風神龍は、その身の周りに大岩をいくつも浮かべていた。
渓谷を利用した地形が仇を為した形だ。岩壁を削って弾としたか、元より崖上に転がっていたか。
いずれにせよ龍があれを飛ばす気なら、標的がハンターにせよ関門にせよ甚大な被害は免れない。
しかし、槍や銃槍を使うハンターが持つ身の丈ほどの盾でも、あの岩ひとつ防げれば良い方といったところだろう。
ランゼがどう動いたものか決めかねていると、いち早く我に返った赤髪の女ハンターが声を上げた。
「破龍砲、準備は!?」
それは、里人が五十年を掛け作り上げた、百竜夜行に対抗するための切り札。大砲などとは比べ物にもならないほどの威力を以て、迫る脅威をただ滅するための兵器。
最終関門前の広場から塀を隔てて側方に、その巨大な砲身は鎮座している。
整備を担当するうちの一人が、塀から顔を出してヒオウの問いかけに答えた。
「ダメだ、間に合わねぇ! あと少しなんだが――」
ランゼは、岩を浮かべたまま低空をゆるく旋回する龍を見上げる。
目立った動きこそないものの、徐々に速度を上げるそれは龍が今も力を溜めていることの証左であり、あの口ぶりからするに間に合うかどうかは五分といったところか。
ヒオウはというと、一瞬きゅっと唇を噛んでから、覚悟を決めたように声を上げた。
「――っ、壊すよ! 剣士は空いてるバリスタか速射砲を使って、ガンナーは自分の武器であの岩を狙って!!」
ハンターの中でも、近接武器を使う者たちが一斉に狩猟設備の元へ駆けて行く。ランゼもひとつ舌打ちをしつつ矢を番え大岩の一つに狙いを付けた。
弓はボウガンと比べ有効射程が短いため、ほぼ直上を狙わなければならないというイレギュラーな状況だが、やろうと思えばできないこともない。
ランゼが一射目を射ると同時に、バリスタや速射砲の弾が次々と浮遊する岩に撃ち込まれ始めた。
しかし、その精度は思わしくない。龍の回転と同時に、岩もその周りを決して遅くはない速さで動いているためだろう。
その上、いくら竜たちの硬い装甲を射抜くために作られたとはいえ、バリスタも速射砲も岩塊に撃ち込んでそれを砕くという用途は想定されていない。
弾を受けた岩にはぴしりぴしりとヒビが入っていくが、一度や二度の命中では到底破壊できそうもなかった。
それでもハンターたちは愚直に射撃を続け、ひとつまたひとつと巨大な岩が砕け散る。
破壊された岩の破片が落ちてきて、ランゼの頬を掠めた。
その間にも、風神龍の旋回速度は徐々に上がっていく。
「間に合うか!?」
誰かが叫んだ。
答える者は、なかった。
風神龍が動きを止めて、身体を起こす。
破壊されていない岩が、龍の周囲を最後にゆるりと一周した。
「ダメだ、離れろ!!」
「誰か――、」
ひとつ、ふたつ、みっつ。
風によって“撃ち出される”岩塊が、やけにゆっくりと見える。
最初に動いたのは、赤髪の彼女だった。
岩が最終関門に向かうと見るや、すぐさま走り出し棍を地に突き立ててひらりと飛び立つ。
印弾を発射して加速し、鉄蟲糸を伸ばしてさらに勢いを付け、全速で空を翔ける。
岩塊のひとつに追いついた彼女は、翔蟲を真下に向かって放った。
操虫棍をぴたりと身体に揃えるように構え、刃先と頭を下に。
重力に加えて鉄蟲糸をぐい、と強く引き、身体ごと叩き付けるように繰り出されるは捨て身の一撃。
「これが、私の――ありったけ!」
彼女の刃は、しっかりと目標の芯を捉えたらしい。
大岩が粉砕され礫が飛び散る。
そのほぼ直後に、もう一人。
銃槍使いのハンターが地を蹴る。
彼は流れるような動作で砲身を回し銃口を後ろに向けたかと思うと、砲撃の反動で前方へ吹っ飛ぶようにして駆けた。
次の瞬間には、大盾を構えた姿がどっしりと岩塊を待ち受けている。
しかし、あれは――。
ランゼが顔をしかめた瞬間、あちらこちらで息を呑むような音が聞こえてくる。
壮年のハンターが右手に構える盾が、岩塊を受け止めたかに見えたのはほんの一瞬だった。
圧倒的質量と速度に、しっかりと地面に突き立てていたはずの盾が浮く。それに押されるようにして、両脚が地面から引き剥がされる。
