星めぐりの歌   作:苗根杏

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#2 カブト虫

 秋といえば。

 

 この質問に対する回答は、十人十色、千差万別。代表的なもので言えば、芸術の秋、スポーツの秋、食欲の秋……。

 

 私の答えはずばり、金木犀の秋。

 

 昔、母が金木犀の香りのコスメを使っていた。小学生のころだったか。鍵っ子なので、家で一人の時間に、香水をほんの数滴だけ出して、身体に塗ってみたことがあった。

 

 春なのに、部屋一帯が秋の空気に包まれた。肌寒くなってカーディガンなんかを取り出してみたり、ハロウィンに浮かれて街中が橙色に染まる季節。まるで春から秋への時間旅行。

 

 金木犀の匂いが漂ってくる度に、秋が来た、という実感が湧いてくる。心が暖かくなる。

 

「お疲れ様でした」

「はい! また来週ね!」

 

 ダンス教室を出て、一息。

 

 もうすぐこの吐き出した息も、白くなり始めるころ。10月が始まって2日。未だ日中は少し暑い日もあるものの、朝や夜は格段に過ごしやすくなっている。

 

 夕方とも夜ともつかない空を見上げ、私はひとり、教室の外にある自販機の横で座り込んだ。

 

『悪い訳じゃあないんだけど……あの子に比べるとね』

『あなたは主人公の友達が向いてる』

『センター……ねぇ……?』

 

 よく考えろ、私。よ〜く考えろ、平安名すみれ。

 

 そして落ち着け。これ以上、過去の光に当たれなかったことなんか考えるんじゃあない。

 

 私は『オール・ラウンダー』なんだ。

 

 ステータスを表す五角形があるとしたら、私のステータスは、その線ぎりぎりに収まる……それはそれはキレイな五角形。だから、皆には分からないのだ。私がなんでも程々にできてしまうということを。

 

 ひとつの所に特化した人だけを、みんなは評価する。しかし、考えろ。十徳ナイフが何故重宝されるかというと、程々に便利だからだ。私は十徳ナイフ。どころか千徳ナイフだ。武蔵坊弁慶。

 

 私の人生哲学は『一念、天に通ず』。諦めたら、天は私を見放してしまう。文句あるか。

 

 いつでも、上を見て歩けば、空にたどり着ける。私はそう思っている。

 

 フレデリック・ラングブリッジ『不滅の詩』より。

 

『ふたりの囚人が、鉄格子から外を眺めた。ひとりは、泥を見た。ひとりは、星を見た』

 

 私はどっちだ? 

 

 空には、星がある。人は届かないと言うけれど、確かに、そこに存在する。たとえその光が、何百年、何千年前のものであっても。いつか……あの日見た、『ショウ・ビジネス』のスタァになるまで、私は星を見る。星の光を見ていたい。

 

 まだビルの端々がオレンジ色に染まっている空に、一番星を見つけた。

 

 無意識に、足が動いていた。

 

 天に続く、透明な階段へと踏み出したかった。

 

「ああっ」

 

 実際には、ダンス教室の玄関の段差。しかも、一段下。左足と右脳は、思わぬ一段分の落下に驚き、私を地面とキスさせようとした。

 

 が。

 

 右の手首が掴まれる感覚。力強く、私はそちらに引き寄せられた。先生かと思ったけど、違う。

 

 風になびいた、長い長い髪をかきあげつつ、私を掴んだ骨ばった手は、間違いなく男の人の手だった。しかし、大人の男の人にしては少し違和感がある。小さい。手にはうぶ毛も生えておらず、大きさ自体は私とさほど変わらないように見えた。

 

「立てますか」

 

 声変わり前の、男の人だ。男の子だ。

 

「あ、ありがとう……ございます……」

「なんだか上の空でしたが」

 

 私は未だにぼーっとした意識で返事をして、手から腕へ、肩へと視線を移す。華奢だ。

 

 知らない男の人なのに、なんだか落ち着く。もしかして、同級生くらいかもしれない。首筋だって女の子みたい。喉仏が突っ張っているのが、男の子っぽくて、尚更緊張してきた。

 

 私の父は普段から鍛えているせいか、筋肉質な体格で、腹筋も割れているし太ももは丸太のような……男というより『漢』の漢字が似合う人だ。昔は剣道部主将で、性格だって豪胆で、笑い声も大きくて。そんな父が、私はけっこう好きだった。

 

