「やぁ愛弟子たち! 緊急クエストお疲れさま、無事で何よりだ」
当たり前のように使われるその呼称に、ランゼは舌打ちする。それに反応してかこちらに向けられるシオの視線は無視した。
集会場に帰ってきた二人を出迎えたのは教官と呼ばれる男で、里出身のハンターはほとんどが幼少から彼に師事している。
実際ランゼも一時期はそうだったが、ハンターであった父親を亡くしてからハンターとして独り立ちするまでのごく短い期間のことだ。当然、彼を師などと思ったことは一度もない。
何度やめろと言っても一向に呼び方を改める気配のないこの男のことが、ランゼは大嫌いだ。
「ありがとうございます。しかし教官も百竜夜行の準備で忙しいでしょう、わざわざ出迎えにまで来なくても」
返答する女が普段とは打って変わって丁寧な口調なのも、余計に気に入らない。
「いや、こっちは里のみんなも手伝ってくれているからね。準備はほとんど済んでいる」
当然のようにランゼを置き去りにして進む会話。安心した様子を見せるシオに、彼は「それよりも」と声を潜めた。
「
男の言葉に「あぁ、」と納得した様子を見せたシオは、ちらりとランゼの方を見遣った。視線を受けたランゼは、「勝手にすればいいだろ」とばかりに鼻を鳴らす。
女は微かに苦笑すると、男の方に向き直って口を開いた。
「あの前脚による攻撃は脅威の一言でしょう。偵察の時点で――」
説明を放り投げた手前ここにいる意味もない、とランゼは一人クエストカウンターへ向かう。
「お疲れさまです」と礼をする受付嬢に昇格手続きがしたい旨を伝えて、必要書類に記入。
事前にわかっていれば自宅で兄に書いてもらったのに、と自分の汚い字を見ながら考えていると、ナギトが呆れ交じりに言った。
『そんなに嫌なら練習すればいいのに』
記入を終えた用紙をカウンター越しに差し出しながら、『うるせぇな』と心の中で言う。
厚い台帳を取り出してぱらぱらとめくる受付嬢をぼーっと眺めていると、背後の会話がところどころ聞こえてきた。
「気になったのは、私たちが到着した時点で既に傷だらけで弱っている様子だったこと、でしょうか。そのおかげでさほど苦戦せずに済みましたが、万全だったらと思うと……」
シオの言葉に、ランゼは内心頷く。
あの猛攻のせいでともすると忘れてしまいそうになるが、あの青熊獣の強さの割には今回の狩猟は早めに片付いた。
『あれが万全だったら、もっと苦労していただろうね』
兄の言葉に『あぁ』と相槌を打つ。
それだけであれば『今回は運が良かった』と言うことはできよう。が、しかし、
「――その事実は、『あれほどの強力なモンスターが深手を負うほどの“何か”の存在』を示唆することになるでしょう」
さらに、その原因は当然ながら未だ不明である。
「あの青熊獣は十分に強大でしたが、それ以上の……まさしく“禍”が、里に迫っているのかもしれません」
彼女の言う通り、楽観視してはいられない状況だ。
ランゼとしては別に百竜夜行で誰が死のうが知ったことではないが、里が壊滅などしようものなら困るのが自分であることくらいは心得ている。
「そうか、ありがとう。さすがはシオだ、相変わらずの観察力だね。今回クエストに行ってくれたのがキミで良かった」
「いえ、そんな……むしろ力不足でなくて良かった。それに、今回無事クエストを遂行できたのは私だけの力ではないですから」
耳に入ったその言葉に、ランゼはわずかに目を見開いた。
これは。彼女が、ランゼのことを相応に評価している、ということだろうか。
シオはランゼが聞き耳を立てているなどとは思ってもいないだろうし、わざわざ嘘を吐く理由もない。
「……ランゼさん? 終わりましたよ、こちらはお返しします」
受付嬢の声にはっと我に返り、カウンター越しに差し出されたギルドカードを受け取って懐にしまう。
新たに刻まれたランクは4。これで名実共にランゼも上位ハンターである。
そろそろ話は終わったか、とシオの方を振り返る。が、その前にランゼに声を掛けてくる者が一人。
「ランゼよ、これでおぬしも晴れて上位ハンターでゲコな! めでたいゲコ~」
一見素直に喜んでいるようにしか見えない白々しい態度のギルドマネージャーである。意図的に昇格を止めていたのはお前の癖に、という言葉をランゼはなんとか呑み込んだ。
狸爺はその後もこれで頼れるハンターが増えただとかなんとか言っていたが、ランゼにはそんな中身のない話はどうでもいい。鼻を鳴らすだけの返答とも言えない返答に留める。
そのときちょうど話が終わったらしく、二人の様子に気が付いたシオが歩み寄ってきた。
「こら、ゴコク様にその態度はないだろう。……すみませんゴコク様、後で言って聞かせます」
「
思わず口を挟んだ。
目の前の爺は竜人族のギルドマネージャーであって、ランゼにとってはそれ以上でも以下でもない。偉いだとか尊敬すべきだとか思ったこともない。
