宇宙人がばらまいた菌により、地球には病としての不死が蔓延した。その奇病の発症者である女子高生、野間つむぎは、となりの席の男子から儲け話をもちかけられる。
「内臓を売ってみる気はない?」

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人類におすすめの不死

 ものすごい音がして、体が宙に浮いた。ショッピングモールのエレベーターの中での出来事だった。そこには私一人しかいなかった。

 浮いたまま、私は走馬燈を見た。二つのことが頭を駆けめぐった。エレベーターが落ちた時の殺人的な衝撃を「地面についた瞬間にピョンと跳ねる」ことで受け流したギャグ漫画と、去年遊園地に行ってジェットコースターに乗った思い出を……。

 ……エレベーターが落ちるとどうして中の人は死んでしまうのか? その理由を、私はこの時になってようやく完璧に理解した。同じく、ジェットコースターで落ちる時の浮遊感の正体にも気が付いた。

 ジェットコースターに乗った人は、あれは「浮いている感じがする」というより、本当に浮いていたのだ。安全ベルトがなければ上に向かって吹き飛んでしまうくらい浮いていたのだ。だから落下するエレベーターの中にいる人も、ジェットコースターで落ちる時と同じように体が浮く。浮いている人間の選択肢に「跳ねる」なんて物はなくて、エレベーターが「落下」を終えた瞬間、帳尻合わせの凄まじい勢いが下向きに発生して、中の人は地面に叩き付けられ死んでしまうのだ。

 ……私は馬鹿だから、そんな簡単なことを死の寸前にようやく理解した。それで、このあと「ぶっ」と顔面から叩き付けられて死んだなら、その瞬間の絵面は、それはきっとギャグになるのだろうなと思った。高校生にもなってエレベーター事故で人が死ぬ理屈を分かっていなかったお馬鹿さんが、こんなしょうもない走馬灯の末に無様に顔から叩きつけられるんだから、それはきっとギャグになるのだろうと思った。

 今思えば、あれは宇宙からの声が、そう言っていたのだ。

 ……間もなくして私は、予想通り顔面から叩きつけられて死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「古典的」という言葉の表すところに反して、近代文学は古典に入らないらしい。

「むぅおぉぉぉぉぉ!!」

 私は食パンを口にくわえたまま激走していた。遅刻遅刻~! なんて言っている余裕はなくて、ただ一秒でも早く学校の門をくぐるために、邪悪に対して人一倍敏感であるかのような勢いで走った。

 そんなに急いでいるなら、朝食くらい潔く諦めたらいいのに……と、そういう考え方もある。しかし、酸欠でもはや食パンの味は分からなくなったとしても、私の心の中に「出された食事を食べない」という選択肢は存在しなかった。もしくは、娘が明らかに遅刻寸前だというのに食パンにジャムを塗り始めた母親から、その行動から、何か感じる意志があったのかもしれない。

 ……でも仮に遅刻云々に関係なく、ただ十人前の食事を出されていたらと考えると、それはさすがに食べ残さざるを得ないことになる。でもそれなら「出された物は残さない」と「さすがに残さざるを得ない」の線引きはどこでしていけばいいのだろう? 遅刻の危機はなぜ後者の理由にならないのだろう? 私は本当に食パンをくわえて走るべきだったのか……? 

 ……と、そんな哲学的な問いの最中に、ちょうど住宅街の中の十字路に差しかかる。その時、宇宙からの声が聞こえた気がした。食パンくわえダッシュ、いい具合にバカな女の子、いかにもな交差点……。……そこから導き出される答えは一つ! 古典的だけど素敵な出会いが、曲がり角の先に待っている!

 私は、風を切り裂く速度でその交差点に突っ込んだ。

「げォっ」

 喉というよりは内臓から、汚く潰れた声が出た。

 風を切り裂く速度の私は、女子高生の肉と骨を粉砕する速度の軽トラックに撥ねられ、吹き飛ばされた。十字路で垂直に交わる二つの素早い直線が、私なんかにはわけのわからない物理法則の妙をこの世界に描き出し、衝突の衝撃と、わずか低空とはいえ確かに宙を舞った体の浮遊感が、また私に走馬燈を見せ始める。あの日あの時、エレベーターの中でいくらか賢くなった日の記憶をよみがえらせる。

 さっきのは聞き間違いで、宇宙からの声は正しくはこう言っていた。食パンくわえダッシュ、いい具合にバカな女の子、交差点、……そして不死。イコール、ここで一度死すべしと。それはギャグであると。

 食べられた分だけ欠けた月のような弧を持ったジャム付きの食パンが、砂利の抵抗を感じさせる無惨な失速を伴って地面に投げ出されて行った。

「がっ……ア……。のっ……野間つむぎです……」

 この世の終わりのような顔をして降りてきた運転手のおじさんに、虫の息を振り絞って自己紹介をすると、彼は今生の救いを得たような顔をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「というわけで遅刻しました」

 血まみれのセーラー服で教室に入ると、授業途中だった国語教師が顔をしかめた。

「お前なぁ……、もう少し気を付けるわけにはいかないのか」

「すみません」

「はぁ……。じゃあ席に着いて」

 言われた通り自分の席に座ると、隣の席の男子があくびをしていた。

 あっついな……と額を拭う。すると、校庭の蛇口から出るぬるい水で念入りに洗い流してきたと思ったのに、まだ私の肌に付いていたらしい血の赤がハンカチに染みてしまった。

 ……隣の席からの冷ややかな視線を感じた。

「いつもごめんね曽屋くん」

「別に」

 隣の席の男子、曽屋透くんは、そっけないなりに優しい返事をしてくれる。彼も、板書をする教師も、他のクラスメイトも、もう誰も私のことを気にしてはいない。皆、血まみれの野間つむぎにはすでに慣れている。

 エレベーター事故に遭ったあの日から、私、野間つむぎは不死になった。以前までは絶対にそんなことはなかったのに、あれ以来どんな傷もすぐ治るようになってしまったし、何より今こうして生きている。私という人間は、人間としてはおかしくなってしまったのだ。

