ある日の夜明け。
ビルが立ち並ぶ海鳴市の市街地にて、ある建物の屋上に金髪の少女がたたずみ、彼女の後ろには赤い狼と白い帽子をかぶった女が控えていた。
少女は、長い金髪を黒いリボンで二つに結び、袖のない上下一体型の黒い服に桃色の短いスカートを付け、黒い靴下、ブーツ、それらの上に羽織った黒いマントといった黒ずくめの出で立ちをしている。
その姿を見れば多くの人間が悪魔を連想するだろう。しかし赤い瞳で街を眺め下ろす彼女の表情は悪魔とは真逆の、天使のような美しさを醸し出していた。
少女の後ろにいる狼は全身のほとんどに赤い毛を生やしており腹と尾の先の毛が白い。そして狼の額には赤い宝石のような石が埋め込まれていた。
黒い柄に金属だけの握りをつけた杖のようなものを手に持ちながら、少女は眼下の街を見据え口を開く。
「ロストロギアはこの付近にあるんだね」
少女の口から漏れたつぶやきに、彼女の後ろにいる帽子を被った女はうなずき、
「そうです……どのようなものだったか覚えていますか?」
女の問いに少女は首を縦に振りながら答えた。
「形態は青い宝石、一般呼称は《ジュエルシード》……ちゃんと覚えているよ。あの人が欲しがっているものだから」
少女の答えに女は満足そうにうなずき、狼の方は不愉快そうにそっぽを向く。
そんな狼を横目で見て女は苦笑いを浮かべながら、少女に向けて言った。
「ええ、その通りです。あのお方の悲願を叶えるのに必要なそれを集めてくれば、あのお方もきっとフェイトのことを褒めてくれるはずです」
その言葉にフェイトと呼ばれた少女は複雑そうな笑みを作って、
「……うん、そうだね。すぐに集めてあの人の所へ持って行かないと。……あなたは私たちと一緒には行けないんでしょう?」
わずかな期待を含ませた声でそう問いかけてくるフェイトに、女は悲しげな笑みを向けて謝った。
「ごめんなさい。私はあのお方から別の探し物を手に入れるように言われていますので」
「ううん、いいよ。私にはアルフもいるし。こっちのことは気にしないで、あなたはもう一つの探し物の方に専念して」
半ば自分に言い聞かせるようにそう言ってフェイトは彼女への未練を断ち切る。アルフと呼ばれた赤い狼は、フェイトを慰めるように鳴き声を上げた。フェイトはアルフに「ありがとう」と声をかける。
そんな彼女たちに女は懸命に作った笑みを向けながら言った。
「ありがとうフェイト、アルフも……ではジュエルシードの捜索はあなたたちにお任せします。私はあのお方が求めるもう一つのロストロギア――《闇の書》の入手にあたります!」
◇
魔力を持つ謎の宝石を手に入れてから一週間後。
例のごとく、俺ははやての体に魔力を送り込むための施術を行うために彼女の家に訪れていた。
施術を終えてから俺は書斎に行き、一番奥の本棚にしまってある一冊の本を見る。
鎖が巻き付けられている、剣十字が付いた茶色い表紙の本。
俺はこの本が何なのか知っている。
《闇の書》。あらゆる魔法を収集する書物で、666ものページを埋めて完成させた暁には所有者に大いなる力をもたらすと言われる伝説の書だが、その正体は所有者と世界に破滅をもたらす禁断の魔導書である。だがそれも過去の所有者が魔導書に無理な改変を施したことで起こる不具合によるものであり、本来は《夜天の魔導書》という名で、多くの魔法を後世に残すための記録書だった。
この本がもたらす災厄を防ぎ、あいつらと“彼女”を救うために俺は再び生を受けたのだ。
魔導書の前で俺はポケットから青い石を取り出す。この世界には存在しないはずの魔力を秘めた謎の石を。
いまだ空白だろう魔導書と魔力を持つ石、この二つをかけ合わせればもしかしたら――。
「健斗君!」
部屋の外から響く声に反応して、俺は慌てて石をポケットに戻す。その直後にこの部屋の主であるはやてが顔をのぞかせてきた。
「何や、ここにおったんか。またその本眺めてたん?」
「ああ、まあな。鎖に巻かれてて目立ってるからつい」
肯定しながらそう言うと、はやては部屋に入って来て書物を手に取る。
「確かにこんな鎖が巻かれてたら気にはなるな。これのせいで私もまだこの本読んだことないし。……でも懐かしいな。覚えとるか? 二年前、健斗君この本持ちながらぼろぼろ泣いてたんやで」
「目にごみが入っただけだ。あの時もそう言っただろう」
