【急募】ヤンデレな彼女と別れる方法【助けて】 作:しろとらだんちょー
赫喰蒼牙は『アルバニア』である事を除けば、至って普通の高校生である。むしろ三年生の四月という今の時期に関しては、高校生としての役目を果たす事がより重要になってくる。それを蒼牙は十分に分かっていた。故の、勉強。決して出来が悪い訳ではない頭を精一杯動かし、進学への道を着実に切り開こうとしていた。だが普段の言動との大きな乖離のせいか、至極真っ当な光景ながら注目を集める。当人の蒼牙は特に気にする素振りを見せていないが、一人の人物が起こした行動がその気を初めて惹く。
「すいません、赫喰先輩。ちょっといいですか?」
「……む?」
元より他人に興味のない蒼牙だったが、取り分け覚えのない顔。
仮にクラスメイトであれば、ボンヤリと知っている名前との整合性を取ろうと脳が働きかける。しかし今回はそれがない。つまるところ、本当に知らない人間。
「すまんが、誰だ?」
「ミアちゃんの友達です。話したい事があるので、付いて来て貰えませんか」
「別に構わんが」
名を名乗られる事こそ無かったが、自己紹介としては事足りる。
少し不満げな表情や微かな怒気を孕んだ声色からある程度用件は推測出来たが、見慣れない光景に更なる要素が追加された事で周りはここぞとばかりに囃し立てる。
『おいおいおい!! 遂に来たか春が!!』
『ウッソー! マジで!?』
『やるじゃん牙ちゃんよぉ!!』
「すまんな、騒がしいだろう」
軽く耳を防ぐジェスチャーをして、手早く退室する事を促す。
しかし意外にも、件の人間の煩わしいという感情が教室に向く事はなく、ただ淡々と不満げに蒼牙を見つめていた。むしろ促した蒼牙よりも早く、せかせかと人気の少ないところにまで向かおうとしている。
(……出来ればこの感覚は、奴ら以外で味わいたくなかったものだ)
極めて薄く、浅く、弱い、恐怖に似た感情。
背中を追いかける足が震える程ではない。馬鹿げた思考が滞る程ではない。
目を背けたくなる訳でも、逃げ出したくなる訳でもない。
ただ、目の前の光景にほんのりと不快感を覚える。そんな感覚。
思えば、ここ数日は食傷のようなものを患っていた。
靴箱を開ければ必ず入っている、好意的ではない低俗な手紙。『その程度』と高を括って〝慣れ〟とした日々の歪みは、水滴がやがて石を穿つように少しずつ蒼牙の中に蓄積していった。しかし、自覚は未だ鈍いまま。鮮烈な記憶として残るものがない限り、蒼牙の信念は揺らぐ事はない。
それを良しと決めるか悪しと決めるかは、まさに今始まる詰問に委ねられていた。
「ここならいいでしょう」
「そうか。出来れば手短に頼む」
「分かってます。私も長く先輩とは話したくないので」
小気味良いまでの痛烈な返答。
元々人に好かれるような性格ではない事は、蒼牙も重々理解していた。だがここまであからさまに態度に表されると、コミュニケーションの取り方に創意工夫を加えなければならない。予想外の障壁に、唾が自然と喉を重く通る。『どう返したものか』と数秒悩んだが、幸いにも女は言葉を続けた。
「ミアちゃんとの関係は何ですか?」
食傷の中の一つ、聞き飽きた質問だった。
しかしそのほとんどが差出人不明の手紙であったため、答える機会は一度としてなかった。蒼牙は億劫さを感じながらも、当然だと言わんばかりに答えを返す。
「師弟だ。吾輩が師匠で、あやつが弟子だな」
「……ふざけないでください。本当は何なんですか?」
「ふざけてなどいない。事実を語ったまでだ。強大な力を持つ者同士、偉大な役目を担っているのだぞ」
「いい加減にしてください。私は真剣な話をしにきたんです」
ものの数秒で険悪な雰囲気と化した校舎の裏側。
