探索ツアーから戻った二人を迎えたのは、集会所に集められた里の衆と、普段とは打って変わって重々しい雰囲気だった。
「あっ、来た来た。二人ともお帰り!」
場違いに明るい声を上げたのは、真っ赤な髪を短く切り揃えた女。
「あぁ、ヒーちゃ――ヒオウ」
応じるシオの言葉に、前言っていたのはこいつのことかとランゼは一人納得するが、
「今ヒーちゃんって?」
「言ってない」
「ヒーちゃんって言った!」
どうやら彼女たちはそれどころではないらしい。
普段ならどうでもいいと一蹴するところだが、ランゼは思わず小さく笑った。その呼称は、シオの口から出てくるものとしてはどうにもちぐはぐな可笑しさが目立つ。
「ランゼお前、今笑っただろう」
「……笑ってねぇよ」
目敏く指摘されて、目を逸らしながら誤魔化す。
その様子をにこにこしながら眺めていた赤髪の女は、「まあまあ」とシオをなだめながらランゼに向かって口を開いた。
「ランゼ、だよね? 話は聞いてるよ。最近シオの面倒見てくれてるんだって?」
逆ならまだしも、と困惑したランゼが返事をできないでいると、彼女は構わず続ける。
「最近のシオは大丈夫? ぼーっとしててお団子食べ忘れちゃったり、回復薬のビン落っことしたりしてない?」
「……ヒオウ」
ランゼが何か答える前に、シオは眉をひそめながら言った。
二人の様子を見る限り、根も葉もない嘘ということはどうやらなさそうだが、先程の呼び方といいランゼがシオに対して持っているイメージとあまりにもかけ離れている。
意外と抜けたところもあるんだな、などとぼんやり考えていると、咳払いが聞こえてきた。
音の発生源は、深く刻まれた皺が年齢を感じさせるが、それでもなお衰えぬ覇気をまとう大男――里長である。
気付いていないシオたちに「おい」と呼びかけて顎で指すと、二人は各々背筋を正した。
「さて、皆の衆。飯時に呼び立ててすまないな」
その場にいる全員が自らに注目していることを確認して、男は話し始めた。
「薄々勘付いている者もいよう、単刀直入に言う。かつてない規模の百竜夜行が観測された。さらにこれを追い立てる形で、風神龍イブシマキヒコの姿も確認されている」
男の言う通り、この場にいる大体の人間は事を察していたようで、場が大きくざわつくことはなかった。
ランゼ自身も、こう大仰に人を集めるのだからきっと
「これまでと違って原因となる風神龍とモンスターの群れの距離が非常に近い。百竜夜行の進行速度も以前までより速く、不安定になるだろう。いつ翡葉の砦に到達するかは、ギルドの観測員にも予測が難しい」
数か月前に始まった今回の百竜夜行では、五十年前の記録や経験を活かしたおかげか、実際の観測も併せてギルドが立てた到達予測は極めて精度が高かったと聞く。それが次ばかりは予測が難しいと言うのだから、事態の深刻さが伺い知れる。
「よって群れがいつ襲来しても万全の体勢で迎え撃つため、交代制を組んで防衛を敷くこととしたい」
男の言葉に疑問を抱いたランゼは、心の中でナギトに問いかける。
『来たら急いで人員を全部投入して、ぱっぱと終わらせた方が楽じゃねぇのか?』
対して兄は、嘆息と苦笑の間のような気配を滲ませた。
『あのねランゼ、いくら翡葉の砦が大きくとも、一度に防衛に携われる人数には限りがあるんだ。バリスタを置くにも整備する人手と資材が必要で、射手だけ用意すればいいわけじゃないんだよ』
そういうものか、とランゼが納得しているうちにも、話は進んでいるらしい。
男は「割り当てについては後程貼り出すので各々確認するように」と言ったところで一度言葉を切り、大きく一息ついた。目を伏せて、一つ低い調子で続ける。
「里を挙げての戦になるだろう。かつてない危機――とも言えるが、好機と捉えることもできる。ここで風神龍を討ち果たすことができれば、里と百竜夜行、数百年続くこの因縁を断ち切ることもできるやもしれん」
ぐ、と拳を握りしめて、噛み締めるように。
「……我らの、悲願よ」
集会所はしんと静まり返る。
