読んでいない方は前話からどうぞ。
「――ナギトは、もういないんだって」
その言葉を聞いた瞬間駆け抜けた複雑な感情は、とても言葉では表せなかった。
ただ、ただ一つ言葉にするとすれば。
「きみは、もう……大丈夫なんだね」
安堵、だろうか。
最初から、奇跡なんかじゃなかった。
死んだ人間が戻ってくるなんて、何がどうなっても有り得ない。世界は、そういう風にはできていない。
僕は、最初から誰でもない。強いて言えば、元はランゼだったんじゃないかと思う。
五年前――きっとランゼが壊れそうになっていたあるとき、泡が弾けるようにふっと意識が覚醒した。
『ランゼ』の記憶から『ナギト』を引っ張り出してきて、一人で苦しんでいた彼に手を差し伸べた。
僕はナギトだと、そう言ったことはなかった。けれど、そうでないと言わなかったのも確かで。
上手くやれているかとか、僕では本物にはなれないとか、嘘を吐いていることへの罪悪感とか。気付けば、積み重なっていたそれらに押し潰されそうになっていた。
けれど。全てを吐き出してしまった今は、晴れやかでいて切ないような、何かを惜しむような、不思議な気分だった。
シオは、僕の隣でただ月を見上げていた。
目を閉じる。ぐらりと混ざる。
目を開ける。ゆらりと揺れる。
不思議と、あまり驚いてはいなかった。
彼女の言う通り、俺は本当に最初から分かっていたんだと思う。
もうひとつ、ゆっくり瞬きを。
良かった。僕の日々は、この道は、無駄なんかじゃなかった。
ただその事実を、ぎゅっと噛み締める。
「……ありがとう」
俺は、もう。
ひとりで歩いていける。
暗転する直前に見えたのは、明るく輝く満月だった。
※
「う~む、これは見たところただ寝てるだけだニャ。じき起きるじゃろ」
「……そう、ですか。なら良かった」
「まあ多少は時間がかかりそうだがニャ。ここのところ――いや、随分前からかニャ? まともに寝とらんようじゃったし、ツケが回ってきたってやつだニャ。ワシには全く理解できん」
「…………」
「まあ気長に待つといいニャ。こやつもお前さんの傍だからぐっすり寝てるんじゃろ。にょほほ」
※
「悪い、付き合わせて」
「構わない。どうせ家に居ても暇なんだ」
ランゼの言葉に、彼女は素っ気なく答える。
あれから数日。二人が訪れたのは、里の片隅にある墓地だった。
今までのランゼは徹底的に避けていた場所だ。兄は死んでいると、墓石にそう刻まれているから。
「花でも持ってきた方が良かったんじゃないのか?」
シオの言葉に、さもありなんと眉を寄せた。
「そうかも、しれねぇな」
「…………」
急に黙り込んだ彼女をちらりと見る。
「んだよ」
「……いや。こうも変わるものか、と」
またそれか、と舌打ち、次いでひとつため息。
ランゼ自身にあまり自覚はないが、シオ曰く「随分と素直になった」らしい。
「まあ、次持って来れば良い。これからはいつだって来れるだろ」
「うん。そうだな」
ぱたり、と墓石に水滴が落ちた。
雨かと見上げるが、空は晴れ渡っている。
つう、と頬を伝う感触に、それが自分の涙であることに気付いてしまった。その途端、込み上げるものが一気に溢れて止まらなくなる。
父に、兄に、そしてここにいるけれどいなくなってしまったもう一人に。
「――っ、うっ……く、」
慌てて下を向いて、嗚咽を抑える。
目元を乱暴に拭うが、後から後から零れる涙が止まることはなかった。
「ランゼ。気にするな、私しかいないんだ」
「っせぇ、よ……!」
力なく答えるランゼの声を、シオが笑うことはなかった。
二人がその場を立ち去ったのは、辺りがすっかり暗くなってからだった。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。以上で本編完結になります。
積もる話もありますが、ここに書いていたら本編一話分より長くなってしまいそうですので、本格的な後書きは別途活動報告に掲載いたします。
23:11追記
「水月に手を伸ばす」あとがき
ただこちらではひとつだけ、読んでくれた全ての方に感謝を申し上げたいと思います。
こんなにたくさんの方に読んでいただけるとは思っていませんでした。
UA、お気に入り、しおり、感想、評価のひとつひとつが全て力になりました。
本当に、ありがとうございました。
ちなみに、本編は一区切りとなりますが不定期で閑話・番外編を投稿したいと思います。
また、原作のストーリー次第ではエルガドに遠征する二人も描きたいです。そのときはまたどうぞよろしくお願いします。
では、また機会がありましたら。