秋といえば。
この質問に対する回答は、十人十色、千差万別。代表的なもので言えば、芸術の秋、スポーツの秋、食欲の秋……。
私の答えはずばり、金木犀の秋。
昔、母が金木犀の香りのコスメを使っていた。小学生のころだったか。鍵っ子なので、家で一人の時間に、香水をほんの数滴だけ出して、身体に塗ってみたことがあった。
春なのに、部屋一帯が秋の空気に包まれた。肌寒くなってカーディガンなんかを取り出してみたり、ハロウィンに浮かれて街中が橙色に染まる季節。まるで春から秋への時間旅行。
金木犀の匂いが漂ってくる度に、秋が来た、という実感が湧いてくる。心が暖かくなる。
「お疲れ様でした」
「はい! また来週ね!」
ダンス教室を出て、一息。
もうすぐこの吐き出した息も、白くなり始めるころ。10月が始まって2日。未だ日中は少し暑い日もあるものの、朝や夜は格段に過ごしやすくなっている。
夕方とも夜ともつかない空を見上げ、私はひとり、教室の外にある自販機の横で座り込んだ。
『悪い訳じゃあないんだけど……あの子に比べるとね』
『あなたは主人公の友達が向いてる』
『センター……ねぇ……?』
よく考えろ、私。よ〜く考えろ、平安名すみれ。
そして落ち着け。これ以上、過去の光に当たれなかったことなんか考えるんじゃあない。
私は『オール・ラウンダー』なんだ。
ステータスを表す五角形があるとしたら、私のステータスは、その線ぎりぎりに収まる……それはそれはキレイな五角形。だから、皆には分からないのだ。私がなんでも程々にできてしまうということを。
ひとつの所に特化した人だけを、みんなは評価する。しかし、考えろ。十徳ナイフが何故重宝されるかというと、程々に便利だからだ。私は十徳ナイフ。どころか千徳ナイフだ。武蔵坊弁慶。
私の人生哲学は『一念、天に通ず』。諦めたら、天は私を見放してしまう。文句あるか。
いつでも、上を見て歩けば、空にたどり着ける。私はそう思っている。
フレデリック・ラングブリッジ『不滅の詩』より。
『ふたりの囚人が、鉄格子から外を眺めた。ひとりは、泥を見た。ひとりは、星を見た』
私はどっちだ?
空には、星がある。人は届かないと言うけれど、確かに、そこに存在する。たとえその光が、何百年、何千年前のものであっても。いつか……あの日見た、『ショウ・ビジネス』のスタァになるまで、私は星を見る。星の光を見ていたい。
まだビルの端々がオレンジ色に染まっている空に、一番星を見つけた。
無意識に、足が動いていた。
天に続く、透明な階段へと踏み出したかった。
「ああっ」
実際には、ダンス教室の玄関の段差。しかも、一段下。左足と右脳は、思わぬ一段分の落下に驚き、私を地面とキスさせようとした。
が。
右の手首が掴まれる感覚。力強く、私はそちらに引き寄せられた。先生かと思ったけど、違う。
風になびいた、長い長い髪をかきあげつつ、私を掴んだ骨ばった手は、間違いなく男の人の手だった。しかし、大人の男の人にしては少し違和感がある。小さい。手にはうぶ毛も生えておらず、大きさ自体は私とさほど変わらないように見えた。
「立てますか」
声変わり前の、男の人だ。男の子だ。
「あ、ありがとう……ございます……」
「なんだか上の空でしたが」
私は未だにぼーっとした意識で返事をして、手から腕へ、肩へと視線を移す。華奢だ。
知らない男の人なのに、なんだか落ち着く。もしかして、同級生くらいかもしれない。首筋だって女の子みたい。喉仏が突っ張っているのが、男の子っぽくて、尚更緊張してきた。
私の父は普段から鍛えているせいか、筋肉質な体格で、腹筋も割れているし太ももは丸太のような……男というより『漢』の漢字が似合う人だ。昔は剣道部主将で、性格だって豪胆で、笑い声も大きくて。そんな父が、私はけっこう好きだった。
