11 深緋の瞳は何を見る
そのハンターは、集会所で狩猟前の腹ごしらえをしていた。
時刻は、そろそろ太陽が空の頂を越えたあたりだろうか。以前――ひと月ほど前までであれば、既にとっくに里を出ている時間帯である。
しかし、ここ最近は修練場で軽く汗を流してから午後に出発するのがすっかり習慣になっていた。
理由はひとつ。
正午を回らないと姿を現さない、気まぐれな待ち人がいるからだ。
件の彼とは、少し前まではほぼ毎度のように共に狩猟に赴いていたが、最後に行ったクエストで彼が怪我を負って以来会っていない。
もう傷は癒えた頃だろうか。
「シオよ」
見上げると、テッカちゃん――テツカブラの幼体である――の上から、老齢の竜人が覗き込んでいた。
「今日も待つでゲコか?」
「はい」
前回も、前々回も、彼がまだ療養中であろう期間も、彼女は午後になるまで待ってから出かけていた。
別に、深い理由はない。やっと慣れてきた一日の流れを崩したくない、くらいのものだ。
シオの返答に、ゴコクは「ふむ」と考え込む様子を見せる。
「今のおぬしは、あやつをどう見るでゲコ?」
テッカちゃんを竿から下げた団子でもてあそびながら、ギルドマネージャーはそう問いかけた。
「……どう、ですか」
極めて抽象的な質問に、彼女は首を捻る。
彼――ランゼとシオが何度もクエストを共にすることになったのは、当然ゴコクの意向である。
ランゼもそれは薄々気付いていようが、シオは最初からその意図を聞かされていた。
曰く、これは彼にとって良い転機かもしれないから付き合ってやってくれ、と。
理由はそれだけではなく、シオもシオなりに思うところがあってやっていることではあるが、改めて“どう”かと聞かれると難しい。
「そうだね……あやつがどんな人間かは見えたか、とでも言おうか」
ゴコクの問いは先ほどよりいくらか具体性を増したが、シオはなお眉を寄せた。
「いえ。まだ私にはわからないことが多すぎますから」
そもそもが、何度か共に狩猟に行く程度で何がわかろう、という話なのだ。裏を返せば、彼は今までそれすらも拒んでいた、ということではあるのだろうが。
私はまだ、彼のことを何も知らない。
自戒するように心の中で重ねて呟く。
知ったようなつもりになって気が緩んでいたから、怒らせてしまったのだ。
最後に会った日の別れ際彼が見せたあの表情を、シオは怒りであると解釈していた。
何が気に障ったのかはわからない。『褒める』ことだろうか? いずれにせよ、シオが踏み込んではいけない線を越えたのは確かなのだろう。
だから正直、少し不安に思っていた。
彼はもう二度とシオの前に姿を現さないのではないか。
初めて会ったときのように、警戒を
しかし、そこまで見放されてはいなかったらしい。
ゴコクが「ゲコ」と声を上げる前から、シオはその気配を感じ取っていた。
席を立ち振り返ると、一つに結った長い髪が揺れる。
「――遅かったな、ランゼ」
「……別に遅かねぇだろ」
ランゼはそう言ってばつが悪そうに目を逸らした。
その様子が以前よりぎこちないように感じられて、シオはそっと目を伏せる。
やはり、全く元通りとはいかないらしい。
こういうとき自分が手本とする人たちならばどうするのだろうか。
明るく声を掛けるか、穏やかに呼びかけるのか。
しかしそんなことで正しい答えが出るのなら、こうは苦労していないだろう。
「んだよ」
シオが視線を上げると、青色の瞳がこちらを睨みつけている。うっかり考え込んでしまっていたらしい。
「……いや、なんでもない」
くだらない考えを振り払うように首を振った。
迷いを狩猟に持ち込んではいけない。余計なことを考えていては動きが鈍る。
仮にもハンターの先輩として狩猟に同行している以上、
ゴコクに彼のことを任されたのだから、その役目はしっかりと全うしなければならない。
