【完結】水月に手を伸ばす   作:どら水天

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17 焔を絶やすな

「第一波、押し返したぞーッ!!」

 

 湧き上がる歓声を聞きながら、ランゼは膝立ちになってただ荒い呼吸を繰り返していた。

 

 最初の一頭が現れてから数刻、四半日と少しというところだろうか。

 通常のクエストでも、特に多頭狩猟などにおいては長引けば同じくらい時間が掛かることはあるが、途中で一息入れることもできる。

 

 それが今回は、絶えず複数の竜の敵意に晒されながら、足を止める暇もないほどに戦い続けた。

 里守の支援があろうとも、それは変わらない。むしろ慣れないことをして、精神的には余計に疲弊した面が強い。

 

 元よりランゼは力を温存するという考えには縁遠く、ペース配分が下手だ。自覚はあったが、こうも苦しめられることになるとは思っていなかった。

 

 しかし、これで群れは全てではない。むしろ今までのは序の口で、これからが本番と言った方が正しいだろう。

 この調子で大丈夫なのか。らしくもない不安が脳裏をよぎる。

 

 それでも里の人間の前で情けない姿を見せたくはなくて、ふらりと立ち上がった。

 

「ランゼ」

 

 とりあえず人の少ないところへ、そう思って歩き出したランゼに、背後から声が掛かる。

 

「……あ?」

 

 振り返るのも億劫で足を止めてそう返す。

 声の主はランゼの前に回り込んでその顔を覗き込み、表情を曇らせた。

 

「すまない、無理をさせた」

 

 そう言う彼女も、今回ばかりはさすがに疲労の色を濃く滲ませている。

 

「拠点に戻ろう。今は、少しでも身体を休めなければ」

 

 思わず「放っておいてくれ」と言いそうになって、ぐっと飲み込んだ。この期に及んで、彼女の前でまで見栄を張ろうとするのは愚かだ。

 

「次の、群れは」

 

 代わりに、言葉少なに問いかける。

 

「里長が言っていただろう、交代のハンターが控えている。次の群れまでに十分な休息は取れまい、次は彼らに任せよう」

 

 シオは、ランゼの意図を正しく汲んで答えた。

 そういえば、そんな話もあったか。

 

「肩を貸そうか」

 

 無言で首を振る。

 再び歩き出すと、横でがしゃんとシオが太刀を背負い直した音が鳴った。

 

 砦の拠点の中でもさらに奥まったところには、灯りを絞って無造作に茣蓙(ござ)を敷いただけの休憩所がある。

 ランゼが重い身体を半ば引きずるようにしてそこまでやってくると、少なくない数の里守が各々身体を休めていた。

 

 普段は他人の前に無防備な姿を晒すなど気が引けるのだが、今は横になれれば何でも良かった。

 おぼつかない手付きで武器だけを外してその場に倒れ込み、気を失うようにして眠りに落ちる。

 

「――お疲れ様、良い動きだった」

 

 そんな声が、聞こえた気がした。

 

 

「……きろ。ランゼ、起きろ」

 

 シオの声で目を覚ました。

 最初の群れが一区切りついたのは太陽が中天に差し掛かった頃だったように思うが、外を見ればもうすっかり夜の帳が降りている。

 

「交代か」

 

 ランゼは大きく伸びをしながらシオに問いかけた。

 床にただ茣蓙(ござ)を敷いただけの急拵えの寝床はお世辞にも快適とは言い難く、身体のあちこちが凝っている。

 

「ああ。第二の群れが落ち着いたところらしい。あと半刻もすれば次が来るぞ」

 

 半刻。先の戦いで使った道具類を補充して、現状を再確認して、睡眠で冷えた身体を暖めなおすにはいささか短い。

 身体の芯に重い気怠さを引きずりつつも、ランゼはすぐ隣に放り出してあった弓と矢筒を背負い直した。

 

「先行ってろ。顔洗ってくる」

 

 そう断って立ち上がろうとすると、シオは「待ってくれ」とランゼを呼び止めた。

 彼女は、手探りでポーチからビンに入った橙色の液体を取り出した。

 

