【急募】ヤンデレな彼女と別れる方法【助けて】 作:しろとらだんちょー
うーん、この
20歳の春。
公園で新斗くんと出会え直せた時から、私はいつどんな時も新斗くんの理想であり続けた。それは私にとって贖い以上に大きな意味を持つもので、間違っても『苦しい』『辛い』なんて感情は一芥ほども抱いた事はなかった。
家事や仕事は私がして当たり前の事だし、セックスだって新斗くんから求めてくれるのは嬉しかった。昔の私ではどんな手段を講じても見る事は叶わない、新斗くんのあらゆる表情・感情を近くで感じる度、麻薬にも似た快楽と充足感が私を満たしていった。
今思えば、それが駄目だった。
快楽に浸り切った脳は常軌を逸するほどに衰え、醜さのあまり強く蓋をした〝あの感情〟が、表に出始めている事に気付けない鈍さにまで落ちた。いや、元より落ちていた部分すら露呈したんだろう。仕事の難しさ、煩わしさ、忙しさ。ぐちゃぐちゃになった感情の分別すら付かず、あまつさえ傍にいた彼に〝それ〟をぶつけてしまった。
『この仕事、少しでも納期が遅れたらダメなやつなのに! この前も言ったでしょ? 仕事中は邪魔しないで、って! それなのに邪魔ばっかりして、私の言葉なんて全然聞いてくれない! 何なの? 暇なの?なら、一度くらい働いてみてよ!! 私の事理解してよ!! 私だって、新斗くんと一緒に遊びたいんだよ!! でも我慢してるんだよ!? だからっ……! 邪魔しないでよ……!』
一言一句、脳に焼き付いて離れない言葉。
丁度生理周期に入ってて、仕事も持ち帰らなきゃいけないほど多くて、その上料理や掃除もしなきゃいけなかった。心のどこかで新斗くんに『分かって欲しい』と思ってしまった。何て、烏滸がましい。殴りたい、嬲りたい、今すぐにでも過去に戻って惨たらしく殺してやりたい。綻んだあの瞬間から、ずっと思い出しては苛んでいる。
「ぐぅ……あうう……っ…」
嗚咽に満たない、臓器を絞ったような呻き。
どれだけ仕事に集中していても、ふとした瞬間にフラッシュバックする。
今日の朝だってそうだ。
出掛ける前に見た、テーブル上の減っていないお菓子の山。
分厚い財布を空にしてまで乞うた許しは、少しも受け入れられてはいないらしい。
あぁ、手が震える。
キーボードを叩く指が酷く疎かになる。
何度気持ちを切り替えようと頭を振るっても、画面上にある文字は思考から滑り落ちる。
私は一体、何のためにいるんだろう。
『この仕事場に』という意味じゃない。
元々新斗くんの隣にいられるような人間じゃないのに、誤魔化して猫かぶって無理矢理居座っていた。それすら出来なくなったのに、まだ図々しくしがみ付こうとしている。何をしているんだろう。何のために? それが新斗くんにとっての幸せじゃないのは分かっているのに、どうしてまだ足掻こうとしてるの?
