※誠に勝手ながら、今回から21時更新に変えます。悪しからず。
※話数統合のお知らせ
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準備が終わった『ポラリス』の面々は、それぞれのトレーニングを始める。
スズカとサニーはそのサポートを行いつつも、お互いに何を言えば良いのか分からないまま、時間だけが過ぎていった。
「あの、スズカ」
トレーニングもある程度終わり、少し空き時間が出来た頃、最初に口を開いたのはサニーだった。
すぐ近くにはベンチに座っている2人以外に人影は無く、成程、話を切り出すには丁度良かった。
スズカは茜に頼まれて書いていたメモに走らせていたペンを止めると、顔を上げる。
「どうしたの?」
「ん、この間の事、聞いたから。大丈夫じゃないだろうけど、大丈夫かなって」
「……そうね。まだ大丈夫じゃないけど、少しずつ前には行ってると思うわ」
「……そっか」
少し不安げにしながらスズカの顔を覗き込んでくるサニーに微笑みながら、スズカはそう答えた。
それを聞いたサニーは、ふと表情を和らげる。
今度はスズカが質問して見る事にした。
「サニー。サニーの方は……?」
「私? ……うん、大丈夫だよ。菊花賞は行けなくなったけど、まだ走れなくなった訳じゃないから」
そう言って、サニーはギプスで固められた左脚をそっと撫でる。
そのギプスを見た瞬間、かつての自分を思い出してしまって悪寒が背中を走るが、咄嗟に目を逸らして深呼吸する事で何とか耐えた。
「スズカ……?」
「ん……。何でも無いわ」
目聡くそれを見つけたサニーに、スズカは首を振って何でも無いと誤魔化す。
しかし、その言葉ではサニーは納得しなかったようだ。
顔に手を添えられ、向きをサニーの方へ変えられた。そのまま、じぃ、と真っ直ぐ見つめられる。
まるで心の奥まで見透かされそうな澄んだ橙色の瞳に、スズカは僅かにたじろいだ。
「サ、サニー?」
「私、さっき言ったよね。何があったか教えてもらうって。──ね、教えて。スズカ」
なんとまあ、このサニー、圧が強い。
記憶の中の彼女は、もっとこう、儚げというか、慎ましい少女だったような気がする。
あの時もそれなりに付き合いがあった筈なのだが、あるいはこちらが本来の彼女なのだろうか。
スズカは少し悩んだ後、さっき約束したのだからと彼女の質問に答える事にした。
そのまま伝えようとしても先日の東条とのやり取りの焼き増しになるので、ある程度ぼかして自分の事を話していく。
脚に大きな怪我を負い、走れなくなるような“夢”を見てから走る事が怖くなったのだ、と。
エアグルーヴとの会話では問題無く話せていたから、こういう表現であれば大丈夫だろう。
必要で大切な事とは言え、女神も面倒な制約を付けたものだ。
そうして話し終わると、サニーは何と言えば良いのか分からないという表情をしていた。
「……それだけで走れなくなるなんて、ありえるのかな。スズカ、本当にそれだけ?」
「それは……」
スズカはそれ以上言わなかった。──言えなかった。
本当の事を話した所でサニーに届くのは雑音だけ。
これ以上不安がらせるぐらいなら、いっそ──。
「スズカ」
少し強い口調でサニーに名前を呼ばれ、びく、と肩を震わせる。
ちらり、とサニーの様子を窺うと、耳を後ろに伏せ、目を細めて、じぃ、とスズカを見つめていた。
これは、逃げられないな。スズカはそう思った。
東条の時もそうだったが、我ながら案外ちょろいものである。
届かないと分かりつつも、こうして答えようとしているのだから。
「……サニー」
「なぁに?」
「ごめんなさい」
「えっ?」
いきなりの謝罪にサニーは面食らったような表情を見せる。
それから、もしや教えたくないとでもいうのかと言いたげな目でスズカを見てくる。
スズカは首を横に振ってそれを否定し、1つ深呼吸してから口を開いた。
「そんな事は無いわ。──けれど、きっと貴方には届かないだろうから」
「スズカ? 何を……」
「────」
「…………?」
スズカの口から零れ出た真実は、やはりサニーの耳には届かなかった。
疑問符を浮かべて首を傾げているサニーを横目に、スズカは立ち上がる。
その目線の先には、クールダウンを終えてこちらへ戻ってくるチームメンバーの姿があった。
「……ごめんなさい。やっぱり、今のは忘れて」
「待って、スズカ──」
──サニーが伸ばした手は、既に背を向けていたスズカには届かなかった。
⏱ ⏱ ⏱ ⏱ ⏱
去っていくスズカをそのまま見送るだけになったサニーは、トレーニングが終わった後に茜のトレーナー室にやってきていた。
目の前には、スズカの資料と睨めっこしながら首を捻っている茜と葵の姿があった。
「トレーナーさん、サブトレーナーさん」
「あ、お疲れ様です。サニーさん」
「ん、サニーか。どやった?」
声を掛けると、2人とも顔を上げてサニーに挨拶を返す。
その中で茜が質問を投げ掛けてきた。
それに対して、サニーは小さく横に首を振る。
「……駄目でした」
「あぁ……」
「おおもう……」
返事を聞いた茜は目の間を揉み解す様にしながら呻いた。
それから足元に置いてある備え付けの小さな冷蔵庫から茶色の箱を取り出し、横の蓋を開ける。
一緒になって頭に手を当てて天を仰いでいた葵がそれを見てジト目で牽制するが、箱の銘柄と中身を見るとやれやれといった風に溜息を吐くだけに留めた。
緑の箱であれば鉄腕奪取しなければならない所であった。
茜はそんな葵を気にせずに、中に入っていた一口チョコレートを1つ摘まんで口に放り込む。
柔らかくて甘い味が口いっぱいに広がっていく。疲れた時はこれに限る。
