現場からは以上です。
「……これは、中々……難しい、です、ね……!」
「難しくなくてはトレーニングにならんだろう。まだ目標タイムまでは程遠いぞ、マンハッタンカフェ。次はコーナー付きのコースだ、やれるか?」
「……勿論…………!」
中央トレセン学園第8レース場。またもチームシリウスに借りを作ることになったが、しばらくはシリウスに貸し出されている第8レース場の一区画を使ってトレーニングを行っていた。
勿論、走るのはマンハッタンカフェ。だが、ただ走らせるのでは意味がない。そもそも"走りきる"という一点に置いてカフェは別に困る事はないのだ。問題としていたのは、その瞬発力の無さ。だからこそステイヤーとしての才能が有るとも言えるが、ステイヤーの中でも一段とその瞬発力が彼女には不足していた。
そこで、黒崎が彼女にやらせていたのは【ビーチフラッグ】だ。勿論ここは砂浜ではないから擬似的なものになるが、1ハロン(200メートル)先にある旗を掴み、戻ってくるという練習だ。但し、その戻ってくるまでのタイムに制限を掛けた。
ストップウォッチのスイッチが入るのと同時に、マンハッタンカフェが地面を蹴る。スタートそのものは綺麗で、問題は全くない。鋭く伸びる黒い影が、ターフの上で旗を目掛けて槍のように直進する。
速度を出そうとして急に前傾姿勢になるが、マンハッタンカフェの身体が一気に左右に振れる。この振れというのは一足ごとに起こり、一つ一つが大したことのない消費でも積み重なれば尋常ではないスタミナの無駄になる。長距離では僅かなスタミナも無駄に出来ない。だからこそ、この振れを無くす短距離加速の訓練が、いつか走る長距離レースに於ける財産にもなるだろうと見越してやらせていた。ただ走らせるだけなら駄バにも出来る。
「(……駄目、真っ直ぐ走るだけの事がこんなに苦しいなんて。スピードや風で身体が揺れて、姿勢が上手く保てない。スプリントというものを少し舐めていたかもしれません……此処まで難しいのですね……!)」
いかにマンハッタンカフェのスタミナが優れていようとも、無駄は無駄に変わりない。更に言えばそこまで無駄をしてもスピードがあまり上がらない始末。スピードを乗せるなら姿勢を完全に保ち、かつ、瞬発力に耐えうるパワーのある脚を手にしなくては。
マンハッタンカフェ自身も慣れないスプリント訓練に苦しんでいるのか、なんとか姿勢を制御しようとしているのが見て取れる。
「……やはり遅い。流石にスプリンターほどのタイムを出せとは言わないが。中距離のG1に出る事を見据えるなら、せめて1ハロン12秒以下に抑えたいところなんだが……。」
いま、ちょうどカフェが旗を手にしてコーナーへ入って戻ってくる。ストップウォッチが示した時間は、【12.48秒】。分かっていたことだが、かなり遅い。G1中距離ではかなりのスローペースだろう。
マンハッタンカフェがいくら差しウマとはいえ、逃げ方や先行次第ではそもそも差しきれない位置まで離され、結果追い込みに落とされて負けるのが目に見えている。落とされるなら先行に付け、と言いたい所だが、おそらく先頭集団についていけずにズルズル下がり、最悪ブロックされかねない。結局、速度を上げて適切な位置に付くようにするのが一番リスクがない。だが、同時に一番時間がかかり、難しいというのも事実で、確実に伸びる方法なのも事実。
メリット/デメリット/メリット。凡ゆることを想定して何がマンハッタンカフェに効果的なのか、人知れず黒崎もまた苦しんでいる。
黒崎の元へ戻ってきたカフェのタイムは、2ハロンで【24.36秒】。まだ道のりは、遠いと言わざるを得なかった。
「……水分を補給したらもう1本、行くぞ。踏み込みを強く、まず上半身の姿勢だけを保つ事を意識しろ、マンハッタンカフェ。いきなり完成させようと欲張るな。」
「ええ。……貴方の言うことになら、どんな事でも従います。」
ーーー☆ーーー
「聞いたよ、黒崎。担当を持ったんだってね、それもだいぶ綺麗な子。カフェちゃんだっけ? いやぁ、先越されちゃった。」
「癖ウマすぎるがな。とは言え間違いなく煌めくものは持っているが……尖り方にどうしたものか悩んでいたよ、白戌。」
「俺を呼んだのは相談か? それとも、愚痴か?」
「……両方、かもな。」