 ただし現代において、それは例えば、医学の権威が驚くような出来事ではなかった。数十万人に一人の確率で……という話が出来るくらいには、すでに私のような不死人の存在が世界に浸透しているのである。だから不死人は、選ばれし異能力者ではなく、ただ奇病の患者でしかない。そして問題は、その奇病には治療法が存在しないことだった。

 ちなみに、治療法は一向に見つからなくても、不死病が発生した原因の方はすでにはっきりしている。……「宇宙人」だ。もっと正確に言うなら、宇宙人がばらまいた菌が原因だ。

 宇宙人が地球に降りてきて、おすすめの映画を宣伝するみたいな気軽さで地球に菌をばらまいた。だから、それに感染して発症した人は不死になる。人から人への感染はしないおかげで、人類が皆不死になるということはなかったけれど、かわりに地球はその宇宙人に支配されてしまった。その支配は今もなお続いている。

 だから今となっては、この青く美しい星は「宇宙人の考えたさいきょーにはっぴーな世界」になってしまった。そしてその影響として何が起こったかというと、ほんの一例を挙げるなら、例えば選挙にはちゃんと行かないと、謎の力によって冗談抜きで寿命が縮むようになってしまった。……逆に言えばその程度のことしか起こっていない。

 けどそれでも、人類はみんな、みんな、宇宙人が来てからどこかおかしくなってしまったらしい。宇宙人は菌以外にも、特殊な電波とか、私たち人類にはまだ理解できない何かを扱っているらしくて、そういう色々な物の影響を受けて、人類は皆おかしくなってしまったらしい。だから血みどろのクラスメイトにもすぐに慣れたりする。具体的に何がおかしいのかと言われても、それは分からないけれど。

「野間」

「はい?」

 野良猫を見つけた時みたいに、先生とはっきり目が合った。

「反語の例を挙げてみろ。なんでもいいから」

「え? えー、えーと、反語……ハンゴね……」

「……じゃあ曽屋は?」

 早々に見切りをつけられた私のせいで割を食ったとなりの男子は、「あー」と万能の前置きを付けて時間を稼いでから、平然と答えた。

「切り落とされた首が、痛みを感じるなんてことがあるだろうか?」

「……曽屋、お前なぁ」

 あるよ。……と私は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分の無秩序な行いや思考を宇宙人のせいにした人間は、みんな生まれてきたことを後悔させられるらしい。

 曽屋くんは、どうやらまだ後悔していないように見える。

「野間さんって、毒殺されたことある?」

「毒殺っていうか……。毒蛇に噛まれたことなら」

 やぶ蛇なんてよく言うけれど、その毒蛇はコンクリートジャングルにいた。近隣の物好きがうっかり逃がしてしまったらしい。噛まれたのが私でよかった。

「どんな感じだった?」

「どんなと言われても」

「時間で治るのかとか」

「あぁ、治ったね。一回死んだら治った」

「やっぱり、リセットって感じなのか……」

 帰り支度を済ませた生徒が次々と教室を出ていく中、曽屋くんだけはそうやってぶつぶつ呟きながらずっと自分の席に座っていた。私は彼のように考え事をする時間を欲しているわけではないので、そそくさと帰る。

 裏門から出た方が帰路には近い。門を出るまでの道中からは、部活動に勤しむ生徒だらけの校庭がよく見える。運動部の練習に付き物なハキハキとしたかけ声もよく聞こえてくる。……けれど今日は、何かそれ以外の声も聞こえてくるような気がした。

 どこかから私を呼ぶような、遥か上の方から来る声。単調な調子の声が、何度も私を呼んでいる。おーい……おーい……おーい……と、それは空から来るような……。

「おーい! 野間さん! 忘れ物!」

「あっ」

 校舎の窓を見上げると、自分のクラスの位置から曽屋くんが顔を出して手を振っていた。その手には文庫本が握られている。机の中に入れたことを忘れられた私の私物だ。

「ごめん、取りに行く!」

「あっ」

 曽屋くんが彼方を見上げて口を開いたのと、「危ない!」という声が聞こえてきたのはほとんど同じタイミングだった。私はとっさにその場を退く。宇宙的な運命が迫っていることを経験上知っていたから。

 ……しかし結果として、無慈悲な落下物は私の頭蓋骨に命中しめり込んだ。重力のもたらす威力が、何のことはない球体の姿を借りて私の脳を揺るがす。それは野球部の使っている硬式球だった。

 つまり私以外の人たちが、球の描く放物線の行く先を見て危ないと叫んだ時、私はむしろその場で身を硬直させるべきだったらしい。ドキリとした人間にふさわしい萎縮をしていれば、ギリギリその球に当たらずに済むはずだったのだ。避けようとしたせいで、逆に当たってしまった。狙って飛ばされたわけでもない、拳に収まるサイズのほんの小さな野球ボールに。

 当たり所が悪かったのか、その場で倒れ伏したあとの私は、小指の先も動かすことが出来なくなってしまった。血は一滴も出ていないようだったけど、そんなこととは無関係に段々と意識が遠のいていく。疲れた体で電車の席に揺られた時のように、みるみるうちに遠のいていく……。

 上の方で、きっと事故現場へ駆け寄ってきた野球部員たちへ言ったのであろう、曽屋くんの声がした。

「大丈夫、それ野間つむぎだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、お先に失礼します」

 着替えを済ませて裏口から出ると、目の前に曽屋くんがいた。

「野間さん、バイト終わった?」

「……ストーカーだ」

 客として来るのならまだしも、裏口で会うだなんて、そうだとしか思えなかった。

 不死の女子高生だってお金は欲しい、お金が欲しければ近所のファミレスでアルバイトくらいする。学生でも出来るアルバイトというと種類は限られているから、何でも屋に向かって刻一刻と近づいているコンビニのような場所で働くよりは、まだファミレスの方がマシかなと思って今の職場で働いているのだけど……。そのことを曽屋くんに話した覚えはなかった。

「決してストーカーではないんだけど、その言い訳も含めてとりあえず話さない? 奢るから」

 言って曽屋くんは、今しがた私が出てきたファミレスの方を指さす。お先に失礼しますと言っておいて秒で客として入店するのも気が引けるけど……。しかしここでちゃんと話しておかないと、私の中での彼は本当にストーカーになってしまうし、明日からも隣の席に座る身としてそこははっきりさせておきたかった。

