魔法少女リリカルなのは 愚王の魂を持つ者   作:ヒアデス

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第1話 オールストン・シー

 海鳴市沿岸の海上に浮かぶ、人工島の上に建設された臨海テーマパーク――『オールストン・シー』。

 地上にはテーマパークのシンボルである《オールストン城》を中心に遊園地が広がっている他、その下にはいくつものパイプラインを張り巡らせた水中水族館が建てられてあり、水族館の一室には一ヶ月前に発見された10m近くの『巨大鉱石』が展示され、オールストン・シーの目玉として早くも注目を集めている。

 

 一週間後の8月1日にオープンを控えた本施設は、もうすでに建設をあらかた終えており、今日7月22日にオールストン・シーの建設と運営に携わった関係者たちに向けて特別公開されることになった。

 その関係者の中にはアリサやすずかの両親もおり、彼らの好意で俺たちも公開前のオールストン・シーに入れてもらえることになった。

 なお、俺たちの知り合いの中には関係者たちの中でも超VIPと呼べる人物がおり、()()()()()は彼の事を遅まきながら思い出すことになる。

 

 

 

 7月22日 9:38

 オールストン・シー 駐車場

 

「あいつら遅いな」

 

「仕方ない。四人揃ってくんれ――勉強していたらしいからな」

 

 がらがらに空いた駐車場でスマホの時計を見ながらぼやく雄一に、俺は言い間違えそうになりつつ答える。

 向こうでは、月村春菜(つきむら はるな)さんとジョディ・バニングスさんも同じようなやり取りをしていた。デビッド・バニングスさんは妻たちに背を向けながらきょろきょろ辺りを見回す。そこで――

 

「来たようですね」

 

 俺の母親――御神美沙斗(みかみ みさと)が口を開いた瞬間に、彼らは母さんの視線の先に目を向ける。そこで青い車と紫色の車が滑るように入り込んできて、俺たちの近くに停まった。

 先に停まった青い車の後部ドアが開くとともに、なのは、アリサ、すずか、フェイトが「おはようございます!」と言いながら車から飛び出してくる。

 それに続いて前方に座っていた桃子さんとリンディさんも車から出てきてジョディさんたちと言葉を交わす。

 そんな中隣に停まった紫色の車からも後ろからアリシアと七瀬が出てきて、運転席からプレシアさんもおりてくる。桃子さんやリンディさんと違い、慣れない様子で挨拶してくる彼女に声をかけたのは俺の母親だった。

 

「お久しぶりですテスタロッサさん。この前まで職場体験という形で息子がお世話になりまして」

 

「い、いえ、健斗君には私たちの方が助けてもらいました。タダ働きさせて申し訳ないくらいです」

 

「いいえ、息子にはいい経験になったでしょう。それに最後の日に玩具(ゲームソフト)を頂いたみたいですし、むしろもったいないぐらいです」

 

 かしこまるプレシアさんに母さんは首を横に振りながら笑いかける。それに対しプレシアさんは顔を赤くしながらうつむいた。その様子は照れた時のフェイトとほとんど同じリアクションで、やはり親子だなと思った。

 

 そんな事を思っている俺たちの近くに黒いリムジンが停まった。

 何事かとそちらを見る俺たちの中で、春菜さんとすずかはまさかというように目を見張る。あいつらも来たか……。

 俺たちが見守る中、前から出てきた運転手がきびきびした動きで後方へ行き、後ろのドアを開ける。

 そこから現れたのは――

 

「おお、みんな揃っておるようじゃの」

 

 運転手が開いたドアの向こうから、老人のような口調で声をかけてくる着物姿の少年()()()()()が出てきた。

 彼を見て春菜さんたちは何か言いかけるが慌てて口を閉ざし、代わりにアリサが言った。

 

「ヴィル! あんたも来てたの!?」

 

 それにヴィル――《夜の一族・総当主》ヴィクター・フォン・キルツシュタインは鷹揚にうなずいた。

 

