【完結】水月に手を伸ばす   作:どら水天

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13 鏡の向こう側に

 太刀を振り抜いた姿勢のまましばらく静止していたシオは、ゆっくりと身体を起こし軽く血振りしてから背の鞘に得物を納めた。

 

 身体を軽くほぐすように伸ばしながら、大きな怪我がないことを確認する。

 多少の傷を負っていても、狩猟中は気が昂っていて気が付かないことがあるため気を配らなくてはならない、とは彼女の師であるウツシの言だ。おそらく、同行者は覚えてすらいないだろうが。

 

 要らぬお節介とは知りつつも、振り返って彼の頭からつま先までを流し見る。こちらに気が付き小首を傾げるランゼに、前回と違って特に異常はなさそうだと胸をなでおろした。

 

 視線を戻せば、そこには二頭のモンスターの骸。

 目を閉じて、自らが奪った命のためにしばし祈る。

 

 黙祷を終え、二人で剥ぎ取りを行って(のち)、今から帰還しようというときのこと。

 シオに背を向けるランゼの足取りに、違和感を覚えた。狩猟前に軽く感じたそれと、同じもの。

 

 ――ランゼは、あんなに姿勢が良かったか?

 

 そう思った刹那、今日彼と合流したときからの様々な情景が現れては消えていく。

 いつにも増して少ない口数。珍しい気遣い。丁寧な戦い方。よくよく思い返せば、その足さばきまで普段とは違うようで。

 

 では()()と仮定したとき、彼は“誰”なのか。

 そんなものは明白だろう。

 

「ナギト」

 

 シオはある種の確信を持って、その名を口に出した。

 ぴたり、と前を行く彼の足が止まる。

 

「……今、何て」

 

 振り向く彼の肩が強張っているのは、初対面のとき――兄の話題に触れて「二度と来るな」と言われたあのときとそっくり同じ。

 しかしその表情は、シオの言葉に間違いがないことをありありと物語っていた。聞き逃したことを聞き返そうとする人間は、こんな顔はしない。

 こんな、何かを恐れるような顔はしない。

 

「ナギト、なんだな」

 

 一度そうと思ってしまえば、彼の一挙一動がランゼとは似ても似つかなかった。

 空気を求めるように口をはくはくと震わせて、視線を彷徨わせる。

 

 やがて彼は諦めるように深くため息を吐いた。

 ゆっくりと目を閉じて――、 

 

「……手前(てめぇ)、何言ってやがる」

 

 深い水底のような色の双眸が、ぎらりと射抜くようにシオを睨んだ。

 

 

 

 ランゼと、初めて会ったときのことを思い出した。花結を届けにきたシオに、「何が目的だ」と詰め寄った彼を。

 今の彼はまるであのときのような――触れるだけで切れてしまうほど鋭く砥がれた刃物のような、それでいてどこか危うさを感じさせる空気をまとっている。

 先ほどまでとは違う、シオの知っているランゼだった。

 

 てっきり、容姿が同じ全く別の人間――つまりは、死んだはずの彼の双子の兄――がこの場にいるものと思っていたのだが。

 入れ替わった、のだろうか? 如何にして? いや、そんなことはこの際どうでもいい。

 

「今日私が一緒に狩猟をしていたのは、お前ではないなと言っている」

 

 何を、というランゼの問いに答える。

 

「今話している()()ではなかった。そうだろう?」

 

 根拠はない。それどころか、そんなことが可能なのかどうかすらシオは知らない。

 だが、今日の彼の行動が全てを証明している。少なくとも、シオはそう信じている。

 

「意味がわからねぇ。話にならねぇよ」

 

 しかし、ランゼは顔を嫌悪に歪ませて吐き捨てた。あくまで知らぬ存ぜぬを貫く気らしい。

 

()()んだろう、ナギトが」

 

 畳みかけるように言う。

 頭の片隅で『他人が隠したいと思っているものを無理に暴くべきではない』、と理性が囁いていたが、今のシオはそれ以上の何かに突き動かされていた。

 

「仮に、そうだとして……手前(てめぇ)はそんな馬鹿みてぇな話を信じるのかよ」

 

「お前が自分で言い張るならまだしも、私がこの目で見てそう思ったのだから確かだ。お前は私の目が節穴だとでも言いたいのか?」

 