マンハッタンカフェを寮に返した後、シリウスの部室でコーヒー缶を片手に黒崎は珍しく笑っていた。無愛想/不器用/面倒臭がりと三拍子揃った黒崎の、ほぼ唯一の友人と言って差し支えないのがチーム・シリウスのトレーナーである【白戌 光】だった。
白戌は黒崎とは対照的に明るく社交的、綺麗な黒髪をした男性トレーナーだ。彼との接点は、一世代前のチーム・シリウスのトレーナーの元でサブトレーナーとして動いていたことだが、何故かやたらと気が合った。
結果としてこうしてそれぞれが一人のトレーナーとして旅立った後もつるんでいるわけだ。
……どういう噂か、黒崎がシリウスの後継に選ばれなかったからと白戌と仲が悪いという話も立っていたがそんな事も無い。というより実際のところ、黒崎は望んで独り立ちした。反対に白戌は望んで後継になった。仲違いのしようもない、それぞれが選んだ道が分かれただけの話だったりする。
快活な笑みを浮かべる白戌に向けて、コーラの缶を軽く放れば慌てて両手で掴んだのが見えた。座れというように椅子に目を向けると、肩を竦めて白戌は大人しく座り込んで抗議の目を向けてくる。
「コーラ缶投げんなよお前……。」
「吹き出さないよう緩く投げた。というか、まだコーヒーは苦手か。飲めるなら、コーヒー缶もあるが。」
「どうにも苦いのはちょっと。……紅茶なら好きなんだけどね。」
「子供舌め。好物もオムライスとかだっただろう。」
「うるせーな!? 黒崎も酒とか飲まないだろうが!」
「酒が飲めないのはお互い様だ、誘ってくれる沖野さんには悪いがな。さて……マンハッタンカフェの事だが、何か良いトレーニング案はあるか? 流石に今のままではホープフルステークスにも間に合わん可能性がある。その前にメイクデビューだが。」
「最悪メイクデビューは押し切れるでしょ、スペック差で。」
「あまりそういう勝ち方を教えたくはない。何より根本的な解決にならん。」
パイプ椅子の音を立てて白戌に向き直れば、ため息をつきながら黒崎が真面目な顔つき/いつもの無表情へと戻る。白戌も"こいつ苦労してんなぁ"などと思いながらも、同じように真面目な思考に切り替えていく。
なにせ、トレーナーというものは一人のウマ娘/少女の人生、その一部を預かる立場なのだ。真面目にならない方がどうかしている。その自覚がないゴミも少なからず居るが……黒崎や白戌はその類では無かった。
「……考えつく限りなら、瞬発力を鍛えながら中距離の模擬レースをさせまくるしかないんじゃないか。」
「サクラバクシンオーやニシノフラワーに教えを乞うのはどうだ。サクラバクシンオー達は今クラシックで落ち着いている時期、その瞬発力について何か得られるのでは。」
「いや無理でしょ、バクシンちゃん達とはタイプがそもそも違いすぎるもん。こおりタイプにフレドラ撃たせるようなもんだぜ、それ。」
「最近は覚える奴もいるらしいがな。まあ、それはさておき、やはり無理か。地道に鍛えるしかなさそうだな……」
「距離適正の壁を越えるのは容易じゃないぜ、黒崎。……俺も早く担当見つけないとなあ。」
白戌も溜息を吐く。新人トレーナーが一番苦労すると言っても過言ではないのが、このスカウト。
黒崎はマンハッタンカフェというウマ娘に目を付けられて結果として契約したわけだが、中々こう上手くは行かないのがトレセンというよりも、世界的に見たトレーナーという職業の現状だ。
当たり前だが、誰しも最初は新人だ。何人もウマ娘を担当して育てていくたびに、それは経験や知識となって蓄えられ、そして大きなチームを作るに至る。
また、一世代では終わらないチームであるならばシリウスの様に後継を育てることもある。シリウスとして得たデータを丸ごと手に入れた状態からスタートして、新たな後継が出来るまで再びデータが重ねられていく。そうして強いチームというのは出来上がる。
だが、ウマ娘から見る場合、そういうわけにはいかない。走るのは彼女たち自身で、まさか娘や友達が走る為にデータ集めの実験台になれとは言えない。
例えば日本ダービー。トレーナーにとっては新しく担当ができるたび走らせることも可能なわけではあるが、ウマ娘にとっては一生に一度しか走れないレースなのだ。何をどう言い繕うとしても、これだけは絶対的に埋まらない、トレーナーとウマ娘にとっての価値の差である。
