「――ランゼ! しっかりしろ!!」
「……っ!!」
呼びかける誰かの声で、ランゼは目を覚ました。
反射的に姿見を探しかけて、ここが自宅でないことに一拍遅れて気付く。
細かな違いはあれど、あの夢の中の兄は決まって顔が不明瞭だ。だから、いつも鏡の向こうの『兄と同じ顔』に縋ってしまう。
こんなことなら手鏡でも持ち歩くんだった、とランゼは後悔した。
浅く頼りない呼吸では暴れる心臓をなだめることもかなわず、汗ばんだ手のひらをただぎゅっと握りしめる。ランゼの隣に寄り添っていたハヤテが、心配げにくーんと鳴いた。
ゆっくりと視線を上げると、そこには声の主。
「……シ、オ?」
彼女は、深緋の瞳に心配の色を浮かべてランゼのことを見つめていた。
「大丈夫か? 随分とうなされていたようだが」
どうやらしっかりと見られていたらしい。嫌味のひとつでも飛ばしたいところだが、生憎今はそんな余裕はない。
それよりも気になるのは、
「――どうして、ここに」
真昼間から彼が悪夢に苛まれていたここは、オトモ広場の奥、大樹の裏側。脚も伸ばせないほどの狭い場所だが、広場の内側からは見えづらく人が訪れることも滅多にない。
「この子が案内してくれたんだ。一匹で集会所に現れたものだから、お前に何かあったかと」
その手がぽんと撫でたのは、紫紺の毛並み。どうやらツキヨがシオを呼んできたらしい。
彼女は「その様子だとあながち間違いでもなかったようだが」と呟いた。その声には、揶揄も呆れもない。
気を遣わせているようで、どうにも居心地が悪かった。
空を見上げれば、太陽はそろそろ真南に到達しようかという位置。狩りに行く前にガルクたちの気晴らしでもと思っていたらこの様である。
こんなところをよりにもよって彼女に見られるなんて最悪だ。しかし、元はと言えばこんな場所でうっかり眠ってしまったランゼに非がある。
ツキヨとてそれをわかっていて彼女を呼んできたのだろうが、他の誰かよりも余程マシだから仕方がないと思うしかない。
やっと呼吸が落ち着いてきたランゼは、立ち上がって服の汚れを軽く払った。
「クエスト、行くんだろ。準備するから先行って待ってろ」
そう告げると、シオは驚いたように微かに目を見開く。
「別に、私は明日でも構わないが……」
曖昧に消えていった言葉の先は、本当に大丈夫なのか、と続くのだろう。
「別に平気だよ。どうってこたねぇ」
ため息交じりに告げたそれは、意地でも虚勢でもなく事実だった。
全く何も思わないと言えば嘘になるが、いちいち気にしていてはまともに生活が送れないくらいには頻繁に起こることだ。
なおも心配げに眉を寄せるシオに舌打ち交じりに言った。
「
「……お前がそこまで言うなら」
彼女はようやく、渋々と行った様子で踵を返した。
「花結、ちゃんと持ってくるんだぞ」
「それはもう言わねぇって話じゃねぇのかよ!」
去り際の置き土産に思わず怒鳴り返す。シオは返事もせず、肩越しにひらひらと手を振った。
「――多分あれずっと続くと思うよ」
「起きてたのかよ」
おそらくは意図的に黙っていた兄に、深々とため息を吐く。初めて会ったときから、彼女には振り回されてばかりだ。
煩わしいと思う一方で、何故か父親と兄と三人で暮らしていた頃のことを思い出した。
※
「ごきげんよう。本日は大型モンスターの狩猟クエストはないのですが、ハンターの皆様にお願いしていることがございまして」
クエストカウンターにやってきた二人に、受付嬢はそう告げた。
興覚めしながらも話を聞くと、どうやら臨時のフリークエストという形式を取ってギルドが資源を買い上げるらしい。
「百竜夜行の影響で、里の鉱石系資源の蓄えが減ってきています。今すぐなくなるような恐れはありませんが、備えはあるに越したことはありません」
採掘なぞランゼの性には合わないが、里のためと言われてしまうと嫌だとも言いづらい立場だ。
それに、と隣のシオを見遣る。案の定彼女は乗り気らしい。
「なるほど。それなら今日は気分転換にゆっくり探索ツアーでもどうだ」
大型モンスターと対峙できないのであれば、ランゼにとって他はどれも同じである。
せっかく準備をして集会所まで出てきたのに、ここで諦めて引き返すのも癪だ。
「……はぁ、好きにしろよ。どうせ大型はいねぇんだろ」
「はい。フィールド環境の確認は、確かに」
後半はほぼ独り言だったが、受付嬢は律儀に返事をした。舌打ちしそうになったが、そんなことをしたら同行者がうるさいだろうと思い留まる。