『価値観の違い』と表せば幾分か聞こえは良くなるが、結局のところ魂だのの根源的な部分で相容れないのだから仕方がない。ましてや女は蒼牙を嫌悪している。人の気持ちを汲む行為など微塵も出来ない蒼牙にとって、今のこの状況は極めて致命的だった。
「吾輩も至極真剣なつもりだが……そうだ、貴様にもアルバニアがいかに崇高な役目であるか教えてやろうではないか。あぁ、それならまずはアルバニアについて話さねばな。アルバニアというのは、いつの日か襲い掛かってくる脅威に立ち向かうべく力を与えられ」
「―――いい加減にしてください!!!」
「ッ!?」
空を劈く大きな怒声。
激しい感情をぶつけられる事に慣れていない蒼牙は、柄にもなく動揺を見せる。
「それが先輩にとっての本当なんですね? だったら、そんな下らないおままごとにミアちゃんを付き合わせないでください!! 何が『アルバニア』ですか。今時中学生でも考えないような事ではしゃいで、ミアちゃんの時間を奪わないで!! あの子は先輩と違って人気者なんです。そりゃあ、三年生の先輩に比べれば時間はあると思いますけどね。でも、傍から見て心底どうでもいい、理解の出来ない事を友達より優先していたら、誰だって嫌な気分になります!!」
『下らないおままごと』
『心底どうでもいい、理解が出来ない』
心無い言葉は阻むものなく蒼牙の心に届き、女の意思を鮮明に訴えかける。しかし、それを以てしても蒼牙の信念は揺らがない。何故なら、理解されない事の方が多い話だからだ。いきなり〝世界の脅威がどうである〟だの、〝来たるべき日はそう遠くない〟だの言われて、すぐ信じる者の方が稀である。多少過剰な拒絶反応であれ、それが蒼牙の想定範囲内にあるのなら、何も問題はなかった。
筈だった。
「――先輩、ミアちゃんの気持ち考えた事ありますか?」
その言葉に、微かに信念が揺らぐ。
「誰よりも優しいあの子だから、きっと先輩みたいな変人でも蔑ろに出来ないんです。必死に話を合わせてあげて、無理に笑っているんです。……先輩は変に図太いからどんな噂を流されようが大丈夫なんでしょうけど、ミアちゃんは違います」
蓄積された不快感が胸の内から込みあがってくる。
気にするまでもないあの感覚が、ここに来て蒼牙の思考を刺す。
「このままミアちゃんの時間を奪い続けたら、多分これまで以上に嫌がらせは進みます。しかもそんな事する奴らに良識がある訳ない。〝それ〟が先輩だけに収まるなんて、到底思えないんです」
理解も、ましてや見る事すら憚られるような悪辣な文章。
日々の彩りや輝きが徐々に失せていく、陰湿な周りの空気。
何一つ、蒼牙が気にかける事はなかった。何故なら自分一人だと思っていたから。
世界を救うには犠牲が必要で、その犠牲は自分だと思っていたから。
だけど目の前の女が言うには自分一人に留まらず、大切な弟子にも及ぶと宣っている。
勿論、背負い続ける世界救済の重圧に比べれば、塵芥も同然の矮小な事象だ。でも、それが己が弟子にとっても同じだとは限らない。今まで通りであれば信念に沿って容易に一蹴する思考も、『その信念が少しでも間違っていたら?』という問いが浮かぶと、脳はたちまちに停滞してしまった。
「ミアちゃんとの時間や関係が楽しい事は十分分かります。……でも、先輩と一緒だと不安で仕方がないんです。お願いします、ミアちゃんと関わらないでください」
先ほどとは打って変わって、深々と頭を下げる女。
必要とあらば土下座も辞さないその迫力と凄味に、蒼牙は考えてしまった。
このまま世界を救う事だけに注力し、弟子の人生を壊すか。
弟子の人生を優先し、自分一人で世界を救うか。
その二つを秤に乗せてしまった。
結論は、言うまでもなかった。
◇◇◇