「いいよ。私めっちゃ食べるけど」

「しょうがないね」

 同じ高校生の分際で、曽屋くんは金銭的な余裕たっぷりの表情だった。学校外の彼のことなんて何も知らないけれど、もしかしたら金持ちの家の子なのかもしれない。

 顔なじみの店員は誰も、私の顔を見たとして眉一つ動かさなかった。きっと家族や友人が客として現れても同じ対応ができる人たちなのだろう。私には出来る気がしないその振る舞いに敬意の念が湧く。

 席に通され次第メニューを開いて、値段も気にせず今日の夕飯を済ませるつもりで好き放題に頼む。すると曽屋くんもそれに続いて、同じくらい本格的な量の注文を入れた。本当に大丈夫なんだろうか? と今さら心配になってくる。

 しかしまぁそんな心配をするよりは、料理が来るまでの間に本題を済ませておくべきだろう。

「で、なんで私のことストーキングしてたの?」

「いや、してないんだって、それが。誓ってしてないんだよ本当に。……信じてもらえないかもしれないけど、とりあえず本当のことを聞いてもらえる?」

「えぇ? まぁ、うん、聞くよ」

「ありがとう。じゃあ説明すると、まず今日のぼくは偶然このあたりに用事があった。これは本当」

「うん」

「そして次に、ぼくは野間さんがここでバイトしていることを偶然知っていた」

「いや、なんでよ」

「野間さんが教室で話してたんだよ。友達と大声で」

「盗み聞きだ……」

「そんなことしてない。「野間さん」が、「野間さんの友達」と、「大声で話していた」から、偶々聞こえてしまっただけで」

「ふん……。わかったよ。知ってたのね、偶然」

「うん。それからもう一つ偶然があった。ぼくの用事が終わったタイミングが、ちょうど今みたいにキリのいい時間だったから、もしかしてと思ってファミレスの傍を通ってみたら、本当にもしかしてしまった。……それがついさっきの出来事。本当に偶然だったんだよ。多少の出来心はあったかもしれないけど、同級生のバイト先ってなんとなく見てみたくなったりしない……?」

「なるほどね……」

 訝しく思いつつ、私はよく冷えた水を飲む。彼もそれを真似した。

 まあ、別にバイト禁止の学校ではないし、私の友達だってバイトをしている。それぞれのバイト先で起こった出来事について、教室で語り合うことくらい普通にあっただろう。私の声が大きかったのかはともかく、そこで話したことを聞いたのだと言われれば、強く否定することも肯定することも出来ない。自分がいつ、どこで、何の話を、どのくらいの声量でしていたのかだなんて、覚えているわけがないからだ。

 つまり曽屋くんは、罪なき出来心の少年なのかもしれないし、ガチのストーカーなのかもしれない。グレーゾーン、判別不能……というのが、今のところの結論になる。けど仮に彼がガチのストーカーなのだとしたら、今までずっと隣の席にいたのに、なぜ今日になって今さら? という疑問は残る。だから彼は、ほんの少しだけ白に近いグレーだった。

 でもよく考えると、今日の出来事に関係なく、夕食を奢ってくれる同級生男子なんてものは結構妙な存在だ。やっぱりそれなりに黒に近いグレーかもしれない。

「ところで、野間さんに聞きたいんだけど」

「うん?」

「バイトって楽しい?」

 聞かれた瞬間、私は周囲の様子をうかがい、声を潜める必要に駆られた。嘘をつくよりは、そっちの方がまだマシだった。

「あのね、曽屋くん」

「うん」

「楽しい労働なんて、この世のどこにもないんだよ?」

 たぶん金持ちの家の子だと思われる曽屋くんには、それが分からないのだろう。彼は私の言葉を鼻で笑った。いかにもバイトなんかしたことのなさそうな顔をして笑った。

「不死でもそうなんだ」

「不死関係ないでしょうが」

「じゃあそんな野間さんにいい儲け話があるんだけど、聞かない?」

「ストーカーの次はマルチ……?」

「そんなわけないでしょ」

 話している間に、私の頼んだでっかいステーキが運ばれてくる。「食べながらでいいから聞いてよ」と言われたので、その通りにする。友達の前でも多少はそうなのに、さほど親しくもない相手の前でナイフとフォークを使うことには、たかだかファミレスだというのに謎の緊張感が伴った。

 けれどしかし、その緊張感を差し引いたとしても、人の金で食べる肉は美味い!

「野間さんって不死でしょ?」

「うん」

「でも大抵の人は不死じゃないんだよ」

「うん? そりゃあね」

「野間さんってつまり、内臓を全部抜き取ってもまた生えてくるわけでしょ? 体の中にもぞもぞって」

「うん」

「じゃあ内臓売らない?」

「はっ」

 今度は私の方が鼻で笑った。一瞬、手元の肉汁まみれのナイフが目に入ったけれど、これからすることにそれを使うのはさすがにやめておいた。店の備品だし。

「曽屋くん、ペン貸して」

「いいけど」

 私は渡されたボールペンの先を出して、それを思い切り自分の腕に突き刺す。そしてそのままガーッと引いて、ダンボール箱の蓋を開けるみたいに腕の肉を引き裂いた。

 ペンの切っ先が通った筋に少しだけ血が滲んでくるけれど、それ以上のことは特になく、裂かれた肉はみるみるうちに不死の驚異的な再生力でもって塞がっていく。だから手拭き用の紙でパッと血を拭えば、それで全ては元通りになった。彼のペンが汚れたこと以外は。

「私だって同じことを考えたことくらいあるよ。でも、このペースで再生する人間から内臓を取り出す方法なんて、あるわけないでしょ」

 メスを入れたそばから治っていく。そんな不死に対して「手術」という概念は通用するわけがない。内臓なんて繊細なものを売ろうとするなら、手探りで適当にぐちゃっと取り出すわけにもいかないだろうし、残念ながらそういう不死ビジネスは成立しないのだ。