銃槍使いは、受け身すら取れずに地に叩きつけられた。
しかし彼は、吹き飛ばされながらも盾を持つ手を離さないどころか向きの制御までやってのけたらしい。
大岩は、ぎりぎりのところで関門を逸れてすぐ横の岩壁に着弾した。
これで二つ、大岩が最終関門に激突することは避けられた。しかし、破壊できなかった岩塊はもう一つ。
先の二人以上に関門に近い者はいない。あの岩を単身で破壊する術を持つ者も、防ぐ方法を持つ者もいない。
里人の言葉を信じるのなら、間もなく破龍砲の準備が整う。
そこまで耐えれば、いいはずだ。
だが、『あと一歩』『あと一手』が届かない。
頼む、持ちこたえてくれ。そう願うことしかできない。
瞬きの間が永遠にも感じられる。岩塊と龍以外の全てのものが、静止していた。
「気焔、万丈ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
束の間の静寂を破ったのは、ひとつの雄叫びだった。
関門の上から、人影が飛び降りてくる。
「うおおおぉぉぉぉぉりゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ――ッ!!」
人影――その手に百竜刀を携えた里長は、振り下ろす一太刀で岩を粉砕するだけでは飽き足らず、さらにもう一歩踏み込んで刃を大きく振り抜いた。
風神龍は大きく怯み、ここにきて初めて空中でバランスを崩すようにふらりと身体を揺らす。
しかし、それだけだ。すぐさま攻撃を仕掛けてくることはないが、墜ちることもなく、立ち去る様子も見せない。
大男は百竜刀を構え、龍と向き合ったまま呼びかけた。
「……破龍砲は」
「いつでも行けます!!」
その声を待っていたかのように、すぐさま返答が飛ぶ。
彼は満足したように「よし」と頷いた。
「皆離れよ。俺のことは構わん、合図したら放て!」
「……っ、はい!」
やり取りが終わるとほぼ同時に、龍が咆える。
思わぬ手痛い反撃を食らって、さすがに怒り心頭らしい。黄色だったはずの目は深紅に色を変え、その身体のあちらこちらが赤く発光している。
破龍砲の発射に備えランゼを含むハンターたちは退避を始めたが、男は龍の眼前に構えたまま動かない。
そんな彼を喰らわんとばかりに、風神龍はその顎をいっぱいに開いて躍りかかった。
「ふん……ッ、ぬぉぉぉぉぁああああ!!」
がき、と硬質な音が響く。
里長は、百竜刀の長大な刀身を以て龍の顎を受け止めていた。
両者の力は今は拮抗しているようだが、さすがに古龍に対し人の身では分が悪い。少しずつ、その脚が押し込まれて行く。
しかし、その瞳から焔が消えることはなかった。
かっと目を見開き、大きく息を吸って声を張り上げる。
「――今だ、撃てぇぇぇぇぇぇい!!」
がたん、とレバーが倒される重々しい音。
一瞬の静寂の後、砦は爆音と光に満たされた。
※
破龍砲の爆発に思わず目を覆っていたランゼが顔を上げると、風神龍イブシマキヒコは彼方に飛び去るところだった。
龍とともに破龍砲に巻き込まれたかに思われた里長は、いかなる業を以てか五体満足でその場に立っていた。太刀の方はさすがに衝撃に耐えきれなかったらしく、刀身のちょうど真ん中から二つに折れて傍らに落ちている。
ランゼと同じくめいめいに頭を庇っていたハンターや里守たちは、防衛の成功を確認し一斉に
夜を徹して防衛に携わっていた者も多かろうに、誰もがそれを忘れてしまったかのような喜びようである。
馬鹿らしいとランゼが騒ぎから視線を逸らした瞬間、思いがけない眩しさに目を細める。見れば、砦に朝日が差し込んでいた。
長い、長い夜が、今明けた。
「ランゼ」
確認するまでもなく、彼を呼んだのはシオである。
振り向こうとして脚がもつれ、それを受け止めようとした彼女ごと地面に倒れ込んだ。
「人のこと支えようとしてる場合かよ」
「……返す言葉もないな」
シオの上からもぞもぞと退くが、もう一度立ち上がる気力はなく彼女の隣に身体を投げ出す。
見上げる空が、段々と明るくなっていくのがよくわかった。
「どうだった?」