【だって、大好きだから。】
【今この身を裂いてはじけてしまいそうなほど、強く強く愛しているから。】
自己中心的な本心が脳内を過る。
今までならこれをすぐに奥底に仕舞うことが出来た。けど、もう無理だ。考え込めばその分だけ感情は増して、自己矛盾に等しい思想は徐々に皮が剥がれていく。気付けば指は動かなくなっていた。
「ちょっと! 日鴉さん! ちゃんと仕事を……ッ……!!?」
あぁ、そう言えば、ここ最近はセックスも全然してないなぁ。
いっぱい誘ってるのにな……どうしてだろ? 前までなら私から誘わなくても、たくさん来てくれてたのに。もしかして新斗くん、疲れてるのかなぁ。それとも優しいから、『疲れてるだろうから』なんて思ってくれてるのかな。そうだ、きっとそうだよね。それじゃあ、悪いことしちゃったなぁ。
そうだ! だったら今日は出来るよね。
だって早く帰れるんだし、新斗くんだって溜まってるはず。申し訳ないなぁ、でもその分サービスするから許してくれるよね。前やりたいって言ってた……赤ちゃんプレイだっけ? その時はちょっと忌避感あったけど、今はもう全然ない。むしろ素敵なことだよね。いっぱい甘えてくれるって訳だし。
最近はセックス以外にも、コミュニケーションすらご無沙汰だなぁ。
目も合わせてくれないし、いきなり抱き着いてくることもない。今まで当たり前だったのが全部、無くなっちゃった。あーあ、あんなこと言わなければなぁ。せっかく、恵まれた環境だったのに。
甘えられることに甘えて、全部全部台無しにしちゃった。
「ひ、日鴉……さ、ん? だ、大丈夫ですか……っ?」
スリープ状態で真っ黒になったディスプレイ。
そこに映った気持ちの悪い私。〝あの時〟を彷彿とさせるような、形容し難い表情。
「……はい! 大丈夫です!」
暗転していた視界と思考はすぐさま元に戻る。
良かった、今日は回復が早い日だ。浮かんだのが邪な考えだった分、闇も軽かったんだろう。仕事場でさえ取り繕えなかったら、それこそ私に価値はない。すぐに立ち直れて、本当に良かった。
【なんて、騙し通せる訳ない。感情のブレーキなんてとっくの昔に壊れてる。】
【ただ淡い期待と希望に目を眩ませて、溢れ返った
【その光が無くなったら、無いものだと知ってしまったら、私は―――】
さぁ、気を取り直して仕事に集中しよう。
家で新斗くんが待ってるんだから。
帰ったら、きっと―――
「――新斗くん?」
扉を開けて、帰りを伝える間もなく気付いた異変。
空気が乾いている。これは湿度の話じゃない。眩く温かい、そんな彼が感じられない酷く不愛想な空気が、鈍重に充満していた。気色悪い、恐ろしい。慣れ親しんだ自分の家が、まるで古びた廃墟のようで、足を踏み入れる事すら億劫になる。
「新斗、くん」
リビングに明かりはない。もちろん新斗くんの自室にも。
『寝てるんじゃないか』って思ったけど、それなら雰囲気で分かる。だから、探したって絶対にいない。けど、探さなきゃ。少しでも長く耐えなきゃ。きっと今にも帰ってくるから。扉を開けて、『コンビニ行ってた』なんてコロっと話して、いつもみたいに抱きしめてくれるから。
あぁ、そういえば扉開けっ放しだ。じゃあ帰ってきても音はしないなぁ。
『ただいま』なんて、全然新斗くんの口から聞いた事ないしなぁ。それもそっか。ずっと家にいてくれてるんだもんね。じゃあ何でいきなり外にいくんだろ。買って来て欲しい物があるなら言えばいいのに。って、私が怒っちゃったから遠慮してるのか。
嫌だなぁ。ありのままを見せてくれないって。
あれだけ、あれだけ全部を見せてくれてたのに、何で捨てたんだろう。
何で、何で、何で。
「大丈夫、大丈夫……帰ってくる……帰ってくるから……」
うん、帰ってくるよ。
でも、帰ってきて、それが何?
私たちの仲が元に戻る訳でもない。
今まで以上の仲になれる訳でもない。
どれだけ納得の出来る理由を貰っても、私が心から安堵する事なんてない。
意味がないんだよ。
今、ここに、新斗くんがいないことが、何よりも耐えられない。
もう、私は、私を、騙せない。
膨張して弾けた感情はどうしようもなく行き場を探す。
目に映るものが全て汚らわしく見えて、その全てを映す私がどうしようもなく憎くて、殺してしまいたくて、そんなドス黒い衝動で満たされていくその刹那が堪らなく心地よくて、汚泥に沈んでいくように私の意識はいつの間にか途切れた。
まだ続きあるってマジ?
ひっぱりすぎだろ……