「お前も早く食事を済ませろ。今日のクエストは同時狩猟だからできるだけ早く出発したい」
掛けた声は、心なしか普段よりも素っ気なくなってしまったような気がした。
席に着いてオテマエに団子を注文するランゼ。以前のようにその隣に座る気にはなれず、シオはポーチの中身を点検し始めた。
先刻彼に告げたように、今日の依頼は複数同時狩猟である。
場所は大社跡。雌火竜リオレイアと掻鳥クルルヤックが激しく争っているらしく、その暴れようはとても手が付けられない、とのことだった。
何か事故でも起こらない限りは手こずる相手ではないが、何が起こるかわからないのが狩猟である。増してミノトによれば今日も大社跡の天気は
荒れた天候が続く原因は、つい先日判明した。
押し寄せる大型モンスターたちをなんとかしのぎ切った直後、遥か上空に姿を現した古龍――風神龍イブシマキヒコ。風を生み出す力を持つと推測されているその龍が、嵐を巻き起こしていたらしい。
その上ミノトの姉であるヒノエが風神龍と共鳴を起こしたため、現在里は混乱のただ中と言っても過言ではない。
当然、それはミノトも例外ではなく。
少しわかりづらいがいつもより上の空で、その心中では様々な感情が吹き荒れているのだろう。
仕事が手に付かないようでは困るが、しかしシオとて彼女の気持ちもわかる。大切な人に何もしてやれなくてもどかしい気持ちは、痛いほどにわかる。
だからこそ、自分はいつも通りに狩猟に行かなければならないことも、シオはよくわかっていた。こういうときには、動ける者が自らの役目を全うしなければならない。
彼女と同じく双子の兄姉を持つ――
前回までであれば聞いていたかもしれない。だが、今日のシオにはそんなことを聞く度胸はなかった。
※
移動中、シオの正面に座ったランゼはうつらうつらとうたた寝を始めた。ときおり大きな揺れでその頭がかくんと落ちるように揺れる。
白いガルクのハヤテが、寄り添うようにその隣に丸まっていた。
こういうときは年相応に、いや、もしかするとそれ以上にあどけない顔を見せるのだな、などと思う。
普段の誰に対しても当たりが強い態度からは想像もつかない。それがなんだか面白くて、シオは彼が気付かないのをいいことにその顔をじっと見つめていた。
時々忘れそうになるが、彼は二十一のシオより二つも年下だ。
この里には一人のハンターとして認められるのは十八になってから、という暗黙の了解がある。だから、彼がハンターになってから一年とどのくらい経つか、といったところだろう。
にも関わらず、ほとんど他者にも頼らずに一人で身を立てているのはすごいことだ、とシオは素直に感じている。シオ自身は、人に助けられてばかりだから。
そう、一人で、である。
彼に、家族はない。
母親は双子――ランゼと、その兄のナギトを産んですぐに亡くなっている。その上、五年前に父親と兄といるところをモンスターに襲われて彼だけが生き残ったと伝え聞く。
当時シオはランゼと直接の面識こそなかったが、この里は広いようで狭い。里の衆なら皆知っていることだ。
当人が望む望まないに、関わらず。
とは言え、だ。カムラの民は家族のようなもの、とは常日頃から誰もが言うことだ。彼が助けを求めれば、皆喜んで手を差し伸べるだろう。
しかし、現状ランゼが誰かに頼ることなどはなく、善意からの行動が思わぬ拒絶を受けたという者も多いと聞く。
そうまでして彼が他者を拒む理由は、何なのだろうか。
不用意なことを言って怒らせてしまった手前、これ以上付きまとうような真似をするのは申し訳ないと思っている。が、それを確かめるまでシオは退くことはできない。
彼の行く末を、シオは確かめなければならないのだ。彼女自身の理由で。
大社跡のサブキャンプまで一気に移動する。