それよりも先程から猛烈な勢いでびたんびたんと
「ハヤテ。落ち着け」
わかっているのかいないのか、わん! と元気に返事をした彼の方を見れば、きらきらと輝く水色の瞳がランゼを見つめ返した。
探索クエストなど久しく行っていないが、どうやら遠足か何かだと思っているらしい。
「いいじゃないか。環境が安定しているなら、羽を伸ばすいい機会だ」
呑気なことを言うシオの隣には、鴇色のガルクが主人の言葉とは裏腹に大人しく控えている。同じガルクでどうしてこうも違うものか。
「では探索ツアーのお手続きでよろしいでしょうか」
「ああ、頼む。場所は……どうしようか」
決めあぐねる様子を見せるシオに、受付嬢はカウンター越しにクエスト受注書を二枚差し出した。
「現在水没林か寒冷群島でしたら他のハンターの方がいらっしゃいませんので、そちらがよろしいかと」
二枚の受注書を見比べて「ふむ」と少し考える様子を見せたシオは、ちらりとランゼの方を視線を寄越して言う。
「ランゼはどちらがいい? 希望があるなら合わせよう」
「水没林」
普段ならばどちらでもいいと言うところだが、ランゼは即答した。
夢を見た日は、なんとなくあの場所は避けたくなってしまう。
「そうか、ならちょうどいいな。ミノト、そういうわけで私たちは水没林に行こうと思う」
「かしこまりました。お気をつけて」
※
振り下ろされた刃が鉱床に当たって、カン、と小気味よい音を立てる。落ちた鉱石を拾い上げて、傍らの袋に無造作に放り込む。
隣ではシオが、からくりのようにと言っても過言ではない正確無比な動きで採掘を進めていた。
「……これ、俺必要あったか?」
「何を言う。一人が持ち帰れる量には限りがあるのだから、こういうときこそ人手が物を言うんだ」
この単純作業を二人でやる意味がわからないランゼがぼやくと、シオは手を止めて汗を拭いながらそう言った。
「裏を返せば、
そうなれば倍働くことになるのは自分の癖に、彼女はそれがどうしたと言わんばかりの涼しい顔でランゼを
まあ、実際大して苦にもならないのだろう。ここまでの付き合いになれば、さすがにそれくらいはわかるようにもなる。
「それともナギトに代わってもらうか? そういうこともできるんだろう」
『……さっきも言ったけど』
「わかってる!」
当然ランゼもそれを考えないはずなどなく、もっと早いタイミングで頼み込んだがあえなく断られている。
ナギトの声は聞こえていないはずだが、ランゼの返答を聞いただけでシオは訳知り顔をした。
「案外しっかり“兄”なんだな。ま、それなら大人しく働くことだ」
またしてもシオにやり込められる形になったランゼは、渋々作業を再開した。
一方ハヤテは気楽なもので、二人の後ろを走り回っては蝶を追いかけたり骨塚を荒らしたりしている。先程までシオの相方である鴇色のガルクに「一緒に遊ぼう」とばかりに絡んでいたが、素っ気なくあしらわれたらしい。
「レイ、お前も遊んでくればいいのに」
シオに声を掛けられた彼(?)は、そんなつもりはないとばかりに不服そうな顔をしてその場にぺたりと伏せた。
いつも連れているからそれなりに印象に残っていたが、名前はレイというらしい。
「ああ、紹介はしていなかったな」
ランゼの視線に気付いてか、鉱石を掘る手はそのままにシオが言った。
「レイとは幼い頃から一緒なんだ。母が死んでから、多忙な父親に代わって、と家に迎えた」
通りでしっかりしているわけだ、と納得する。
ハヤテはまだ若い上に、ツキヨもランゼも面倒を見ているからか、はたまた元来の気質か、やんちゃな行動が目立つ。もっとも、タイミングは弁えているし、ランゼ自身それに元気をもらっている節があるので、あまり厳しくもできない。
「そういえばあの子は?――今日は連れてきていない方の」
「ツキヨ。
双子の父親はハンターで長時間家を空けることも多かったので、物心付いたときから一緒だった。彼女が世話焼きで責任感が強いのも、きっとそのせいだろう。
返事が返ってこないと思っていたら、つい堪えきれずといった様子の「ふふっ」という笑い声が聞こえてきて、ランゼは顔をしかめた。
「……何がおかしい」
「いやぁ、すっかり尻に敷かれている様子はそういうことだったのか、と。同じような立場でも、うちとは大違いだ」
「誰が尻に敷かれてるって?」
唸るランゼを意にも介さず、彼女はなおも笑う。
「ま、お前が違うと思うなら別に構わないさ。ほら、手が止まっているぞ」
「うるせぇな!」
