君のウサギを巡る冒険   作:Kohya S.

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2. ウサギを拾う

 桜内さんの隣まで行って彼女の指先を追うと、十メートルほど離れたところに白いものが見えた。ちらりと見えている部分は半円形に丸くて、ちょうどバレーボールくらいの大きさだろうか。茶色や緑色ばかりの林の中で目立つ。

 

「何だろう。隕石じゃないみたいですけど」

「もしかして、動物かしら。犬とか、猫とか」

 

 たしかに毛が生えているようにも見える。もしそうだとしたら――襲いかかってくるとかはないだろうとは思いつつ、一応、僕は先に立ってゆっくり近づいた。桜内さんが背中になかば隠れるようについてくる。

 全身が見えるようになって、すぐに特徴的なピンととがった耳に気づく。

 

「ウサギ、みたいですね」

 

 彼女もうなずく。

 手が届くような距離になっても、それは動かなかった。足は体の下にあるのか見えず目も閉じている。ぬいぐるみかなにかかもしれない。白かったはずの体は泥や枯葉で汚れていた。

 

「どうしちゃったんだろう。生きてるのかな……」

 

 桜内さんが僕の隣にきて心配そうにいった。

 そのままだと彼女が手を伸ばしそうなので、野生動物に触るのはあまり良くないと分かっていたが、僕は腰をかがめて恐る恐る触ってみる。

 ――思いのほか、硬かった。肌ざわりこそ毛皮そのものだが、そのすぐ下はごつごつとしていた。そして冷たい。嫌な想像が僕の心に浮かぶ。

 体を戻して彼女に言葉を選びながら話す。

 

「もしかしたら、おもちゃかもしれないですね。だって――」

 

 硬いし冷たいし動かないし、と続けようとしたとき、

 

「あっ、動いたわ!」

 

 えっ、と思って向き直る。たしかにそれ――ウサギは僕の目の前で、ぶるっと体を震わせた。動くおもちゃなのだろうか。僕はもう一度、触ってみる。

 感触が変化していた。柔らかくて、そしてほのかな温かさも感じた。

 さっきのあれは僕の勘違いだったのだろうか。それとも僕が触ったことがきっかけで意識を取り戻したのか。

 

「生きてる、みたいです」

 

 桜内さんはほっとしたようすで微笑み、僕の反対側に腰を下ろす。そしてウサギを優しくなでて、泥やほこりを落とした。

 

「この子、野生のウサギかしら。それともペットが逃げ出したのかな」

 

 僕はスマートフォンを取り出して調べてみる。基本的に野生のウサギは色が茶色らしい。桜内さんにそう話すと、

 

「そうなんですね。そっか、大変だったね、キミ」

 

 といたわるようにウサギをもう一度、なでた。

 捨てられたのかもしれないと思ったけれど、口には出さなかった。

 

「でも、どうしよう。ここに放ってはいけないわよね。動けないくらい弱っているんじゃ……」

 

 彼女の懸念は僕にもわかる。彼女は腰を下ろしたまま膝をついて、両手をウサギの体の下に回して持ち上げようとする。ウサギは逃げ出すようすもなかった。

 

「わっ、キミ、意外に重いね!」

 

 そういいながらもなんとかウサギを持ち上げる。

 

「あっ、怪我してるのかもしれません」

 

 僕は彼女にいった。体の下の方の毛皮に裂け目が見えた。

 

「えっ、大丈夫かな」

 

 彼女は体育座りをしてももの上にウサギを抱え上げ、優しく調べる。

 

「あっ、ここに傷があるね。もうふさがっているみたいだけど……」

 

 皮膚に傷跡が見えた。ただ桜内さんのいう通り中が見えるとか、血が出ているとかはなかった。

 ウサギはときおり、小刻みに体を震わせた。

 

「どうしましょう、桜内さん」

「このまま放ってはおけない、かな」

 

 そうに違いないとは思っていた。連れて帰ってうちで飼うこともできなくはないと思うが――。

 

「私、しばらく預かります。もしかしたら、飼い主も見つかるかもしれないし」

「えっ、大丈夫ですか?」

「うん、たぶん。ちょっとだけだけど、犬を飼っていたこともあるから」

 

 あまり大丈夫そうには思えなかったが、彼女の笑顔を見ると、何もいえなかった。

 

「それじゃ、下まで僕が持ちます」

「ありがとう、堀江くん!」

 

 僕は彼女から慎重にウサギを受け取る。彼女の話していた通り、想像以上に重かった。そのまま立ち上がるが、抱えたまま山道を下りるのはつらそうだ。

 