将来誰かと付き合うなら、父のようなタイプだと思っていた。父は幼稚園くらいの私が『お父さんと結婚する!』と言っていたのを、酔いが回ると毎回のように話してくる。
「クラスメイトが言ってたんです。秋は空が澄んでいて、星が見やすいとか……そしたら本当に綺麗で。ふふ、その事を考えて、空を見ながらいたらコレです。ごめんなさいね」
「なら、彼も喜んでいることでしょう」
「ええ、きっとそうね。今度、ありがとうを言わなくちゃ」
私はそんな適当な言い訳をしながら、おそるおそるではあるが、彼の顔を見てみる。
目は見えなかった。キャスケット帽を目深に被り、オレンジ色の陽を一身に受けて、赤っぽい髪の毛を揺らしていた。
その口元、かすかな笑みに見覚えがあった。
私はこの男を知っているッ。
「そのクラスメイトというのは」
「……あっ!?」
「こ〜んな顔じゃあ、ありませんでしたか」
微かに香る金木犀の香りの中に、彼は堂々と立っていた。
帽子のつばを軽くつまみ、引き上げる。そこにはキングジョーがいた。
大きめの二重の目。つくづく女の子っぽい。
「亞木星!!」
「こんにちは。グーゼンね」
「あ、あんたねぇ……」
「『私だって分かっていたなら、最初から名乗って出てくればいいものを』……でしょ?」
言いたいセリフを丸ごと先回りされ、私は少したじろいでしまった。亞木星は、いたずらっぽく笑うだけ。手を離すように言ったら、彼はすぐに放してくれた。
声で気づけなかったのが失敗だった。いや、気づいていても変わらないか。本人の目の前で、あんなことを言ってしまうなんて。この平安名すみれにおいて、今の一連の流れすべてが一生の不覚。
私は、今度こそ足元を慎重に見て、一歩だけ道路側へ出る。
「……ありがとう。じゃ、これで」
「わぁ〜冷たい反応〜。助けたのが僕じゃ、都合が悪かった?」
「いいけども……」
「他の人に見られちゃ悪い?」
「いいけど〜……!」
亞木星は、その場を一歩も動かずに、心の距離を詰めてくる。鼻の息が当たりそうなくらいには。
ただのクラスメイトなんだ。宇宙が好きな、ただのクラスメイト。それが偶然通りかかって、助けてくれただけなんだ。なのに。
私は、宇宙人を目の前にしているみたいだった。
前にも会ったはずなのに、彼は未確認の生命体や物体みたいで。不思議なオーラと、飄々とした雰囲気の話し方。
「せっかくだし、デートでもしない?」
「い……いっ!!?」
そのままの勢いで返事しようとしたのを、すんでのところで留まって、それをかき消すように手をバタバタさせて取り消す。
「よ、よくない……っ」
「どーしてさ」
勢いで断ったわけじゃあない。それだとまるで、満更でもないみたいじゃあないか。この私が、亞木星とデートするのが。私を誰だと思っているんだ。
きちんとした理由はある。
「私は『ショウ・ビジネス』の世界で、いずれスタァになる女よ! 一般人とデートしてたなんて知られたら、炎上しちゃうわっ!」
「へえ、難しい言葉知ってるね」
「なんかすっごい子供扱いされてる気がするわ。同級生に」
「気のせい気のせい」
彼はムッとした私を見て、私よりよっぽど子供っぽく笑うだけ。
なんだか、調子狂うなあ。
「それよりも、さ」
「ん?」
「その『ショウ・ビジネス』について、教えてあげる……と言われたら?」
亞木星の目が変わった。目元の雰囲気というか。さっきまでの様子とはうってかわって、歯をむき出して笑う彼は、老成された悪人面を演じているようだった。
彼が私に、ショウ・ビジネスの何を教えるというのだ? 大人の事情? 渡す金の量? いや、彼はあくまでクラスの一般人に過ぎない。私とデートなんてしようものなら(いずれ)炎上しかねない一般人。
私を試す目だ。
遥かな高みから。
「たかが一般人って顔してるけど」
「ぎく」
「ま、いいさ。今度教えるよ……」
彼は自然に、私についてくる。それがさも当たり前かのように。カブト虫が蜜に吸い寄せられるかのように。
らせん階段。