この里の人間は、連帯感と帰属意識が強い。この場にいて五十年前を実際に知る者はさほど多くはないはずだが、それでも決意を新たにしていることは容易に想像が付いた。
男はその場を大きく見回し、先とは打って変わって咆えるように言った。
「ここが正念場と心得よ! ――我らの手で、災禍を絶つぞ」
※
一夜明け、翡葉の砦はすっかり戦支度を整えていた。普段ならランゼは起きてすらいないような時間だが、さすがに今日ばかりは興奮の方が勝る。
設備台にずらりと並んだバリスタは、今か今かと出番を待ちわびている。
普段は準備に時間がかかるという大砲も、もう既に発射できる状態だった。裏方が夜を徹して整備を進めたらしい。
ランゼとシオの二人に割り当てられたのは、第一関門前の区画である。
他の区域と違ってハンターの人数が少ないのは、ようやく板についてきた二人の連携に異分子を入れることを嫌ってか。
第一関門と言っても、砦外にはより熟練のハンターたちで構成される部隊が控えており、そこである程度群れを消耗させてから砦に誘導するという運びらしい。
そういう戦術レベルのことはナギトが知っていればいいとランゼは思っていたのだが、実際に動くのはランゼなのだからと昨夜叩き込まれた。
「次鋒は不満か?」
先程まで里守たちと言葉を交わしていたシオが、足場に腰掛けるランゼの隣に降り立った。
「まさか。後ろの奴らの分なんて残してやるつもりはねぇよ」
「気合が入っているのは結構なことだが、深追いはするなよ。この場にいるのは私たちだけではない」
遠回しに『里守とも連携するように』と釘を刺されて、ランゼは「……ちッ。わかってる」と顔をしかめた。
そうして二人の間に沈黙が降りた直後、ランゼの耳は翔蟲の輝線が伸びる音を捉えた。
シオと同時に振り向くと、そこにいたのは赤髪の女――確か、ヒオウ、とかそんな名前だったはずだ。
「こっちも準備は大丈夫?」
「ああ、問題ない」
シオ曰く、彼女は里の若いハンターの中でも抜きん出た才と実力を持ち、里の衆からの信頼も厚いために、最終関門の守りと全体指揮の一部を任されているらしい。
つい先刻の、間もなく第一波が砦外部隊と接触するだろうとの報せを受けて、最後の確認にやってきたのだろう。
「
不思議な言い回しだ、と思いながらぼんやりと見ていると、シオに目配せした後でこちらを向いた彼女と目が合った。
驚くランゼに軽く微笑んで、「じゃ」と女は鉄蟲糸を伸ばす。
「期待されているな。もちろん、お前もだ」
赤髪の彼女が飛び去った後で、シオは静かにそう言った。
「……俺が?」
「ヒオウは嘘は吐かない」
まさか、と肩をすくめた。
里の人間から距離を置くことを選んだのはランゼだ。別に、今さら仲間として扱ってくれなんて都合の良いことを言うつもりはない。
期待されていようといなかろうと、ランゼのやることは変わらない。
全力でぶつかる、ただそれだけである。
「総員用意! ウツシ部隊、接敵の報あり!! 繰り返す――」
響く伝令の声に、砦が色めき立つ。
戦の火蓋が、切られる。
「第一波来ます! アオアシラ二、フルフル・アケノシルム各一!!」
「バリスタ隊用意! 壱から参番バリスタはアケノシルムを墜とすことを最優先に、他は前に出た奴から圧し潰せ!!」
物見台からの声に応じてその場の里守に手早く指示を出したシオは、ランゼに向き直ると硬い面持ちで言った。
「為すべきことはわかるな」
「ん」
百竜夜行におけるハンターの役割の本質は、ただの戦力に留まらない。
刻一刻と変わり行く戦況を見定めること、その知識をもって人員と設備を適切に動かすこと、どこかに穴が出来たらそれを埋めること、そして最後に最も重要なのが、その姿をもって里守たちの灯火になること。
――と、説明されたは良いものの、ランゼにとっては正直どれも小難しくてピンとこない。
さすがにシオもランゼの扱いには慣れてきたようで、代わりに受けたのはごく単純な指示だった。
突っ込むな、周りを見ろ、里守に手を貸せ。
舐められているようで癪だが、ランゼがただ戦う以外のことを不得手としているのも事実である。
せいぜい、彼女がどう動くのかこの目で確かめさせてもらおう。
