【完結】水月に手を伸ばす   作:どら水天

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4 悪い子には音爆弾を

 アンジャナフの全体重を乗せた、かち上げるような突進。直前に全力で跳んだとはいえ、その直撃をまともに受けたランゼは大きく吹っ飛んだ。

 

 意識を飛ばしそうになりながらも、無意識に翔蟲で距離を取ろうとして――いや、ダメだ。今飛べば追撃を受ける。

 地面に叩きつけられる寸前で、真っ直ぐ後ろに鉄蟲糸を伸ばして距離を取りつつ着地。身体のあちこちが軋むような感覚があったが、まだ戦える。

 

 ランゼが何も言わずとも、ツキヨは彼を庇うように前に出てアンジャナフの気を引いている。ポーチから回復薬のビンを取り出して、このまま中身を呷るような隙を与えてくれるか、と思考したその刹那。

 

 鋭く光る軌跡、一瞬遅れて切断された竜の尻尾が空高く舞った。

 

「大丈夫か?」

 

 バランスを崩し派手に転倒する竜に目を向けたまま、黒髪の女ハンターは振り返らずに告げた。

 

「ちッ……別に」

 

 とんだお節介を、と歯噛みする。「そうか」と答える澄ました声音も気に食わなかった。

 右手のビンから中身を勢いよく喉に流し込んで乱暴に栓を閉め直す。

 

『ごめん。僕が先に気づけば……』

 

『あの程度大したことねぇのは本当だ。気にしないでくれ』

 

 申し訳なさそうにする兄に、口に出さぬようにして返答する。兄の支援をありがたいと思ったことはあれど、不服を感じたことはない。

 

 さっさと攻撃に戻っていた女の後を追うようにして弓を展開。複数本の矢を一気に番えて引き絞る。

 

 対する竜の身体には、そろそろ切り落とされた尻尾以外の部位にも細かい傷が目立ち始めた。立ち上がれずに足をばたつかせていたアンジャナフは、猛攻を受けながらもなんとか身体を起こす。

 重心が変わったせいか大きく前につんのめりかけて、しかしなんとか踏みとどまった竜はよたよたと逃げ出した。

 

「あと少しだな。追うぞ」

 

「……ふん」

 

 そんなことわざわざ言われずとも、と鼻を鳴らして、駆け寄ってきたツキヨの背に飛び乗る。

 

 遠隔武器である弓は近接武器と違って研ぐ必要もないので、他人がいようといなかろうと全力で飛ばすのはいつものことで、そのペースについてくる者などは皆無に等しかったのだが。

 

「待ってくれ、少し話がしたい」

 

 わざわざランゼの横までやってきて、黒髪の女ハンターはそんなことを言い出した。

 

「……あ?」

 

 ランゼがちらりと視線を向けると、それを同意と取ってか彼女は話を始める。

 

「普段は一人かもしれないが、前衛と一緒に狩りをするなら後衛があまり前に出すぎるのは危険だ」

 

 その内容に、結局こいつもそういう(クチ)か、とランゼは顔をしかめた。

 

「ガンナーは剣士に比べて装備が薄いのだから、先ほどのような場面では落ち着いて一度退くべきだったんじゃないか?」

 

 そんなことは他の人間にも耳にタコができるほど言われてきたことで、しかしそれを聞き入れる気などなかったから今もランゼは自分のやり方で狩猟をしている。

 彼女の口調が怒りも批難も含まないことに物珍しさと同時にちょっとした不気味さを感じないでもない……が、それだけである。

 

「ガンナーの優位性は狩猟の流れを掌握できるところにある。ただ自分がやりたいように動くのではなく、剣士が戦いやすいようにモンスターを誘導したり、立ち位置に気を配ったりした方が効率的で安全に狩猟ができる、と私は思うんだが」

 

 女はそう言うが、別に彼は効率も安全も求めてはいない。他人との狩猟なんて、最低限――本当に最低限、攻撃を当ててしまわなければそれでいいだろうと思っている。

 

 別にランゼ自身がやりたくて他人と狩りに来ているわけではないのだから、つべこべ言われたところでどうにかしようと思う気概すらない。そもそも、自分一人で十分狩れるような実力がある状況で、他のハンターに気を配らなくてはいけない理由がわからない。

 だが、その辺りのことを他人に懇切丁寧に説明しなければいけない理由も、理解を得られる保証もない。

 

「……だから何だよ。お前のやり方を俺に押し付けるんじゃねぇ」

 

 そういう考えを、その言葉に全部まとめて拒絶を決め込んだ。

 

「そうか。……ふむ」

 