 俯いて力なく首を振るランゼに、シオは迷いもせず言い切った。

 

「“気のせい”で済ませるつもりはない。どのみち認める以外にないだろう」

 

「いや」

 

 おもむろに顔を上げたランゼの声は、底冷えするほどに冷たかった。

 

「……今ここで手前(てめぇ)を斬り捨てて、何もなかったことにすることならできる」

 

 大型モンスターと対峙したときのような圧。

 以前も同じような意味の言葉を掛けられたことがあるが、あのときと違って彼は本気だ。

 

「何故、そこまで」

 

 呟くように問いかけた。

 殺人などという大罪を犯せば、追われる身となるのは当然でとても里にはいられない。最悪の場合、文字通り“消される”ことになる。 

 

手前(てめぇ)共々全部墓場まで持っていけるなら――誰も知らないままにできるなら、それで十分だ」

 

 ランゼはシオを睨みつけたまま、矢筒に手を掛けた。

 本来近接戦闘に使われる武器ではないとはいえ、ハンターが使う矢の刃渡りはシオの腕の長さほどもある。彼がその気になれば、人ひとりの首など簡単に落ちるだろう。

 

 シオが無理に踏み入ったのだ、殺意を向けられるのは仕方がない。仕方がないが、当然ながら殺し合いになるのは避けたい。

 きっとシオには、彼を殺さずに止めるほどの技量はない。彼があの矢を抜いてしまったら、どちらかが死ぬ。

 

 しかし、今更引き下がることもできない。

 

「どうして? どうしてなんだ、ランゼ。お前は何を、そんなに」

 

 どう説得しようかと考えながらもおずおずと一歩踏み出すと、ランゼは気圧されたように同じだけ退いた。

 

「……っ、わかりきったことを聞くな!」

 

 そう怒鳴った彼は、深い海のような色をしたその瞳に不信をいっぱいに浮かべてシオを睨みつけていた。 

 

手前(てめぇ)をこのまま帰せばどうせ明日には皆知ってるんだ。白々しいんだよ、今だってその澄ました(つら)の下で嗤ってんだろ!? 家族が死んだショックで頭イカれちまった可哀想な人間のことをよ!!」

 

 その言葉でやっと得心がいった。

 彼は恐れているのだ、信じてもらえないことを。異常者だと後ろ指を指されることを。

 

「私が言いふらす、と? そんなことをして何になるんだ、私は――」

 

「口ではどうとだって言えるだろうが!!」

 

 シオの言葉を遮って怒鳴ったランゼは、怒りに満ちた語気とは裏腹に今にも泣きだしそうな顔をしているように見えた。

 

「そもそも!」

 

 より一層強くなる語調。ただ乱暴に叩きつけるように吐き出される感情。

 

「どうして構うんだ、どうして放っておいてくれないんだ! 全ッ然意味わかんねぇよ!!」

 

「――そうか。確かにそうだ」

 

 シオははっとして頷いた。

 ランゼはもう構うなと言い、シオはその警告を無視して彼の秘密を暴いた。ならば、シオが内心に抱えているものを明かすくらいの責任は持ってしかるべきだ。

 

 で、あれば。

 一番の課題だった、『何をどう話せば良いか』は決まった。次にシオがやるべきことは一つ。

 

 彼に悟られぬように、ある一点を注視する。

 矢筒に添えられたその右手。ゆるく握られた拳に、ぎゅっと力が入ったその瞬間。

 

 シオは思い切り踏み込んだ。前へ。

 ランゼの右手を捕らえて、その身体ごと背後の岩壁に思い切り押し付ける。

 

 ここが大社跡で、すぐそこに岩壁があって助かった。砂原だったらこう上手くは行かなかっただろう。

 

「くっそ、何しやがる! 放せよ!!」

 

「とにかく落ち着け。話の途中で斬られてはかなわない」

 

 彼の右手首を頭の上で押さえたまま、ため息交じりに告げる。

 

「……私の話を聞いてそれでも納得が行かなければ、斬るなり何なりすればいい」

 

 シオの言葉に、ランゼは虚を突かれたような顔をする。

 その身体から、ふっと力が抜けた。

 

 

 

「……で。話って何だよ」

 

 シオが右手を解放すると、彼はずるずると半ば崩れ落ちるようにしてその場に腰を下ろした。シオもその隣に座って、詰めていた息を吐いた。

 一触即発の状況からは脱したものの、いざ話をとなるとどこから語ったものかわからない。

 