クルルヤックとリオレイア、という組み合わせなら、起こっているのはまず間違いなくリオレイアの卵を巡る争いだろう。そう推測してリオス種がよく営巣している崖上に近いここまでやってきたというわけだ。
「寒いな、今日は」
一人呟くように言いながら、シオは身震いした。
雨こそ降っていないものの、空には雲が重く垂れこめ風は冷たく湿っている。
シオは寒いのが苦手だ。
前回は雨が激しかったから防水と共にしっかり防寒もしていたのだが、今回はつい油断した。
動いていればじきに身体も温まるだろうが、それにしたって寒いものは寒い。
「……どうせ、」
ぼそり、とランゼが口を開く。
返答など期待もしていなかったから少々驚いた。せいぜいいつものように鼻を鳴らされるのが関の山だと思っていたのだが。
「偵察はフクズクに任せるんだ。話すだけなら中でもできるだろ」
しかも続く内容がシオに配慮するもので、余計に驚いた。
言ったきり、彼はシオの返事も待たずにそそくさとキャンプの中に入っていく。
「あ、あぁ」
その足取りが心なしかいつもより軽いような気がして、シオは内心首を傾げた。
ランゼに続いてキャンプの中に入ったシオは、慣れた手つきで焚火と香炉に手早く火を入れる。
まだ小さな火に手をかざして温まっていると、いつも連れているガルクのレイがシオにぴたりと身を寄せた。シオが寒がっていたからだろう、賢い子だ。
利口な相棒を、ぽんぽんと軽く撫でて労う。
壁に掛かっている大社跡の地図を指して、シオは口を開いた。
「どちらを先に狩猟するか、なんだが……お前に異存がなければクルルヤックからにしたいと思っている」
ランゼに目を向けると、無言で先を促される。
「卵を巡る争いならば、卵を奪った者がいなくなればリオレイアが落ち着く可能性もある。その場合無理にリオレイアまで狩猟する必要はなくなるからな。無用な殺生は避けたい」
別に、ギルドの規則で『殺生は最低限』という類のものがあるわけではない。そんなことよりもハンターの命の方が優先だからだ。
だがシオは、常にそれを念頭に置いて狩猟をしている。そう在るべきだと、思っているからだ。
当然それを他人に強要する気などはなく、だからこそこうして問いかけた。
「好きにしろ」
ランゼはいつも使っている弓――おそらくは雷狼竜の素材で作られたものだ――を指先でなぞりながら、一瞥もくれずに言った。
「……そうか」
答えてから、口答えのないことを物足りなく思う自分に気付く。
すっかり毒されてしまったな、という皮肉は、口に出せないままに呑み込んだ。
「……妙だな」
フクズクの導きに従ってクルルヤックを視認したシオは、そう言って眉をひそめた。
目標のクルルヤックは、まだ二人のハンターに気が付いていない。その前脚に抱えられた人の頭よりも大きな卵は、色柄や大きさから察するにリオス種の卵だろう。
それがある意味予想通りで、ある意味では妙なのである。
肝は『時間差』だ。
例え依頼人を介さないギルドが直接貼り出したクエストであろうとも、狩猟に足るだけの出来事が観測されてから実際にクエストが張り出されるまでは多少の時間がかかる。
だからあのクルルヤックがリオレイアから卵を奪ったのであればもう卵はとっくに胃袋の中で、子を奪われたリオレイアが怒り狂ってクルルヤックを襲っているもの、とシオはてっきり思っていたのだが。
「あの卵は、二個目かあるいは三個目か……?」
親に気付かれ警戒されている状態で、同じ巣からそう何個も盗むとは考えづらいが――しかし夫が同じ個体であろうと、この狭い区画に火竜が複数営巣する例など聞いたことがない。
「気を引き締めろ、何が起こるかわからないぞ」
ちらりと振り返って背後のランゼにそう告げると、諦めたような顔をして大人しく待っていた彼は鼻を鳴らした。
愚問だったかもしれない。彼がいつも同じように、持てる力を尽くして狩猟に臨んでいるのは知っていたはずだ。
「行こうか。準備はいいな」
「……あぁ」