ならば、ウマ娘も必然、新人よりも経験のあるトレーナーを選ぶに決まっている。少しでも経験のあるトレーナーの元なら強くなれる確率が上がるからだ。
シリウスという看板を背負ってなお、まだ担当が決まらない白戌を見れば、何もない新人が契約にどれだけ苦労する事か。中には一人も担当しないまま辞めたり、一生をサブトレーナーで過ごすトレーナーもいるのも納得してしまう。
新人だからと言って、育てられませんでした、で済むほど甘い世界ではない。しかし同時に、その新人が育たない状態であるのも事実。どんなものでも、次の世代がなければ、いずれは破滅を迎えてしまう。だからこそ、この新人の扱いや年々減っていくトレーナーの数にトレセン側やURAの運営も悩ませているわけなのだが。
空になったコーヒー缶をゴミ箱へ投げ捨てて、黒崎は立ち上がる。纏めるべきデータはもう纏め終えた。課題や問題は山積みだが、あるだけ大丈夫だろう。
問題がなくなった時が成長の終着点であり、その終わりが既に来ているウマ娘だって居るのだから。……それを見抜かれてしまう選抜レースとは、つくづく残酷だと思う。
トレーナー寮に帰る為、シリウスの部室を後にしようとして……一瞬だけ、立ち止まった。
「重賞、G3やG2で。或いは、OP戦だけでも勝てるだけ満足するウマ娘が居たとして。」
「どうした急に。」
「黙って聞け。仮にそんなウマ娘が居たとして、それは悪いこととは思わない。自分の実力を顧みた上で望んだ事だ。僕は寧ろ、実力に見合わない場所を諦めた事を賞賛すると思う。お前はどうだ、白戌。」
「……そうだな。……俺は、やっぱり少しでも上を目指して走って欲しいと思うよ。レースに出るなら、勝てる可能性は0%なんて事あり得ない。ほんの少しだけでも速く、強く。例え1000人に負けると思われていても、出たいって言われたら……出すと思う。あのルナちゃんですら全戦全勝とはいかなかった。」
「……僕は、そう思わない。1%の夢に縋るなんて幻想だ。都合のいい、耳障りの良い言葉だ。レース中、1%でも勝てる可能性があるならそれを実行すべきだとは思う。だが、そもそもの勝算が1%なら諦めさせる。それが僕のトレーナーとしてのやり方だ。」
「…………厳しいけど優しいよな、黒崎のそういう所。」
「勝てないレースに出させる方が残酷だ。夢を見て走って、より大きな夢に敗れるんだ。……ならいっそ、最初から走らせない。」
「"走らなかっただけ"って言い訳が出来るもんな。逃げ道を作ってやる黒崎のやり方を間違ってるとは思わないよ。」
「……散々言ったが、僕も白戌のやり方が違うとは思わない。夢を追い続けて得られるものもある。99.9%不可能な勝ちを掴んだ時の栄光は、何物にも変え難い。」
そうか、とだけ白戌は返して笑った。お互い観ている方向が違えど、お互いのスタイルを尊敬し合っていた。だからこそ、ここまで性格の違う自分たちが付き合い続けて居られるのだろうが。
今度こそ黒崎は、シリウスの部室を後にした。残された白戌は、コーラを飲み干すと何もない天井を仰ぎ見た。
「じゃあ、なんでお前はカフェちゃんを担当してるんだよ。……って、言うのは野暮かなぁ。」
あの黒崎が適正の細いウマ娘を選んで、中距離を走らせようと画策している。勿論見据える先はあくまで長距離であり、中距離は通過点に過ぎないのだろう。けれど、なんとなく。
友人が"無茶"に挑戦していることが、少しだけ嬉しかった。
ーーー☆ーーー
後日、白戌から担当が決まったとメッセージがあった。恐らくメイクデビューの日にちなどは異なるだろうが、トゥインクル・シリーズでは同じジュニア期からのスタートになるだろう。
更に言えば中〜長距離を走るウマ娘。となれば、必然的にマンハッタンカフェとぶつかる事になるだろう。無意識にか、それとも意識してか、ストップウォッチを握る手に力が入る。
「…………勝負だ、白戌。僕のマンハッタンカフェとお前のウマ娘、どちらが強いか。」
[マンハッタンカフェ]/やる気↑
【バ場適正】
芝A/ダートG/洋芝 “未測定”
【距離適性】
短距離G-/マイルG/中距離E/長距離C
【脚質】
逃げG/先行C/差しB/追い込み/D+
【速/体/力/根/賢】
103/216/105/83/144
【スキル】
・【Darkness-Blackscraper】Lv1
・昇り龍
・深呼吸