「野間さんって痛覚ないの?」

 ペンを返せと手のひらを差し出しながら、曽屋くんは少しも動じずに聞いてきた。

「あるよ。大したことないだけ」

「ないじゃんそれは」

「あるってば」

 初めて死んだ日、エレベーター事故の時も痛かった。正確に言えば痛いというよりも熱かった。体感で47度くらいのお湯に浸けられたみたいな熱さだった。……でもまぁ、逆に言えば「その程度」だということになる。今の私にとっての痛覚はそういう物になっているらしい。わけもなく刺激されるのは御免でも、億万長者になるためなら余裕で耐えられる程度の物だ。

「もう一つ聞きたいんだけど」

「うん」

「野間さんって首を切り落とされたらどうなるの?」

「どうなるって?」

「頭を基準に再生するの?」

「あー、基本的にはそうだね。いつもそう」

 とち狂った人間に背中を押されたせいで電車に轢かれた時も、我ながら引くくらい全身バラバラになったけれど、割れた頭がくっ付いて、そこから全てが再生した。

 ……もしかすると、頭だけはずっと同じ物のままだから、私は昔からずっと馬鹿のままなのかもしれない。一瞬、そんな思考が頭をよぎる。

 そして実際、次の曽屋くんの言葉で、未だ馬鹿のままだった私は、世界が一変したような錯覚にとらわれることになった。

「じゃあ先に首を切り落として、余った方の体から内臓を取り出せばよくない? 再生しない方の、余りの方から、ゆっくりとさ」

「……えっ? あ、そうじゃん。……いや完全にそうじゃん!?」

 その指摘からは、これまでの生涯の中でも五指に入るような衝撃があった。そしてそれと同時に、自分のバカさ加減にもさすがに嫌気がさしてきた。どうして今まで曽屋くんが言った通りのことを、一度も一人で気が付けなかったのだろう?

「でしょ?」

「いや、すごい、それは確かにそうだ。……でもまだ問題はあるよね」

「というと?」

「ただの高校生でしかない私たちに、それを売る手段なんかないでしょ。手術的なことが出来る人もいない」

「そうだよね。そこで相談なんだけど」

 と、ちょうど話しかけたタイミングで、彼の注文したハンバーグがやってきた。彼はそれをナイフで小さく切り取り、今が一番熱のこもっている鉄板に押し付けて、ジュージューと鳴る音を楽しみ始める。

 全然楽しそうな顔はしていないのに、なぜか彼が「楽しんでいる」ということが、私には手に取るように分かった。

「相談なんだけど、そういう諸々の問題をぼくに任せてみない?」

「どういうこと?」

「叔父が医者なんだけど、全部持ってるんだよ。設備も技術も、売るためのルートも、モチベーションも」

「……なるほど」

「取り分が半々でよければ、協力してくれるって」

「まじか……。……まあ、取り分は別にいいんだけど、でもなんというか…………これって大丈夫な話?」

「まぁ潔白ではないよね。でも野間さん、バイトやめたくない? 遊ぶ金に困らない生活とかしてみたくない?」

「それは……したくないと言えば嘘になる……」

「でしょ。……まぁ考えておいてよ。共犯者はいつでも歓迎だからさ」

 そのあとは、べつに奢ってもらうことへの罪悪感なんかこれっぽっちも湧いていないのに、食べ物の味があまり感じられなかった。闇の世界に踏み込むことへの不安と、楽してお金には困らなくなることへの誘惑に揺れて、食事を楽しむどころの状態じゃなかった。

 そして結局、それから一週間後の私は誘惑に負けて、休日に曽屋くんの家へ赴いてしまうことになる。ただ純粋に、私だって友達に夕食を奢ってみたいと思ってしまったばっかりに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 医者のイメージといえば決まっている。お金持ちで、賢くて、人を救う力があって、……でも教育方針が厳しそうだからその人の子どもとしては生まれたくない。そういうイメージ。

 曽屋くんの家は三階建ての一軒家だった。そして鍵が指紋認証式だった。そんなことある……?

「叔父さーん、ただいまー。……叔父さーん?」

「いないの?」

「おかしいな、タバコでも買いに行ったのかな。まぁとりあえず上がってよ」

「ん、お邪魔します」

 私は一つ新しい知識を手に入れた。医者もタバコは吸うらしい。

 てっきり居間に通されるのかと思ったけれど、曽屋くんの後について行くと、たどり着いたのは彼の部屋だった。一番上の階の角の方にあって、偏った趣味の本しか入ってない本棚と、あとはベッド……その二つがほとんど全てであるような部屋だった。そりゃ窓やカーテンやクローゼットなんかは普通にあるけれど、私の部屋の五倍は片付いていて、五倍は殺風景だと感じる。

 本棚にある物は全てゲームの攻略本だった。仮に彼がヘビーゲーマーだったとしても、ネットで検索するだけでいくらでも攻略情報が出てくる現代にしては珍しい気がする。

「ここで話すの?」

「下は親がいるから。この話はぼくらと叔父さんだけの秘密なんだ」

「へー」

 それにしては階下に物音一つしなかった気もするけれど、親にも秘密というのは私も同じだった。

「お茶取ってくるからちょっと待ってて」

「うん」

「そこのクローゼットは絶対開けないでね」

「なんで?」

「あー、……女子に見せる物じゃないからかな」

 歯切れの悪い言葉を残して、曽屋くんは部屋を出ていった。階段を下りていく足音が聞こえる。

 私は即座にクローゼットを開けた。その蛇腹折りの扉を横にスライドさせた。パッと見てパッと戻しておけば何も問題はないと思ったのだ。なんというか……怖いもの見たさだった。曽屋透という人間をより知ること、という意味で。

 ……その瞬間、位置関係的に部屋の出入り口には背を向けた私に、待っていましたと言わんばかりの声がかけられた。

「やっぱり」

 グラスの一つも持たずに、曽屋くんが戻ってきた。さっき部屋を出ていってからまだ十秒くらいしか経っていない。あまりにも早い。

 戻ってきた理由をあえて聞いたりすれば、彼の口からは「偶然だ」という返答があるのだろう。だから、たぶんファミレスでのことも含めて全部嘘だったのだと思う。彼の嘘をつく才能を、私はその時初めて思い知った。クローゼットの中を見たからだ。

