君のウサギを巡る冒険   作:Kohya S.

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4. 会話のきっかけ

 意外なほどにゆっくりとジュリエッタが落下し、ドサッと目の前の草むらに落ちた。プラスチックと金属が焦げるようなにおいがする。

 

「ジュリエッタ!」

 

 桜内さんと僕はあわてて駆け寄る。痙攣(けいれん)するように二、三度、体が震えた。

 彼女は膝をついてウサギを抱きかかえる。白かった毛皮は随所で焦げたように黒くなっていた。

 もう一度、彼女はウサギの名前を呼んだ。反応はなかった。

 

 桜内さんが立ち上がり僕は彼女の腕の中のジュリエッタを調べる。

 息をしているようなようすはなく、もうぴくりとも動かなかった。ただそれがロボットだとしたら、死んだ――壊れたことを意味するわけではないが――。

 

「どうしよう、こんなことになるなんて」

 

 絞り出すような声で桜内さんが話した。

 彼女は責められない。誰が抜け出すなんて思うだろうか。でもそんな言葉はかけられなかった。

 桜内さんはゆっくりとジュリエッタの体をなでた。

 

「とりあえず、連れて帰りましょうか」

 

 僕がいうと桜内さんはうなずいた。

 

        ・

 

 持ちましょうという僕の申し出を桜内さんは断った。気持ちはよくわかった。

 帰り道、僕たちは無言だった。

 

 桜内さんの家へついて、彼女がドアのカギを開けられるように僕はジュリエッタを預かる。そのまま僕は彼女の部屋まで抱えていき、ケージにウサギを横たえた。

 そうしていると眠っているのと変わらなかった。

 

「呼びかけるとね、返事をしてくれるようになってたの」

 

 桜内さんはそういいながら腰を下ろし、もう一度、ジュリエッタを優しくなでた。

 

「ピアノの音にだって、応えてくれたのよ」

 

 しばらく桜内さんは無言でなで続けた。僕も何もいわなかった。

 やがて、ぽつりという。

 

「もしかして、やっぱり私、カギをかけ忘れたのかしら」

「そんなことはないと思います!」

 

 思いのほか大きな声になってしまい、桜内さんがびっくりした顔で振り返った。

 

「……すみません。でも、きっとそうではなくて……」

 

 偶然、カギが外れた? いや――。

 

「さっき、見ましたよね。電柱に(のぼ)って。だから……彼女はきっとすごく賢くて、自分でカギを開けたのに違いないです」

 

 僕がいい切ると、彼女は表情を柔らかくした。

 

「ありがとう、堀江くん」

 

 彼女は立ち上がるとピアノに近づき、ふたを開けてカバーを外すと、立ったままでいくつかの音を弾く。

 そして最後に、どこか悲しい感じの響きのする和音を響かせた。

 

「この音が、お気に入りだったみたいなの」

 

 僕に向かって微笑み、僕はうなずく。

 

 そのときだった。視界の端で、ジュリエッタがかすかに体を震わせた気がした。

 

「いま、動きました!」

「えっ」

 

 あわてて桜内さんは駆け寄り、ウサギの体に手を触れて声をかける。

 

「ジュリエッタ!」

 

 反応はない。もしかして僕の勘違いではと思い始めたころ。

 

「……ピッ」

 

 かすかだけれど、鳴き声が聞こえた。

 

「桜内さん!」

「ええ」

 

 僕たちは顔を見あわせた。聞き間違いではなさそうだ。

 彼女がジュリエッタを抱くと、ウサギは耳をわずかに動かす。彼女の顔に明るさが戻る。

 

「無事なのね、ジュリエッタ」

 

 どうやら最悪の事態は避けられたようで、ようやく僕もほっとする。

 

「よかったですね」

「ええ、本当に。……まったく、キミには心配させられるんだから」

 

 桜内さんが優しく声をかけた。

 

 感電したのにも関わらず無事という事実は、ロボット説を補強したと僕は思う(いやロボットだって無事とはいかないはずだが、少なくとも動物よりは可能性があるだろう)。

 ただわからないのは――。

 

「それにしても、どうしてあんなところに上ったんでしょうね」

「さあ。たしかに日向とか夜空とか、好きみたいだけど」彼女は首をかしげる。「もしかしたら、ジュリエッタちゃんは月からの使者で、月に帰りたいのかも」

「かぐや姫みたいですね」

「そういう名前が良かったかしら」

 

 彼女はくすりと笑い、ウサギをいとおしげになでる。

 

「もう逃げ出しちゃだめよ。外は危険がいっぱいなんだから」

 

 言葉を理解したとは思えないけれど、ジュリエッタは「ピピッ」とふたつの和音で答えた。

 

 

 

        §

 

 

 

 数日後、桜内さんからジュリエッタがすっかり元気になったと報告があり、僕は安堵した。

 そして次の土曜日、夕方。僕は彼女の家の前にいた。今度こそジュリエッタを見に来てほしい、そういわれたのだった。

 