行き場のない怒りを、ランゼは鉱床に思い切り叩きつけた。
退屈だと思っていた時間も、黙々と手を動かしていれば否が応でも過ぎ去っていくもので、気が付けば高かった日も傾き始めている。もうしばらく経てば夕日が沈みだすだろう。
「そろそろ移動しようか」
おもむろに採掘の手を止めたかと思えば、シオはそんなことを言いだした。
どこにそんな必要が? とランゼが首を傾げていると、シオは苦笑する。
「個人的な用途で使う程度の量ならまだしも、大量に必要となってはずっと一か所で採掘をしていては種類が偏るだろう」
さらに「ミノトが、」と続けようとした彼女は、ランゼの顔を見て「――受付嬢が」と言い直した。
「大まかな必要数の割合をまとめてくれたんだ。当然のことだが鉱石は種類によって用途が違うからな、特定の種類だけ多くあっても活かしきれない」
手早く荷物をまとめて隣で待っていたレイの背に乗ったシオは、「いや」と声を上げる。
「その前に腹ごしらえだな。採集自体はもう少し掛かりそうだから、ここらでひとつ小休止と行こう」
確かにあまり意識していなかったが、狩猟のときよりも長く滞在している。
小休止、という表現に違和感こそ覚えるが、ついでに自分も何か口に入れておくべきだろう。
「で? 次はどこで掘るんだよ」
ポーチの中から携帯食料を探しながら問う。
「……ランゼ」
答えるシオは何故か控え目に彼の名を呼ぶ。その声に困惑の響きを聞き取ったランゼは、顔を上げて彼女の方を見た。
「あ?」
「今は狩猟中でもなんでもないのだから、わざわざ移動中に急いで食事しなくてもいいと思うが」
彼女の言わんとすることがいまいちよくわからなくて、今一度聞き返す。
「……あ?」
「まあいい、着いてこい。食事は出来たてに限る」
と、いうわけで。
「これ時間掛ける価値あんのかよ……」
「ふ、ランゼには釣りの楽しさはわからないか」
「馬鹿にしてんのか
水が澄んだ場所まで移動してきた二人は、並んで釣り糸を垂らしていた。
「引いてるぞ」
「あ!?」
慌てて竿を上げるが、時すでに遅く餌だけがなくなっている。
隣のシオは先程から何匹か釣り上げているのに、ランゼはずっとこの調子だ。
ハンターをやっていると食用以外に特定の魚が必要になる場面も出てくるが、ランゼは『魚など買えばいい』と考えているので自分で釣りをしたことはほとんどない。
だがそれにしたってこの差はどういうことか、と互いの釣果を見比べて彼は嘆息した。
「大体、釣ってどうすんだよ」
「知らないのか、肉焼きセットを使って工夫すればサシミウオだって上手に焼けるぞ」
シオの返答に、たかだか焼き魚のためにこんなことをしているのか、と馬鹿らしくなったランゼは、自分の竿を放り出した。この調子ならどうせ彼女一人で十分釣り上げるだろう。
背後で泥だらけになって遊んでいるハヤテを呼びつける。
後で洗ってやらないといけないのは明白だが、せめて装備だけでも汚れを落としてから帰りたい。
「――ちょ、おい!」
と、思っていたら、何を勘違いしたか飛び掛かってきたハヤテに押し倒されて背中から泥水に突っ込んだ。
足首までないような浅瀬だが、ランゼの防具は素材がほとんど布や革なのですっかり濡れてしまっている。ハヤテの装備などと言う前に自分の装備をなんとかしなくてはいけないらしい。
無邪気に首を傾げているハヤテを叱る気にもなれず、ランゼは彼の頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でて立ち上がった。
シオはといえば素知らぬ顔で釣りを続けている――と思いきや、しっかり見ていたらしい。構えた竿の先が微かに震えているが、きっとあれは魚のせいではない。
結局その後もなんだかんだ言ってハヤテとただじゃれるだけになってしまい、シオがサシミウオを焼き上げた頃には一人と一匹はすっかりドロドロになっていた。
釣ったばかりのサシミウオを焼き立てで食べるのは、意外と悪くなかった。
採掘がようやくひと段落した頃には、すっかり日が落ちていた。
そこからさらに数刻掛けて集会所に戻った二人を出迎えたのは――、
『風神龍、来たる』の報せであった。
次回16話より、“風神”編、始まります。
1/29 16:30追記
活動報告に設定を掲載しました。
普段あまり描写をしていない容姿を中心に、イラストも添えてあるので、ご興味のある方はぜひご覧ください。
「水月に手を伸ばす」主要二人のキャラ設定・イラスト