「時間稼ぎに適当言ったなんて落ちじゃねぇだろうな」

 

 シオが言葉を探していると、到底そうは思っていなさそうな声でランゼが言った。

 

「まさか。気が短いと嫌われるぞ」

 

「とっくに嫌われ(もん)だろ」

 

 皮肉めいた返答に鼻を鳴らす。

 彼には彼の事情があるのだろうが、そんな様だから里の人間も距離を測りかねるのだ、と思わないでもない。

 

 結局、耳障りの良い言葉を探すのは諦めた。

 自分の中で変にこねくり回した言葉よりも、不器用でも真っ直ぐに語った方が良い気がしたからだ。

 

「……姉が、いるんだ」

 

 唐突に、そう切り出した。

 

「四つ上の……私と同じく、太刀使いで」

 

 自分と同じく、という表現はある意味では間違っている。むしろシオの方が、姉の背を追って太刀を使い始めたのだから。

 

「でも、私よりも綺麗な戦い方をする人だ。芯が強くて、己の目的に一途で」

 

 母が病に倒れたときには、働きに出ている父に代わって文句ひとつ言わずに看病をした。その甲斐なく母が帰らぬ人となってしまったときも、自分は涙一つ見せずにシオの支えとなってくれた。

 

「そんな姉を、私は尊敬している。とても、尊敬している。だから、」

 

 隣のランゼをちらりと見やるが、彼の目はどこか遠くを見ていてその感情は伺い知れない。

 

「初めて会ったあのとき。お前が兄を亡くして以来……ずっと、あの調子だということを知って」

 

 一拍。息を吸って、呼吸を整えた。

 

「私は、『もし姉が死んだら』と考えてしまった」

 

 姉の存在なくして、今のシオは考えられない。

 兄――ナギトの、言うなれば形見だという花結を大切にしている彼も、きっとそうなのだろうと思ったのだ。

 

「だから、その」

 

 とりとめもなく話してしまったことに気付いて、どうまとめるべきか模索する。

 それは言葉で表現すれば、そう。

 

「“他人事とは思えなかった”、ただそれだけなんだ」

 

 再びランゼの方を見ると、彼の青い瞳と目が合った。しかし彼はすぐについと目を逸らす。

 

「終わりかよ」

 

 口調こそ冷たいが、そこに先ほどまでのような怒りは見られない。

 ひとまず安心したシオは、また探るように言葉を紡ぎ始めた。

 

「姉は龍歴院所属で、私よりも――そう、だな。好奇心旺盛な、人だから」

 

 知識欲の強い姉は、ハンターになってしばらくは里に留まっていたのだが、結局数年前に里を出た。そのとき姉の背中を押した自分の選択に、後悔はしていない。が、

 

「私を遺して、逝ってしまうかもしれない」

 

 状況も何もかも違うが、兄を亡くしたランゼの姿はそういう未来もあることをシオに気付かせた。

 自分では十分承知しているつもりでいたものを、より鮮明に、より現実味を持った可能性として突き付けられたのだ。

 

「嫌だったんだ。死を待つように生きるお前の姿が、いつかの私のような気がして」

 

 言葉に出して、改めて自分でも納得した。

 彼がそれでも前を向いて生きていけるのなら、自分もきっと――という、何の根拠もない同一視。徹頭徹尾、自分のためでしかない。

 

 気付いてしまえば、今まで大層なことのように話していたことが気まずくなってしまって、続く言葉が出てこなかった。

 

「……同情向けられるよりか、よっぽどマシだ」

 

 しばしの沈黙の後、ランゼは躊躇(ためら)いがちにそう言った。

 

「なら、このまま私と帰ってくれるか」

 

 こくり、と無音の肯定。

 続けて何事か口に出そうと彼は息を吸ったが、

 

「私が口を滑らせたらそのときは殺してくれて構わない。最も、そんなことのために命を捨てるつもりなどないが」

 

 続く言葉を察して、シオはその先を奪い取った。

 

「……ちッ」

 

「そうと決まれば急ごう。あまり遅いと心配される」

 

 立ち上がったシオが差し出した手を、ランゼは一度払いのけようとして――思い直したように、そっと掴んだ。

 

 

 

 

 

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