はやても乾いた笑みを浮かべた。
(まあ、似たような記憶と願望は見えてしまったけどね。本当に最近の子は進んでいるというか……健斗君も彼女
それから少し経って……。
「カリムさんが言った通り、俺はケントという名の王――ベルカで《愚王》と呼ばれていた男です。でも、聖王に恨みは持っていませんし、教会やミッドチルダに何かするつもりもありません」
訴えるように話す俺にカリムさんはうなずいて。
「それは承知しています。闇の書――いえ、夜天の魔導書が完成した時の事を考えれば、あなたがなぜあのような事をしたのか想像は出来ます。ヴェロッサの《思考捜査》と先ほどまでのふれあいで、あなたの人となりはよくわかりましたし……それに……」
そこでカリムさんは言葉を詰まらせる。俺たちは怪訝そうに彼女を見るも、カリムさんはごまかすように話題を変えた。
「とにかく、あなたを害するつもりはありません。それだけはわかってください。そのうえであなたとはやてさんには先ほど話した“危機”と、それを記した《預言》について聞いていただきたいのですが」
「預言……?」
聞き慣れない言葉にはやてが疑問の声を上げる。
カリムさんはうなずき、眼前に表示したモニターを使い遠隔でカーテンを閉め、懐から煤けた色の紙束を取り出しながら部屋の中央へ移動する。
この光景、一度だけ見たことがあるような……。
カリムさんは紙を束ねている帯をほどく。するとカリムさんの手の上に乗っていた紙束は発光しながら宙に浮き、輪になって彼女のまわりを囲んだ。
あまりの光景にはやては口をあんぐりと開け、クロノとエイミィさんも目を見張る。
輪状に浮かぶ紙の中心でカリムさんは口を開いた。
「これは私の技能――《
そう言ってカリムさんは安堵の吐息をついて、周りを飛ぶ紙片の一枚を手に取り、すうっと息を吸ってから口を開いた。
「『死した星より一人の女と《鉄の魂》、もう一人の女が、管理より外れた97の世界へ降りる。
それに対するは愚者を演じし王と三人の乙女たち。
されど彼らの力は及ばず、『果てなき鉱石』より《不滅の闇》と“王”に従う三体の従者は蘇り、さらに《鉄に封じられし魂》も力を取り戻し、東の京は鉄の群に覆われる。
鉄の群は《不滅の闇》とともに97の世界を侵し尽くし、あらゆる法と秩序を砕きながら、他の星と海に広がり続けるだろう。
姿を変えし獣たちが手を貸さぬ限り』」
…………。
読み終えるとカリムさんは紙片を持ったまま言葉を止め、部屋に沈黙が漂う。そんな中……
「“東の京”が鉄の群に覆われ、“管理より外れた97の世界”が侵し尽くされる……それに《不滅の闇》ってもしかしなくても……」
はやては重い口調でそう言い、言葉を止める。続けて俺もカリムさんに言った。
「カリムさん。その紙片、俺たちにも見せてもらえますか?」
その問いにカリムさんはうなずきを返す。すると四枚の紙片が俺とはやて、クロノとエイミィさんのもとに飛んできた。
紙片に浮かんでいる文はベルカ語で、かなり古い言語だった。……俺たちが使ってたものより一時代前のものか。
「ご覧の通り、ここに書かれてあるのはベルカ語……それも先史時代で使われていたと思われる難解な文です。そのため解釈ミスも少なくなく、的中率は少し当たる程度です」
そう言ってカリムさんは表情を曇らせる。彼女を励ますようにクロノが言った。
「だが、聖王教会や次元航行部隊のトップは、新しい預言が出るたびに必ずそれに目を通す。次元航行部隊の方はあくまでも有識者による予想情報の一つとしてだが」
「今回の預言のことも次元航行部隊のトップ――『本局長』に報告してあって、預言の内容を踏まえてカリムさんと本局長が会談した結果、地球にある部署を建てる事になったんだって。その部署が――」
「『東京臨時支局』……ですか」
俺のつぶやきにクロノとエイミィさんは首を縦に振る。
夜天の書の影響と残存プログラムが残ってないか調べるために設立された部署と聞いていたが、カリムさんの預言も理由の一つだったのか。どおりで夜天の書がある海鳴市ではなく、“東京”に建てたわけだ。預言と同じ“東の京”の名がついた都市に。