そのまま一口分食べ終わると、ふぅ、と息を吐きながら困った様にサニーの方を見た。
「つまり、サニーもハナみたくスズカの言うた事が文字通り分からんかったっちゅうわけやな」
「はい。スズカの言おうとしていた事を唇からも読もうとしましたが、それも出来ませんでした」
「厄介やなぁ……」
「そうですねぇ……」
そう言って、チョコレートをもう1つ摘まんでポリポリと齧る茜とちゃっかり1つ頂いている葵。
サニーが昼にスズカに話を聞こうとしていたのは、もちろん自分が知りたかったという事もあるが、茜にも頼まれていたからだった。
東条から聞いていた『スズカが何かを伝えようとした時にその内容を理解できなかった』という話の裏付けを取りたかった茜は、まさにその通りだった話の内容に少し頭が痛くなった。
「どないしたもんかなぁ。スズカは何を知っとるんや……?」
「分かりません。何も。まるで呪いか何かのようで──」
「このご時世に呪いも何もあるかいな。そんなん信じるんはフクぐらいで十分やわ」
「そうですよ。そこまで考えると、もう何でもありになりますよ?」
左手を立てて横に振り、サニーが口にした言葉を否定する茜と葵。
ただ、サニーの言葉がいやに耳にこびり付いて離れない。
言葉にならない言葉。口元にさえ表れない言葉。
それらが魚の小骨の様に喉に引っ掛かっているような。そんな嫌な予感が確かにあった。
茜はそれを振り払う様に頭を振って、1つ大きく溜息を吐く。
「兎も角、理由が分からん事には対応も決められへん。暫くは様子見やな……」
「あの、トレーナーさん……」
「ん、なんやサニー?」
綺麗な黒髪をわしわしと搔き乱してそう呟いた茜に、サニーが恐る恐るといった様子で尋ねてくる。
髪から手を離し、最後の一粒を口に入れながら聞き返すと、サニーは耳を伏せて俯き気味に口を開いた。
「スズカは、スズカは走れるようになりますよね……?」
「……分からん。次のレースまでに何とかするしかあらへんのやけど……」
「次のレース、ですか?」
茜は頷くと、空になった菓子箱をゴミ箱目掛けてシュートした。
カコン、と小気味良い音を立ててゴミ箱の中に吸い込まれていったそれを見送った後、葵に目配せすると、葵は頷いて持っていた資料の中から1枚の紙を抜き出して机に置いた。
「ハナに
「もう残り3か月あるかどうかじゃないですか……」
「せや。やけど、間には夏合宿もあるし、幸い回復の兆しも僅かながらある。勝負所ならそこや」
「……分かりました、トレーナーさん。私も頑張ってスズカを支えますから」
卓上カレンダーを捲って、7月に引かれた夏合宿のスケジュールを険しい顔で見つめる茜。
それを見ていたサニーは、両手をぐっと握り締めて身を乗り出した。
やる気満々と言った様子のサニーに、茜は嬉しそうに小さく笑い、それからいやいや、と裏手で空を叩いた。
「気持ちは嬉しいけど、まずは治療に専念しぃや。自分の事が疎かになるのは良ぅないで。来年もあるんやし」
「うっ……。はい……」
「兎に角、報告ご苦労さん。今日はゆっくり休みや」
「分かりました。お疲れ様です」
1度頭を下げてからサニーがトレーナー室を退室していった後、残された2人はスズカの資料のとある1枚に視線を落とした。
そこには、スズカが走れなくなった事に関する東条の知見が記載されていた。
──先日、エアグルーヴから、サイレンススズカは現実でさえ走る事が怖くなる程の大怪我をした夢を見たらしい、という報告があった。
──サイレンススズカ自身にそのような大怪我をした経験は無い筈だが、夢に見る程に強烈なショックを受けたと考えるなら、直近にそうなる可能性のある出来事はあった。
──サニーブライアン。日本ダービー直後に判明した彼女の骨折が、サイレンススズカにショックを与えた可能性だ。
──ただし、それはあくまでも可能性の1つであるという仮定でしかない。
──なぜなら、サイレンススズカが不調になった日には、まだサニーブライアンの骨折が判明していなかったからだ。
──これは推測の域を出ない話だが、サイレンススズカは夢ではなく、何か別の要因によって走れなくなったのではないか。それを夢に置き換えたというだけの話ではないか。
──ならば、その要因こそが、彼女が伝えようとして伝えられなかった話の内容ではないか。
──私の方で考えられるのはここまでだ。サイレンススズカを、どうかよろしく頼む。
「夢やなく、別の要因、か」
「何だろうね? お姉ちゃんは分かる?」
読み終えた資料をパサッと机に放り投げ、椅子の背もたれに身体を預けながら新しく取り出した菓子箱を開ける。
中に入っている小粒のチョコレートをパクパクしながら従妹の言葉に頭を捻っていたが、やがて手を止めるとポツリと呟いた。
「……実は見た夢が予知夢やらなんやらで、これから出るレースのどっかで骨折するて分かったから……やったりしてな」
「もう。お姉ちゃんまでフクキタルさんみたいな事言って……」
「せやな。まさかそんな事あらへんよなぁ。今のは忘れてや」
ふと頭に思い浮かんだ荒唐無稽な妄想を振り払った茜は、葵の冷静なツッコミに肩を竦めた。
そんなバカな話などある訳が無い。ファンタジーやメルヘンじゃあないんだから。
そう思い直し、また1つチョコレートを齧るのだった。
──事実は小説よりも奇なり、である。
少女の言葉はいつも届かなかった。
しかし、少女の想いはいつか届くだろう。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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