桜内さんの話をまとめると、すこしだけ窓を開けてAqoursの練習に行き、帰ってきたら消えていたらしい。閉まっていたはずのケージの入り口も開いているとか。
「あの、とりあえず桜内さんの家に行ってもいいですか?」
『ええ、お願いします』
僕は外へ出られるような服に着替えようとして一瞬悩み、ジャージを選んだ。そして桜内さんの家へ。
チャイムを鳴らすとすぐに制服姿の桜内さんが出てきて、僕の姿を見てちょっとびっくりしてから、部屋に案内してくれた。
「朝、ここにケージを置いて練習に行ったんです」
ケージはベランダに面した大きな掃き出し窓の近くにあった。近くにはウサギの餌とペットシートもある。
上にスライドさせて開ける形のケージの扉は、引き上げられていた。
「家の中にはいませんでしたか?」
「ずいぶん探したんだけど、見つからないわ」
「それなら、その、家族の人が散歩に連れて行ったとか……」
「えっと、今のところ内緒にしてるの。ジュリエッタのことは」
桜内さんは少し困ったように話した。事情があるのだろう。
「だとすると、逃げ出したんでしょうか」
僕はベランダを見てみる。手すりまではかなりの高さがあるが、可能性としてはそれしかなさそうだ。
「最近、動くようになってたんですか?」と聞く。
「ええ、少しだけ。ケージから出してあげると、ゆっくりだけどあっちへ行ったり、こっちへ来たり。でも、やっぱり窓際が好きみたい」
「探しに行きましょう」
「それしか、ないわよね」
桜内さんは僕の格好をあらためて眺めて、うなずいた。
「もしかしたら、と思って」
僕は肩をすくめた。
「すぐに準備します」
僕を玄関まで送り、桜内さんはそういって扉を閉めた。
待つこと数分。
桜内さんは前回と同じジャージ姿であらわれた。
「行きましょう、堀江くん」
「はい。でも……どこへ行きましょうか」
「うーん、そういわれると、私にも心当たりはないかしら」
僕も同じだ。しかしありえそうなのは――。
「やっぱり、山の方じゃないかと思うんですけど」
「私もそう思います。とりあえずこの前の道を探してみましょう」
僕たちは先日の登山道へと足を向けた。
名前を呼ぶことすらしなかったが、注意深く見まわしながら歩く。すぐに住宅は途切れて山道になった。
「いないわね」
「いませんね」
桜内さんの話ではそれほど速く動けるとも思えなかったが、ジュリエッタの姿はなかった。まさか展望台まで上っているとは思えない。
そろそろ引き返して別の方を探そう、そう彼女に提案しようかと考え始めたとき。
「あっ、あそこ!」
桜内さんがいった。林の中に、なにか動くものの影。僕たちはそちらへ踏み込んだ。動物の荒い呼吸音が聞こえる。
「ちょっと待ってください」
僕は桜内さんを制止する。
姿がよりはっきり見えた。犬だ。かなり大きい。たぶん野生化していて、いわゆる野犬だろう。
「あっ!」
桜内さんが短く声を上げた。僕にも、何か白いものが見えた。
今にも近づこうとする彼女を僕はもう一度、引き留める。そしてあわてて周囲を探し、落ちていた枝を拾い上げる。桜内さんが不安そうな目で僕を見つめた。
やるしかないだろう。
向き直り、大きく深呼吸をする。
「うおーーーっ!」
僕は腹の底から大声をあげて、枝を大きく振り回しながら、犬へと近づく。
犬はくわえていたものを放し、こちらへと向いた。牙が光っているのが見える。
僕はもう一度、大声を上げてさらに近づく。
「わーーっ!」
うしろで桜内さんが、びっくりするくらい大きな声を出す。
人間二人分の剣幕に驚いたのか、犬はさっと距離を取ると、しばらくこちらを見つめてから走り去った。
「もう大丈夫、かな」
桜内さんが少し震える声で話した。
「たぶん、そう思います」
「怖かったわ」
僕も同感だ。
「……あっ、ジュリエッタは」
すぐに彼女は気を取り直したようすで、犬がいたあたりに駆け寄って膝をついた。僕も後に続く。
そこにはウサギがいた。目を閉じていて体には傷が目立つ。
「大丈夫、ジュリエッタ!」
抱きかかえる桜内さん。傷口のひとつは大きく開いていて、中に――金属光沢が見えた。えっ、と思い見直すと傷口はすでに閉じていた。目の錯覚だろうか。
彼女はゆっくりとジュリエッタの体をなでる。
「どうですか」
「ええ、大きなけがはしていないみたい。よかった」
やがてジュリエッタは目を開けて小さく鳴いた。
たしかにラの音のような気がした。
やっぱり桜内さんが持ってきていたエコバッグにジュリエッタを移して、僕が持った。
帰り道、彼女が話す。
「ありがとう、堀江くん。私だけだったら、どうなっていたかわからないわ」
「いえ、きっと人間を見たらすぐ逃げていったと思います」
「そうかな……。でも、ありがとう」
僕はうなずいた。
「これからは窓を開けてちゃだめね」
「いえ、まさかあそこから逃げ出すなんて思いませんよ」