 チャイムを鳴らすと、部活から帰ったままなのだろう、制服姿の桜内さんが出迎えてくれた(僕は私服で、それなりの格好をしてきたつもりだ)。

 

「いらっしゃい、堀江くん」

「お招きいただき、ありがとうございます」

「大げさね」

 

 彼女はくすりと笑った。

 

「ジュリエッタは元気にしてますか」

「ええ、もうすっかり。どうぞ、上がってください」

 

 家の奥の方から「梨子、お友達?」という女性の声がして、桜内さんは「ええ、そう。部屋に上がってもらうわね」と答えた。

 僕は階段を上りながら聞く。

 

「Aqoursの練習はもう終わったんですか」

「ええ、さっき帰ってきたところ。……はい、どうぞ。ジュリエッタ、ただいま」

 

 ジュリエッタはケージの中にいて目を閉じていた。僕は近づいて腰をかがめ、いう。

 

「ジュリエッタ、元気だったか?」

「ピピピッ」

 

 なんと、僕の呼びかけにも答えてくれた。僕は嬉しくなる。

 

「あら、ジュリエッタ、お利口さんね」

 

 桜内さんが得意そうにいった。そういえば元気なジュリエッタと会うのは初めてだ。

 

「今、お茶を入れてきますね」と桜内さんはいったん部屋を出た。

 

 僕はウサギを観察する。焦げていた毛皮はすっかり元通りになっているようだ。ネットで調べた自己修復性素材というものだろうか。

 

「ジュリエッタ、お前、何者なんだ?」

 

 ウサギは答えなかった。

 

 桜内さんが戻り、部屋の中央の丸いローテーブルにカップの載ったトレイを置いた。

 僕は勧められた紅茶を一口飲んでから、聞く。

 

「ピアノの音を真似するんですか」

「ええ、そうなの。弾いてみせるわね」

 

 桜内さんはピアノに向かい、腰を下ろした。「ジュリエッタ、よろしくね」といってから、和音をひとつ、鳴らす。

 するとジュリエッタは同じ音で鳴いた。電子音のような()んだ音色(ねいろ)だ。

 

「すごいですね」

 

 彼女は得意そうに、今度は連続して三つ、音を奏でた。ウサギが同じ音を繰り返す。ただその透き通った音は、まるで動物らしくはなかった。

 

「それにね、これだけじゃないの。言葉も真似してくれるみたい」

 

 桜内さんはピアノから離れて、今度はジュリエッタの横で膝をついて話す。

 

「こんにちは」

 

 ウサギは五音節で鳴いた。

 ほらね、というように桜内さんが僕へ微笑む。

 

「ジュリエッタ、元気?」

 

 今度は三音節。

 

「楽しい?」

 

 四音節。

 

「すごいですね、ここまでなつくなんて」

「でしょう。私も初めはびっくりしたわ」

 

 たしかにすごい。ただ、どうやらこちらの言葉をオウム返しにしているだけのようだ。単純な仕組みのプログラムに違いない。でも、それを桜内さんに告げるつもりはなかった。

 

「偉いね、ジュリエッタちゃんは」

 

 ウサギは四音節で答えた。――ん?

 

「桜内さん、ジュリエッタは真似してる、っていってましたね」

「ええ、ずっとそう思っていたけれど……」

 

 きょとんとした顔の桜内さん。

 

「さっき、明らかに違いました。桜内さんの言葉より、ずっと短かったですです」

「そういえば、そうかも……。ねえ、ジュリエッタちゃん?」

 

 二音節。

 

「もしかして、何か返事をしているんじゃ」と僕。

「えっ、そんなことがあるのかな」

 

 半信半疑の桜内さん。

 

「ジュリエッタ、僕の名前がわかるかい?」

 

 四音節だ。

 

「私の名前は?」

 

 桜内さんの問いには二音節。五音節でなくて、と思って気づく。梨子、だ。

 僕たちは顔を見合わせる。

 

「これってもしかすると……」

「ええ、堀江君のいう通りよ。きっと間違いないわ」

 

 それから僕たちはいくつもの質問をジュリエッタに投げた。桜内さんも僕も興奮していた。オウム返しすることもあったし、「ピーッ」と長く鳴くだけのこともあったが、ジュリエッタはやはり何か答えようとしているようだった。

 

「でも、何をいっているか、わからないわね」

 

 一段落して彼女がいった。僕もうなずく。

 

 和音はどうも文字に対応しているようだった。たとえば「こんにちは」の返答――たぶん「こんにちは」だ――の最初の音節は、「りこ」の二音節目と同じ音だった。

 でも五十音をすべて聞き取って対応させるのは難しい(桜内さんなら時間をかければできるだろうけれど)。なにか規則性がないだろうか。

 

 ふと思いついて。桜内さんに提案する。

 