「うむ。俊たちの会社が建造に関わった遊戯場が出来たと聞いての。この女子(おなご)と一緒に来てみたのじゃ」

 

 そう言ってヴィルが体を傾けて後ろを示すと、そこから背の高い銀髪の美女が出てきた。彼女を見てなのはたちはあっと声を上げる。

 

「――アインス! どうしてあなたが?」

 

 驚くフェイトの問いかけにリインフォース・アインスは恥ずかしそうにしながら――

 

「私は主や他の皆(守護騎士)と違って予定がなかったから。気晴らしに散歩していたところで偶然彼と会って……」

 

「すずかや健斗たちの知り合いじゃと聞いての。ちょうどいいからここまで連れてきたんじゃ! ……そうじゃったよな?」

 

 確認するように尋ねるヴィルに、リインは「はい!」と言いながらコクコク二回うなずく。それを見てなのはたちは納得したように息をつく。そんな中ですずかは微妙に不服そうな顔を二人に、そして俺に向ける。

 彼女から目をそらしながら俺はヴィルに念を送った。

 

《サンキュー、ヴィル。彼女を送ってもらって》

 

《なに、元々ここに来る予定じゃったからの。もののついでじゃ。その代わり、すずかの相手もちゃんとしてやるのじゃぞ》

 

《……善処する》

 

 すずかの曽祖父に当たる彼からの要求に俺は曖昧な返事でお茶を濁す。

 そんな中、デビッドさんは気を取り直すように俺たちに向かって口を開いた。

 

「そ、それじゃあさっそく見て回ろうか! 広いから、ぐずぐずしてるとあまり見ることができなくなってしまうぞ!」

 

 それを聞いてなのはたちはそれぞれ、賛成と待ってましたの意味で顔を輝かせながらうなずいた。

 

 

 

 それから俺たちはゲートをくぐってオールストン・シーに入場し、園内を歩いてる所でスーツ姿のスタッフに呼び止められた。何事かと思いきや、彼らはヴィルに対して丁重に頭を下げ案内と歓待を申し出てきた。ヴィルは鷹揚な仕草で彼らをねぎらいながらも申し出をはねのけ、彼らに仕事に戻るように言い、そのまま追い返した。

 そのような出来事を目の当たりにして、俺たちは改めてヴィルがただの子供ではなく、デビッドさんたちや春菜さんを凌ぐ権力の持ち主である事を思い知らされた。

 

 

 

 

 

 

 その後、遊園地エリアの散策と稼働しているアトラクションで遊んだり、アスレチック・コーナーでシンクとナナミの競争を観戦しているうちに水中水族館が開くというアナウンスが流れ、デビッドさんの号令で水族館に向かうことになった。……ヴィルはいないか。

 

 雄一に続いて姿を消したヴィルがいないままなのを確認してから、俺は一計思いつき……。

 

《おいリイン……お前、魚や巨大鉱石なんかに興味あるか?》

 

 思念通話で問いかけると、リインは怪訝そうにこちらを見ながら首を横に振る。

 

《い、いえ。魚はテレビや動画で泳いでるところを見せてもらったことがありますし、鉱石なんかに興味は……》

 

 それを聞いて俺はニヤリとした笑みを浮かべる。それを見てリインもまさかという顔をした。

 

《なのはたちはあのまま水族館に向かわせて――俺たちはここで抜け出さないか?》

 

《――そ、それって!?》

 

 リインは目を見張りながら尋ねてくる。彼女に答えず俺はデビッドさんの方を向き、ぴんと伸ばした片手を向けた。それを見ただけでデビッドさんは俺の意図を察してくれたらしく、苦笑しながら首を縦に揺らす。

 俺はなのはたちが入り口を見ている隙をつき――

 

「――行くぞリイン!」

「あっ――」

 

 戸惑う彼女の腕を引っ張ってこの場を離れる。そして俺たちは初めてのデートに繰り出した。

 

 

 

 

 

「――あれっ!? 健斗君は? アインスさんもいない!」

 

