1 ふたり、鏡合わせで
一つの身体に、複数の精神。
現実世界ではそれを「多重人格」などと呼ぶが、この世界にはもちろんそんな言葉はない。
ばぢっ! と静電気の火花が散る。
飛雷竜――その体長の半分を占めようかという大きな尻尾の叩きつけを、すんでのところで横に転がって回避。
尾を大きく持ち上げて咆哮する竜の敵意を一身に浴びて、相対する狩人は口の端を持ち上げた。
皮膚がぴりつくような、真っ直ぐで純粋な感情。
最高だ。やはり狩猟はこうでなければ。
攻撃を回避されたトビカガチは狩人の方へ向き直り、特有の素早い動きで彼の死角にするりと移動した。
「四時方向、針飛ばし」
「ん」
警告する声に短く返事をして、手に取った矢で振り向きざまに電極針を払い落とす。反動で強く弓を引き絞ると、ぎらりと光る赤い瞳と目が合った。
二本目が来る――いや、一拍早く動作に入ったこちらの方が速い。
放たれた矢は狙い違わず吸い込まれるように竜の鼻先を捉え、トビカガチは大きく怯んだ。追い打ちを掛けるように剛射、次の動作に移ろうとした竜とすれ違うように矢で一閃。
飛雷竜の荒い息遣いを肌に感じて、高揚感に思わず笑いが漏れる。
「ふ、ははッ」
振り返った瞬間に眼前に迫る爪を紙一重で回避――しきれずに、左肩を切り裂かれてぱっと鮮血が舞った。
「ランゼ」
「別に何てことねぇよ」
案じる声に舌打ち混じりで応え、ランゼと呼ばれた狩人は流れるように次の矢を番える。
獲物は既にかなり弱っている。そう遠くないうちに決着が付くだろうが、同時に今が最も危ないタイミングでもある。それが最高にゾクゾクするとも言えるのだが。
トビカガチは柔軟な身体をぐいとしならせた。噛みつきが来る。
回避して態勢を整えるのも良い、が……いや。
「ハヤテ、ツキヨ!」
――押し通す。
「ガウッ‼」
任されたとばかりに一声吠えて飛び出した白い毛並みのガルク――ハヤテは、鋼鉄の番傘を大きく広げて竜の顎を受け止めた。
入れ替わるようにもう一頭のガルク、ツキヨが飛び出して飛雷竜の首に喰らいつく。
ランゼはツキヨと反対側に一歩回り込んで、次の動作に移れないでいるトビカガチの尻尾に次々と矢を放った。静電気を帯びて大きく逆立った淡い水色の毛が、はらはらと散っていく。
たまらず大きく飛び退った竜は、逃げるようにして背後の崖にするすると登った。が、それは当然遠距離攻撃の手段を持つランゼに対しては悪手でしかない。
消耗により判断力が鈍っているのか、はたまた起死回生の一撃を狙っているのか。どちらにせよ関係ない。
岩壁に張り付いた飛雷竜が狩人の方を振り向いたその瞬間、ランゼの放った何本もの矢が待ち構えていたかのように押し寄せる。
衝撃で地面に落下した竜はもがくように四肢をばたつかせるが、起き上がることは叶わない。
ランゼは飛雷竜の眼前に駆け寄りながら、これで最後になるであろう矢を一本取り出して、大きく逆手に振りかぶった。
一瞬、ほんの瞬きの間、真っ赤な視線と目が合う。自らに止めを刺そうとする狩人を視界に入れてなお、その瞳にはまだ諦めぬとばかりに純粋で真っ直ぐな敵意が宿っていた。
しかし次の瞬間、彼は容赦も躊躇もなくトビカガチの白い喉元に鏃を突き立てる。皮を破り肉を裂く感触が直接その手に伝わる。
縦長の瞳孔から、光が失われていく。飛雷竜は一度大きく痙攣して、それっきり動かなくなった。
無造作に矢を引き抜く。まだ温かい血が力なく尾を引いた。
軽い虚脱感と寂寞感に襲われて、ランゼはしばらくその場に立ち尽くしていた。先ほどまで彼に純粋な殺意を向けていた赤い瞳は、もう虚ろに澱んで何も映さない。