「あの、ためしに楽譜にしてみてもらえますか。これまでのジュリエッタの返答を」

「ええ、いいわよ」

 

 彼女は不思議そうだったけれど、シャープペンシルと、どこからともなく五線譜を取り出して書き始める。

 

「これが、たぶん『こんにちは』。これは『りこ』。たしかにここのふたつは、同じ音ね」

「やっぱりそうですね」

 

 僕は力づけられる。

 

「そして『ありがとう』……いえ、四音節だから『ありがと』かしら」

 

 そんな感じでページにはいくつもの音符と、それに対応する文字が並んだ。

 

「あ、か、さ、た、な……あ、い、う、え、お……うーん、何か法則がありそうなんですが」

 

 でも、僕にはわからなかった。

 

「そうね。……あ、でも、ちょっと待って」

 

 桜内さんがハミングをしながら指先をページの上で行ったり来たりする。

 

「もしかして、コード、かしら。『あ』と『い』、『か』と『こ』、それぞれ同じコードだわ」

「コード?」

「ええ、正確にはコードネーム。和音を構成する音が同じなの」

 

 桜内さんが指をさす。僕には学校の音楽の授業で習ったくらいの知識しかないが(一応楽譜は読める)たしかに同じ音の組み合わせに見えた。

 

「だとすると、あいうえお、にも違いがあるとか?」

「そうかもしれない。えっと……」

 

 また彼女はしばらく眺める。今度は早かった。

 

「音程が違うわ。それぞれ転回形とオクターブが違う」

 

 彼女はさっと立ち上がるとピアノに向かった。

 いくつかの和音を弾く。ジュリエッタが鳴き声で短く答える。

 

「今、『これわかる』って弾いたの」桜内さんは鳴き声と同じ音を奏でる。「答えは『はい』」

 

 もう一度、和音の組み合わせを弾く彼女。ジュリエッタは耳を倒した。

 僕が疑問の目を向けると桜内さんはパチッとウインクする。

 

「今はね、『耳を伏せて』って弾いたのよ」

「すごい! ちゃんと会話できてますね」

「ええ、夢みたい」

 

 彼女はジュリエッタのところに戻り、抱き上げるとほおずりをする。

 

「すごいわ、ジュリエッタちゃん!」

 

 ウサギは四音節で、たぶん「ありがと」と鳴いた。

 

        ・

 

 それからは急速に進んだ。質問をして、桜内さんは答えを楽譜に書き留める。その言葉を推測する。

 すぐにすべての子音がわかった。

 

「濁点はオクターブが下の音がひとつ増えるみたい。半濁点は……たぶんオクターブ上だわ」

「なるほど、そういうことですか」

 

 ジュリエッタは難しい質問、たとえば「どうして逃げたの」とかには「ピーッ」と鳴いて答えなかったが、簡単な質問には素直に答えた。

 

拗音(ようおん)っていうんだっけ、ちいさいやゆよ」

「そうですね。それも違いがありますね」

 

 僕は楽譜を見つめるが、規則性はやはりわからない。

 

「ここが『し』で、こっちはたぶん『しゅ』、これは『しょ』ね」

「こっちに『き』と『きょ』があります」

「うーん、どれもひとつ音が多いわ……これはたぶん……。ちょっと待ってね……」

 

 シャーペンを頬に当てて考える桜内さん。僕はその横顔を見守った。

 

「わかった! やっぱりそう。前の文字のコードがセブンスになっていて、やゆよ、は音程の違いだわ」

「ということは……」

「たぶん、解読できる、と思うわ」

 

 桜内さんはジュリエッタに向き直って、聞く。

 

「キミの名前は?」

 

 ウサギは四音節で答えた。桜内さんはピアノで音を再現する。

 そして僕に向かい、にこっと笑う。

 

「じゅりえた、ね」

「小さいつ、はなくなるんですね」

「あら、聞いてなかった? ちゃんとそこに、休符があったわ」

 

 彼女は今度はジュリエッタに優しく微笑んだ。

 

 気づいたときには窓の外はすっかり暗くなっていた。そろそろ帰らないとまずいだろう。

 冷たくなった紅茶を飲んで、僕は桜内さんにそう話した。

 

「ありがとう、堀江くん」

 

 玄関で彼女がいった(幸いというべきか、親御さんは忙しいらしくて出てこなかった)。

 

「いえ、桜内さんが解読したようなものですし」

「私だけだったら、気づかなかったかもしれないわ」

「それは……」

 

 きっと彼女のことだから、今日でなくてもすぐに気づいただろうと思う。でも、今は素直に受け取ることにする。

 

「いえ、どういたしまして」

 

 にこっと彼女は笑う。

 

「それじゃ、またね。何かあったら連絡しますね」

「ぜひそうしてください。それでは、失礼します」

「ええ、さようなら、暗いから気をつけてね。堀江くん」

 

 足取りも軽く僕は家へ帰る。西の空に細い月が輝いていた。

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