 開けるなと言われたクローゼットの中には、衣類は吊るされていなかった。かわりに三体ほど、四肢のない女性の体が吊るされていた。血の気の失せた色をした、二度と目を覚まさないであろう若く美しい女性たちが、ハーネスのような物を取り付けられて飾り物のように吊るされていた。

 私の怖いもの見たさは、圧巻のスケールで満たされたことになる。そのクローゼットには、まだもう一人くらいは吊るせそうなスペースが残されていた。

「やっぱり、不死には恐れる心がないのかな」

「いや、そういう問題……?」

 ひきつった顔のまま曽屋くんに目を向けると、彼は至って冷静なままでいた。クローゼットの中身はむしろ、初めから見せるつもりだったんじゃないかと思えるくらいに。

「開ける人くらいいるでしょ、不死じゃなくても」

「いやいやいや。同級生の内臓を売ろうって人間の家に来るかってところからだよ、普通」

 言いながら、彼は後ろ手に部屋の鍵を閉めた。私もそろそろ状況を理解し始める。今すぐ窓でも開けて「たすけて」と叫ぶべきだろうか? どうせ薄情に違いないご近所さまと、いるのかどうかも定かではない二階の曽屋夫妻へ向かって。

 ……けれど私はそれも躊躇する。この手の躊躇は、これが初めてではなかった。下手なことをしたらタダでは済まないかもしれないという恐れから来る躊躇……ではない。どうせ死なないし、死ぬほど痛いってこともないし、そこまで恐れるようなことは何もないのだけれど……。

 でも、だからこそ、そんな自分のために、ここで曽屋くんを「詰ませて」しまってもいいものなのか? と疑問に思う。仮に薄情でも不在でもない人が私を助けてくれたとして、すると今度は曽屋くんの方が困ることになるのだ。それでいいのか? と考えてしまう。この手の葛藤は初めてではなくて、前回の私は、結局自己犠牲を選んだのだった。自分を殺そうとする、見ず知らずの赤の他人に対して自己犠牲を選んだ人間が、知り合いを警察に突き出すというのもおかしな話なのではないか。

「この前、ファミレスで自傷した時、どのくらい痛かった?」

「え?」

「何かに例えてよ」

「……熟睡してたら気付かないかもってくらい?」

「じゃあやっぱり痛くないんだ」

 ハァとため息を吐いて、曽屋くんはベッドに腰かける。クローゼットも部屋の出入り口も、どちらも視界に入る位置だ。私は彼の隣以外に座る場所を見つけられず、立ちっぱなしだった。

「もしかして野間さん、自分が四人目になるって思ってない?」

「えっ」

「無理に決まってるじゃん。何しても死なないんだから」

「あっ、た、たしかに」

 開けるなと言われた扉を開き、そこで惨劇を見てしまった少女は、自身もまた惨劇の一員になる。……という感じの有名な話を、どこかで読んだことがある気がする。その上クローゼットにはまだ場所が空いていたので、無意識に自分が四人目であると思い込んでいた。

 けれど言われてみればそうだ、抜いても抜いても血は無尽蔵に湧いて出て、切り落とした四肢は無限に生えてくる。当然意識は何度でも戻り、喋るし動くし抵抗する。そんな不死病の患者が、クローゼットの中の四人目になるわけがなかった。

「えっ、じゃあ逆になんで? 私、四人目にされるために騙されてここへ来たんじゃないの?」

「いや、違うよ。ぼくは不死に興味があったんだ。不死の人ってもしかして、クローゼットの中を見ても悲鳴を上げたり腰を抜かしたりしないんじゃないかって。死に慣れすぎてるからか、人間らしい「恐れる心」がないんじゃないかって」

「それが知りたかったの……?」

「うん、そう。だからそれは無事に実証された。これでぼくのやりたかったことの半分はおしまい」

「半分……?」

 つまり、二つのうちの一つしか、まだ終わっていないということ。

「残り半分は……?」

「それについては説明すると長くなっちゃうんだけど、……本当のことを話すから聞いてくれる?」

「……まぁ、うん、聞くよ」

 それ以外に選択肢があるとも思えなかった。何にせよ、どうせ私は今「死」に向かっているのだろう。もうすでに、私の体は浮いたようなものなのだ。

 曽屋くんがポンポンと自分の横を叩いて「座ったら?」と示すので、首を横に振って断った。

「野間さんにはないかもしれないけど、ぼくにはすごく怖い物があるんだ」

「うん」

「気が大きくなってる時の人間って隙だらけでしょ? その隙を、こう、グサッとやられたらって思うと、怖いんだよね。……でも生きていて楽しい時っていうのは、必ず気が大きくなってる時だって、そう思わない?」

「まあ、分かんなくはないけど」

 たとえば私が友達とお喋りして楽しいと感じている時、私の気と、ついでに声は、たしかにいくらか大きくなっていたりするのかもしれない。今と違って、まさか次の瞬間に自分が死ぬなんてことはないだろうと、それは当然思っていたに決まっている。友達と笑いあっている時は、誰かから声が大きすぎると叱られる可能性も、危ない人に個人情報を聞かれている可能性も、すっかり頭から抜け落ちるものだ。

 けどそれは、人間なら当然のことだと思う。誰も野生動物のように、常に万が一を考えながら警戒して生きているわけではない。だから曽屋くんの言うことは正しいけど、逆の言い方をした方がもっと正しくなる。楽しい時に気が大きくなるというよりは、そうでない時にだけ私たちの気は小さくなって、何かに怯えなければならなくなるのだ。

「……それで? たしかに楽しい時……ていうか大抵のタイミングの人間は、気が大きくなってるというか、隙だらけだとは思うよ。……もしかして、だから手足を切ったの? そこの吊るされてる人たちの」

「正解」

 たしかに、四肢を切り取られて吊るされている人だとか、すでに死んでいる人なんていう存在は、どんなに油断したところでこれっぽっちの危害も加えては来ないだろうけど……。本当にそのレベルで臆病なんだとすれば、曽屋くんはいったいどうやって、今まで教室で授業を受けていたというんだろう?