「それにしてはえらい泣きようやったけどな。健斗君があんなに泣いてる所を見たのあの時だけやし、よく覚えてるよ」
その言葉に俺はばつが悪くなって顔を渋くする。それを見てはやてはふふっと笑い、続けて言った。
「……それからやったな、健斗君が体を鍛えたり難しいことを勉強しだしたりしたのは。あれってその本と関係あるん?」
そう言われて思わずぎくりとしてしまう。まったくその通りだからだ。
母さんとの稽古で腕を磨いているのも、アリサからプログラミングを教わっているのも、夜天の魔導書を冒している
しかしそれをここで言うわけにはいかない。だから俺は……
「そんなわけないだろう。どっちもそんな本と関係なく始めたことだ。だいたいプログラムの勉強や体を鍛えることがその本とどう関係するっていうんだ?」
「そ、それは……」
そうまくしたてた途端はやては口ごもる。この本の正体を知らないはやてには俺の主張に対して反論する術はない。
そんな彼女に対して――
「それよりもう準備はいいのか? これからすずかの家に行くんだろう」
「あっ、そうやった! すずかちゃんちのお茶会に誘われてるんやった! そろそろさくらさんが迎えに来てくれるとこや」
言葉を詰まらせるはやてに俺はあえて逃げ道を作ってやる。狙い通り、はやてはそれに乗っていそいそと準備をしようとする。その手に茶表紙の本を持ったまま。
ちなみにさくらさんとはすずかの親戚にあたる人で、はやてとも親しい。俺にとっても先輩繋がりで知り合った個人的な友人だ。
すずかの家で行われているお茶会とやらに、俺は行かない。女の子たちがお茶を飲みながら世間話に興じている中に、俺が混ざっても居心地が悪いだけだ。なのはの付き添いとして恭也さんも一緒に行くようだが、あっちは
そんな時、ピンポーンというチャイムの音が響いた。
「噂をすれば。もうさくらさんが来たんかな?」
はやては玄関の方へと駆けだし、俺もその後に続いた。すずかの家には行かないとしても、せめてさくらさんに挨拶だけはしておかなくては。
はやてと俺が玄関の前まで向かっている間に、またチャイムの音が響く。
はやてはドアの前で「はいはい、今開けます!」と言いながら鍵を開け、ドアを引いた。
しかし、そこにいたのはさくらさんではなかった。
「こんにちは……あらっ?」
ドアの向こうにいたのは白い帽子をかぶった女だった。ドアが開いてすぐに女は挨拶をしてくるが、俺を見た途端軽く声を上げる。
怪訝に思いながら俺も顔を上げて女の方を見た。
帽子からはみ出ている薄茶色の短い髪に青みがかった瞳、黄色いワンピースの上に白い上着を羽織っている二十前後といった若い女だ。容姿からみて外国人だろうか?
一方、はやては警戒心をあらわにしながら女に尋ねる。
「……すみません、どちら様でしょうか?」
「あっ! これは失礼しました。私は収集家のリニスという者です。八神さんの家に珍しい本があると聞いて伺ったのですが、少々お時間を頂いてもいいですか?」
「収集家? わざわざ来ていただいてなんですけど、うちにある本で珍しい物なんて……まさか」
そこではやては目線を落として自身の手元にある本を見、リニスという女の視線もその本に移る。
――その瞬間リニスの青い瞳に獰猛な光が宿った。こいつまさか!
(鎖に巻かれた本……その本で間違いなさそうですね。それに《ジュエルシード》を拾った少年までいる。うまくいけばここで《闇の書》と《ジュエルシード》がまとめて手に入るかも)
リニスははやてに視線を戻し――
「ええ。多分その本だと思います。ちょっと見せていただいてもよろしいでしょうか? 傷つけたりはしませんので――?」
そう言いながらリニスは本に向かって手を伸ばすが、それをさえぎるように俺が間に割って入ってきたのを見て笑みを消し、後ろにいるはやても不思議そうな声を漏らす。
「健斗君……?」
「……どうしました?」
リニスも俺に向かって問いを投げてくる。思わぬ妨害に気分を悪くしたのか、その声はさっきより一段低い。
俺はそんな彼女に向かって……
「すみません。ただ、その本は彼女の両親が遺した形見で、そう簡単に見ず知らずの人に渡すわけにはいかないんですよ」
「……」
「ご両親の……そうでしたか」
両親の形見と聞いた途端はやては顔を曇らせ、リニスはばつが悪そうな顔をする。はやて同様リニスも両親という言葉に強く反応したように見えるが、彼女も親というものに何か思うところがあるのだろうか?
