星めぐりの歌   作:苗根杏

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#1 六等星の夜

 

 

「さて、これは定期試験には出ない話ではありますが、天文学の中では、星の明るさを『等級』であらわします。基準は色々ありますが、いちばん明るいものを『一等星』、目に見えるぎりぎりの暗さの星は『六等星』と呼びます」

 

 黒板にチョークが当たる音と共に、理科の先生の天文学豆知識が流れる、2年2組の教室。私は欠伸ひとつもせずに、それをノートの端の方にメモしていた。

 

 理科の授業はそれなりに好きだ。

 

 生物に出てくる虫はそれほど苦手ではないし、物理の法則だってそこそこ理解はできる方。退屈はするけれど。そんな中でも、先生の話を聞いていて楽しいのは、天文学の授業。

 

 単に新しい知識を頭に入れるのが好きなのではない。そもそも勉強が、苦手ではないが好きという程でもないのだ。古文の先生を、魔のオルゴールと呼んでいるぐらいだから。

 

 単に私は、空に憧れているんだと思う。

 

 空のその先、宇宙への憧れも。

 

「今月の中旬ごろに、明け方の星空に『金星』と『しし座一等星レグルス』がハッキリ見られます。大接近するのは20日ごろですね。細い月も、あとは水星や火星も見えることでしょう」

 

 淡々と話す先生の声を頭に入れつつ、私はノートの上の方の余白に、星座の点を描いていた。

 

 金星。あまり調べたことは無いが、太陽系を一直線に並べた時に、地球の隣に来る星だということは分かる。水・金・地・火・木……。

 

 それに、しし座のレグルス。これは中々に有名な星だ。しし座を線でつないだときの、『ししの心臓』にあたる位置に光る星。あれも先生の言う、一等星らしい。

 

 だとしたら、私の輝きは何等星なのだろう。点を線で繋ぎながら、とりとめのないことを考えていた。

 

「平安名さん」

「はい?」

「では、この天の川が何で出来ているか、知っていますか?」

 

 レグルスがノートの端に誕生したところで、先生に不意打ちされる。そういえば、さっき前の席の人が読んでいたような。

 

「……星くず、ですか?」

「正解です。この天の川を望遠鏡で覗いてみると、小さな星の数々が集まっており──」

 

 気がつけば先生は、教科書に書いてある内容について黒板に書き始めており、私たちに背中を向けるかたちで話を進めていた。これはちゃんと試験に出る内容だ。

 

 授業と豆知識との境目が分からなくなるのが、この先生の困ったところである。

 

 三・四時限目の体育の疲れを引きづっており、給食を食べたあとというのもあって、眠くて頭の働かない水曜日の五時限目なんかは、豆知識を油断してボーッと聞いていると、そのまま授業が終わる。

 

 対策としては、今のところは片っ端から書くしかないのだが。これの対策方法を見つけた者は、クラス内で英雄と褒め称えられるに違いない。

 

 学校とは別に、ダンスや歌のレッスンで疲れている私は、ぼんやりとしつつも、頭の中に星空の天球を広げていた。

 

 計32人が座る教室内でも、真ん中の列。その一番後ろの席で、私はひとりふわふわとした思考を浮かべ、黒板にマグネットで留められた、大きな大きな星座早見盤を見つめていた。

 

 今の季節、見られるのは……『秋の大四辺形』。それを作っているのは、アンドロメダ座とペガサス座。同じギリシア神話系統なら、カシオペア座とペルセウス座も見られる。知名度の高い星座なら、いわゆる『12星座占い』に用いられる牡羊座、山羊座、水瓶座、魚座がある。

 

 星は見えづらくなるものの、中秋の名月というのもある。日本では古から、多くの人が月を見上げてきた。花鳥風月や芒に月、雪月花といった、美しいものを並べる時にもよく使われる。由緒ある十五夜という行事もあるくらいだし。

 

 月も好きではある。太陽系にある他の天体も興味はある。

 

 でも、私は、空に穴を開けたように、そこから降り注いでくる光が忘れられなかった。触れることなんて諦めてしまおうと思ってしまうくらい、何万光年も遠くて、何万年前かも分からない光。

 

 ライト兄弟は、空を、さらにその上を見据えていたのだろうか。ライトフライヤーは、月を、火星を、イトカワを、夢見ただろうか。

 

 彼らが最初に空を飛んだ、イコール、人類が最初に機械で空を飛んだときの飛行機であるところの『ライトフライヤー号』は、36.6mという距離を飛行したという。彼らのファーストフライトは、今から100年以上前の出来事。

