【完結】水月に手を伸ばす   作:どら水天

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28 歪み交わり混ざり合う

 ふ、と目が覚める。

 ぼんやりしたまま身体を起こそうとすると、背中の傷に走る痛みで現実に引き戻された。

 辺りを見回すと、ランゼが目を覚ましたことに気が付いたハヤテがそろそろと歩み寄ってくる。

 部屋の隅に目をやると、そちらにはツキヨが寝そべったままじっとこちらを見つめていた。

 しかし、それだけだ。彼女は別の部屋にいるらしい。

 

「……シオ」

 

ふらりと立ち上がって部屋を出ると、意外な人物と鉢合わせた。

 

「わ、ランゼ! 身体はもう大丈夫なの?」

 

 彼女は大袈裟に驚いて見せると、ランゼにそう問いかけた。

 

「――ヒオウ」

 

 記憶の片隅から辛うじてその名前を引っ張り上げて呼ぶ。

 ヒオウは軽く頷いて、にこりと笑顔を見せた。

 

「大事なさそうで良かった。実は、ちょうどランゼに用事があって」

 

 幼馴染だというからてっきりシオの見舞いにでも来たかと思っていたが、それだけではないらしい。

 

「ごめん、シオのところに行きたいよね。すぐ済むから少し中でお話しさせて」

 

 内心の焦燥をあっさり見抜かれて、気圧されるように先ほど出てきた部屋に戻る。

 ランゼが促すまでもなく、ヒオウは一枚の大きな紙を取り出して話し始めた。

 

「少し……ランゼには、つらい話になるかもしれない」

 

 言いながら彼女が畳の上に広げたそれは、寒冷群島の地図だった。

 

「あの後シオの装備は、私が預かってあの子の家まで持って帰ったんだけどね」

 

 そこで一呼吸置いて、

 

「――太刀がないの」

 

 ぐ、と喉が詰まるような感覚。

 

「多分、寒冷群島(あそこ)に残されたままかなって。それなら、雪が降る前に行かないと見つからなくなっちゃうから」

 

 確かに、あの太刀を一緒に持ち帰った記憶は――ない。

 いや、そもそも彼女の太刀は、あの瞬間。

 

「――っ」

 

 急に吐き気がして、思わず口元を抑えた。

 

「ごめん、大丈夫!?」

 

 平気だと首を振って、立ち上がりかけたヒオウを押し留めるように手を上げる。

 

「そっか。……何があったかは聞かない。思い出せる範囲で教えて」

 

 こくりと頷いて、呼吸を整える。

 確か、あれは――確か、あれは。

 ランゼが記憶を辿るのを、ヒオウは辛抱強く待っていた。

 ひとつずつ、ひとつずつ、ともすれば濁流のような感情に呑まれそうになりながらも、ゆっくりと思い出す。

 

 やがて、ランゼは震える手で地図の一点を指し示した。

 

「ここ、ね」

 

 しっかりと頷くヒオウに、絞り出すようにして言った。

 

「多分……折れてる」

 

「――そっか。うん、わかった」

 

 話は終わりだとばかりにヒオウが地図を畳み始めると、不意に部屋の隅にいたツキヨが立ち上がって彼女に歩み寄った。

 

「手伝ってくれるの?」

 

 ヒオウの問いかけに、肯定するようにわん、と一声。

 

「ありがとう。ランゼ、この子借りて行くね」

 

 ランゼには異論を差し挟むような隙も資格もなかった。

 ただ、去って行く背中にぽつりと呟く。

 

「――どうして、手前(てめぇ)はそんなに強いんだよ」

 

 ヒオウの言動の端々から、彼女が一片の疑いもなくシオが帰ってくると信じているのが伝わってきた。

 ランゼには、そう在ることなど到底できそうもないと思った。

 返答など期待もしていなかったが、彼女は足を止めて、一言。

 

「私は、強くなんてないよ」

 

 振り返ったヒオウの表情を表す言葉を、ランゼは知らなかった。『悲しそう』も『寂しそう』も近いようで違う。

 

「でも今は、私たちがシオを信じなきゃ」

 

 信じる。信じる、か。

 

「……手前(てめぇ)は、裏切られたことがねぇからそんなことが言えるんだ」

 

 零れた声は、自分でも驚くほど低く、地の底を這うような声だった。

 今度こそ、返事はなかった。

 

 

 あれから数日。――おそらく、数日だったように思う。

 

 誰も何も言わないのを良いことに、ランゼはずっとシオが眠る部屋の片隅にいた。

 医者曰く、目が覚めるかどうかは半々だろう、と。

 傷自体は塞がったし折れた骨――肋骨が何本かに加え、右腕もだったらしい――はきちんと固定してあるが、如何せん出血が多くてどうしようもない、と。

 

 そんなことを言われてしまうと、とても自宅に帰ろうなどという気にはなれなかった。目を離したら、そのまま彼女がふっと消えてしまうような気がした。

 

 入れ替わり立ち替わり訪れる見舞いの里人の多さは、シオに人望があることの証左だろう。彼らは初めのうちはただ何をするでもなくそこに居るランゼに驚くような様子を見せたが、やがて当然のように彼に差し入れを置いていくようになった。