「……もしかしてお守りみたいなものとか? 全人類の手足を切り落とすわけにはいかないから、せめて三人くらいやっといて気休めにするみたいな」

「いや、全然違う。その三人はその三人として必要だったんだよ」

「というと?」

「気が大きくなってる時に刺されるのが怖いって言ったでしょ? ……例えばセックスしてる時とかさ、一番怖いじゃん」

「……あー」

 若干の心当たりがあって、彼の言わんとしていることがたぶん少し理解できてしまった。同じような恐れ方をする人を、私も一度見たことがある。

「もちろん最初からそんな風にするつもりだったわけじゃないよ。最初は絶対安心できるように、同意の上で手足を縛らせてもらうだけだったんだ。それだけなら、そこまで珍しいことでもないでしょ? ……けど、どうもぼくはそれのやり方が下手みたいで、すぐにほどけちゃったりして……。だからそのたび、きっとどこかにいるんだろう異能力者のことが羨ましくなったんだよ。何も使わなくても、ただ念じるだけで拘束出来たりだとか、ぼくだってそんな風になれたらいいのにって思った。それか不死になるとか。恐れる心のない不死に」

「待って、異能力者? なんの話?」

「不死病があるんだから、異能力病だってあって然るべきでしょ? どこかには絶対にいるんだから、羨ましくもなるよ」

「えぇ……」

 まぁたしかに、宇宙人は今も地球の支配を続けているのだから、不死以外に追加の何かが起こっても(またはすでに起こっていても)おかしくはない……と言えないこともないとは思う。でもそれはいわゆる陰謀論ってやつだ。

 この星には70億もの人間がいる。曽屋くんはそれを可能性の70億だと思っているようだけれど、私はそれを監視の70億だと思っている。人間の中にすでに異能力だなんて大層な物が発生していたとしたら、それが70億人の目から見逃され続けたままひっそりとしているなんて、そんなことあり得ないだろうと、そう思っている。

「でもぼくはまだ異能力者じゃなかったから、素朴に頑張るしかなかった。ほどけないように、ほどけないように……って、それだけ考えて必死に手首や足首を縛ったりすると、何が起きるか分かる?」

「……壊死するとか?」

「あぁ、もしかして経験者なのか」

「まぁね」

 大抵の物理的ダメージは経験済みなんじゃないか、と我ながら思う。まだスクリュー的な物に巻き込まれた経験はないけれど。

「……で、その事故の被害者が、一番左に吊られている人なんだけど」

「いや、手首というか腕というか全部ないけど。壊死どころじゃないじゃん」

「そうなんだよね。皮肉なことにさ、それがきっかけで発症したみたいなんだよ」

「発症? ……わっ」

 がくん、と自分を支えていた支柱が崩れ落ちたような感覚に襲われる。あるいは足場が突然崩れてなくなるような感覚。唐突な無重力感。死の感覚だ。……ボトボトと何かが床に落ちる音に合わせて、私は尻餅をつかされた。

 面倒くさそうに歩み寄ってきた曽屋くんが、私の体をそっと抱きかかえる。人の肌の熱を感じつつも、あまりにもひょいっと軽々しく抱えられたものだから、おかげで私も自分の身に起こったことを理解するに至った。

 ……自分の両腕がない。自分の両足がない。残った付け根の部分はぐねぐねと動かすことが出来るけど、それより先の部分は全部床に落っこちていた。

 異常なことは、突然手足が取れたこと以外にもいろいろとあった。取れた手足の断面から血の一滴も出てこないこと。不死云々以前に本当に全く痛みを感じないこと。そして何よりも、落とされた手足が一向に再生し始めないこと。腕の切り傷でも割れた頭でも、なんでも秒で治る不死だっていうのに。

「断わっておくけど、ぼくが本当に望んでいた能力はこういうのじゃなかった。穏便に身動きを封じられれば、それが一番だと今でも思ってる」

「そうなんだ……」

 そのわりには、今日を入れて四回も能力を使っているようだけれど。

 70億の監視の目は、どうやら節穴らしかった。それとも私が不勉強なだけで、これもまた既知の奇病の範疇なんだろうか?

 曽屋くんは私の体をベッドの上に投げ出して、変わり映えしない表情のままで、冷静そのものの瞳でこちらを見下ろす。クローゼットの中の三人が「彼の気を大きくさせた」ことを思えば、私がこれから何をされるのかは明らかだった。

「不死の人は宇宙からの声が聞こえるんだって?」

 食品トレーでも掴むみたいに無造作な手つきで、服の裾を掴まれる。

「うん、たまにね。曽屋くんは聞こえないの?」

 不死に宇宙の声が聞こえるなら、異能力者にだって聞こえてもおかしくない。聞こえたところで、何かいいことがあるわけでもないけど。

「ぼくには何も聞こえない。野間さんが羨ましいよ。ぼくにはぼくの声しか聞こえないのに、ぼくだって聞いてみたいよ、宇宙の声ってやつを」

「……曽屋くんは、自分の声が聞こえるの?」

「聞こえるよ」

「なんて言ってるの?」

「……そうだな。誰もいない家で若い男女が二人きり、何も起こらないはずはなく……かな」

「あー……」

 それはたぶん宇宙の声だよ、と思ったけれど、黙っておいた。何せ私たちは、自分たちの心の醜さを宇宙人のせいにしてしまうと、生まれてきたことを後悔させられるのだから。

 私はべつに、曽屋くんにそうなってほしいわけじゃない。だから「助けて」とは叫ばなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それが不安の表れなのかは知らないけれど、曽屋くんは行為の最中でさえも、ことごとく服を脱がない人だった。別にいいけど。

「野間さんのバイト先の近くに、小さい山があったでしょ。人が寄り付かない感じの」

「あったね」

「野間さんのこと、そこに埋めに行こうと思うんだ」

「……なるほど」

 言わば、封印。まだ私が体験したことのない形式の死。

 死なない人間がどうやって地中から脱出するのか、残念ながら想像もつかない。ただ死なないだけでは、深く押し固められた地中からの脱出なんて不可能なんじゃないかと思う。しかも四肢まで無いと来たものだ。曽屋くんもそれに同感だからこそ、私を埋めに行くのだろう。