 女はそう言ったきり、それ以上の追求はしなかった。

 面倒がなくて楽ではあるが、それ以上に何を考えているかわからない不快感の方が大きい。

 とはいえそんなことを考えていても意味はないので、蛮顎竜の逃げた先が見えてきたのもあって、ランゼはひとつ舌打ちをして視線を前に戻す。

 

 逃げ出した竜は弱っている様子だった。じきに決着が付くだろう。

 普段は名残惜しさを感じるのだが、今日ばかりはそんなものはなかった。この女ととっとと離れられればもうそれで良い。

 

 傷だらけの身体を引きずるアンジャナフが見えるや否や、ツキヨの背を蹴って空中で弓を構える。

 その顔面に至近距離から何本もの矢を叩き込んで、よろけた竜の足元を通り抜けるように斬りつける。

 

 そこから先は、一方的と言って良かった。

 降り注ぐ矢に気を取られた竜を閃く太刀が切り刻む。邪魔な刃を追いかける竜を何本もの矢が貫く。

 

 先ほどまでよりもさらにやりやすいことには恣意的なものを感じて不快だったが、邪魔をされているわけでもないのに文句を言う道理はない。

 

 竜の尻尾の断面から滴り続けていた血の勢いはどんどん弱くなっていき、やがてアンジャナフは力尽きるように膝を折った。

 大きな身体が横倒しになると同時に、衝撃で地面が揺れる。

 

 さてさっさと剥ぎ取って帰ろうか、と思ったところで、不意に頭上に影が差した。

 見上げると、そこにはガブラスの群れ。別名翼蛇竜、死肉を貪る者である。

 

 アンジャナフが息絶えたことを察知して降りてきたのだろうが、剥ぎ取りの邪魔をされてはかなわない。面倒だがついでに仕留めてしまおうとランゼは弓を構えるが、彼が矢を放つよりも先に。

 

 視界の端を掠めるように何かが飛んできたと思ったら、次の瞬間辺りに甲高い音が響き渡った。

 音爆弾。それも、完全に意識の外から。

 

 強烈な音波に、ランゼの頭の中から全てが抜け落ちる。一瞬遅れてやってきた強烈な耳鳴りに思わず頭を抱える。

 下がってろ、と手で合図して前に出る女の肩を掴もうと手を伸ばしかけて、今そんなことをしてもと結局やめた。

 

 単純な音での衝撃以上に、それをやったであろう女の意図がわからない混乱の方が強い。

 いや、意図自体はわかる。先ほどの音響攻撃で、寄ってきていたガブラスたちは全て地に落ちてもがいている。だがそれにランゼが巻き込まれる道理はない。

 

 墜落したガブラスたちが慌ただしく飛び立って逃げ出した頃、ようやくランゼの耳も正常に周囲の音を拾い始める。

 

「……どうして投げる前に何も言わなかった」

 

 素知らぬ振りをしている女に自失の余韻も冷めやらぬまま問いかけると、彼女はランゼの方に振り返って悪戯っぽく笑った。

 

「あぁ、もう大丈夫か? 少しは大人しくなったな、そうしている方がまともな顔に見える」

 

 この期に及んでなおもそんな軽口を叩く女。

 

「ちッ……んなことはどうでもいい。だから、」

 

「『何故』、か? 私も“好きに”やらせてもらっただけだぞ」

 

 苛立ったランゼが問い詰めようとすると、彼女は悪びれる様子もなくそう言ってのけた。

 

「…………」

 

 思わず絶句。

 

「わかるか? 皆が()()では複数人での狩猟は成り立たない」

 

 ランゼが何も言えないでいるうちにふっとその表情を真面目なものに変えた女は、彼の目を真っ直ぐに見つめてそう言った。

 

 あからさまに利己的で味方の行動を妨害する行為に激昂したい気持ちはやまやまなのだが、どうしてもそれより困惑の感情の方が強い。

 単純な仕返しにしては態度が変だし、そもそもランゼは彼女の妨害をした覚えはない。その意図もよくわからない上に、やりすぎじゃないのかというのが正直な感想だった。

 

「邪魔は、してねぇだろ」

 

「しているも同然だと言っているんだ。お前にも事情があるんだろうが、複数人で狩猟する以上はその場に応じて適切に連携しないと各々が十全の力を出し切れない」

 

 ランゼが辛うじてぽつりと漏らした言葉に、女は落ち着いた口調で答えた。

 複数人で、十全の力。そんなのは各々が勝手にやれば良いのではないのか?