「堀江くんもそう思う? でも、反省だわ。ウサギなんて飼うの初めてだけど、難しいのね」
桜内さんはふうっと息をはいた。
どうだろう。普通のウサギなら――跳躍力で逃げ出す可能性もあるかもしれない。ただケージの扉も開いていた。
ときどきジュリエッタのようすを見ながら、僕たちはゆっくり歩いた。
彼女はウサギを拾ったことはまだ家族にも、友達にも話していないらしい(落ち着いたら、と彼女は話した)。ささやかな秘密を共有しているようで僕は嬉しかった。
桜内さんの家の前で、僕はジュリエッタを手渡す(相変わらず重かった)。
「まだ何も食べないんですか?」
「ええ、何も。さすがに心配になってきて……あ、そうだ。あの……」
彼女は言葉を選ぶように話す。
「おしっことかも、しないの。どうかな、獣医さんとかに連れて行った方がいいのかな」
僕は考える。今までのいくつもの出来事が、心に引っかかっていた。もう少し考えれば何か思いつきそうだが――。
「とりあえず、逃げ出すくらい元気なら、心配ないかもしれませんね」
「それもそっか」
安心するように笑う。それは、もし僕が何か失敗したらまずいことになる、という不安を僕の胸に巻き起こした。あわてて首を振る。
「それじゃ、また何かあったら連絡ください」
「はい。今日はありがとう」
桜内さんの笑顔に、僕は一礼して帰路についた。
§
月曜日。放課後、部活が休みの僕は帰る前に書店に立ち寄る。線路の南側では大きな店で、うちの高校の生徒はよく利用していた。
二階の売り場で新刊の文庫を買ってから一階へ。一応売り場を一回りしてから帰ろうとしたとき、ふといつもは立ち止まったこともない棚が気になった。
ペット関連の棚だ。
僕は小動物に関する本を探して開いてみる。ウサギによくある病気、という項目はあったが、桜内さんのジュリエッタに当てはまりそうな症状――元気はあるが何も飲まない、食べない――にあてはまるようなものはなかった。
僕は本を戻し、ネットでも調べてみよう、と思う。ただ本やネットで調べるくらいなら獣医さんにかかった方がいいのかもしれない。
後は雑誌でも見て――というとき背中を軽く叩かれる。
「よっ、翔真!」
「恵一」
彼は手に本屋の紙袋を持っている。
「帰ろうとしたら、お前が見えたからさ。参考書でも買いに来たのか?」
「いや、文庫の新刊。そもそも今からじゃ間に合わないだろ」
「それもそうか」
山口は笑ってから続ける。
「もう買い物は終わったのか?」
僕もカバーのかかった文庫を見せる。
「じゃ、一緒に帰ろうぜ」
僕はうなずく。
バス停まで歩きながら、買った本や雑誌のことを話した。一段落して山口が話す。
「そういえば、ペットの棚にいたけど、何か飼ってたっけ?」
「いや、今は何も。ちょっと考えなくもないけどね」
「ふーん。俺も猫でも飼おうかと思うんだけど、うちの親、うるさいからな。やれ誰が世話するんだ、においが大変だ、とかさ」
山口は大げさに肩をすくめてみせる。
「まあ、そうだよね」
ジュリエッタは今のところ当てはまらないが、かえって心配だ。
「そういえば、ちょっと前にあったよな、ロボット
たしかにあった。家電メーカーが発売していて、ロボットらしい銀色の外見だった。その後で雨後の
「ロボットだ!」
僕は声に出していた。
「お、どうした。お前、実は欲しかったとかか?」
「あ、ごめん。いや、ちょっと懐かしかったから」
僕はあわてて言い訳した。
ジュリエッタ。飲みも食べも、おしっこもしないウサギ。ロボットだとしたらすべて
逃げ出したことだって、そうプログラムされていたか、誤動作したからだと考えれば納得できる。
とてもロボットとは思えない質感、温かさだったが、きっと技術の進歩で再現できるようになったのだろう。
普段からSFなどを読んでいるしロボットとかには詳しい、などとなまじ思っていたから、先入観があったのかもしれない。
「おい、思い出にひたってるところ悪いけど、バスが来たぜ」
いつの間にかバス停についていた。僕は山口にあやまり、バスに乗った。
内浦でバスを降り、山口に別れを告げて家へ急いだ。桜内さんに連絡するなら落ち着いてから――いざとなったら通話もできるよう、帰宅してからの方がいい。そう考えたのだった。
部屋に戻り、スマートフォンを取り出して、僕は
ロボットだと告げて、果たして彼女は喜ぶだろうか。おもちゃだったと知ったら、幻滅してしまうのでは。今までのあれこれが無駄な心配だったとしたら。
もちろんそのまま愛着を持って飼い(?)続けることもあるかもしれないが。
彼女が自然に気づくか、疑いを持つか、そうでなくてもバッテリーが切れたら動かなくなるだろうから、それまで待とう。
そう僕は決めた。そのときに明かせばいい。
その日の夜、スマートフォンにメッセージが届く。
♫『ジュリエッタちゃん、私のピアノに応えてくれるようになったの』