問題を起こすべきでないのはわかるが、くだらないおしゃべりに付き合う義理はない。
「まぁまぁ、そうピリピリせんでも良いゲコ。それよりウツシ、話は終わったゲコ?」
話を振られて、後ろで静観していた男が一歩前へ出る。
「そうですね、俺から聞くべきことは粗方。今回の夜行も大変な戦いにはなるでしょうが、二人がもたらしてくれた大物の情報のおかげで全く対策のない敵を相手取るのは避けられる。今出来る限りの準備もしました。きっと、大丈夫です」
彼はギルドマネージャーにそう告げて、ランゼとシオの方に向き直った。
「とはいえ今回の百竜夜行がいつまで続くかはわからない。次をしのげても、その次も大丈夫なんて保証はない。ハンターだっていくらたくさんいるとはいえ数が限られているし、この先キミたちにも助力を頼むことはあるだろう」
男の言葉にシオは少し考え込む様子を見せてから、ためらいがちに言った。
「今回の防衛には、ヒオウも参加しているんですよね?」
初めて聞く名前に、ランゼは首を傾げる。いや、初めてではないかもしれないが。
少なくとも、シオの口から出たことはないはずだ。
『僕らの少し上のハンターだよ、赤髪の女の子。見たことない?』
細かいことまでよく覚えている兄がそう教えてくれるが、生憎心当たりはない。
『あったとして覚えてると思うか?』
『いや、全然』
兄弟がそんなやり取りをしている間に男は肯定の返事をしたらしい。
「……なら、次は私も出ます。私ではどれほど役に立てるかわかりませんが、彼女ばかりに負担をかけてはいられない」
そう言った彼女の横顔に、ランゼは『らしくもない』という感想を抱く。どこがどう具体的に、と言われてもよくわからないが。
「そうか、ありがとう。でもあまり気負ってもいけないよ。百竜夜行が来るからと言ってフィールドが落ち着くわけでもない――むしろモンスターの動きは活発になるだろう」
シオの言葉に、対する男は人懐っこそうな顔で笑ってから諭すように言った。
「それに、キミの言ったことが本当なら、夜行ばかりに目を向けてもいられないからね」
その後言い及んだのは、先ほどシオが言っていた“禍”についてか。
「迫る脅威にばかり目を向けてゆとりを失っては、脅威が去った後の生活も立ち行かなくなってしまう。キミは責任感が強いから、いつも通りを心がけるくらいがちょうどいいよ」
釈然としない表情を見せるシオに、男は安心させるように頷いた。
「大丈夫。カムラの民は強いからね」
※
「ニャ~、全く派手にやったもんだニャぁ」
アイルーの医者は、ランゼの脇腹に刻まれた青熊獣の爪痕を目にした途端、そう言って苦笑いした。
「しかしすぐに来たことは褒めてやるニャ。ま、お前さんじゃなくてシオの判断だろうがニャ」
人間に比べると小さな手が、身体のあちこちに触れては薬を塗っていく。
ランゼはわずかに身体を強張らせて身じろぎした。
どこもかしこも沁みて仕方がないし、思い出したかのようにあちらこちらで痛みがずきずきと自己主張を始めている。
しかし、だからと言って今更文句を言うわけにもいかない。
何より、隣で大人しく座って待っている女に悟られるのも癪である。何も見張りのような真似をしなくても逃げやしないのに、とランゼはため息をついた。
当の本人は、ランゼの身体の大小様々な古傷を見て眉をひそめていた。
「跡だらけじゃないか。それでよく今まで
そんなことはランゼは知らないし、どうでもいい。
こんな風に説教されるのが目に見えていたから来たくなかったんだ、とランゼは顔をしかめた。
「全くシオの言う通りニャ。回復薬を飲めば平気だと思っているハンターがたまにいるんじゃが、あれはあくまで一時的に痛みを抑えて自己治癒力を――」
何やら話が長くなりそうなので、ランゼは真面目に聞くのを諦めた。いや、端から真面目に聞く気などないのだが。
回復薬など役に立てばそれでいいし、詳しい仕組みなどには興味はない。
そういえばこの前兄が、回復薬の残りが減ってきたからそろそろ補充しないといけないとか言っていたのを思い出す。
『兄さん、回復薬って』
『頼んでおいたから大丈夫。でも、』
「……ランゼ、聞いてるニャ?」
訝しむような声と共にとんと軽く傷口を押されて、完全に意識を遥か彼方へ飛ばしていたランゼは大きく肩を跳ねさせた。
『――人の話はちゃんと聞いた方がいいと思うよ』
間違いない。今のは確信犯だ。
文句を言ったところで口が上手い兄に丸め込まれてしまうのはわかりきっているので、苦い顔をしつつも何も言えずに黙り込む。
「さも痛くなさそうな顔をしてた癖にやーっぱり強がってるニャ。若い男はこれだから……」
彼の表情をどう捉えたか、医者が調子良くぺらぺらと話し出す。
だから来たくなかったんだと、ランゼは心の中で何度目になるかもわからない愚痴を
単純に人間として――獣人として?――この医者はいけ好かない。狸爺とはまた違ったうざったさがある。
「別に」