しかしリニスはためらう様子を見せながらも、再び顔を上げて言った。
「失礼しました。まさかそのようなものだったとは知らず……ですが私にとってその本はずっと探していた物かもしれないんです。もし譲っていただけるのなら相応の値段で買い取らせていただきますが」
「相応の値段……」
それを聞いてはやては悩むそぶりを見せる。金に目がくらんだわけではない。
はやては両親が亡くなってから、父親の友人である『ラガー・グリム』という人の援助を受けて生活しており、感謝と親愛を込めてはやてはその人の事を“グリムおじさん”と呼んでいる。
はやてに生活費を送ったりヘルパーの手配をしてくれたりなど、グリムさんの援助がなければはやての生活は成り立たない。
それらの費用ははやてのお父さんの遺産を管理して捻出しているようだが、若くして亡くなったはやてのお父さんの遺産だけで足りるようなものではない。明らかにその人自身も相当の出費をしてくれているのだろう。
そのため、はやては働けるようになったら、グリムさんにこれまでかかったお金の返済をするべきだと考えているようだ。援助に関してその人から見返りなどは求められていないし、返す必要はないと俺も思ってはいるのだが。
このリニスという女があの本をどれくらいの額で買い取る気かは知らないが、その金をグリムさんへの返済に充てることもできるのではないかと思ったのかもしれない。
もっとも本を買い取るために子供に払う額なんてたかが知れているだろうし、そうでなくてもこの本を売るわけにはいかないのだが。
そんな俺の思惑を知ることなく女は言葉を続ける。
「もちろん他にも何か珍しい物があれば買い取らせていただきますよ。例えば……青く輝く菱形の石とか――」
菱形の石!?
「――はやて、ドアを閉めろ!」
俺がとっさにそう叫ぶと、はやては慌ててドアを閉め一瞬で鍵を閉める。そして俺の方を向いて、
「いきなり何なん? あの人やっぱり怪しい人?」
「ああ! 詳しいことは後で話す! それより急いでこの家から抜け出さないと!」
はやての問いに答えながら、俺ははやての手を引いて庭へと回った。あいつなら鍵なんて簡単に破れる気がする。早くこの家から脱出してあの女から離れないと!
◇
扉を閉めあわただしく駆け出していく二人の足音を聞きながら、リニスは舌打ちを鳴らした。
(逃げられてしまいましたか。ジュエルシードと闇の書のことを知っていたみたいですね。ということはあの少年はやはり……いえ、それよりこれからどうすれば? あんな子供を傷つけるわけには――うっ!)
考えを巡らせていたリニスの脳裏にずきりとした頭痛と強い想念が伝わってくる。手段を選ぶなという主からのお達しらしい。
(わかりましたよ。やります、やりますから大人しく待っててください!)
心中で主にそう答えてからリニスは耳を澄ませる。彼女の耳は人間よりはるかによく、犬より優れているほどだ。その聴覚が家の中を駆ける二人の位置を正確に捉えていた。
ジュエルシードを持つ少年と闇の書の主である少女は庭の方へ向かっている。どうやら脱出して外へ逃げるようだ。
家の中にこもる気はないと知ってリニスは安堵した。いくらなんでも人の家に押し入って暴れまわるようなことはしたくない。
そしてリニスはある魔法の発動を念じる。すると円状の魔法陣が彼女の足元に浮かび上がり、その上に立ちながらリニスは一言唱えた。
「
◇
「――! これは……」
はやてとともに庭へ飛び出し、塀を乗り越えて公道に出た俺は魔力の反応を感じて足を止める。
そして周囲の景色が紫がかると、はやても異変に気付き辺りを見回した。
「なんなんこれ? 急にまわりが」
そして……
「見つけましたよ」
後ろから届いてきた声に俺とはやてはそちらを振り向く。
「あなたたちが持っている《ジュエルシード》と《闇の書》はこの世界の人間の手に余るものです。大人しく渡していただけないでしょうか。あんまり強情だと力ずくで奪い取るより他になくなってしまいますよ」
わがままを言う子供に言い聞かせるような口調でリニスという女はそう告げてくる。
彼女の格好は先ほどまでと違い、白い帽子はそのままに、胸元が開いた黒いインナーの上に白いコートを着こんでおり、その手には金色の球がついたステッキのようなものが握られていた。