☍『ピアノ? どういうことですか』
♫『私が弾いた音に合わせて鳴いてくれるんです』
☍『それはすごいですね』
♫『和音もぴったりあわせてくれるの』
☍『かわいい。ぜひ見てみたいです』
♫『録画は大変だから、ごめんなさい。今度見に来てね』
僕の胸は痛んだ。コミュニケーションが成立したのは素晴らしい。でもきっとそういう機能があるのだけなのだ。
とはいえ桜内さんが嬉しそうで、僕はさっきの決断をして良かったと思った。
§
数日後、中間試験が始まった日。僕はいそいそと帰宅する。試験が上手くできたから、ではなくて桜内さんが理由だった。
今朝、彼女からメッセージが届いていた。
♫『学校が終わったら、よかったらジュリエッタちゃんに会いに来ませんか』
僕はぜひ会いたいこと、試験だから早めに帰れること(以前、桜内さんに聞いた話では、浦の星女学院のほうが少し試験日程は遅いようだった)を返信した。彼女は帰宅したらまたメッセージを送る、と約束してくれた。
僕は楽しみにして待った。ジュリエッタよりも桜内さんに会えることのほうが、大きかったが。
待つ間にもう一度、調べてみる。似たようなウサギ型ロボットが市販されていないか、ウサギ型でなくても高機能なペットロボットが存在しないか――。
しかし今のところ、自由に動けて毛皮の質感がありバッテリーも長期間持つ、そんなロボットは見つからなかった。
だからジュリエッタは、もしかするとプロトタイプか何か、という可能性もある。極めて高機能で、価値がある。
捜索願を探すならペットではなくてロボットの、かもしれない。
そんなことを考えていると、スマートフォンが着信音を鳴らす。桜内さんだ。メッセージをくれると話していたのに。
「はい、どうかしましたか」
『堀江くん! どうしよう。また、またいなくなったの!』
「また、ってジュリエッタですか?」
『うん、たしかに窓のカギはかけたのよ。でも、帰ってきたら窓が開いていて。ケージが空っぽで』
「わかりました。行ってもいいですか?」
『ええ、ぜひお願いします』
「すぐに行きます」
ジャージに着替えようか一瞬悩み、制服のままで(桜内さんの家に行くことを考えて着替えていなかったのだ)スマートフォンだけ持って家を出た。
しかし、窓のカギを開けたとは。どんなに高機能なロボットでもそんなことがあるだろうか。
すぐに桜内家についてチャイムを鳴らす。
「わざわざすみません、堀江くん」
「いえ、僕も心配ですから」
あいさつもそこそこに制服姿の桜内さんが部屋へ案内してくれる。
窓はウサギが通れるくらい開き、カーテンが揺れていた。ケージの扉も開いている。カギを確認すると、壊れているとかの異常は特にないようだった。
「ちゃんと閉めたのよ」
もちろん疑ってはいない。
「もしかして家族の誰かが開けたとかはないですか」
「今朝はお父さんは会社で、お母さんも用事があって、私が最後に家を出たの」
泥棒が入ってウサギだけ盗んだとは考えにくい。となると可能性はひとつしかなさそうだ。
「探しましょうか」
「はい!」
彼女はうなずいた。
もし前回のようなことがあったら、と考えると着替えている時間が惜しい。桜内さんもそれは同じようだった。
桜内さんの家を出て視線を交わす。やっぱり山の方だろう。
小走りで走り出してすぐ。墓地の横をすぎて車道が終わり、いよいよ山の中に入っていくところ。
今回見つけたのは僕だった。
「あ、あそこ!」
最後の電柱が林の中に高く突き出している、その先端のあたり。白くて丸いものが見えた。
「えっ、どこですか」
「あそこ。ジュリエッタじゃないですか?」
僕の指さす方を見て、桜内さんも気づく。
「そうみたい。どうしてあんなところに……」
足場が付いているあたりならともかく、さすがにあそこまで登るのは無理だ。
「ジュリエッタちゃん!」
桜内さんが声をかけた。返事はなかったが、耳がピクリと動くのが見えた。
「聞こえては、いるみたいですね」
「そうみたい」
「ジュリエッタ!」
「ジュリエッタちゃん!」
動きはなかった。
しかし、諦めずに僕たちが何度か呼びかけると、しばらくしてジュリエッタは動き出した。
どうやっているのか、足は出さずに丸くなったまま、電柱の側面をゆっくりと下り始める。
不安そうに見守る桜内さん。
ジュリエッタは先端から電線が付いているあたりまで下りてくると、器用に線をかわしていく。
そのときだった。
カア、カアと聞きなれた鳴き声がして、バサバサっという音とともに黒い影が飛んでくる。そしてひときわ大きく鳴くと、ジュリエッタのお尻のあたりをくちばしで何度かつついた。
「ピッ!」
まるで悲鳴のような音が聞こえた。ジュリエッタはバランスを崩し、電柱から離れる。
そして、すぐ下にあった電線に触れた。
バチッという嫌な音がして青白い光が飛ぶ。
「きゃっ!」
桜内さんが短い悲鳴を上げた。