 曽屋くんは意外にも行動力に長けた男だった。中身が透けない真っ白い袋に私の全てと、それから大きなスコップを放り込んで口を結び、一駅は離れている目的地に向かって地道に徒歩で向かい始めたのだ。家を出てすぐのあたりで私は窒息して意識を失っていたから道中のことは分からないけれど、気付いた時には土を掘る音が聞こえていた。

 四肢がないまま地面の上に放り出されて、土と草の匂いを嗅ぐ。やまびこという物を体験したことがなかったな……と急に思い出したけれど、ここまで来て騒ごうとは思えなかった。曽屋くんの指摘通り、どうも私には恐れる心がないらしい。埋められてしまえばさすがに生き返ることは出来ないだろうと分かるのに、恐怖とか未練とか、そういう感覚がまったくもって湧いてこない。

「素朴な疑問なんだけど」

 せっせと穴を掘る曽屋くんを横目に、ロクに動かせない体で寝っ転がりながら問いかける。

「どうして殺しちゃうの?」

「どうしてって?」

「生かしておいて、好きなように扱えばいいじゃん。私も埋められるよりはそっちの方がマシなんだけど」

 私の頭の中には、かつて私をレイプして殺した、知らないおじさんの顔が浮かんでいた。

 もう過去のことだけれど、いくら恐れる心がない不死とはいえ、好きでもないどころか見ず知らずの相手、それもただの気持ち悪いおじさんに初めてを奪われたりすれば、さすがにしばらくの間落ち込まざるを得なかった。ただ一度犯されて殺されるだけでは、それは単なる不幸でしかなかった。

 けれど、二度目となれば話は別だ。曽屋くんの本性との遭遇はむしろ幸運だった。彼のような人間にずっと聞きたいと思っていたのだ。なぜ殺すのかと。そこまでしなくてもいいじゃないかと。それをようやく聞くことが出来た。

「……あー、つまりあれってこと? 四人も手にかけるくらいなら、一人を四回襲えばよかったじゃんってこと?」

「うーん……まぁそう受け取ってくれてもいいけど……。良い悪いじゃなくて、単純に疑問なんだよね。なんで殺されなきゃいけないんだろうって。私、ちゃんと黙ってるし、埋めないでいてくれるなら明日からも曽屋くんの言うこと聞くよ?」

「なんで?」

「そりゃ死にたくないからでしょ」

「死んだ方がマシだとかは思わないの?」

「不死だからね」

「不死だけどだよ。……でもそうか、野間さんはそうなんだね」

 地面を掘り返す音が止まる。スコップは地面に突き刺されて自立した。すると私は、咄嗟に言ったはいいものの気が滅入ってきた。埋められるよりマシだという言葉に嘘はない。嘘はないけれど、今後毎日なのかと思うと、それはさすがに気が滅入らずにはいられなかった。

 ……つまり、てっきり助かる物だと思っていた。

「まあ、でも野間さんのことは埋めるよ。何を言われても」

 彼は額の汗を拭って、再びスコップを持つ。穴を掘る音がまた聞こえ始める。ざしゅ、ざしゅ、ざしゅ……と。

「な、なんで……?」

「なんでって?」

「私を生かすことの何が曽屋くんにとって不都合なの?」

「うーん……。不都合っていうかさ、有名な漫画にも書いてあったでしょ? 生殺与奪の権を、他人に握らせるなってさ。……だから埋めるしかないんだよ」

「……まじか」

 そんな風に言われたら、返す言葉もない。必死に命乞いをしてみたけれど、改めて死を覚悟させられるだけだった。

 モンスターハンターの新作が近いうちに出るんだったかな……、なんて、ようやくほんの少しだけ現世への悔いが思い当たってくる。そんなしょうもない悔いしか残らない人間、死んで当然だと言われればそんなような気もしてきた。

「そういえば、野間さんってレイプされたことあるの?」

「あるよ」

「やっぱり。慣れてるなーと思って」

「そこは普通に経験済みだったとか思わないわけ? なんでレイプって言い当てるかな」

「そっちの方がありそうだから」

「どうせ埋めるからって失礼すぎるでしょ。……もしかして処女が好きなの? だから三人も……」

「そんなわけないでしょ」

 言って、彼はくしゃっとした顔で笑った。面白そうに。

 不死病の私に恐れる心が欠けているのなら、異能力病の曽屋くんの心にも、何か欠けた物があるのだろうか。きっとあるのだろうと、彼のやっていることの異常さを見れば思いたくなるけれど、しかし彼が病を発症したのは、一人目の四肢を壊死させてからのことだったという。

 そういう例を宇宙人のせいにばかりするから、きっと宇宙人は怒ったのだろう。心の醜さを宇宙人のせいにすると報復があるっていうのは、たぶんそういう話なのだ。

「さて、そろそろいい深さになってきたけど、野間さんは何か言い残すこととかある?」

「……モンハンの新作やりそびれたなぁ、ってくらいかな」

「それだけ?」

「じゃあ、両親と友達に向けて、この山を片っ端から掘ってみてくれって言ったら伝えてくれるの?」

「それは嫌だけどさ。それっ」

 軽いかけ声と共に、彼は私の体を深い穴の底へと無慈悲に投げ落とす。普通に後頭部を強打した。けれどこういう時に限って、それは死には繋がらなかったようだ。

 取れた腕や足といった残りのパーツが、ボトボトと上から落とされる。今まで何度も死んできたけれど、ここまで強烈に「死の迫ってくる感じ」がするのは初めてだった。カウントダウンをされているような気分だ。

「モンハンってさ、シリーズが長すぎると思わない?」

 掘り返した土をスコップですくいながら、少しの時も惜しむ修学旅行の夜みたいな調子で彼が言う。

「モンハンに限った話じゃなく、十年も前のタイトルを未だに引きずり続けてるシリーズなんていくらでもあるけどさ……。そういうのってどうなんだろ、って思うんだよね。いつまでも過去にしがみついてさ」