「飲んでおくといい。問題なく身体が動くようならそのまま出てもらう他ないが、何もないよりはましだろう」

 

 栓を抜いて差し出されたそれは、香りや見た目からするにどうやら元気ドリンコらしい。疲労回復や眠気覚ましに使われる、ハチミツとニトロダケから作られる飲み物――だったはずだ。

 律儀にも常に持ち歩いているのか、それともこのような事態を想定してのことか。

 いずれにせよ断る道理もない。ビンを受け取ってぐいと一口呷ると、ニトロダケ由来のぱちぱちとした感触が喉を抜けていった。

 

「念のため、配置に付く前に治療所にも顔を出せ」

 

 ランゼが返したビンをポーチにしまいながら、彼女はそう言った。

 返答代わりに肩をすくめると、軽いため息が聞こえてくる。

 何やら久し振りの説教が始まりそうな予感がして、そそくさとその場を後にした。

 

「……また後で」

 

 砦の奥にある水場のすぐそこには、負傷者たちが治療を受ける区画がある。今の砦はどこに目をやっても里人が駆け回っているが、あの場所はその中でも多忙を極めているらしい。

 それを横目に、ランゼは冷たい水で手早く顔を洗った。残っていた眠気の余韻が引いて、五感が鋭く研ぎ澄まされる。

 疲れが消えるわけではない。だが、これでなんとかなることを祈るしかない。

 

『……大丈夫?』

 

 兄が、心配げに言った。

 

『大丈夫じゃねぇなんて言ってらんねぇだろ』

 

 前髪から水滴を垂らしながら、ランゼはため息交じりに答える。

 

 雑に仕切られた区画の奥の方からは、押し殺したようなうめき声が断続的に聞こえてくる。

 ひとくちに負傷者と言えど、その程度は様々だ。簡単に治療を受ければまた防衛に出られる者、時間があれば完治はするだろうが今すぐ復帰するのは難しい者、後遺症が残るかもしれない者、命が助かるかすら危うい者。

 

 幸運にも怪我をしていない者たちだって、皆疲弊しているのはランゼと同じだ。

 ランゼは余計な考えを振り払うように頭を振って、来た道を引き返した。

 

 

 

 ほぼ半日振りに戻ってきた第一関門前は、酷い有様だった。

 足場や設備のあちらこちらに爪や牙の跡と思しき傷が深く刻まれ、漂う空気には血と硝煙の臭いが染み付いている。

 夜闇の中にあってなお、煌々と輝く篝火(かがりび)が、その様を残酷なまでに明るく照らしていた。

 

 壊れたバリケードの破片は撤去され、代わりに新しいバリケードが運び込まれる。

 関門は第二波の間に一度破られたらしく、鉄板と木材で乱雑に応急処置がしてあった。

 

 とても、里を守り通せると確信できるような状態ではない。

 しかしそんなことは気にも留めず、誰もが粛々と働いている。人も獣人も分け隔てなく。

 

「大砲弾これで全部か!?」

 

「陸番大砲の分が足りてないニャーっ!」

 

 辺りを見回してシオの姿を探すと、慌ただしく動き回る里守たちの中で固定式竜炎砲台の調整を行っていた。

 

「シオ」

 

「――すまない、少し待ってくれ」

 

 彼女はそう言って、照準器を覗き込みながら砲の角度を微調整した。

 

 固定式竜炎砲台は、此度の百竜夜行で初めて実戦投入された新しい兵器らしい。五十年前の百竜夜行を経験して以来、次こそはと研究を続けていた刀鍛冶が開発したものだとか。

 バリスタや大砲とは異なり、設置さえ済ませてしまえば人間が操作せずとも自動的に砲撃を行うことができる。当然その機構は複雑で、あの刀鍛冶やそれに連なる者しか扱えないものだとランゼは思っていた、のだが。

 

「お前、それわかんのか」

 

 シオはしばし黙ったまま調整を続けていたが、やがて一段落したらしく手を止めて答えた。

 

「ハモンさんに頼んで教えてもらった。きちんと説明を聞けばそこまで難しいものでもないぞ」

 