「ただ、そこまでしていただいてなんですが、本当に東京というところで何か起きるのかはわからないんです。先ほども言ったように、紙片に浮かぶ言語は私が知ってるベルカ語より難解なもので、解釈を間違える事も多いんです。もしかしたら私の読み間違いかもしれません。ですが、内容が内容だけに放っておくわけにもいかず、あなたたちにも来ていただいたのですが……」
そう言ってカリムさんは不安そうに口をつぐむ。それに対して俺は紙片を掴み取りながら――
「いや、多分、カリムさんの解読は
「――えっ!?」
紙片を見ながら吐露する俺にカリムさんは丸くした目を向けてくる。
「間違いないんじゃないかって――まさか……読めるのか? これに書かれてある文が?」
紙片を指さしながら、信じられない様子でクロノは尋ねてくる。
そんな彼に、俺はうなずいて答えを返した。
「ああ……この文字って中期頃のものでしょう。だったら読めると思います。ベルカに住んでた頃、魔法と一緒に歴史や一昔前の言語の勉強もさせられたので」
「……」
カリムさんに向けて言うと、彼女はぽかんと口を開きながら俺を見る。
その頬には恥ずかしさから赤い色が浮かんでいた。あれだけ難解だと言った言語を、10に満たない子供があっさり読み解いてしまったのだから無理もない。精神的には20だし、元はベルカの人間だから少し前のベルカ語を読めても不思議ではないんだが……。
「ただ、やっぱり俺の訳と所々違いますね。全体的には変わりませんが、やはり微妙に意味が違っている所が……」
「――っ」
子供に指摘されたからか、カリムさんは顔を真っ赤にしながらうつむく。それを見ていられなかったのか――
「もういい、君が読めるのはわかった。それで、君が読んだ限り、これにはなんて書かれてるんだ?」
紙片をひっつかみながらクロノはそう聞いてくる。
俺は肩をすくめ、一呼吸おいてから預言を読み上げた。
「『死を目前にした星より一人の女と《鉄の魂》が夜の書物を求めて、それに遅れてもう一人の女が、管理より外れた97の世界へ降りる。
それに対するは愚者を演じし王と三人の乙女たち。
されど彼らの抗いはむなしく、《闇の王》と王に従う三体の従者は蘇り、その
《鉄に封じられし魂》は《不滅の闇》と鉄の群を従えて97の世界を侵し尽くす。そしてあらゆる法と秩序を砕きながら、他の星と海に広がり続けるだろう。
姿を変えし獣たちが手を貸さぬ限り』」
…………。
そこまで読み終えるとカリムさんと時と同様に、部屋の中に沈黙が漂う。やがてはやてが口を開き。
「えっと……そんなに変わったような感じはせえへんかな……少し言い回しは違ってますけど」
カリムさんの方を見ながらはやてはそう言う。ヴェロッサもそれに続いて……
「けど、今度の解読では《鉄の魂》とやらの優位性がはっきりしているね。まさか《不滅の闇》を従えるほどとは……正直予想外だよ」
「それに新しく《闇の王》も出てきているね。前の訳だと《不滅の闇》と“王”が同じ人なのか違う人なのか、はっきりしなかったけど」
「それに“三体の従者”、ですか。最初にやって来る三人から色々なものが出すぎて、もう何が何やらさっぱりですね」
エイミィさんに続き、シャッハさんもそうこぼす。
クロノは大きな息をついて言った。
「どちらにしろ肝心なのは、“管理より外れた97の世界”と他の星と海が、鉄の群に侵略されるということだ。それがロストロギアや異世界渡航者によるものなら管理局としても見過ごすわけにはいかない――夜天の書が関係しているならなおさらだ!」
強い口調で最後の一ことを付け足すクロノに、俺たちは彼の方を向いてうなずく。
そしてカリムさんははやてに向かって言った。
「はやてさん。夜天の書は持って来ていますか?」
その問いにはやては「はい」とうなずき、隅に置いたリュックを視線で示す。するとカリムさんは、
「差し支えなければ、後で貸してもらってもいいでしょうか。古代ベルカ式の《騎士》である私たちなら何かわかるかもしれません」
「わかりました。大事にしてください」
もうカリムさんの事を信用したらしく、はやては快く首を縦に振る。
俺もクロノに向かって、
「ところで一応聞くが、“東の京”が“京都”という線はないか? アジア全体から見れば日本自体が東にあるし、もしかしたらと思うが……」
その問いにクロノは首を横に振りながら答えた。