 水族館に続く道を歩いてる途中で健斗の声がしないことに気付いて、なのはは後ろを振り向き、フェイトとアリサ、アリシアもきょろきょろ首を巡らせて二人を探し、すずかはしまったと言いかけて口を覆う。

 そんな子供たちにデビッドは……

 

「きっと水族館に興味がなくて、別の場所に行ったんじゃないかな。健斗君だけならともかくアインスさんも一緒だし、心配はいらないと思うよ」

 

 それを聞いてアリサたちは渋々納得するそぶりを見せる。そんな中で……

 

「どうしたの七瀬? 頭なんか抱えたりして」

 

「なんでもない。バカップルに呆れてるだけだから」

 

 首をかしげながら尋ねるアリシアに、七瀬はそう言って頭を横に振った。

 

 

 

 

 

 

「…………ふう。ここまでくればいいだろう」

 

 なのはたちから十分離れた所で俺はリインの手を離し、その場で荒い息をつく。

 リインも浅く息を吐きながら口を開いた。

 

「いきなり何をさせるんですか。こんな場所でいきなりいなくなったら、彼女たちが心配しますよ」

 

「デビッドさんにフォロー頼んだから大丈夫だよ。それより、いつまで敬語なんて使う気だ? 仕事以外の時は普通に話してくれって前から言ってるだろう。こんな子供に敬語なんて使ってたらそっちの方が変に思われるぞ」

 

「そうでし――そ、そうだったな……まだ慣れなくてつい。しかしいいのか? クロノたちからは、健斗が18歳になるまではいかがわしい事はするなと言われているはずだが……」

 

「一緒に遊園地回るだけでいかがわしいもあるかよ。それを言ったら、いつもエイミィさんと一緒にいるあの元チビだって同罪だ。あんなむっつりの事は忘れてこっちはオールストンを楽しもうぜ。まずは――おっ! アイス屋だ。ちょうど冷たいものが欲しかったんだ。行こうぜリイン、俺がおごってやる!」

 

「あっ、待って健斗! それぐらい私が――」

 

 

 

 

 

 アイス屋に向かって走る健斗と彼を追うリインフォース。そんな彼らをどこかから見ている者がいた。

 

(あの子がケントか……楽しそうに笑っちゃって。一度非業の死を遂げたとは思えないわね。……それに加えて、闇の書の管制ユニットまでいるのは厄介ね。あの子じゃとても手に負えない。どうにかしてあの二人を“彼女たち”から引き離さないと……)

 

 

 

 

 

「こうしてみんなでお茶するのも久しぶりですね」

 

「ほんとに。二年前の海水浴以来かしら。あの時は母親だけでお茶する空気じゃなかったけど。プレシアたちとの付き合いもその頃からだったわよね」

 

「ええ……あの頃から皆さん、特に桃子さんとご主人には娘たちともどもお世話になっています」

 

 春菜の一言にジョディが相槌を打ち、プレシアに話を向けた。彼女に対しプレシアは気恥ずかしそうに答える。

 

 子供たちが水族館を見学したりデートしたりしている頃、母親たちはオールストン城の屋上付近に設けられたテラスで話を弾ませていた。

 今の会話もその最中に出てきたものだ。

 

「プレシアもとうとう開業か。雇い主としては寂しい? それとも誇らしいかしら?」

 

 ジョディの問いに、桃子は「そうね」と言いながら紅茶を口に含み。

 

「一人前になってくれて嬉しい気持ちはあるんですけど、二年近く世話を焼きっぱなしだったから、いなくなってみると寂しい気持ちもありますね。それに向こうの店員さんに迷惑をかけている話を聞くと、もう少しうちで教育した方がいいんじゃないかと思ってもいます」

 

 そう言って桃子はからかうような笑みをプレシアに向ける。プレシアは思わず反論しかけるも、まったく言い返せないことに気付き、コーヒーを飲んで気持ちを静めた。

 そして彼女はぽつりとこぼす。

 