「あっ、そうだわ」

 

 桜内さんはウエストバッグから何か取り出して、広げた。

 

「エコバッグ、持ってきてよかったわ。はい!」

 

 ウサギは頭だけ出してエコバッグに収まった。目はずっと閉じられたままだ。

 僕はそれを肩にかける。何とかなりそうだ。

 

「ぴったりね」

 

 彼女は微笑んでウサギの頭をなでた。

 

        ・

 

 展望台まで戻って山を下りる。

 内浦の街並みが見えたとき僕は正直にいってほっとした。ウサギはその可愛らしい外見に反して漬物石のように(持ったことはないけれど、たぶん)重くて、もう足は悲鳴を上げていた。決して表には出さなかったが。

 

「桜内さんの家って、どのへんでしたっけ」

「千歌ちゃんの……十千万(とちまん)旅館さんの隣です」

 

 高海さんの所なら良く知っている。

 そろそろ着くというところで桜内さんが話す。

 

「あの、堀江くん」

「はい」

「飼い主を探すチラシとか、出したほうがいいと思いますか?」

「どうでしょう……」

 

 僕はウサギのほうをちらっと見て、考える。運んでいる途中もずっと目は閉じたままでほとんど動かなかった。

 逃げ出したとして、貴重な品種だったりしたら――考えすぎかもしれないが偽の飼い主が現れるかもしれない。もし捨てられたとしたら、飼い主が名乗り出ることはないだろう。

 

「……飼い主が探しているなら、チラシとか貼り紙とか、何かする気はしますね。それを待ってもいいかもしれません」

 

 細かいことは省略してそれだけいった。

 

「そうですよね……。わかりました、少し待ってみます」

 

 彼女の家の前で僕はエコバッグを差し出した。

 

「ありがとう、重かったでしょう」

「えっと、それほどでもないです」

 

 桜内さんは微笑んで受け取る。

 

「うわっ、キミ、やっぱりノクターンより重いね」

 

 そういっていとおしそうに頭をなでた。

 ノクターンが何か気になったけれど、僕のささやかな冒険は終わりだ。

 

 別れて帰ろう、そう考えてから、一応聞いてみる。

 

「飼い方とかって、わかりますか?」

「わからないけど、かんばって調べます」

 

 僕はうなずく。僕だって似たようなものだ。そこで思い出す。

 

「あの、うちにケージがあります。妹が前、モルモットを飼っていて……良かったら使いますか?」

「えっ、いいんですか」

「今は物置に放り込んでありますから」

「ありがとうございます!」

「桜内さんは、早めに袋から出してあげてください」

 

 彼女はうなずいた。

 

 僕は家まで急ぎ足で帰り、物置を開けてケージを取り出して、ほこりを払った。プラスチックのトレイに金属の網の、まあわりと安物だ。でもとりあえず使える。

 取って返して、桜内さんの家のチャイムを鳴らす。

 すぐに彼女は現れた。

 

「こんな感じで、安物だし、ちょっと小さいかもしれませんけど」

「いいえ、ぜんぜん大丈夫。助かります」

 

 ケージを受け取り玄関の中に置いた彼女に声をかける。

 

「それで、どんな感じですか?」

 

 彼女は首を振った。

 

「とりあえず水をあげてみたけど、飲まないみたい」

「そうですか……」

「しばらくようすを見てみます」

 

 もし可能なら見せてほしいが部屋に上げてくれとも頼めない。

 だから僕は思い切って話す。

 

「あの、もし良かったら、ID、交換してもらえますか。ちょっと僕も、どうなるか気になります」

 

 下心がないといったら嘘になるがウサギが気になるのは本当だ。

 

「あっ、そうですね。ケージもお返ししなくちゃですし」

「いえ、ケージはそのままでも大丈夫ですけど……」

 

 桜内さんは微笑み、僕は無事に、彼女のメッセージアプリのIDを教えてもらった。

 

「それじゃ、何かあったら連絡しますね」

「よろしくお願いします」

 

 彼女と別れてもう一度、家へ向かう。

 この先どうなるかわからないが、ほんの思い付きから始まった冒険は、悪くない結末を迎えたようだった。

 

 

 

        §

 

 

 

 翌日の日曜日。夕方になって桜内さんからメッセージが届いた。

 

♫『こんにちは。今日、えさを買って来てみたんだけど、食べてくれないです』

☍『変化はありませんか』

♫『特にないみたいです』

 

 ケージに収まったウサギの写真が送られてくる。

 

