──そのウマ娘は最速だった。
『早くも、早くも8バ身ぐらいの差を付けて、サイレンススズカが行く!』
──そのウマ娘を捕まえられるウマ娘など、どこにも存在しなかった。
『1000m通過タイムは、57秒4! これほど快速で走るウマ娘は見た事がありません!』
──その速さは伝説になるはずだった。しかし。
『大欅を抜けて……あぁっと!? どうした事だ、サイレンススズカ失速! サイレンススズカに故障発生か!』
──その伝説は道半ばで潰えてしまった。
『沈黙の日曜日──! サイレンススズカ、第4コーナーを迎える事無く競争中止──!』
──あと、もう少しだったのに。
⏱ ⏱ ⏱ ⏱ ⏱
目を開くとすっかり見慣れてきた白い天井が視界に飛び込んできた。
「……」
また、あの夢だ。“あの日”以来、毎日見続けてきた夢。
届きそうだったのに届かなかった、秋の天皇賞の夢。
溜息を1つ吐くと、近くのコントローラーに手を伸ばし操作する。
ベッドの上部が自分の身体ごとゆっくりと起き上がっていく。
この一連の流れも、もう慣れたものだ。
「……ふ」
そのルーティーンが身体に染み付くほどここの生活が長くなった事に、思わず乾いた笑いが漏れる。
起き上がって目に入るのはベッドとシーツと──ギプスで固められた左脚。
左足首粉砕骨折。それが医者に診断された今の自分の現状だ。
もうレースで走る事は出来ない。それどころか日常生活すらままならないとまで言われてしまった。
後1か月もすればギプスは取れるだろうということだが、それまではこうしてここで寝転がるしか出来ずにいる。
尤も、ギプスが取れた所で結局は似たような生活のままだろうが。
「はぁ……」
ぽすん、とベッドに身を任せて息を吐く。本当にする事が無い。
首を横に向けて時計を確認する。東条トレーナーが見舞いに来るまではまだ少し時間があった。
「……走りたいな」
その呟きは、どこへ伝えるでもなく空へ消えていくのだった。
「スズカ」
空虚な時間を過ごしているうちに東条トレーナーが病室に顔を見せた。
「おハナさん。毎日ありがとうございます」
自分は──サイレンススズカは無理に笑みを作って迎える。
しかし、そんな少女の意地など東条トレーナーには通じなかったようで、彼女は顔を少し歪めた。
「……ごめんなさい、スズカ。貴女には無理をさせたわね」
「またそれですか? おハナさんが気に病むような事じゃないですよ」
「そうは言ってもね……」
“あの日”以来、見舞いに来る度に東条トレーナーはこうして謝り、それをスズカが宥めるというのも毎日繰り返されていた。
東条トレーナーが気に病む事は無いというのはスズカの本心だ。
出来れば気持ちを切り替えて他の子達の育成に集中して欲しいのだが、気持ちの切り替えが出来ていないのはスズカも同じなので何も言えない。
「それで、脚の様子は?」
「後1か月もすればギプスが取れるそうですよ。取れてもまだ暫くは足首を固定して車椅子だそうですが」
「そう……。それを聞いて少し安心したわ」
スズカの話を聞いて、東条トレーナーの少し固かった表情が漸く和らいだ。
ずっとスズカの身を案じていて普段のトレーニングにも身が入っていなかったと聞いていたから、これで少しは安心してくれたのだろう。スズカも肩の荷が少し降りたように感じた。
──それでも、もう東条トレーナーの期待に応える事は出来なくなったのだ。
その事がふと頭に過ぎってしまったスズカは思わず吐きそうになった。
「……ぅ」
「スズカ!?」
「……だ、大丈夫です。大丈夫ですから」
「そういう訳にはいかないでしょう!」
「大丈夫ですから!」
込み上がる嫌悪感を無理やり飲み込み、何の躊躇いも無くナースコールを引っ掴んで押そうとする東条トレーナーの腕を掴んで止める。