 

『まぁ……僕は彼女の言いたいこともわかるけどね』

 

 兄にまでそんなことを言われてしまったランゼは、何も答えられずに立ち尽くした。

 

「これに懲りたら次回以降はもう少し立ち回りを考えるんだな」

 

 呆然とするランゼにさっさと背を向けた彼女は、竜の亡骸の方へと歩いていった。

 

「お前は剥ぎ取らないのか?」

 

 その肩越しに掛けられた言葉に、弾かれたようにランゼも動き出す。

 この女にはどうにも驚かされてばかりで、調子が狂う。

 

 ツキヨを伴って自分も蛮顎竜の亡骸の傍らに歩み寄ったランゼは、つい普段のように軽く手を合わせた。

 今日は兄が顔を出すことはないのだが、いつもやっていると嫌でも習慣になる。

 

「そういうことはしない(たぐい)の人間だと思っていた」

 

 振り向くと、女は意外そうな顔をしていた。

 確かに完全にランゼ一人で兄もいない、という状況でこのような行動を取るかは怪しいが、別に狩った獲物を弱者として蔑むような趣味があるわけでもない。その上むしろ魂や死者の行く先については、境遇上信じざるを得ない身である。

 彼女の印象はある意味では正しいが、ある意味では心外だった。

 

 

 何だかんだで無事に狩りを終え、またしばらく船に揺られて集会所に戻ってきた後のこと。

 

「そうだ、ちょっと待ってくれ」

 

「あ!? 今度は何だよ!」

 

 別れ際、やっと帰れると思ったところで呼び止められたランゼは、怒鳴り返すと言っても過言でないほどの勢いでそう答えた。

 女はランゼの問いには答えずに、振り返った彼の右手首を掴んで持ち上げた。

 

「突進を受けたときか? 怪我をしたなら早めにゼンチさんに診せた方がいい」

 

 目敏い女だ、とランゼは顔をしかめた。

 確かにあのときだったのだろう、右手の薬指に火照るようなじんとした痛みがある。が、大して腫れていないことから見るにせいぜい突き指といったところだろう。別にどうということはないというのが彼の認識だった。

 

「放っとけよ。俺の勝手だろ」

 

 必要であれば自分で診せに行く。

 もっとも、ランゼが一年ほど前に本格的に狩猟を始めてこの方、そんな機会はなかった。無茶な狩猟ペースとは裏腹にあまり大きな怪我がなかったこともあるが、他人に頼ることを嫌うあまり自分で『大したことはない』と判断したものは放置してきたからである。

 

 女の手をぐいと振りほどくが、彼女はなおも「しかし」と言い募った。

 

「利き手の指は弓使いにとって生命線だろう。お前は片手で弓が引けるとでも?」

 

「黙れ。仮にそうだとして手前(てめぇ)にとやかく言われる筋合いはねぇ」

 

 ランゼの反抗心を煽るような言い方に、つい語調が強くなる。

 

「……そうか」

 

 女は不満げに、しかしようやく矛を収めた。

 

「ともかく――今日はありがとう。また、機会があれば」

 

 この期に及んでそんな戯言を吐く女に、思わず大きなため息を吐く。

 

「んな機会がねぇことを祈るがな」

 

 言ったきり、相手の返答も待たずにランゼは集会所を出た。

 

 賑やかだった集会所から一転、人通りの少ないところまでやってきたランゼは、ため息交じりに言った。

 

「……マジでなんなんだよ、あの女」

 

 今まで会ったどんな人間とも異なる距離感。そもそもランゼが人付き合いを避けている以上分母は少ないが、それにしたって()()は変だと自信を持って言える。

 怒りをぶつけることなく、かと言って良い顔をしてくるわけでもない。ここまで純粋にその考えがわからないのは初めてと言って良かった。

 

「ランゼは嫌い?」

 

 答える兄の言葉に、髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜる。

 

「当たり前だろ。嫌いだ」

 

「ふーん、そっか。僕は悪い人じゃないと思うよ」

 

 何気なく告げられた言葉に、ランゼは内心かなり衝撃を受けた。兄と意見が分かれることはあまり珍しくもないが、ここまで決定的に割れることはそうそうない。

 

「ランゼは嫌かもしれないけど、きっとこれからも会うんじゃないかな。そんな気がする」

 

 ランゼとて薄々そんな予感はしていた。そもそも彼女は花結の件の時点でギルドマネージャーにランゼとの関わりがあることを知られている。あの狸爺がその気なら、きっと今後もクエストを被せてくるだろう。

 

「どうしたらいいって言うんだよ、全く……」

 

 呟いてみるも、どうしようもないことくらいランゼが一番よくわかっていた。

 

 

 


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