 へえ、と答えるが正直あまりピンとは来ない。

 

「次があればお前も――」

 

 しかし、その言葉の先が続くことはなかった。代わりに、彼女は弾かれたように顔を上げる。

 同時に、悲鳴にも似た声が響いた。

 

「伏せろ! リオレウスだ!!」

 

 考えるよりも先に身体が動いて、姿勢を低くし頭を庇う。背後で火球が爆ぜる音が聞こえた。

 砦外の部隊から接触の報はなかったはずだ。

 

 そもそも、リオレイアはともかくリオレウスが百竜夜行に姿を現すのは珍しい。

 今までその理由はわかっていなかったが、今ならばおおよその推測は付く。百竜夜行という現象が『より強大な存在に追い立てられた竜たちの暴走』であるならば、空の王者がわざわざ地上まで降りてきて砦を襲う理由はないのだ。

 

 ――いや、そんなことを考えている暇はない。

 まだ配置にもまともに着けていない里守たちに代わって、ランゼとシオでこの場を凌ぐ必要がある。

 

「シオ」

 

 ランゼの目配せに、心得たとばかりに頷いた彼女は、太刀を抜き放ち声を張った。

 

「火竜は私たちが持つ! 備えろ、次が来るぞ!!」

 

 リオレウスが単独で現れたと考えるよりは、後続があると考えた方が自然だ。

 

 ランゼは滞空しながらこちらを睥睨するリオレウスを見上げて弓を展開した。

 狙うは翼膜。バリスタと違って人の手で引く弓の一射で射抜くことは難しいが、少しでもバランスを崩して高度を下げてくれればそれでいい。最悪なのは、火竜がランゼとシオには目もくれず爆撃で設備を破壊することだ。

 

 ランゼの目論見通り空中でふらりを身体を揺らがせた竜は、体勢を整えるとぎらりと彼を睨みつけた。

 未だ力強く空を打つ翼がひときわ大きくはばたいて、

 

「ランゼ、下がれ!」

 

 反射的に大きくステップで距離を取る。代わりに飛び込んできたシオに向かって、リオレウスは構わず滑空突進を仕掛けてきた。

 噛み付きを紙一重で捌いた彼女は、一太刀叩き込んでからすぐにその場を退いてランゼに頭を譲る。

 

 弓を引き絞って機を伺っていたランゼがまとめて複数の矢を竜の鼻先に命中させると、リオレウスは大きく怯んだ。が、すぐに地を蹴って再び舞い上がる。

 このままではジリ貧だ。その上、泡狐竜やら雷狼竜やら物騒な名前も聞こえてくる。

 

「後退弾、準備できたぞ!」

 

 そうこうしているうちになんとか里守たちの態勢も整ったらしい。

 

「頼む、墜とすだけでいい!!」

 

「応よ! 任せろ!!」

 

 ランゼとシオが射線を空けると、特殊な仕掛けの施されたバリスタ弾が二人の目の前を通り過ぎ、リオレウスの眼前で炸裂した。

 後退弾、と呼ばれてはいるものの、その実態はバリスタ用の調整が施され強烈な指向性を持った音爆弾である。

 

 たまらずという様子で墜落してくる火竜に斬りかかりながら、シオはランゼに言った。

 

()()は私が何とかする、お前は他の援護を」

 

「ん」

 

 短く返答して、ランゼは疾翔けでその場を離脱する。

 遊撃には、太刀よりも弓の方が向いている。反論する理由も余地もない。

 

 先ほど聞こえたのは空耳ではなかったようで、ランゼが駆け付けた先では里守たちがタマミツネとジンオウガに翻弄されていた。

 両者とも関門より動くもの――人間を狙う傾向があるようで、バリスタ隊が順に後退弾を撃つことでなんとか対応している。

 

 ランゼは素早く弓を引き絞って雷狼竜に矢を放つ――が、疲れのせいか狙いが甘い。

 その一射は竜を怯ませるには至らず、後肢を軸に振り返ったジンオウガはそのままランゼに前脚を振り下ろした。

 

「――ッ」

 

