なんともなし   作:n番煎じの戦闘員

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なんともなし2

第二次世界大戦が起きた原因を、ケネス・ウォルツの3つの分析レベルを用いて説明する。

 

 第一に、国際システムについて分析する。国際システムにおける戦争の原因として、「ヴェルサイユ体制の崩壊」と「植民地の獲得競争」が挙げられる。

第一次世界大戦後、アメリカの十四か条の平和原則に基づいて戦勝国を中心としたパリ講和会議が1919年に開かれ、ヴェルサイユ条約が締結したことによりヴェルサイユ体制が生まれた。

ヴェルサイユ体制は社会主義国に対する資本主義国の結束であり、敗戦国ドイツに対して過酷な条件を与え、再起を抑止する目的や、世界の再分割後の植民地支配の維持や民族運動の抑制という目的があった。また、多くの国で民主主義体制がとられ、議会政治や協調外交が行われた。しかし、過酷な条件を押し付けられたドイツ国内では反発が強く、また世界の再分割にはイタリアや日本に不満を残すことになり、これらの国でファシズムが台頭する一因となった。

また、1920年に国際連盟の結成。1924年にはジュネーブ議定書による、国際法における侵略戦争の違法化、1928年には不戦条約が結ばれ、集団安全保障機構が構築された。しかし、国際連盟にはアメリカやソ連は参加せず、侵略戦争の定義を明確化しなかったことや、不戦条約は戦争の放棄ではなく締結国相互での戦争廃棄でしかなかったことなどから、戦争の阻止として影響力に欠ける部分があった。

1929年の世界恐慌後は急速に協調路線が崩れ、植民地の獲得競争が始まった。植民地を多く持つイギリスやフランスは自国と植民地による排他的なブロック経済を形成し、植民地をほとんど持たないドイツやイタリア、日本は新たな植民地を求めて近隣諸国へ進出した。その過程でドイツやイタリア、日本ではファシズム的思考が強まり、軍部が台頭した。

1936年、ナチスドイツは非武装化地帯であったラインラントに軍を進駐させ、ヴェルサイユ体制は実質的に崩壊した。

 

 

 第二に、国家について分析する。

ドイツでは、第一次世界大戦後の過酷な抑圧から国内の反感は強く、世界恐慌後にはヴェルサイユ体制崩壊を掲げたナチスドイツが台頭した。ドイツは軍備増強と、失業者のための公共事業によって経済回復に成功し、条約を無視した軍再建を推し進めた。同じくファシズムのイタリアや日本との関係を強化し、イギリスやフランスとの対立を深めていった。また、民族自決主義を掲げ、ドイツ民が居住するオーストリアを併合、チェコ=スロバキアのズデーテン地方を植民地化した。そしてポーランド回廊の回収のため、ポーランドに対する不可侵条約を破棄してソ連との不可侵条約を締結し、ダンツィヒを要求したが、ポーランドはイギリスとフランスによる後ろ盾を背景に要求を拒否し、第二次世界大戦が開幕した。

 

イタリアでは、未回収のイタリアの回復を求めて第一次世界大戦は連合国側で参戦した。しかし、全て回復することは出来なかった。第一次世界大戦の勝利は「骨抜きにされた勝利」と呼ばれ、フィウーメが武力占領される事件が起こるなど、国民は不満を募らせていた。世界恐慌後はドイツと同じくファシズムが台頭し、エチオピア侵攻によって国際連盟を脱退したことをきっかけに、同じく脱退したドイツとの関係を強めていった。

 

フランスは、第一次世界大戦の戦勝国であったものの、西部戦線の主戦場となったため国土は荒廃し甚大な損害を出し、その損害をドイツに賠償金として負わせようとした。また中東欧においてはチェコスロバキア、ユーゴスラビア、ルーマニアと小協商を成立させ、ドイツやハンガリーを牽制しようとした。

しかし、世界恐慌後は政治的混迷期が続き、隣国スペインで行われた内戦など、再度戦争の足音がヨーロッパを覆って来たにも拘らず本格的な戦争への準備はなされないままであった。

 

イギリスは、第一次世界大戦の戦勝国であるものの莫大な戦費の負担や植民地の独立運動の激化による痛手を負ったイギリスは、その反動で国民は平和の継続を求める反戦主義が強まった。また社会主義国であるソビエト連邦に対してドイツが対抗することを期待して、軍備拡張政策を取るナチス・ドイツに対しては宥和政策を取ることに終始していた。ミュンヘン会談においてのナチス・ドイツの要求を最終的なものとしてヨーロッパの平和を維持したとおもわれたが、ナチス・ドイツによるポーランドへの要求を目の当たりにし、宥和政策による平和維持は失敗した。軍備拡張や領土拡大を続けるナチス・ドイツを危険視するようになったイギリスとフランスはポーランドとの相互援助条約を締結し、ナチス・ドイツ拡張の阻止を表明した。

 

第三に、指導者について分析する。

 

ドイツのヒトラーは、ドイツ民族が最も優秀な民族であると主張し、ドイツ第三帝国の野望を持っていた。独裁者となったヒトラーは、「ドイツ民族を養うため」と言う名目で急速な軍備増強や強引な侵略政策を推し進めた。

イタリアのムッソリーニは、ヒトラーと同じくファシスト国家の元首であるものの、ヒトラーの人間性を軽蔑しており、良好ではなかった。しかし、互いに国際連盟を脱退したことから関係を強化し、ムッソリーニは「ベルリン・ローマ枢軸」の結成を唱えた。しかし、国力が不十分であることから戦争の開幕には反対であり、戦争回避に向けイギリスと交渉を重ねたが、ドイツのポーランド侵攻により交渉は決裂し、以後は枢軸関係強化に傾倒した。

フランスのブルムは、第二次世界大戦前の首相であり、労働政策による世界恐慌からの経済回復を図った。また、ナチス・ドイツに対抗して反ファシズムの人民戦線を結成した。しかし、内部の対立から内閣は崩壊し、政治的混迷を抱えたまま第二次世界大戦を迎えた。

イギリスのチェンバレンは、第二次世界大戦前の首相である。反戦主義とソ連への抑止力を期待してナチス・ドイツに対して宥和政策を取り続けた。しかし、結果として宥和政策による平和維持は失敗し、ドイツはミュンヘン協定を無視してダンツィヒを要求し、第二次世界大戦は勃発した。

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