 

 人類が初めて空を飛んだ秒数は、およそ12秒。

 

 いま開発されている、メルボルンとロンドンを結ぶ世界最長となるであろう便は、飛行総距離にしておよそ17,000キロの旅路。3852名が参加した歴史的大レースであるスティール・ボール・ランの約3倍。飛行時間は21時間にも及ぶ。

 

 随分と、簡単な夢になってしまったものだ。私たち自身が飛ぶことはできないものの、私たちを飛ばしてくれる飛行機なんて、羽田や成田まで足を伸ばせば何機でも見られる。

 

 星に手は届きそうにないけど。

 

 天文学的知識は人よりあるつもりだが、それでも私は、心のどこかでは星を掴めるんじゃあないかと思っていた。あんなに強く光っていて、確かに存在するものなのだから。

 

「先生」

 

 いつの間にかまたうんちくモードになっている、ご機嫌な先生の話の合間に入り込んできたのは、とある男子の挙手だった。質問の意を示す、極めて公立的なサイン。

 

「はい、金城(かなしろ)くん」

「先生が語る宇宙に、ウルトラマンはいますか」

 

 彼の発言をきっかけに、教室のしんとした空気は数秒で一転し、笑い声に包まれた。「流石キングジョー!」「知らないのかよ、ウルトラマンは人なんだぜ」なんて声が飛び交う中、『金城』と呼ばれた彼はじっと先生を見つめていた。

 

「……ウルトラマン、かあ」

 

 私はウルトラマンについて何も知らない以前に、彼のことを知らないので、ひとまず黙って様子を見ていることにした。少し面白そうだし。

 

 それに、先生も顎に手を当てて、考えるしぐさをしてみせている。生徒の質問に真面目に答えようとしているのが分かる。いい先生ではあるんだよなあ。なんだかんだ、皆好きだと思う。

 

 ひとしきり考えたあとに、先生は口を開いた。

 

「私の宇宙には、います。銀河鉄道だって、私たちが確認できていないだけで、あると思いますから。それぞれの宇宙に、それぞれの答えがあります。地球の表面が平らだったり、冥王星も太陽系のひとつだったりと考える人もいるでしょう」

「でも、先生の宇宙には」

「はい。私は信じています。科学に携わる人間としてではなく、私個人として……」

 

 先生という聖職としてではなく、いち人間として彼と向き合う姿。初めてそんな先生を見た私たちは、思わず聞き入ってしまった。

 

 夢物語だと言われ、先生の年ならとっくにフィクションだの創作だのと切り捨てられそうなものさえ、先生は信じている。

 

「ゲッターエンペラーも、ですか?」

「うん。ゲッター線だって、どこかにはあるかもしれません」

 

 先生は黒板にへそを向け、そのままゆっくりとした語り口で話し始めた。

 

「私が大学で天文学を修めようと思ったのは、宇宙人を探すためでした」

「宇宙人を、探す……」

「金城くん。近くに科学館があるのはご存知ですか」

「はい」

「毎年、こどもたちの科学教室がやっているのも?」

「毎年、行っています」

 

 先生は、白のチョークを黒板に打ちつけながら、しみじみとした口調で話を続ける。質問者の彼のみならず、私を含める全員が、その話に耳を傾けていた。寝ていた人も、今は目をパッチリ開けて。

 

 私も確か、親に連れられて行ったことがあった。適当に『サンタはいますか』と書いたら、科学とあんまり関係ないじゃん、とハッキリ言われた覚えがある。それはそうだけどさ。

 

 そんな事を考えながら話を聞いていると、いつしか先生と、金城という生徒は、2人だけの世界に入っていた。私たちは、ただ傍観しているだけの立場になっていたのだ。

 

「私も、そこにいたんです。何十年か前……『宇宙人はいますか』と質問しました」

 

 宇宙人。

 

 誰もが聞いたことのある、しかし誰もが証明できない、永遠の謎。

 

「電球の被り物をした大学の教授がね、優しく言ってくれたんです。『いま、私たちが観測できる宇宙にある』……『たとえば、オリオン座の中に、淡く光るものがある。それが、M78星雲なんだ』……って。実際に天文学を勉強して、天体望遠鏡で確認してみたM78星雲は……ただのガスや、宇宙の塵でできていましたが」

 

 先生はこちらに顔を向ける。黒板には、銀河と、ウルトラマンの絵が描いてあった。

 

「でも、見えますよ。ウルトラの星は、オリオンという光の巨人のそばにあります」

「……ありがとう、ございました」

「これからも、何かに引っかかった時は、星を見上げてごらんなさい。光の力はそこにありますよ」

 