 紙一重で回避するが、次も避けられる確証は全くない。

 背中にひやりと冷たいものが走る。普段は好ましく感じられるそれが、今日は何故かおぞましいとすら思った。

 

「空けてくれ、貫通弾撃つぞ!」

 

 重い身体に鞭打って地を蹴る。

 数秒前までランゼが立っていた位置を通過した弾は、ジンオウガとタマミツネをまとめて捉えた。

 悲鳴とも咆哮ともつかぬ声を上げて二頭は逃げていく。

 

 しかし、ようやく一息などという暇はなく、入口側に目を向ければさらに後続が押し寄せていた。

 特に上空の毒妖鳥が厄介だ。ランゼは射撃隊への指示を期待してシオの方を振り返るが、どうやら彼女は彼女でそれどころではない。

 手前側でタマミツネとジンオウガを相手取っている間にバサルモスが奥に侵入したらしく、シオはその純粋な質量に圧されていた。あの様子だとこちら側は見えてはいまい。

 

「く、そ……ッ」

 

 ランゼは小さく悪態を吐いて、痛む肺に無理やり空気を取り込んだ。

 

「壱番速射砲、あのプケプケに鉄蟲糸弾! 他は俺が引きつけるから集中砲火でとっとと仕留めろ!!」

 

 結果を確認する間もなく前方に飛び出す。三頭か四頭か、はたまたそれ以上の視線が一斉にランゼを捉えた。

 こうなってしまえば、もうまともな戦闘にすらならない。ただただ全神経を集中して、爪を牙を甲殻を尾を捌き続ける。

 

 オサイズチの鎌刃尾が肩の肉を抉っていく。思わず顔が歪む。

 

 まだ行ける。

 

 ヨツミワドウの突進を受けて、大きく吹っ飛ばされた。接地直前で鉄蟲糸を伸ばして、真上から一射。

 

 まだ行ける。

 

 リオレイアの毒棘が、胸元を掠めていく。深くはないが、出血毒を受けた。長引けば響くかもしれない。

 

 まだ、行ける。

 まだ――、

 

「ランゼ!」

 

 声と共に飛び込んできた彼女は、雌火竜の爪を自らの得物で防いでいた。

 拮抗は長くは続かず、結局受け損ねて大きく後退する――が、狙いはこの瞬間に相手を圧倒することではない。

 

 時間稼ぎという目的を十分に果たした彼女は、今まで見たこともないほど酷い格好をしていた。切り裂かれた袖からは未だ血が滴る裂傷が覗き、顔のあちこちに乱暴に拭ったような血の跡。常によく手入れしてあった防具は傷だらけだった。

 

「使え。回復薬を飲む時間などなかっただろう」

 

 押し付けられたのは秘薬。貴重なものだが、躊躇(ためら)っている暇もない。丸薬を奥歯でがり、と噛み砕いて飲み込む。

 一気に血が巡るような熱。気力体力を無理に引き出されるこの感覚は、何度体験しようが慣れないし嫌いだ。

 シオは区画の奥側を放り出して来たらしく、関門には竜たちが群がっていた。

 

「あっちは――、」

 

 ある程度は落ち着いたランゼがそちらに目をやって口を開くと、シオはランゼの両肩を掴んで険しい顔で言った。

 

「この防衛戦でハンターがどれほどの影響力を持つかを正しく認識しろ。関門はまだ後があるが、ハンター(私たち)が倒れるわけには行かないんだ」

 

 ランゼが返答できないでいるうちに、轟音と共に第一関門が破られる。

 

「伝令! 最終関門に走れ!!」

 

「まだだ、手を緩めるな! ここで削れるだけ削るぞ!」

 

 当然、群れの勢いが弱まる気配はない。関門という歯止めを失って、戦場は昏迷を極める。

 

「徹甲榴弾まだか!?」

 

「補給隊ーッ!」

 

「おい、しっかりしろ! 誰か搬送隊アイルー呼んで来い!!」

 

「ダメだ人手が足りねぇよ!」

 

 そうして砦がじわりじわりと、しかし確実に疲弊していく中、()()は姿を現した。

 

 

――対は、何処

 

 

 

 

 

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