ついと目を逸らすが、シオまでどうにも生温かい視線を送ってくるように感じられて居心地が悪い。
「……シオ」
いたたまれなくなって後先も考えず口を開く。
肝心の話題を全く考えていなかったことに言ってから気が付くが、そこで集会所での彼女と男のやり取りを思い出した。
「さっき言ってたの、誰だよ」
シオはランゼの言葉を聞いて目をぱちくりさせた。しばし記憶をたどるように視線をさまよわせて、「あ、」と納得したように言った。
「ヒオウのことか?」
深緋の瞳が、どこか遠くを見るように穏やかに細められる。
そんな表情もできたんだな、と思わず呆けたように見つめていると、彼女は何かを噛み締めるようにゆっくりと言った。
「……幼馴染だ。強い
相槌を打とうとすれば何とでも言えたはずなのに、ランゼは何も言えずにただシオの顔に目を奪われていた。
一言で表すのなら、それはきっと“憧憬”だった。
彼女にとって、強いとは何なのだろうか。
ランゼの知るシオは、周りを見渡せる冷静さも、咄嗟に為すべきこと為す判断力も、モンスターに対する十分な知識も、強大な相手に怯まない度胸も、狩人としての確かな地力も持っている。その中にはランゼにないものもあって、だからランゼはシオのことを認めていた。
そう、認めていたのだろう。だから、わからなかった。
いつも
相手がどんな人間なのか、どうしてそんな風に思うのか、聞きたいことはいくらでもあったのに、ランゼはついにそれを口に出すことができなかった。
結局その後ランゼは何度となく説教されながら大げさなほど包帯だらけにされて、ようやく解放された。
一週間は狩猟に行くんじゃないと強く念を押されたが、守るかどうかは気分次第だな、などと考える。
『ダメだからね』
ランゼの考えを察知して兄が釘を刺す。彼は反射的に反論しようとするが、それはもう一人の声に遮られた。
「そういえば」
声の主は、もちろん目の前を歩く女である。
今回は狩猟中こそ彼女からはほとんど何もなかったが、医者にあれだけ説教を受けた後なのにまた何か言われるのかとランゼは身構えた。
「……そう警戒するな。別に取って食ったりはしないさ」
しかし、彼女は呆れたような声でそう言った。
「ち、知らねぇよ。言いたいことがあるならとっとと言え」
「いや、大したことではないんだ。ただ……今日は良い動きをしていたと思ってな」
不機嫌を隠しもせず先を促すランゼに対して、彼女の口から出たのは意外な言葉だった。
「私も前よりやりやすかったよ。助かった」
驚きに足が止まった。
こうも真っ直ぐに他人を褒める女だとは思っていなかった。そもそも、誰かに褒められるということ自体が久し振りだった。
別に、と答えようとしたが、それが音になる前にランゼは口をつぐむ。
俯いて、考え込んだ。
――今、俺は。何を思っていた?
何か――何か、おかしな、ことを。
ランゼが足を止めたまま着いてこないことに気付いたシオが振り返る。
「どうした?」
なんでもないと言いたいのに、言葉が出てこなかった。
「……ランゼ?」
ぱちん、と乾いた音がする。
目の前の女がおずおずと伸ばした手を、ランゼは自分でも気付かぬうちに振り払っていた。
「黙れよ、放っておいてくれ。もう俺に構うんじゃねぇ」
どうしてそんなことを言ったのかはよくわからない。
自分の声が震えていることだけが、不思議とよくわかった。
「待て、私が何か――」
なおも問いかける彼女を置いて、逃げるようにその場を後にする。
背後から足音が聞こえてくることはなかった。
「ランゼ、どうしちゃったんだよ」
自宅の扉を乱暴に閉めたランゼに、ナギトが焦った様子で尋ねる。
だが、そんな質問に意味はない。例えランゼ個人の感情であろうと、兄がわからないことがランゼにわかるはずがないのだ。
それくらい、ナギトはランゼのことをよく知っている。
「わかんねぇよ。知らねぇ、気持ち悪い」
あの感情の正体はわからない。わかるはずもない。
何故あんなことをしたのかも、わからない。
どうしてこんなに苦しいのかも、わからない。
兄は黙ったままだった。
ランゼの頭の中でぐるぐると渦巻くこの気持ちを、彼も自分のことのように感じているのだろう。
頭を抱えてうずくまると、脇腹の傷がじくじくと痛んだ。
一週間は狩猟に行くな、という医者の言葉を思い返す。今となってはかえってありがたかった。
しばらくは、シオの顔を見る気にもなれそうにない。
せっかく兄以外の人間に曲がりなりにも認められたのに、自分でそれをふいにした。
いや、どうせ最初から認められてなんていなかった。口から出まかせに決まってる。
相反する考えが浮かんでは消えていくが、結局どちらにせよ結論は同じだ。
きっと、失望された。見放された。面倒な奴だと思われた。他の奴らが、そう思ってるみたいに。
「――知るかよ。俺は……俺は、悪くねぇ」
うわごとのように呟く言葉とは裏腹に、ランゼを引き留めようと手を伸ばす彼女の顔が脳裏を離れなかった。