「師匠、どうしたの? 放課後誘ってくれるなんて珍し~!」
「……あぁ、まぁ、少し伝えねばならん事があってな」
「何かあったの? あ、まさか奴らがついに攻めてきたとか!?」
「……弟子よ、違うのだ」
いつ如何なる時も胸を張り、誇らしげに物を語る師の姿はもはやどこにもない。
どこか申し訳なさそうに背中を丸め、やけに視線を泳がせ空を見る。今この瞬間だけは〝選ばれしアルバニア〟でもなく〝敬われ頼られる師〟でもなく、ただの赫喰蒼牙としてそこに立っていた。
だがそれでは恰好が付かない事ぐらい、蒼牙はとうに理解していた。
ゆえに、幾年ぶりに拳を固く握り締め、自らに強く言い聞かせる。胸は大きく張れずとも、真っ直ぐ弟子を見れずとも、せめて〝最後〟はミアの師として話すのだと。揺らいでしまった信念……否、端から不出来であった信念に決別を告げるように、油の切れた口をぎこちなく開いた。
「思えば、吾輩は貴様に無理をさせていたのかもしれない」
「……? 何を? 私は別に無理なんか――」
「吾輩の言動の全ては、周りには随分と荒唐無稽に映るらしい。それは我が弟子である貴様にとっても同じ事。いくら真剣な面持ちであろうが、薄弱な世界に入り浸る偏屈者に見えるそうだ」
「……師匠、急にどうしたの。そんなもの、崇高なる使命を理解出来ない愚か者共が悪いんだよ。足りない頭じゃ辿り着けないくらい、より高位な場所に私達はいるの!」
未だかつて触れた事のない弱さを醸し出す師に、柄にもなく言葉に熱が入るミア。
そこにある感情は師に対する純粋な畏敬のみで、何発と心を打たれてもおかしくない迫力と真実があった。だが、蒼牙の今の弱さは打たれて治るものでは到底ない。
「その言葉が本心なのか、優しさなのか……どちらにせよ、吾輩は貴様に酷な事を云わねばならない」
冷たさの残る表情のまま話は続く。
変わらない雰囲気にミアは、途端に恐怖を覚えた。普段であれば一挙手一投足に愛しさを感じる筈の師から、何らその類の感情を抱けない。ましてや恐怖を抱いている事にすら、ミアは恐怖していた。
「まぁ、酷な事と言えども結局は吾輩の驕りでもある。たかだか師を失う程度で、これから先の道が捻じ曲がる訳でもないだろうからな。何せ、貴様は有能だ。アルバニアとしては一歩劣るだろうが、その差もやがて埋まっていく。むしろ追い越していく姿さえ想像出来るぞ」
「失うって……もーっ、師匠ぉ! 冗談やめてよー……免許皆伝には程遠い実力だって分かってるでしょ? あ、もしかして変な物でも食べたんじゃないの? 私が作ったお弁当以外は食べちゃダメってあれほど言ってるのに……」
それでも尚、明るく弟子として振る舞うその理由は言うまでもない。
見たくも聞きたくもない結末が、既に第六感を触っているからだ。背筋が芯から凍るような悍ましい未来が、薄皮一枚の向こう側に存在している事に気が付いているからなのだ。
故に、笑う。
必要とあらば今にも踊り出し、歌い出す程にお道化て魅せる覚悟がそこにあった。
「いいや、昼食はまだだ。朝食も至って普通……特に変わりはない」
「そっかぁ。師匠ぉ、ご飯まだなんだ……じゃあ今から一緒に食べよー! 今日はねぇ、ハンバーグ作ってきたんだよ~。絶対食べたいだろうなぁってビビッときて! 当たってるでしょー?」
「誠にありがたい話だが、その前に済ますべき話がある」
「もう冷めちゃってるけど、やっぱり早く食べた方が良いよね! 飲み物は何がいい? 色々持って来たんだよー、えっとね……コーラもあるしー、サイダーもあるしー、麦茶もあるしー」
「それは後で頂こう。それより話が」
「あ! 何飲みたいか、当ててあげよっか? んー……今日の師匠はねー」
先にも後にも繋がらない無の時間が、忙しなく継ぎ接ぎされていく。