 

 とは言っても、ランゼが自分からそれを消費するなりなんなりしようという考えは基本的にない。そもそも、どうしようもなく何も出来ないからこうしているのだ。

 

「ランゼ殿、お食事を」

 

「……ん」

 

 掛けられた声に顔を上げると、白いアイルーがこちらを覗き込んでいた。

 差し出されたものを義務的に口に運びながら、こいつも物好きだな、とぼんやり考える。

 

 初めは父方の親類に“頼まれて”来ていたようだが、あるとき以降ナギトがそれを止めさせてランゼの資産から俸給を渡すようになったことは知っていた。咎めるつもりはなかったが、特に触れるつもりもなかった。

 

 だが、兄が全く出てこなくなってからは、それもなくなっているはずだ。正直、いつ姿を消してもおかしくはないし、なんならそれで構わないとも思っていた。

 

 だから、彼がいつまでもこうしてランゼの世話を焼く理由がわからない。

 着服が目的ならとうに高飛びしている方が余程自然で、今のランゼにはそれをされたところで何か行動を起こすような気力も理由もない。彼も、それくらいはわかっているはずだった。

 

手前(てめぇ)は……」

 

 口を開いてみたは良いものの、その先が続かない。

 ちらりと見遣ると、アイルーは驚いたような顔でこちらを見つめていた。

 

「何でしょう、か」

 

 そういえば、こいつの顔をまともに見たことはほとんどなかったかもしれない。

 基本的に話をする必要などなくて、必要なときは兄が全部やってくれていて、相手もそれに異を唱えることはなかった。

 

「――何でも、ねぇ」

 

 不意に覚えた強烈な違和感から目を背けて、呟くようにそう言った。

 

 

 自分のせいだ。全部、自分のせいだ。

 いい加減に、目を逸らし続けるのは止めたらどうだ、と。そう囁く声は、五年前から確かにずっとここにあった。

 けれど。ならどうすればいい、と問いを投げたところで、もうここにいない人間は答えてはくれない。

 

 何もかもが歪んでいることなんて、最初からわかっていた。

 それでも必死にもがき続けて、そう在りたいと願い願われた姿を目指し続けた。

 頑張りすぎたというのなら、今さらその無理が祟っているというのなら。

 一歩前へ踏み出すべきは、過去と、自分と向き合うべきは、きっと今なんだろう。

 

 

 

 誰かの手が、ランゼの髪を梳いている。

 温かい感触が心地よくて、もう少しこのまま目を閉じていたいと思った。

 しかし、そう思った瞬間に手はぴたりと止まり離れて行く。

 渋々目蓋を持ち上げると、そこにはシオが――シオ、だって?

 

「ん、起こしてしまったか。すまない」

 

 目が合った彼女は、驚きで言葉も出ないランゼに微笑みかけた。

 

「難しい顔をしていたが、夢でも見ていたか?」

 

 ランゼが何か言う前にそんなことを言われ、思わず真面目に考え込む。言われてみれば確かにそうだったような気もするが、では内容はというと全く思い出せなかった。

 彼女はそんなランゼを見て目を細めたが、しかしすぐにきゅっと眉を寄せて、

 

「お前、ちゃんと寝ていないだろう」

 

 きまりが悪くて目を逸らした。状況を見るに、どうやら全く無意識のうちに彼女の布団に縋りつくようにして落ちていたらしい。

 子供のような姿を見せてしまったことが余計に気まずくて、素直な心配の言葉など出てくるはずもなかった。

 

「……誰の“おかげ”だと思ってる」

 

「あの場ではああするのが最善だった」

 

 そんなことが言いたいんじゃない、と反論したいのはやまやまだが、あれは自分の未熟さが招いた事態故あまり強くも出られない。

 だがひとつ、どうしてもひとつだけ。

 

「どうして、俺を庇ったりした」

 

 ランゼがごく小さな声で投げた問いに、シオは迷うことなく答えた。

 

「言っただろう、あれが最善だった。お前があのまま受けていたらおそらく即死だっただろうが、私が間に入れば少なくともその場で死ぬことはないと思った。それ以上に何か必要か?」

 

 こともなげに言うシオに、ランゼは絶句した。

 理屈の上ではまあわからないでもないが、ただの知人のためにあの一瞬で躊躇いなく決断するようなことではない。……ただの知人、のはずだ。

 

「その上で、強いて理由を求めるとするならば――そうだな」

 

 ランゼが余程正気を疑うような顔をしていたか、シオは苦笑しながら付け加えた。

 

「お前は、私と出会ったばかりの頃に比べて変わった」

 

 急に明後日の方向へと飛んで行った話題に、思わず首を傾げる。

 

「きっとそれはまだ途中で、これからも変わっていくんだろう」

 

 シオはそれを気にするような様子も見せず、淡々と言葉を綴った。

 

「私はそれを好ましく思っている」

 

 いつもより心なしか血色の悪い顔で微笑む彼女は、ぞっとするほど美しく見えた。

 

「だからお前に、あそこで終わってほしくはなかったんだ」

 

 

 

 

 

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