 将来誰かと付き合うなら、父のようなタイプだと思っていた。父は幼稚園くらいの私が『お父さんと結婚する!』と言っていたのを、酔いが回ると毎回のように話してくる。

 

「クラスメイトが言ってたんです。秋は空が澄んでいて、星が見やすいとか……そしたら本当に綺麗で。ふふ、その事を考えて、空を見ながらいたらコレです。ごめんなさいね」

「なら、彼も喜んでいることでしょう」

「ええ、きっとそうね。今度、ありがとうを言わなくちゃ」

 

 私はそんな適当な言い訳をしながら、おそるおそるではあるが、彼の顔を見てみる。

 

 目は見えなかった。キャスケット帽を目深に被り、オレンジ色の陽を一身に受けて、赤っぽい髪の毛を揺らしていた。

 

 その口元、かすかな笑みに見覚えがあった。

 

 私はこの男を知っているッ。

 

「そのクラスメイトというのは」

「……あっ!?」

「こ〜んな顔じゃあ、ありませんでしたか」

 

 微かに香る金木犀の香りの中に、彼は堂々と立っていた。

 

 帽子のつばを軽くつまみ、引き上げる。そこにはキングジョーがいた。

 

 大きめの二重の目。つくづく女の子っぽい。

 

「亞木星!!」

「こんにちは。グーゼンね」

「あ、あんたねぇ……」

「『私だって分かっていたなら、最初から名乗って出てくればいいものを』……でしょ?」

 

 言いたいセリフを丸ごと先回りされ、私は少したじろいでしまった。亞木星は、いたずらっぽく笑うだけ。手を離すように言ったら、彼はすぐに放してくれた。

 

 声で気づけなかったのが失敗だった。いや、気づいていても変わらないか。本人の目の前で、あんなことを言ってしまうなんて。この平安名すみれにおいて、今の一連の流れすべてが一生の不覚。

 

 私は、今度こそ足元を慎重に見て、一歩だけ道路側へ出る。

 

「……ありがとう。じゃ、これで」

「わぁ〜冷たい反応〜。助けたのが僕じゃ、都合が悪かった?」

「いいけども……」

「他の人に見られちゃ悪い?」

「いいけど〜……!」

 

 亞木星は、その場を一歩も動かずに、心の距離を詰めてくる。鼻の息が当たりそうなくらいには。

 

 ただのクラスメイトなんだ。宇宙が好きな、ただのクラスメイト。それが偶然通りかかって、助けてくれただけなんだ。なのに。

 

 私は、宇宙人を目の前にしているみたいだった。

 

 前にも会ったはずなのに、彼は未確認の生命体や物体みたいで。不思議なオーラと、飄々とした雰囲気の話し方。

 

「せっかくだし、デートでもしない?」

「い……いっ!!?」

 

 そのままの勢いで返事しようとしたのを、すんでのところで留まって、それをかき消すように手をバタバタさせて取り消す。

 

「よ、よくない……っ」

「どーしてさ」

 

 勢いで断ったわけじゃあない。それだとまるで、満更でもないみたいじゃあないか。この私が、亞木星とデートするのが。私を誰だと思っているんだ。

 

 きちんとした理由はある。

 

「私は『ショウ・ビジネス』の世界で、いずれスタァになる女よ! 一般人とデートしてたなんて知られたら、炎上しちゃうわっ!」

「へえ、難しい言葉知ってるね」

「なんかすっごい子供扱いされてる気がするわ。同級生に」

「気のせい気のせい」

 

 彼はムッとした私を見て、私よりよっぽど子供っぽく笑うだけ。

 

 なんだか、調子狂うなあ。

 

「それよりも、さ」

「ん?」

「その『ショウ・ビジネス』について、教えてあげる……と言われたら?」

 

 亞木星の目が変わった。目元の雰囲気というか。さっきまでの様子とはうってかわって、歯をむき出して笑う彼は、老成された悪人面を演じているようだった。

 

 彼が私に、ショウ・ビジネスの何を教えるというのだ? 大人の事情? 渡す金の量? いや、彼はあくまでクラスの一般人に過ぎない。私とデートなんてしようものなら(いずれ)炎上しかねない一般人。

 

 私を試す目だ。

 

 遥かな高みから。

 

「たかが一般人って顔してるけど」

「ぎく」

「ま、いいさ。今度教えるよ……」

 

 彼は自然に、私についてくる。それがさも当たり前かのように。カブト虫が蜜に吸い寄せられるかのように。




らせん階段。
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