「……大丈夫、ですから」
「スズカ……」
「……ごめんなさい。今日はもう、一人にしてもらえませんか」
顔と耳を伏せてそう言うスズカに、東条トレーナーはそれ以上何も言えずにナースコールを掴んでいた手を離すと、また明日来るわ。とだけ言って病室を出て行った。
「……ごめん、なさい……っ」
誰も居なくなった病室で一人、スズカは静かに涙を流す。
そんな中で、時計の針だけが何事も無かったかのように時を刻み続けていた。
⏱ ⏱ ⏱ ⏱ ⏱
────。
あれから暫くした後、泣き疲れて眠っていたスズカは誰かに呼ばれた気がして目を覚ました。
ベッドを起こして周りを見回すが、既に消灯時間を過ぎている病室にはスズカ以外に誰かが居るような様子は無い。
気のせいだったかしら。そう思い、もう一度寝直そうとコントローラーを掴んだ時だった。
──サイレンススズカ。
今度ははっきりとスズカを呼ぶ声が聞こえた。慌ててコントローラーに向けていた視線を声が聞こえた方向へ向ける。
「……え?」
先程見た時には居なかったはずの存在が、そこに居た。
それは白い布で作られた簡素な服を身に纏った黒鹿毛のウマ娘の姿をしていた。
しかも、明かりも無いのにまるで彼女自身が光っているかのようにやけにはっきりとその姿が見えている。
そのウマ娘が持つまるで遠くを見ているような瞳に飲み込まれ、スズカはただ見つめ返すことしか出来なかった。
スズカが固まっている間に、ウマ娘はゆっくりとこちらへ向かって歩を進めてくる。
ベッドの横に立ち、ギプスで固められたスズカの左脚を何処か悲しげに見つめながら彼女は口を開いた。
「やっぱり、そうなってしまったのね」
「……?」
その言葉を聞いて首を傾げるスズカ。
自分が怪我をした事については既にトレセン学園どころか全国のニュースにすらなっているのだが、それを差し引いても“やっぱり”という言葉は何処か引っ掛かるものがあった。
目の前のウマ娘は何を知っているのだろう? 好奇心に身を任せ、勇気を出して尋ねる事にした。
「あ、あの……。貴方は一体誰ですか?」
「私? そうね、貴方達が言うところの三女神の一柱、と言えば分かるかしら」
その問いに対して返ってきた答えは、スズカの予想を遥かに超えたものだった。
一瞬で頭がパンクし、思考が停止する。
三女神なんて、よくある神話とか伝説の類だと思っていたのだ。
それがどういう訳か、目の前にいる謎のウマ娘はその三女神の一柱だという。
きっと疲れ過ぎていてまだ夢を見ているのかと思い、頬を思いっきり抓ってみた。とても痛かった。
「夢じゃなくて現実よ、現実。ちゃんと私の威光を見なさい。ほら」
「嘘でしょ……さっきより光ってる……」
先程よりはっきり分かるぐらいに光り出して病室の中を照らすウマ娘に頭を抱えるスズカ。
情報量が多すぎて処理しきれない。一体これは何だと言うのか。
そもそも女神様とやらは一体全体ここへ何をしに来たのか。何も分からない。
「そんなの決まってるじゃない。貴方を救う為よ。サイレンススズカ」
「私、まだ何も言ってませんけど……!」
「女神の前で隠し事は出来ないわ。もちろん、貴方の願いもね」
どくん。スズカは心臓が跳ねたのを確かに感じた。
スズカの願い。それは──。
「もう一度、あのターフを走りたい。先頭を走り続けたい。……そうでしょ?」
「どうして……」
「さっきも言ったでしょう。女神に隠し事なんて出来ないのよ」
「で、でも。どうやって……?」
「簡単な事よ」
くす。至極真っ当なスズカの疑問を聞くと、女神は本当に可笑しそうに笑って何でも無い事の様に答えた。
「
「……え?」
自称女神の提案に、スズカは言葉を失くした。
今、彼女は何と言った? 過去に戻ってやり直せばいい?