強走薬のビンを一気に空にして、軽く口元を拭いつつ抜刀。
興奮作用のあるこの薬はランゼとは相性が悪く、ただでさえ寝付きが悪いというのに使った日は一晩中目が冴えて眠れないこともしばしばなのだが、今回ばかりはそうも言ってはいられまい。
「ツキヨ」
じっと隣に控えていた彼女に呼びかけて、矢筒からまとめて矢を抜き番える。
見上げればアケノシルムがちょうど墜落してくるところで、あれは里守たちが上手く片付けるだろう。加えてアオアシラの片方はシオが相手をしている。
残るは里守の目の前のアオアシラ、そして人々には目もくれずバリケードにブレスを放つフルフル。
一瞬の迷いの後、里守に剛腕を振るおうとした青熊獣に狙いも粗いまま矢を放つ。
「
バリスタの射線から外れるように、そして里守から青熊獣の視線を逸らすように移動しながらもう一射。
幸い気を引くことには成功したようで、アオアシラはランゼの方に向き直り前脚を大きく持ち上げて咆えた。
すれ違いざまに矢尻で斬りつけつつ、側方に回り込んで前肢の甲殻に矢を叩き込む。さらに剛射、と続けようとしたところで、自分の立ち位置が直近のバリスタの射線を遮ることに気付いてバックステップ。
「……くっそ、動きづれぇ」
顔をしかめて吐き捨てる間にも、青熊獣は徹甲榴弾を撃ち込まれて
この分にはもうランゼの手は必要ないだろう、と区画全体に目をやる、が。
遁走する竜たち、それを蹴散らして押し寄せる後続、飛び交う血飛沫と汗、響く怒号と爆発音、煌々と照らす
情報量が多すぎてくらくらする。
「落ち着けランゼ! 関門近くは私が持つ、お前は入口付近に集中すればいい」
逡巡していた時間は瞬きの間ほどか。シオの声にはっと我に返る。
そうか。全てを一人でなんとかしようと思う必要はないのだ。
速くなっていた呼吸を落ち着けて、再び辺りを見回す。
肝要なのは、里守――ひいては設備の被害を最小限に抑えること。それすらもランゼ一人の手にはとても負えないが、里の衆はランゼが思っていたよりもずっと力強かった。
「みんなお待たせ! ガルク・アイルー隊、出撃するよ!!」
オトモを引き連れて増援に現れた少年の声に里守たちは活気付いて、呼応するように射撃隊の攻撃も激しさを増す。
ランゼはそれを横目に、自身の動きを『竜を仕留めるためのもの』から『少しでも気を引き手傷を負わせるためのもの』に切り替えた。
今にも大砲に前肢を叩きつけようとしていたジンオウガの頭を狙い撃って大きく怯ませ、
「おいボサっとすんな、まだ来るぞ!」
防御姿勢を取ったままの里守に怒鳴ってまた次へ。
「伍番バリスタ破損! 射手負傷により撤退です!!」
「承知した! ランゼ、フォローできるか!?」
「……っ、ああ!」
相対していたリオレイアに、置き土産と一射。
近くの里守をちらりと見て、追いすがる剛脚を疾翔けで振り切った。
空中で矢を構え、弾幕の薄くなった隙を縫うようにして進むヨツミワドウの背後から踊りかかる。
破損した伍番バリスタはアイルーが中心の整備隊によって速やかに応急処置が行われ、生々しい血の跡はそのままに、再び設備台からせり出したそれにすぐさま交代の人員が搭乗する。
が、狩れど狩れど百竜の行進が途切れる気配は全くない。それどころか、ますます勢いを増して関門へ関門へと迫る。
「電撃弾撃つぞ! 退いてくれ!!」
もう何頭目かもわからない青熊獣に斬りかかろうとしていたところ、かろうじて耳に引っかかった声に急制動。大きく転がって離れた直後、雷をまとった砲弾が着弾し後続のモンスターを広く感電させた。
第一波が襲来して、どれほどの時間が経ったか。
決まった位置に留まってただひたすらに守り続けるという行為はランゼの気力を想像以上に消耗させ、熱に浮かされたような頭ではまともに考えることすらも困難になりつつある。
斬る、撃つ、射抜く、また斬る。
果てしないとも思えるほどの時間、それを繰り返して――、
「後続の姿、見られず! 第一波、押し返したぞーッ!!」
一斉に上がる勝ち鬨と同時に、全身から力が抜けたランゼはかくんと膝を折った。