☍『弱っているようすがないなら、しばらく見守るのはどうですか』

♫『そうですね』

☍『何かウサギが逃げ出したとか、そういう話はありましたか』

♫『家族とかお友達にも聞いたけれど、知らないそうです』

 

 僕も人が集まりそうなところ、たとえば観光案内所などでチラシを探したり、友人にさりげなく聞いたりもしたが、逃げ出したペットを探しているという話はなかった。

 

 そして翌日の夜、また桜内さんからメッセージが届く。

 

♫『食べてくれないのは相変わらずですけど、目が開きました』

 

 そして写真。目が開くとより一層、可愛らしく見える。透き通るような青い目だ。

 

☍『元気そうで何よりです。可愛いですね』

♫『ええ、とっても』

 

 彼女の手元ですぐに死んでしまう、というような事態が避けられて僕はほっとした。

 

 翌日、部活が休みになっていつもより早く帰宅した僕は、彼女からのメッセージを楽しみにしていることに気づく。とはいえ彼女はまだ学校だろう。

 僕はいやいやながらテスト勉強を始めた。

 

 やがてスマートフォンが通知音を鳴らす。桜内さんからのメッセージだ。

 

♫『なんと! ジュリエッタちゃんが外に出ています!』

 

 興奮したようすが伝わってくる。すぐに写真が届いた。窓際で夕日を浴びているウサギ――あらためジュリエッタ。でも、どうやって。

 

☍『自分でケージを開けたのでしょうか』

 

 しばらく時間がたった。そしてケージの写真。

 

♫『電話してもいいですか』

 

 僕はすぐにYESの返事を送信した。

 

『堀江くん。写真、見てくれましたか?』

 

 桜内さんはあいさつの後、そう話した。

 僕は電話がかかってくる前に確認していた。金属でできた網に、ぽっかりと丸く穴が開いているように見えた。

 

『こんなふうに、なっていましたっけ』

「いえ、何もなかったと思います」

『ですよね。ケージに入れるときに、気づかないわけないと思うし』

 

 僕は少し考えて話す。

 

「……もしかしたら、古いケージだからさびていたのかも。意外にウサギの歯は鋭い、っていいますし」

『がしがしって噛んでいたら、穴が開いたのかな』

「きっとそうですね。すみません、ケージが小さかったんです」

『いえ、そんなことはないと思います。だって、ずっと動かなかったし』

 

 桜内さんはあわてていった。

 

「でも、動けるようになったのは嬉しいですね」

『ええ、とっても。よかったわ』

 

 桜内さんは安心したように笑い、続ける。

 

『とりあえず何かでふさいで……週末にでも、新しいケージを買いに行きます』

「すみません、そうしてください。そういえば、名前、付けたんですね」

『ええ、いつまでもウサちゃんとか、キミとかじゃ悪いから』

「可愛い名前ですね」

『ありがとう』

 

 ちょっと雑談できそうな雰囲気なので、僕は聞く。

 

「今日は帰り、早いんですね」

『ええ、もうすぐ中間テストだからAqours(アクア)の練習も短縮になったんです。あっ、堀江くんもおうち?』

「はい、部活が休みなので」

『そう、よかった』

「あ、ジュリエッタは大丈夫ですか?」

『ええ、今、私の隣にいるわ。気持ちよさそうに目を閉じてる。日向ぼっこが好きなのかしら』

 

 ウサギの隣に座る桜内さんを想像して、僕はほっこりする。

 

「それじゃ、また何かあったら連絡してください」

『ええ。ありがとう、堀江くん』

 

 彼女が電話を切る。別に僕にできることは客観的に考えたら何もないのだが、嬉しくて仕方なかった。

 

        ・

 

 桜内さんからは翌日、ケージを日の当たるところに移したと連絡があった。「心配しなくても日陰は作ってあります」とも。

 

 またその次の日には「初めて鳴き声を聞きました! ラの音です! 澄んだ声でした!」と興奮したようすのメッセージが来た。「ちょっと気になることはあるけど、もう少し待ってみます」とも。やはりまだ食事はしていないのだろう。

 とはいえ、ジュリエッタはとりあえず無事らしかった。

 

 土曜日、朝昼兼用の食事を食べたころ。スマートフォンが珍しく着信音を鳴らした。誰だろうと思って見ると、桜内さんだった。急いで通話に出る。

 

『あ、堀江くん! ごめんなさい、急に電話しちゃって』

 

 あわてたようすが伝わってくる。

 

「いえ、それは大丈夫です。どうかしましたか」

『ジュリエッタがいなくなったの!』

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