「しがみついてって……。それくらい面白いシリーズ、素晴らしい過去ってことでしょ」

「そうかな。ぼくは、思い出には思い出として、過去の中でじっとしていてほしいけどな」

「うっ」

 顔の上に土がかけられる。次々とかけられるそれを、犬のようにぶるぶると振り払うことは無駄であるように思えて、仕方なく、そのままおとなしく埋められる覚悟を決めることにする。

 ……やがて何も見えなくなり、息も出来なくなった。そこから意識を失うまでの間が、私の人生に残された最後の時間になる。……そんな大層な善人だというわけでもないはずなのに、死ぬ寸前には、きっといつか選ばれるだろう五人目のことを心配せずにはいられなかった。

 過去の中でじっとしている思い出が、彼にとって四人だけで足りるとは思えない。五人目に選ばれる人が、私のように落ち着いて、安らかにいられるとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ファミレスの一件以降、曽屋透は野間つむぎのことをほんの少しだけ、しかし確実に馬鹿にしていた。薄々そうだろうとは思っていたけれど、やはりこの人は頭が悪いのだと。……けれどその他の部分に対しては、彼はあれで敬意を払っているつもりだった。

 不死病が世に定着して早数年。人の内臓の価値は落ちに落ちて、高値での取引などはすっかり過去の話になっている。考えてみれば当然のことだ。70億人もいる人類の中に、数十万人のペースで不死がいて、その不死からは無限に「人体を構成するパーツ」が得られるのだから。しかも不死人には、恐れる心までもが、おあつらえ向きに欠けている。

 初めこそは高値の報酬と引き換えに、世界中の不死人たちへ人体パーツの供給を懇願する動きがあった。しかしそういったことを重ねるにつれ、世界には十分な量のパーツが行き渡り、あとは減った分や期限切れとなった分を補給するだけの形に落ち着いていった。無論、今でも内臓はそれなりの金額で取引されている。需要はある。ただしそれは、不死人が現れる以前に比べれば遥かに少額で、闇の世界の人間たちが興味を示すような金額にはもはや程遠い物になっている。

 現代において、不死人の内臓を売って億万長者だなんて考えは、ある程度賢い人間なら皆、鼻で笑うようなことなのだ。だから曽屋は、野間つむぎは頭が悪いと確信していた。

 ……けれど、予想外の出来事に愕然とさせられたのは、むしろ曽屋の方だった。

「おはよう、曽屋くん」

 単なる挨拶の言葉に、愛想の笑顔に、彼の全身は凍りつく。言葉が出なくなる。夢でも見ているのかと思わずにはいられなかった。

 彼がとなりの席の女子、野間つむぎとのコミュニケーションで、それほどまでに表情を変化させたのはそれが初めてだった。昨日たしかに埋められたはずの女子高生は、したり顔で曽屋のことを見つめている。

「あ、驚いてる驚いてる。ざまぁないね」

「……誰が掘り起こした?」

「誰も。強いていえば宇宙人かな」

「宇宙人……?」

 それは自分にとっても完全に予想外のことだったのだと、そのわりには得意げな調子で本人の口から説明される。

「息が出来なくなって、意識がなくなって、……それで気付いたら地上にいた。手足もくっ付いてたから、歩いて帰った。それだけ」

「な、なんでそんなことが……?」

「分からないけど、でも宇宙からの声が聞こえたんだ」

「どんな声が?」

「そこで死ぬのは面白くない、って」

「…………それって大発見なんじゃないか?」

 不死とは、ただ死なないだけの人間ではなかったのか……? 野間つむぎよりは賢い人間であることを自負していた彼にとっても、今回のような現象はまったくもって理解の外にあることだった。

 しかし彼は思考を放棄しない。自分のような異能力者の存在がほとんど知られていないことと同じように、不死にもまだ知られていない隠された性質があるのかと考えて、そのことに非常に興味をそそられた。

「私が思うになんだけど、不死病には、宇宙人の意図があるんじゃないかな」

「意図?」

「宇宙人にたまたま付いていた宇宙由来の菌が人類を不死にして……ってわけじゃなくて、不死病の原因になる菌は、宇宙人が意図的にばらまいた物なんでしょ? 私が地上に出られたことは、その「意図的」の範疇なんじゃないかって」

「意図か……」

 曽屋は考える。考えて仮説を立てる。安心を得たいという意図が、四肢切断という不本意に物騒な能力として発現してしまった自分のように、不死よりも先に宇宙人の意図があって、不死はその不本意な発現なのではないか……と。

 彼の叔父に医者がいる、という話自体は本当だった。けれど彼は別にその叔父と親しくない。彼自身、医療関係の道へ進む気があるわけでもない。けれど何かしら本能的に、彼は未知を探求するための方法に心当たりがあった。

 実験だ。初めて麻酔を開発した偉人の母親と娘は、その実験のために大小の犠牲を負ったという。不死の性質にはまだ実験が、犠牲が足りていないのだと、彼は確信した。不死ならいくらでもよみがえり、何かを恐れる心さえ持たないというのに。ノーリスクだというのに!

 元々、彼が野間に近づいた理由は、性的な欲求のためではなかった。不死の痛覚や心はどうなっているのか、それを疑問に思い、興味を抱いた末の犯行であり、それ以外のことは「ついでのこと」だった。正真正銘、最初の半分が彼の主目的だった。

 だから今再び、曽屋透は原点に立ち返ったのである。

「野間さん、それってすごく興味深いよ。不死のことも、宇宙人の意図っていう発想も」

「そう?」

「だからさ、なんというか、……この際包み隠さずに言うけど、もう一回ぼくの家に来ない? 実験してみようよ、不死が本当は何なのかってことをさ。絶対ちゃんと、最終的には野間さんが生き返れるようにするから。埋めたとしても必ず掘り返すから!」

 曽屋はいつになくヒートアップしていた。しかし当然といえば当然、そんな彼に向けられる野間からの表情は、親しみを込めつつも明確な拒絶を含んだものだった。

 野間つむぎはもう迷うこともせず、苦く笑って言う。

「いや、さすがにやめとくよ」

 



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