魚は泳ぐ、鳥は飛ぶ、たから僕は描いている   作:至ッ亭浮道

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第1章
第1話


「ちゃんと来(き)てたんだ。偉(えら)い、偉(えら)い」

 

 そう言(い)って、女子(じょし)が、僕(ぼく)の肩(かた)をポンと叩(たた)いた。

 僕(ぼく)は、腕(うで)を枕(まくら)にして、うつ伏(ぶ)せになっていた。

 僕(ぼく)はゆっくりと体(からだ)を起(お)こす。

 光(ひかり)で眼(め)がしぱしぱする。

 眼(め)が光(ひかり)に慣(な)れていって、ぼんやりとした視界(しかい)から、だんだんと霞(かすみ)が晴(は)れてゆく。

 そして、薄(うす)ぼんやりとした視界(しかい)に、色(いろ)が差(さ)してきた。

 僕(ぼく)が微睡(まどろ)んでいる間(あいだ)に、僕(ぼく)に声(こえ)を掛(か)けた女子(じょし)は、彼女(かのじょ)の机(つくえ)にカバンを置(お)いて、席(せき)に着(つ)いた。

 それから、彼女(かのじょ)は、僕(ぼく)の方(ほう)を振(ふ)り向(む)いた。

 彼女(かのじょ)の緑色(みどりいろ)の髪(かみ)が、彼女(かのじょ)の動作(どうさ)に従(したが)って、揺(ゆ)れた。

 仄(ほの)かな匂(にお)いを振(ふ)りまいた。

 彼女(かのじょ)の席(せき)は僕(ぼく)の一(ひと)つ前(まえ)だった。

 

「聞(き)いたよ。フラれたんだってね」

 

 彼女(かのじょ)は、何(なん)のためらいもなく、そう言(い)った。

 

「まあ、峯村(みねむら)は頑張(がんば)ったと思(おも)うよ」

 

 彼女(かのじょ)は、僕(ぼく)に慰(なぐさ)めの言葉(ことば)を掛(か)けた。

 

「いや、ダメだったよ。全(まった)く、ダメだった」

 

 でも、僕(ぼく)は彼女(かのじょ)の言葉(ことば)をふいにしてしまった。

 元々《もともと》、そういう性格(せいかく)だから仕方(しかた)ないと思(おも)う。

 でも、今回(こんかい)はそれに輪(わ)をかけて、受(う)け入(い)れることができない。

 

「私(わたし)は、全(まった)くダメだってことは、なかったと思(おも)う。少(すく)なくとも、村口(むらぐち)さんの中(なか)では、一番(いちばん)仲(なか)がいい人(ひと)だったよ、峯村(みねむら)は」

「……」

 

 僕(ぼく)はなにも言(い)うことができなかった。

 なぜなら、僕(ぼく)も、多少(たしょう)は仲良(なかよ)くなれていると思(おも)っていたから。

 村口(むらぐち)さんと。

 もし、村口(むらぐち)さんと僕(ぼく)との間(あいだ)に、仲(なか)がいいことを示(しめ)すものが、なにもなかったらよかったな、と今(いま)更(さら)になって思(おも)う。

 けれど、過(す)ぎてしまったものは、元(もと)には戻(もど)せない。

 その証拠(しょうこ)に、僕(ぼく)のカバンの画材(がざい)セットには、村口(むらぐち)さんに貰(もら)った鉛筆(えんぴつ)と消(け)しゴムが入(はい)っていた。

 友好(ゆうこう)の名残(なごり)が、今(いま)や悪(あ)しき過去(かこ)の遺産(レガシー)だ。

 

「そんなに落(お)ち込(こ)まないでよ。元気(げんき)出(だ)して」

 

 僕(ぼく)の肩(かた)を叩(たた)いた女子(じょし)が、今度(こんど)は、机越(つくえご)しに頭(あたま)をポンポンと叩(たた)いた。

 

「ありがと」

 

 僕(ぼく)は恥(は)ずかしがりながら、感謝(かんしゃ)を述(の)べる。

 

「とにかくさ、峯村(みねむら)は頑張(がんば)ったよ。でも、ダメだった。残(のこ)るのは、峯村(みねむら)は頑張(がんば)れるって事実(じじつ)だけだよ」

 

 彼女(かのじょ)は、複雑(ふくざつ)な褒(ほ)め言葉(ことば)で、僕(ぼく)を励(はげ)ましてくれる。

 でも、うん、と首肯(しゅこう)できない。

 

「僕(ぼく)は頑張(がんば)れなかった」

 

 だから、僕(ぼく)の口(くち)からは暗(くら)い言葉(ことば)ばかりが、吐(は)き出(だ)される。

 

「きっと、どこかで頑張(がんば)ってなかったんだよ。まだ、やれたんだと思(おも)う。でも、僕(ぼく)は頑張(がんば)れなかった」

 

 と言(い)うと、彼女(かのじょ)は叩(たた)く手(て)に力(ちから)を込(こ)めた。

 

「いたっ」

「あのね、峯村(みねむら)。頑張(がんば)るっていうのは、他(た)己(こ)評価(ひょうか)なの。自分(じぶん)を勇気(ゆうき)づけるための『頑張(がんば)る』と、結果(けっか)が出(で)たあとの『頑張(がんば)った』は違(ちが)う」

「でも」

「峯(みね)村(むら)。私(わたし)の眼(め)を見(み)て」

 

