【急募】ヤンデレな彼女と別れる方法【助けて】 作:しろとらだんちょー
「―――この傷、そんなに気になりますか?」
強く象徴するように首に残った縫合痕。
解かれて乱雑に置かれた包帯と手に持った鏡を見るに、おそらくは傷を見ていたのだろう。『何のために?』なんて考えても、俺の浅はかな思考では正解に辿り着けない。否、理解に辿り着けないだろう。ユリィがただ愛おしそうに傷を撫でる姿が、理解出来なかった。恐ろしかったから。
「……? 何で立ったままなんです?」
ユリィは鈍くはにかむ。
いつもは可愛らしく思えるそれも、今じゃ鳥肌が立つだけだ。
「……すまん」
「何で謝るんですか? 兄さまは何か、私に悪い事をしたんですか?」
「嘘を、吐いた」
「どんな?」
「『離れない』って、嘘を吐いた……っ!!!」
恐怖で狭くなる喉から無理矢理声を出した事で、本意ではない強さを孕む。予想外の声量に驚いたのか、僅かに肩を弾けさせるユリィ。だがすぐにまた笑顔を見せて、心底嬉しそうに言葉を漏らす。
「そうですよね……兄さまは私に嘘を吐いたんです。悲しかったですよ? あんなにドラマチックに愛を囁いてくれたのに、その次の日にはいなくなるんですから」
何で、そんなに笑っていられるんだ。
無邪気に笑っていた昔のユリィと重なる。なのに、違う。まるで死神でも相手にしてるみたいだ。今ここにある筈の命に実感がない。俺も、ユリィも。
「あ……! あと一つ、ですねっ」
「……何が、だ」
華聯で美しいユリィの指が、一本強調されて立つ。
「兄さまが謝らなきゃいけない事、ですよ。あと一つだけあるんです。分かったら、とてもとっても特別なプレゼント……あげますから。だから、答えてみてください」
指から瞳へと視点が移る。
暗い、黒い、狂い瞳。何も見えないような、全てを見透かしているような、深淵すら劣るその瞳。それと目を合わせた瞬間、俺の思考は異常な速度で空回りを始めた。
俺はどこで間違えた?俺はどんな失態を犯した?
駄目だ。どれだけ振り返ってもそれらしいものは一つもない。この考え自体が駄目なのだろうか。人としてではなく、一組の男女として考えれば見えてくるだろうか。
今までを問い詰められたとして、俺が後ろめたくなってしまう部分。
異常な程の愛が遠ざける、忌み嫌われる部分。
「――あ」
「分かりましたか?」
それは、
「見舞い……後に来た、事か?」
「……なんだぁ、わかってるじゃないですか。兄さま……」
考えてみれば、当たり前の事だった。
俺に好きな人がいたとして、俺に兄弟がいたとして、その兄弟の方が先に好きな人に見舞われたとしたら、あまり良い気はしないだろう。ただ、その〝好き〟の度合が違えば当然〝良い気がしない〟度合も変わってくる。現にユリィの爪はひび割れて軋んでいた。強く手の甲に押し付けられ、華聯で美しい指は先が鬱血していた。
「本当にすま――」
「でも、やっぱり謝らなくていいです」
「……え?」
「だって、兄さまもわざとじゃないですもんね。たまたま入り口から距離が遠かっただけ。それ以外の他意なんてない。……そうですよね? あいつの方が良い、なんて事……ないですもんね」
あいつ? あいつって、誰……だ…………?
………………いや、まさかそんな訳がない。ユリィに限って、
リリィの事を〝あいつ〟だなんて呼ぶ訳がない。
そんな事、ありえていい筈がない。
「ねぇ? 答えてくださいよ。プレゼント、いらないんですか?」
「なぁ、あいつって誰だ?」
俺はこの期に及んでまだ信じたくなかった。百合が破綻した事じゃない。ユリィという人間が、元の形には戻らない程に壊れてしまっている事だ。本当は最初、再会した時から気付いてはいた。でも認めたくなかった。恐ろしさも、掴めなさも、一時で収まる乱れた感情の一部に過ぎないと。そう思いたかった。
「……今は私が聞いているんですよ。早く答えてください」
「まさかリリィの事をあいつって――」
「今!! 私といるのに!!! あいつの名前を出さないでくださいよ!!!!」
「……っ!!!」
ユリィの貼り付けたような笑顔が激しく崩れる。
見て取れる負の感情が俺の心臓を締め上げていく。
俺も、ユリィも、リリィも。
もう二度と元には戻れないんだと、痛みが強くなればなるほど脳に刻まれる。
「あいつの事がそんなに好きですか? 開き直ればいいんですか? 媚びを売ればいいんですか? どうすればあいつより魅力的だと分かって貰えるんですか?」
「落ち着け……一旦……」
「そうだ! 私をいますぐに虐げてください! 私はそれを全て笑顔で受け止めますから! 満足いくまで嬲ってください。辱めてください。あいつに出来ない事を、あいつが出来ない事を、私は全部しますから! そうなったらあいつなんて、いずれ必要なくなりますもんね?」
まだ覚束ないであろう体を動かして、ベッドから這いずり出てくるユリィ。
その迫力に思わず後ずさるが震える足ではまともに距離が取れず、すぐに足に抱き着かれる。縋りつくように、悶えるように密着していくユリィの体はどこか扇情的で、無機質な病院着すら俺を硬直させる。
「そういえば、プレゼント! まだ言ってなかったですね。最初は『謝ってくれたら』って話でしたし、いずれ答えの方も分かるでしょうし、今からあげちゃいます! はい、どうぞ……♡」
「……え?」
「ラッピングは質素ですけど、〝私〟です♡」
理解出来る。けどしたくない。
幾年付き添った恋人同士でも滅多に言わないようなセリフを、今ここで受け止めたくない。受け止めてしまえばきっと、俺も同じように狂ってしまう。だがそんな思考とは裏腹に、俺の腕はユリィを迎え入れる。ただこれは決して欲望などではない。生存本能が働いているんだ。それほどまでに、怖い。
「さっき言った通りです。私を好きなように虐げてください。兄さまが望むように、私を使ってください。兄さまの為なら何だって……それこそ命だって捧げられます。……だから、だから、だからどうか――」
指が絡まる。
一つになったような錯覚に襲われる中、俺の脳内に言葉が響く。
「あいつよりも、
ハッ……ピー……エンド……?
【使用人くん】
珍しく名前が出なかった男(異常者)。
親父の謎のコネで金持ち屋敷に転がり込んだのはいいものの、あまりにも美しすぎる光景(百合)を見てしまい、それに少しでも相応しくなるような自らの理想を演じ続けたら見事に終わってしまった。どうすれば良かったんだろうね。
【リリィ】
元、百合。
幼い頃から刷り込まれた思考とそれを正当化する恵まれない人脈によって荒み、気付けば唯一の理解者である妹を好きになっていた。ただ異常者が屋敷に入り込んだ事で少しずつ変わっていき、命を賭けて助けられた事で思考が一変した。妹と比べると数段劣るが、それでも普通に人生捧げてくるヤベー奴。
【ユリィ】
元、百合。
姉の完璧度合を知っている分、対抗意識や憎悪が天元突破してしまった。この後体の関係も迫ってみるが、乱入してきたリリィに阻まれ失敗に終わる。ここからどんどん姉妹間の戦いは激化していくが、それはまた別のお話。