出来る訳が無い。常識的に考えてそんな事は夢物語に過ぎないはずだ。
(だけど、もしかしたら──)
頭ではそうだと分かっていても、スズカの心はその可能性を振り切れないでいた。
もう一度走れるかも知れないというのは、それだけとても惹かれるものがあったのだ。
葛藤しているスズカの内心を分かっているかのように、彼女は鼻を鳴らして話を続ける。
「不可能じゃないわ。私の力を以てすればウマ娘一人を過去に送るくらい造作も無い事よ」
「……本当に、本当にやり直せるんですか……?」
「もちろんよ。……貴方はどうしたいかしら?」
「それは……」
彼女の問い掛けに、スズカは少し考える素振りを見せる。
どうせこのままで居ても一生まともに歩けないままのだ。
──それならば、いっそこの自称女神に賭けてみるのも良いのではないだろうか?
その結論にスズカが至ると同時に、彼女は小さく柔らかに微笑んで見せた。
「答えは出たようね」
「はい。……私は、もう一度やり直したい。次こそはあの速さの向こう側に見える景色に辿り着きたい……!」
「その願い、聞き届けたわ。必ず貴方をその景色に連れて行ってあげる」
スズカの出した答えに彼女は満足そうに頷いた。
しかし、すぐに表情を引き締めるとスズカを真っ直ぐ見ながら更に話を続ける。
「その前にいくつか言っておく事があるわ」
「何ですか?」
まず1つ。彼女は握った手の親指を立てる。
「未来から来た、と自分からは言わない事。ま、これに関しては私が細工しておくから、あまり心配しなくても良いわ」
「どうして駄目なんですか?」
「急にそんな事を言い出すようになったら、普通は頭がおかしくなったって思われるでしょ」
「確かに……」
それから2つ。今度は人差し指を立てる。
「一度過去に戻ったら、この世界には二度と戻ってこられないわ」
「二度と戻ってこられないって、どういう事なんですか……?」
「話すと複雑だから簡潔に説明するなら、貴方が観測していない事象は不確定に変わるからよ。一度そうなってしまえば、この世界は曖昧になり、こちらからは観測できなくなる。その曖昧な状態だからこそ、未来を変えられる可能性が生まれるのだけど」
そして3つ。これが一番大事よ、と告げて中指を立てる。
「当然だけど、失敗したからと言ってもう一度やり直す事は出来ないわ。だからこそ、一度過去に戻れば、貴方は常に最善を選び続ける必要がある。それは針の穴よりも小さい穴に繊維を通すような不可能に近い事よ」
──それでも貴方は行くかしら?
そう言って差し出された女神の手を、スズカは躊躇う事無く取った。
それは契約の証であり、そしてこの世界への離別の決意でもあった。
「じゃあ、始めるわよ」
女神は優しく微笑み、そっとスズカの手を握るとそう告げた。
同時に女神を包んでいた光が強く眩しくなっていき、スズカさえもその中へ飲み込んでいく。
(ぁ……。おハナさんにお別れ、言えなかったな……)
その途中で、ふと東条トレーナーの事が頭に過る。
この世界から居なくなるという事は、二度と今のスズカが知る東条トレーナーに会えないという事だ。
でも、それでも良いとスズカは思った。過去をやり直す事で東条トレーナーへ報いる事が出来るなら、それで十分だった。
更に強まる光に包まれ、意識さえもその白に溶けていく。
「それじゃ、
意識の最後の一辺が真っ白に塗り潰される直前、スズカの耳には女神の笑う声が聞こえた気がした。
沈黙の日曜日は沈黙の月曜日となり、沈黙の火曜日となり、そしてそれは延々と続いていた。
そこへ現れた誘いの手。
それは、彼女にとって正しく女神か、――それとも悪魔か。
しかし、それを決めるのは、きっと今では無いのだろう。
初めましての方は初めまして。
久しぶりの方は三か月ぶりです。
ノービスです。
……いや、本当に前作は申し訳ないことをしてしまいました……。
今作では上手くやってくれるでしょう。やってくれるよね?やれ。
はい。
一度休んだ途端に手が進まなくなり、読み返してみても話が若干どころじゃなく取っ散らかっていたように見えたこともあり、こうして書き直しをしている次第です。
もっとも、前の様に間で休めば間違いなく手が止まるであろうことが見えているので、もう少し執筆のハードルを下げて書こうかなと思います。
具体的には週1固定に1000字超えぐらいを目安にします。
調子が良ければ早めに、とも考えましたが、そうすると後が怖いのでこれで行きたいと思います。
と言う訳でリメイク版1話でした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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