どれくらいそうしていたか。やがて彼ははあ、とひとつため息をついた。頬に飛んだ返り血を手の甲で乱暴に拭う。
雷属性やられ――とまでは行かないが、あちこちに舞う毛のせいか静電気で長い前髪が貼り付いてうざったい。つい舌打ちをひとつ。
ウチケシの実を使うまでもないので、防具の手袋を外して手のひらをぺたりと地面に付けた。静電気の範疇であれば、大概はこれで収まる。
立ち上がろうとすると、視界の端にちらりと白い影が映った。と思った途端、軽い衝撃。
思わずバランスを崩して地面に倒れ込む。
「わんっ‼」
飛び掛かってきたのは番傘を携えた白いガルク。
「こら、ハヤテ。やめろって言ってるだろ」
犯“犬”は聞いているのかいないのか、わふ、と鳴いてランゼの顔に鼻先を寄せた。仕方がないな、と柔らかい喉元の毛に指先を埋めて軽く掻くように撫でる。
まだ若くて甘えたい盛りらしくやんちゃだが、やっていいときといけないときを弁える賢い子なのでどうにも本気で叱りにくい。
しかしもう一頭のガルク――ツキヨにとってはそれは違うようで、彼女に首根っこを咥えて引っ張られたハヤテはくーんと情けない声を上げた。
甘やかしすぎてはダメ、とでも言うかのように、金色の瞳がこちらを一瞥する。
「悪かったって。今日も助かった」
苦笑しながらも立ち上がって装備の土を払い、澄ました顔のツキヨに労いの言葉を掛ける。ついでに深紫の毛並みをくしゃくしゃとすると、彼女は満更でもなさそうにフンと鼻を鳴らした。
「行こうか?」
控えめな声に、「ああ」と返事をして剥ぎ取りナイフを取り出しながら竜の死体に歩み寄る。
「……ごめんね、ありがとう。どうか安らかに」
彼の声に合わせて、ナイフを持ったまま申し訳程度に手を合わせた。
「ランゼの考えと違うっていうのは知ってるんだけど。すまない」
ランゼからすれば、生きるためには相手が邪魔だというシンプルな理由で争って、一方が勝利したというただそれだけの話。
「別に嫌とは言ってねぇ。兄さんがそうしたいなら、俺はそれでいい」
けれど、彼の
その場には最初から――戦闘中から、彼自身と二頭のガルク以外に何者の姿もない。
「そっか。でも僕は、ランゼの身体に間借りしてる身だから……ランゼの意思には、できれば従いたい」
答えるのは全く同じ声。傍から見れば自問自答。しかしそれは確かに“二人の会話”で、
「やめてくれ。俺は――俺たちは、そんな関係でいたくない」
実際にその身体の中には、“兄”と“弟”、二人分の精神が存在している。
※
「お~う、ランゼ。よく戻ったでゲコ~!」
集会場の暖簾をくぐるなりそう声を掛けてきたのは、竜人族のギルドマネージャー。返事もせずにその隣を素通りしようとして、
『それはないだろ』
自分にしか聞こえない声に咎められる。仕方なく視線をやると、「大事なさそうで何よりでゲコ」と何を考えているのかわからない顔が笑っていた。
狸爺が、と心の中で悪態を吐く。
ただでさえ竜人族はその寿命のせいか感情が読みづらい。その上、何を意図してか時折要らぬ気を回すこの男のことが、ランゼには全くわからない。
ランゼにとって「わからない」は「嫌い」と同義である。皆見えないところに醜いものを隠すからだ。
見返りを求められているならまだマシだ。求めてもいないのに勝手に施しておいて、代わりの何かを期待されるなんて癪だが――それでもまだマシだ。
だがカムラにそんな奴は滅多にいない。どこを見ても“善人”ばかりである。
この里の、そういうところが嫌いだった。
内心ため息を吐きながらカウンターに向かうと、向こう側に座しているこちらも竜人族の受付嬢が、ぺこりと頭を下げた。