 そう言(い)うと、彼女(かのじょ)は、頭(あたま)に置(お)いていた手(て)を、瞬間的(しゅんかんてき)に動(うご)かして、僕(ぼく)の頬(ほ)っぺたを左右(さゆう)から押(お)しつぶした。

 僕(ぼく)は、タコのように唇(くちびる)をとんがらせて、彼女(かのじょ)と向(む)き合(あ)うことになってしまっている。

 そうやって、無理(むり)やり顔(かお)をあげられたから、僕(ぼく)と彼女(かのじょ)の眼(め)が合(あ)った。

 彼女(かのじょ)の緑玉色(エメラルドグリーン)の二(ふた)つの玉(たま)からは、激(はげ)しい光(ひかり)が放(はな)たれていた。

 その眼(め)から放たれた緑玉色(エメラルドグリーン)の光線(こうせん)は、鋭(するど)い矢(や)となって、僕(ぼく)の眼(め)を貫(つらぬ)いた。

 僕(ぼく)は、もっと恥(は)ずかしくなって、眼(め)を逸(そ)らしたいけど、彼女(かのじょ)は許(ゆる)してくれない。

 

「峯村(みねむら)は頑張(がんば)ったと思(おも)う。峯村(みねむら)がどう思(おも)ったとしても、私(わたし)がそう言(い)うんだから、頑張(がんば)った。だから、そんなに卑下(ひげ)しない」

 

 そこで彼女(かのじょ)は、息継(いきつ)ぎをした。

 彼女(かのじょ)は話(はなし)を続(つづ)ける。

 

「でも、でもさ」

「でもでも言(い)わない。言(い)いたいことがあるなら、はっきり言(い)う」

 

 そう言(い)うと彼女(かのじょ)は、眼(め)にぼんやりと火(ひ)をともした。青色(あおいろ)の火(ひ)が彼女(かのじょ)の眼(め)に灯(とも)る。

 彼女(かのじょ)の眼(め)が放(はな)つ光線(こうせん)が、攻撃性(こうげきせい)を増(ま)して、僕(ぼく)を襲(おそ)う。

 僕(ぼく)はたまらず、思(おも)っていることを、さらけ出(だ)してしまう。

 

「ぼ、僕(ぼく)さ、情(なさ)けないんだ。みんなが、応援(おうえん)してくれたから。みんなが、背中(せなか)を押(お)してくれたから、だから恥(は)ずかしいんだ」

 

 思(おも)わず言(い)ってしまった本音(ほんね)だった。

 頑張(がんば)ったから必(かなら)ず付(つ)き合(あ)えるとは限(かぎ)らないことわかっていた。でも、みんなが手助(てだす)けしてくれたから、どうしても応(こた)えたいと思(おも)った。

 その時点(じてん)で、既(すで)に、僕(ぼく)は間違(まちが)えていたのかもしれない。

 僕(ぼく)の漏(も)れ出(で)てしまった情(なさ)けない本音(ほんね)を聞(き)いても、彼女(かのじょ)は何(なに)も言(い)わない。

 だんだんと、気(き)まずさが募(つの)ってきて、僕(ぼく)は言葉(ことば)を継(つ)ぐ。

 

「川上(かわかみ)さんもさ、いろいろ、相談(そうだん)に乗(の)ってくれたでしょ? だからさ、みんなの事(こと)を裏切(うらぎ)ったみたいで、僕(ぼく)……」

 

 無理(むり)やりに、言葉(ことば)を繋(つな)げようとしたから、尻(しり)すぼみになってしまった。

 だから、もっと気(き)まずくなった。

 しばらくの無言(むごん)の後(あと)、川上(かわかみ)さんは、急(きゅう)に机(つくえ)に両手(りょうて)を突(つ)いて、立(た)ち上(あ)がった。

 予想外(よそうがい)の大声(おおごえ)に、僕(ぼく)は、いや、みんなの持(も)ち寄(よ)った気(け)だるさで満(み)ち満(み)ちた朝(あさ)の教室(きょうしつ)が、驚(おどろ)いた。

 

「峯村(みねむら)ァ!」

「はぃぃ!」

「そんな言葉(ことば)だけは聞(き)きたくなかった! 絶対(ぜったい)にそんなこと言(い)うな! 自分(じぶん)を……、情(なさ)けないとか言(い)って、自分(じぶん)を憐(あわ)れむのは卑怯者(ひきょうもの)だよ! 根暗(ねくら)でも、ネガティブでもいい。だけど、自分(じぶん)を蔑(さげす)むだけで済(す)ませるような卑怯者(ひきょうもの)にだけは、ならないで!」

 

 絶叫(ぜっきょう)だった。

 川上(かわかみ)さんの思(おも)いが、究極(きゅうきょく)まで彼女(かのじょ)の内側(うちがわ)で高(たか)められて、それが言葉(ことば)になって、川上(かわかみ)さんの口(くち)から出(で)てきたと感(かん)じた。

 そういう言葉(ことば)にこもった不思議(ふしぎ)な力(ちから)を、言霊(ことだま)と言(い)うのだろう。

 その言霊(ことだま)は、僕(ぼく)に激(はげ)しく作用(さよう)した。

 

「……ごめん。ごめんなさい! ごめんなさい!」

 

 僕(ぼく)は、鼻(はな)をすすりながら、口(くち)をガタガタと震(ふる)わせて泣(な)き始(はじ)めた。

 

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