視線は覚束ず、言葉の節々の震えがある。だが、それを含めて〝弟子である〟となお偽り続ける。傍から見たならば、仕草も言動も表情も、全てが完璧なほど普段通りな弟子に見えるだろう。だからこそ、異常。まるで自らの精神状態など関係が無いと言わんばかりに、幾重にも重なった仮面を被る。
これも逆月ミアという人間を詳しく観測してみれば、当然の話だと万人が頷く。
しかし、それが語られるのは少し先の話。
「――ミア、聞け」
今はただ、全てを見透かす師の言葉だけが優先的に語られる。
「これ以上の茶地な寸劇は無用だ。濁さず言おう、貴様には吾輩の弟子を辞めて貰う」
「……聞こえない、もん」
ミアは途端に耳を塞いで蹲る。
明るく偽り場を流す事が得策でないと言うのなら、残された道は現実逃避の他にない。それが苦肉の策である事を理解していて尚、ミアは偉大なる師の言葉を拒絶した。
「理由は一つ、貴様は吾輩の世界にそぐわないからだ。アルバニアとして日々励む貴様より、儚くも眩い生を謳歌する貴様の方が、吾輩はよっぽど正しく思えてしまう」
「……正しいって、なに。そんなの、知らない……」
「聞こえているではないか」
「聞こえない……っ!」
固く強く言葉を拒んでも、馴染んだ声は緩やかにミアの脳に浸透する。
意識とは逆をいく反応をしてしまうのも同じ事だ。日頃から享受し続けた幸福をたった一度の思考で切り離す事など、到底出来はしない。ミアがどれだけ辛く苦しい現実から目を背けようとしても、反比例してより近くに突きつけられてしまうのだ。
「ふっ、そうか。吾輩としても、これだけ愛嬌のある弟子を失う事は苦しい。だが、だからこそ貴様は吾輩と一緒にいるべきではない。出来の良い貴様なら分かるだろう?」
「分かんない、分かんないよ。『だからこそ』ってなに……? 苦しいなら傍にいてよ。ずっと弟子でいさせてよ。世界にそぐわないなんて言わないでよっ……!」
「そうしたいところだが、アルバニアも弟子も貴様にとって役不足なのは明確だ。これは、これだけは貫き通さねばならない。どれだけ苦しく、辛い事だとしてもだ」
「何っ、でっ……」
激しく揺れ動くミアの脳内から見た師の姿は、果たしてどう映ったのだろうか。
申し訳なさそうに、真面目に、冷徹に。一切の情も入る余地がないその空気は、どれだけ師に対する想いを歪ませたのだろうか。計り知れない感情がその場で重苦しく蠢き、ミアの一挙手一投足をこれでもかと目立たせる。体を抱え込むその動きすら、邦画のワンシーンを映すように。
「半ば優しく諭したところで貴様は納得せんだろう……だから、一度だ。一度だけ、最後だけ、師として貴様に命令する」
「言わないで、ください……いい子にするから、もっとたくさん修行するから……」
互いに感覚は鋭敏になっていく。
心臓が胸を打ち、汗が頬を伝い、声が体を打ち震わせる。
緊張と恐怖が最高潮まで昂り、やがて一つに交わった時。
「今日、現刻を以て逆月ミアは破門とする。金輪際、姿を現さない事だ」
ミアにとって最も残酷な言葉が告げられた。
◇◇◇
残響。
現実感のない言葉だけがその場に残り続ける。
ミアは繰り返し、繰り返し反芻する。
『今日、現刻を以て逆月ミアは破門とする。金輪際、姿を現さない事だ』
「―――ウソつき……」
『願わくば、貴様が歩むこれからの道に多くの幸福と成長があらん事を』
「……だけど、ちがう……」
今ある腸が煮えくり返るほどの憎悪は、決して師に向かうべきでない。
ならば、どこか?
「……もう、どうだっていいや」
それを探す気力など、ミアには残っていなかった。
ただ風が吹き上げる土埃に無を吐き出し、過ぎ去る時と共にその感情を燻らせ続けた。
―――火種は、消えていない。