「確かに迷惑はかけてしまっていますね。リニスにもアリシアにもアルフにも……そしてフェイトにも」

 

 その言葉に他の皆も顔を曇らせる。特にテスタロッサ家の事情を知る桃子はなんとも言えない表情を浮かべていた。

 

「私はあの子たち……特にフェイトに対してずっとひどい仕打ちをしてきました。あの子に恨まれていてもおかしくないし、当然の報いだと思っています。でも、あの子は今でも私を母さんと呼んで、アリシアとも仲良くしてくれてる――だから余計に、今のままあの子に甘えていていいのかと思って……」

 

 そこまで言ってプレシアは涙をこぼし、嗚咽まで漏らす。

 そんな彼女の肩に手をかけたのは、一人の息子を持つ母親――美沙斗だった。

 プレシアは涙も拭かず彼女の方を見る。

 

「詳しい事情はわかりませんが、あなたが娘さんへの行いを悔やみ、反省する気持ちがあるのなら今はそれでいいと思います。負い目を感じすぎるあまり娘さんと距離を置くような真似をしたら、娘さんはあなたからの愛情が薄れたと思ってしまうかもしれない。そうなったら前と同じ繰り返しです。わかりますか?」

 

 問いかける美沙斗にプレシアは黙ったまま頷く。そこで、

 

「もっとも、私が偉そうに言える立場ではないんですけどね。私は母親としてはあなたよりひどい、最低の人間です」

 

「えっ……?」

 

 美沙斗の告白にプレシアは戸惑いの声を漏らす。そんな彼女に美沙斗は自嘲的な笑みを浮かべて言った。

 

「お恥ずかしい話ですが、私は昔夫と親族を失い、彼らの命を奪った犯人たちを追うために、夫との間に生まれたたった一人の娘を捨てたことがあります」

 

「娘? もしかしてその子は……」

 

 プレシアは、健斗が姉さんと呼んでいた美由希の事を思い出す。それを察して美沙斗は首を縦に振った。

 

「はい、兄の士郎と桃子さんの養子にしてもらっています。それからはずっと娘を兄たちに任せたまま、私は夫たちの命を奪った犯人たちを追い続けていました。健斗に会うまでずっと……」

 

 美沙斗はそこで言葉を止め、冷たい沈黙を挟む。

 さっき言った通り、美沙斗はプレシアがフェイトに行ってきた事を詳しくは知らない。だが親として、子供を捨てること以上の悪行はないと思っている。

 プレシアは自分と違って娘を捨てていない。だから彼女はまだ自分よりはましなのだ。美沙斗は心からそう思っている。

 

「もっとも、健斗に対してもいい母親であるとは言えませんけどね。夫たちの仇を取ることを諦めきれず……今も日本と外国を行ったり来たりを繰り返しています。健斗の事もある程度鍛えたら兄たちに託すつもりでした」

 

 そう言って美沙斗はまた自虐的に笑う。そんな彼女にプレシアは何も言うことができなかった。

 娘を手前勝手に逆恨みした挙句、その体に鞭打って犯罪行動を行わせていた自分。

 娘を捨てて夫の仇討ちに走り、養子として引き取った息子の事もろくに見てやれない生活を続けている美沙斗。

 はたしてどちらの方が悪いのか、プレシアには判断ができなかった。

 

 冷たい沈黙が漂う中、次に口を開いたのは、プレシア同様二人の娘を持つ春菜だった。

 

「それなら私と夫も子供をほったらかしてばかりでしたね。忍が生まれた時にはすでに、夫も私も月村グループの要職に就いていて。家や忍の事は家政婦さんたちに任せて、私たち自身はろくに家に帰らず仕事ばかりしている日々を送っていました。そのうえある事が原因で忍と険悪になって、ほとんど話もしない日が続くようになってしまったんです。……そんな時でした。私たちの新しい子供――すずかが生まれたのは」

 

 すずかの名前が出て、皆は思い思いの反応をする。彼女の誕生が月村家に変化を与えたことを察したからだ。

 