 2人の静かな問答に、教室内のシンとした空気。そんな状況で、油断していた耳に、耳をつんざこうとせんばかりのチャイムが、視線よりだいぶ上のスピーカーから流れてきた。

 

「日直さん。号令を」

「き……起立…………礼」

 

 授業が終わり、出席簿を持って先生が教室から出ていった後も、その後の移動教室に行くために教室を出る時も、生徒のどよめきは絶えなかった。

 

 私はその場で、教科書の1ページを見たまま、ぼうっとしていた。そのページにあったのは、秋に見られる星座一覧だった。

 

 コラムとして載っている、ほんの少しばかりの情報だった。私は家に帰って『秋の星座』をパソコンで検索したくてたまらなかった。

 

 今夜は少し夜更かししてみようか。23時までしか起きたことないけど。

 

「何してんの」

「ッ!?」

 

 完全に自分の世界に入っていた私の背中に、気づけば気配があった。それを感じ取る前に、私の左耳に、息の多く入った声が聞こえてきた。

 

 飛び退いてイスからコケそうになり、手をバタバタしながらも、すんでのところで踏ん張って着地。彼の方も少し驚いたようすだった。

 

 見てみると、男子にしては長すぎる、赤みがかった髪に見覚えがあった。私よりも細そうな腕と脚に、気崩さずにピシッと整えている新品のような制服に、──しかし着られているという感じはせず、着こなしている──私は見覚えがあった。

 

 背中しか見えなかった、ウルトラマン少年。確か苗字を、『金城』と言っていた。

 

「驚かせちゃったか」

「い、いや……条件反射で……」

「みんな、移動してるよ」

「……あ……ありがとう」

 

 いつの間にか彼は絵の具セットと教科書を持ち、移動教室に行く態勢を整えていた。

 

 私も慌ててロッカーに走り、荷物を取り出す。彼は私が開いていた理科の教科書を見て、そこから視線を逸らさずにつぶやいた。

 

「秋は、空気が澄んでいる。ほら、見てご覧。空が遠いのさ……夏よりも星が綺麗に見えるんだ」

「そうみたいね」

 

 適当に返事をしたが、初めて聞く知識だ。後でメモでもしておこう。秋は空が遠いらしい。それだけ聞くとよく分からないが、空気が澄んでいるというのなら、多分、夏よりも遠くまで空が見えるという解釈で間違いないだろう。

 

「星、好きなのかい?」

「ええ……そうね。あまり詳しくはないけれど」

「宙を眺めるのは好き?」

「……好きよ」

 

 そこから数十秒、沈黙が2人きりの教室を支配した。ガチャガチャと、ロッカーの中がかき回されるだけ。気まずかった。

 

 やっと見つけた絵の具セットを取り出し、振り返ると、彼は律儀にその場で待ってくれていた。先に行っていてもよかったのに。

 

「平安名……すみれちゃん、だっけ」

「ええ。あなたは金城ね?」

 

 思えば、互いに二年間、同じクラスにいた人だった。よく話す人たちのグループも違えば、席が近くなることもなかったので、話すのは自己紹介の時を含めて数える程度だ。

 

 よくフルネームなんか覚えているな。私は素直に感心し、彼の名前を……思い出せなかったので、二年生一学期の始業式から担任が剥がし忘れている、教室の壁に貼ってある名簿を見ることにした。

 

 出席番号4番。『金城(かなしろ) 亞木星(あきほし)』。

 

 なるほど。金城で、きんじょう、キングジョー。

 

 金城は、私と一緒に教室の戸締りをしてくれた。教室を最後に出る人が、戸締りの当番。それを分かっていながら、彼は私に付き合ってくれたのだ。

 

 普段から電波的行動が多いとか何とかで、陽キャグループからは避けられがちだと聞いていたが、なんだ、すごく優しい人じゃあないか。

 

 彼は鍵を回し、制服のスラックスにしまいながら。

 

「晴れるのは、深夜2時。起きていられたらだけど、空を見上げてごらんよ」

 

 それだけ言って、先に行ってしまった。

 

 午後2時30分。窓から射し込む秋の陽光に照らされて、彼の髪が輝く。それはどこか、教科書に載っていたアンドロメダ銀河のように……星々が瞬いているように見えた。さっきまで食い入るように見ていたからだとは思うが。

 

 天体観測のすすめを語っていた、彼の儚げな笑い顔が、なんだか妙に印象に残った。

 

 

 

 




平安名すみれを救いたい。
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