「お帰りなさい、お疲れ様です」
割印がされた依頼書の複製を無言でずいと差し出すと、彼女は「承りました」と原本を取り出して照合する。
受注した依頼とクエスト対象、支給品の使用状況やフィールドの様子、巻き込んで討伐した小型モンスターなどについてを簡単に確認。
受付嬢は終始無言で淡々と処理を進めていく。ランゼは他人と会話するのが苦手、と言うよりも嫌いなので、余計なことを言わない彼女の姿勢にはいつも助かっている。
しかし
最も、その分露骨に
「あの、ランゼさん」
手続きを終えてさっさと立ち去ろうとすると、受付嬢に控えめに呼び止められた。
「あ?」
振り返れば見上げる金色の瞳。無言で続きを待つが、彼女は目を逸らして口ごもった。
「いえ……その、」
「用がねぇなら帰るが」
ランゼの言葉に受付嬢はしばし迷うように視線を彷徨わせて、
「……すいません、忘れてください」
結局何も言わずに目を伏せた。
思わせぶりな態度は腹立たしいが、何を言おうとしていたのか、そんなものは考えるだけ無駄だ。
誰が何を言おうと、どうせランゼにとっては大した意味などないのだから。
鼻を鳴らして集会所を出たランゼは、自宅へは帰らずに修練場へ足を向けた。
なんとなくむしゃくしゃして、まだ身体を動かしたい気分だった。
理由はわからない。狩猟が比較的すんなりと終わって物足りないからか、集会所でのやり取りが原因か。
夕暮れというにはもう随分遅い時間帯で、修練場にはハンターの姿はなかった。
元々あまり賑わう場所ではないし、もうこの時間帯には自宅で食事をしたり明日の準備をしたりするハンターの方が多い。まして訓練生などはなおさらである。
まず先に弓の状態を確かめる。弦の張り、変形機構共に問題なし。
ボウガン使いは基本的に弾の威力が最も効果的に発揮される中~長距離で戦うことが多いが、弓使いの間合いは戦闘スタイルや射撃の方法により様々であるらしい。
かく言うランゼも、一人で狩猟に赴く方が多いことやそもそもの気質が相まって、弓使いにしてはかなり近距離で戦う方だ。だから、ガンナーの射撃練習用にある的は滅多に使わない。
特にこうして自分の他に誰もいない場合――実のところいつも故意にそのタイミングを狙っている――は、からくり蛙を自動攻撃設定にして間合いの確認や回避と射撃のリズム調整などをすることが多い。
虫の声と射撃音が心地よく響く。ランゼはこの時間が狩猟中の次と言っても過言ではないくらいに好きだった。
射撃、ステップ、射撃、矢斬り。無心で身体を動かしていると、この世界に存在するのが自分たちだけであるような気分になれる。
本当にそうだったらな、と、たまに思う。
「ランゼ」
兄の声に、はっと我に返る。
少しだけ身体を動かして帰るつもりだったのに、もうすっかり日は沈み空には月が明るく輝いていた。
「悪い。帰るか」
額の汗を拭う。思ったより夢中になっていたらしい。
畳んだ弓を背負って、大きな伸びを一つ。
「……疲れた」
思わず口をついたが、考えてもみれば当たり前だ。狩猟後に真っ直ぐ修練場に行くなんて正気の沙汰ではない。自分が正気だとも思ってはいないが。
「家まで交代しようか」
「ん、助かる」
兄の提案に頷いた。
「寝る。着いたら起こしてくれ……片付けは自分でするから」
自宅までは大した距離があるわけではないのだが、こういうときに少しでも休むべきだ。
どうせ夜は、まともに眠れないのだから。
身体の制御を手放して兄に任せる。返事が聞こえるか聞こえないか、というタイミングで、落ちていくように眠りに就いた。