「最初は私も夫もすずかに構って、逆に忍はすずかに構わずノエルとばかり遊んでいましたね。でも、すずかがいる日々にも慣れていくうちに、私たちはすずかの事も家政婦さんに任せて再び仕事に打ち込むようになりました。ですがある日、仕事から帰って来た時に、忍がノエルと一緒にすずかの面倒を見ている姿を見て思ったんです。10歳の子供が一生懸命妹のお世話をしているのに、親の私たちは何をしているんだろうって」

 

 生活が苦しくて夫婦二人が一日中働かなければならないのならわかる。しかし月村家にはすでに、家族四人が一生働かずに過ごしても余るくらいの資産がある。

 今以上の贅沢がしたいわけではない。後世に残るほどの偉業を成し遂げたいわけでもない。

 にもかかわらず幼い娘たちを放置してまで仕事に明け暮れるのは仕事熱心ではなく、“仕事中毒”としか言えないのではないか。

 春菜も俊も、妹の世話をする娘の姿を見て、初めてその事に気付いた。

 

「それからです。ある程度の仕事を社員に任せて、家にいた家政婦さんの数も減らして、子供たちとの時間を取るようになったのは。まあそれでも、会社を経営している以上あまり家にいられる時間は取れないんですけど」

 

 そう言って春菜は苦笑いする。今の自分に迷いがないわけではない。だが春菜も俊も、あの頃よりは“いい親”だと言える。少なくとも美沙斗やプレシアは春菜を非難するつもりも資格もなかった。

 そして彼女も……。

 

「その点うちはまだまだですね。私も士郎さんもお店(翠屋)の切り盛りに忙しくて、今も子供たちに対して、年に何回か旅行に連れて行ってあげる事しかできていません。……特になのはには、小さい頃ずいぶんつらい思いをさせてしまいました」

 

 沈黙を破った桃子の言葉に一同は驚きを見せる。誰もがこの中では一番理想的な母親だと思っていたからだ。

 そんな彼女たちを見ながら、桃子は紅茶を口に運ぶ。そしてふうと息を吐き出してから言った。

 

「ご存知の方もいるかもしれませんが、私の夫は昔海外でボディーガードの仕事をしていて、最後の仕事の時に大きな怪我をして入院することになりました。その頃はお店を開いたばかりで休業するわけにはいかなくて、恭也と美由希にお店や士郎さんの看病を手伝ってもらっていました。幼いなのはを放っておいて……」

 

 最後の言葉に、その時のことを知る美沙斗以外の誰もがあっと口を開く。桃子は表情を消して続けた。

 

「そんな時に健斗君とはやてちゃんと公園で出会って、あの子たちと一緒に遊ぶうちになのはも元気を取り戻しましたが。でも、ふと考えてしまう時があるんです。そこまでして翠屋を守る意味はあったのかと」

 

 桃子は専門学校を卒業してすぐ国内外の洋菓子店で修業し、一流ホテルのチーフを勤めた事のあるほどの腕を持つパティシエール(菓子職人)だ。洋菓子関係をはじめ、ある程度の飲食店なら職に困ることはない。

 翠屋を開いた時にある程度の資金を借りたものの、貸主は銀行や善意で貸してくれた人たちばかりで、返済が滞っても借金取りが押しかけてきたり住処を奪われたりすることはなかったはずだ。万が一の時は、士郎がボディーガードの仕事で蓄えた貯金から出すという手もあった。そして、そのお金は今もほとんど手つかずのまま銀行に預けている。

 

 つまり、あの時翠屋を畳んだとしても、高町家が生活に困ることはないはずだった。それをわかっていて桃子は恭也と美由希の手を借り、なのはを家に置いたまま、翠屋を守る道を選んだのだ。

 