シオの言葉に、黙ったまましばらく考え込む。
正直、何もかもが想像以上だった。
押し寄せるモンスターの数も、目が回るような忙しなさも、里人の強さも、そして何より初めて相対した古龍の存在感も。
こうして改めて思い返すと、お前は
「……まだまだ、だな」
返答のはずが半ば独り言のようになってしまったランゼの言葉を受けて、シオは小さく笑った。
「同感だ」
「
意外だった。ランゼに接する彼女は、いつでも自信に満ちているように見えたのだが。
彼の思いを察してか、シオは苦笑しながら答えた。
「自分が積み上げてきたものは信じているが、満足したことはないさ」
その二つの違いが、ランゼにはよくわからなかった。
「今回の防衛でわかっただろう? 単純な戦闘能力で見れば、私とお前には元から大した実力差はない。ただ、平時の狩猟においては私の方が知っていることが多いだけだ」
肯定も否定もできずに黙り込む。
「……幻滅したか?」
「いや」
少しトーンを落とした声に、今度は即答した。
ランゼとシオの差が知識のみであったとしても、彼女との間に明確に感じたその差は『強さ』と言うべきものだろう。
それに、
「勝手に期待して勝手に失望するなんて馬鹿のすることだろ。俺はそういう奴は嫌いだ」
静かにそう言うと、シオは心なしかほっとしたように息を吐いた。
「そろそろ、行こうか。私たちも砦の片付けを手伝わなければ」
「ん」
シオに続いて、ランゼもゆっくりと身体を起こした。
※
「馬ッ鹿お前、ハンターは休めって!」
シオが声を掛けた里人は強硬にそう言い張り、結局二人は手伝いもしないまま拠点まで戻ってきてしまった。
道中色々な場所で作業が進められていたが、見たところハンターらしき姿は全くない。
「手足が付いている者は働くべきだと思うんだが……」
シオはぼやくようにそう言ったが、受け入れてくれる場所はありそうになかった。
気付けば目の前に治療所があり、しかしこれといってすぐに処置が必要そうな傷もない二人は途方に暮れて顔を見合わせる。
「どうしたものか」
「…………」
特に良い案も出ないまま沈黙が下りた瞬間、「おーい」と誰かの声が聞こえてきた。
ランゼが辺りを見回すと、治療所の壁に寄りかかるようにして座っている男がこちらに手を振っている。
「大事なさそうで何よりだ。他も無事か?」
二人が彼に歩み寄ると、男はかかかと笑いながら言う。
先程までは身体に隠れて見えなかったが、彼は右腕を首から吊っていた。
「あなたのおかげでしょう。あの後ヒオウの姿を見ていませんが、他はおそらく皆無事です」
声を掛けられてなおランゼはこの男が何者か全くわからずにいたのだが、シオの返答で得心が行った。
身体を張って大岩を受け止めた、あの壮年の銃槍使いだ。
「あぁ、ヒオウならあっちで元気に怪我人の面倒見てるぜ。やめろとは言われてたんだが、そんなんで止まる子じゃねぇわな」
シオはそれを聞いて「なら良かった」と言ったが、その表情は晴れなかった。
「……その、腕は」
「うん? あぁ、これか。大した怪我じゃねぇよ、二月もありゃある程度は治るだろ」
彼は笑みを崩さずに何でもなさそうな口調で言ったが、直後表情を消して続けた。
「引退だな」
隣で息を呑む気配が伝わってくる。
「勘違いすんな。元々そろそろ歳なのはわかってたし、
「そう、ですか」
それっきりシオは黙って俯いた。その肩を、自由な左手で男が強く叩く。
「若い
シオはこくり、と頷いたが、とても同意の動作には見えなかった。
彼もそれをわかっているのだろう、重い空気を払拭するように明るい口調で言う。
「暇ならヒオウのとこに行けばいい。あの子が一番頑張ってたと言っても過言じゃねぇからな、休ませたいのは山々だが止められんのはお前さんくらいだ」
その言葉を受けてランゼが治療所のさらに奥を見遣ると、確かに短い赤髪が忙しく動き回っている様子が見えた。
仕方ない人だとばかりにため息を吐くシオを追おうとするランゼの背中越しに、声が掛けられる。
「あぁ、あとな」
振り向かないまま、足だけを止める。
「ランゼ、お前もよくやったな」
「……うるせぇよ、おっさん」