「その可能性もなくはないが、夜天の書がある海鳴市に近いのは東京の方だ。《不滅の闇》や《闇の王》が夜天の書に関係があるなら、あっちの方で何か起こる可能性が高いと睨んでいる。一応、京都の方にもビルを借りて観測所を設けているけどね」
まあそうなるか。もし京都の方で何か起こったとしても、観測所の転送ポートを通してすぐに駆け付けられるし、夜天の書にまで手が及ぶことはないはずだ。
ひとまずおおよその方針が決まり、俺たちは一息つける。
そこで俺はカリムさんに向かって言った。
「ところでカリムさん、一つ聞いてもいいですか?」
俺の問いにカリムさんは「なんでしょう?」と言いながら首を傾ける。そんな彼女に俺は“彼女の技能”を見た時から抱いていた、ある疑問をぶつける。
「カリムさんのご先祖様に、ベルカで占い師やってた人っていませんでしたか? その人も“グラシア”って名乗ってたと思うんですけど」
それを聞いて皆は質問の意味が分からずきょとんとする。そんな中で彼女はにっこり笑って言った。
「当時は“ご先祖様”が失礼をしました。不肖の祖先に代わってお詫びいたします、ケント様」
◇
その頃、一人の男が教会の敷地を後にしようとしていた。
(御神健斗に闇の書の主だった少女。彼らもやはりここに来ていたようだな。友人や保護者とともに収穫に加わっていただけで不審な点はなかったが……やはり考えすぎか? だが、教会の騎士も一緒にいたというのは気になる……しかし)
「ゼスト? ――ゼストじゃないか!」
歩きながら考えていたところで声をかけられ、ゼストはそちらを振り返る。そこには短い茶髪に金の右眼と緑の左眼のオッドアイを備えた、五十代ぐらいの齢の男がいた。収穫祭に参加していた信者たちと違い、高そうな紳士服を着ており、隣には運転手らしき男を伴っている。
顔をほころばせる彼を見て、ゼストは軽く頭を下げてから口を開いた。
「当主……お久しぶりです」
「よせ、水臭い。
「そういうわけには……しかしエルスト様までお越しでしたか」
気さくに肩を叩いてくる元主――エルスト・セヴィルに戸惑いながらも、ゼストは尋ねるように言う。それにエルストはうなずき。
「ああ。《ダールグリュン》同様、我が家も教会とは付き合いがあるからな。当主として挨拶とついでにいくらか寄付してきたところだ」
「そうでしたか……では収穫祭の方は?」
「最初の方だけ見て、後は枢機卿と一緒に茶を飲みながら歓談していた。ゼストがいると知ったらそっちに顔を出したんだが」
「そうでしたか……」
――あの少年の事は知らないようだな。
エルストの言葉と反応から、彼は御神健斗の事を知らないとゼストは判断した。エルストの性格上、知っていたら御神健斗に声をかけていただろうし、自分にもその事を話してくるに違いない。
もっとも、彼がセヴィル家と因縁深い《愚王》と関係があるのかはまだわからないが。
「お前こそ珍しいじゃないか。今までずっと帰ってこなかったのに。仕事疲れで故郷まで羽を伸ばしに来たのか?」
「……まあそんなところです。ところでご子息は? ご一緒ではないのですか」
ゼストの問いにエルストは首を縦に振り。
「ああ。あいつの嫁が妊娠中でな、休日ぐらいはついててやりたいそうだ。お前の方はどうだ? 地上部隊の方は相変わらず大変だって聞くが」
「はい。毎日のように、街のどこかで起きる事件の対応に追われています。ですが、理解のある上司と優秀な部下たちのおかげで何とかやれてます」
ゼストはそう言って薄く笑みを浮かべる。その姿からは絶え間なく続く捜査からの疲労感がにじんでいるのがわかった。
エルストはどうするべきか迷いながらも、責任感と正義感の強いゼストの性格を知る彼は、結局その事には言及せず。
「そうか。何かあれば相談しにこい。うちの騎士から手練れを寄こしてやる」
「……その時はよろしくお願いします。では、収穫祭も終わりましたので私はこれで」
「ああ……くれぐれも気をつけろよ」
エルストの言葉にゼストは再び軽く頭を下げ、その場を後にする。
その背中を見ながらエルストは寂しさとともに、嫌な予感に襲われる感覚を覚えた。近い未来、彼が大きな危険に襲われるような予感を。
愚王ケントの異母妹――ティッタ・セヴィルの末裔たる《セヴィル家》の当主、エルスト・セヴィル。
自身にとって、傍系の祖先にあたる《愚王》の生まれ変わりがすぐ近くにいる事を、彼はまだ知らない。