 無論、翠屋の存在に助けられている者も大勢いる。

 士郎のコーヒーや桃子のスイーツを楽しみにしている常連は何人もいるし、日々のしがらみを一時だけでも忘れられる憩いの場所として店を利用する客もいる。そして小遣い稼ぎや生活費の足しにするため、あるいは自らを高めるために、翠屋で働く店員たちがいる。プレシアもかつてその一人だった。

 

 だが、その店を守ることが家族のためになったかといえば、そう言い切ることはできないでいた。

 

「……ジョディさんはどうですか? アリサさんを育てるうえで何か悔やんでいることとか、ああすればよかったと思った事は……」

 

 リンディの問いにジョディはあごに手を乗せて「そうね」と言い、

 

「あたしとデビッドも春菜たちと似たようなものよ。仕事が忙しくて、アリサの世話を執事やメイドたちに任せてて。それにあの子、小さい時から頭がいいものだから、つい色々な勉強をさせたのよ。ただ、人に対する行いややっちゃいけない事には無頓着なまま育っちゃってね。すずかちゃんをいじめて、それが原因で他の子と大喧嘩したって聞いた時はまさかと思ったわ。……そんなわけで、うちも娘を正しく育てられたとは言えないわね」

 

 母親たちの口から出てくる育児に関する後悔や失敗。それらは子育てや家庭を作るということの難しさを表しているのかもしれない。世間でいい両親、理想的な父母と言われる彼女らやその夫らも、そのほとんどが何らかの失敗を犯しているのだから。

 この中で唯一静聴したままのリンディも例外ではない。

 

「そうですね。私も息子に関しては――あらっ?」

 

 リンディが口を開いた途端、彼女の懐にあるスマホから着信音が鳴る。また健斗のいたずらだろうかと眉を寄せるものの、その直後に春菜とジョディのスマホからも一斉に着信音が鳴り響く。彼女らはそれを手に取り、ある者はすぐに電話に出て、あるものは一言言ってその場を離れた。

 そして美沙斗の携帯からも……。

 

「――失礼」

 

 スマホが震えた途端、美沙斗もそれを手に取り桃子たちから離れる。

 相手は警視庁にいる知り合いからだった。

 

「はい。こちら御神――」

 

『御神さん。今どちらにいますか?』

 

 挨拶を省いた簡潔な質問と切羽詰まった様子から、美沙斗はなにかよからぬ事が起きたことを悟る。彼女も必要最低限の返答を返した。

 

「海鳴です。今日は非番で、家族や友人と一緒にオールストン・シーという場所にいるところで――」

 

『そうですか……お休みのところ申し訳ありませんが、今からこちらに来ていただけないでしょうか。県警と“あちら”からの許可は得ています』

 

「……何があったんですか?」

 

 不穏な響きに美沙斗はたまらず問いかける。相手はすぐに返事を返した。

 

『今、テレビでもニュースが流れているところなんですが、都内各地でトレーラーや工事車両など多数の重機が消失する事件が起きています。最初の現場が今日の夜明け前、爆発が起きた場所で……そのことも踏まえて、御神さんの力を借りたいと思っているんですが……どうでしょう、やはり難しいでしょうか?』

 

「いえ、大丈夫です。すぐそちらに向かいます。息子の事は一緒に来ている親戚にお願いしますので、お気になさらず……ええ、二時間以内にはそちらに到着します」

 

 口早に告げてから美沙斗は電話を切り、桃子たちの元に戻る。ちょうど春菜たちも電話を終えたところで、彼女らも自社の車両が何者かに盗まれたとの連絡を受けていた。

 さらにリンディも、東京臨時支局の支局長を務める息子クロノから同じ事件の報告を受けていて、彼によれば異世界渡航者の仕業の可能性があるとのことだった。

 美沙斗は彼女らに仕事に向かうことを告げ、健斗の事を桃子に頼んでから足早にこの場を後にする。

 もしかすれば健斗たちもこの事件に関わることになるかもしれないという予感を覚え、そうなってほしくないと強く思いながら。

 

 

 

 しかし、彼女の予感は残念ながら的中することになる。皮肉にも彼女自身が襲われた事がきっかけで……。

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